5 野獣の咆哮

 第二クールの最終日が終わった夜だった。住友純一郎は今夜も日向五右衛門と街に繰り出そうと思っていた。俺様主義で友達を作ることが上手ではない住友は自分と同世代の選手と馴染むことができず、正直、寂しい思いをしていた。風花監督は親しく口を聞いてくれるがあくまで上司だ。心から打ち解けることはできない。そんな時、そばに日向五右衛門がいることに気がついた。自分と同じ、喧嘩屋。気が短くて時には暴力も辞さない侠客。なんて自分に似ているのだろうと思った。だが最初は近寄りがたかった。日向の持つ迫力は自分よりもかなり上だった。でもキャンプ初日の準備運動の時、相手を見つけられずに戸惑う住友に「やるか」と一言発した時の頼り甲斐のある姿。これに住友は一発で惚れてしまった。それ以来、住友は日向に子犬のようにつきまとった。日向も自分に似た後輩を悪く思ってはいないようで、付きまとうことを許していた。

 しかし、今日は違った。

「日向さん、明日は休日だから飲みに行きませんか?」

 住友が日向に声をかけると、

「悪いが、今夜は一人にさせてくれないか」

すげなく断られた。そして日向は住友に話しかけられるのを避けるように、外へ出かけて行ってしまった。

「なんだよ。せっかく誘ったのに」

 不機嫌になった住友も一人で街に出ようとした。するとエレベーターで風花監督と宗谷ヘッドコーチに出くわした。

「よう、純一郎。おごってやるから、焼肉食べに行こうよ。ただし、ドンブリ飯二杯がノルマね」

 住友の心はその一言でほっこりした。日向に受けた冷たい仕打ちが溶けていくようだ。風花監督にはそういう徳がある。

「ご一緒させていただきます。でもドンブリ飯は一杯で勘弁してください」

 住友は頼んだ。

「なさけないなあ、僕なんて三杯は食べるよ」

 風花が言うと、

「監督、食いすぎだわ。そのうち、ライ●ップのCMからオファーが来るぞい」

宗谷が嫌味を言った。


 焼肉店で風花は牛一頭食べる勢いで肉を食いまくり、本当にドンブリ飯三杯をペロリと食べた。

「純一郎。お前の弱点は速球の球質が軽いことだ。それを克服するには体重を増やして、速球の速度とキレを上げるしかない。お前は神奈川大学リーグっていう、比較的レベルの低いリーグで戦っていた。東京六大学や首都六大学、それに社会人のトップのチームのレベルは高いぞ。まして、お前はプロだ。一年一年、レベルアップしなければ、最初は通用しても研究されてすぐにダメになる。僕は君をそうしたくないから、こうしてアドバイスしているんだ。さあ、肉が焼けているぞ。無理しても食べろよ」

 風花はドンブリ片手に力説した。

「はい、頂戴します」

 風花のアドバイスに感激しながら住友は肉を食べた。腹がはち切れそうだが、そんなこと言えない。己の限界に挑戦しようと住友は思った。

「なあ、純一郎。やなこと聞くぞ。君はとっても素直で、好感が持てる男だ。僕は君が好きだ。ああ、ホモって意味じゃないよ。だけど、暴力事件を起こして神奈川大学リーグを永久追放された。それはなんでだい?」

 風花は住友の暗部に切り込んだ。住友はあまりそれを口にしたくなかった。しかし、風花監督は信頼できる。そう思って、話すことにした。

「俺が殴ったのは、その試合の時の主審です。そいつは対戦相手の学校のOBでした。普通はそういうことは起きないんですけど、審判に不足が出て、急遽そいつが主審を務めることになりました。ウチの監督は抗議しました。だけど連盟の人は面倒臭がって、主審を代えませんでした。これがつまづきの元です。そいつは露骨に主審校の贔屓をしました。ど真ん中の一球もボールと判定する始末でした。だから俺は打たせて取るピッチングに変えたんです。これならストライクボールの判定に関係なく、アウトを取れます。試合は0−0で推移しました。ところで相手校には四番に小机龍之介という大型バッターがいたんです。東京キングに外れドラフト一位で入団したやつです。俺の一番のライバルでした。こいつからだけは三振をとりたい。俺はそう思って直球を投げました。やつが見送った球は全てボールです。だけどやつだって打ちたい。そういう男です。やつは二回フルスイングしました。結果はファールでした。ああ、いうの忘れていましたけど、それは九回裏ツーアウトで、塁上にはエラー二つとフィルダースチョイスで満塁でした。カウントは3−2。俺は渾身の力で直球をど真ん中に投げました。そしたら小机のやつ、見逃したんです。一瞬俺はやったと思いました。でも、思い出してください。主審はストライクもボールと言う卑怯者です。ミットにボールが入った瞬間、主審はためらいなく『ボール』と言いました。俺のサヨナラ押し出しです。その瞬間、俺の中の猛獣が目を覚ましました。あとは覚えていません。気が付いたら救急車とパトカーが来ていました。俺は暴行の罪で警察に送られました。周りの人の好意的な証言で、俺は起訴猶予になりました。主審からは治療費の請求なんてきていません。これが事件の全てです」

「純一郎、お前はちっとも悪くない。男には戦っていい時が二つある。大事な人を守るときと正義を貫く時だ。お前は正しい。ほら、肉をもっと食え。ビール飲むか?」

「いや、水が欲しいです」

「そうか。お姉さん、お冷三つ」

 風花の言葉に住友は涙が出た。もちろん、「そうか。お姉さん、お冷三つ」の方ではない。

 住友の涙が止まるまで、会話は途切れた。風花は黙々と肉とドンブリ飯を食らい続けた。


「そういえば」

 住友が口を開いた時、風花は冷麺を食べていた。

「どうした? 君も冷麺か」

「いえ違います。日向先輩のことなんですが」

「日向に何か?」

「今日、練習から帰ってきてから機嫌が悪いというか、人を寄せ付けない狂暴なオーラが漂っていたんです」

「そうか。ついに野生が目覚めたな。今までのあいつはおとなしすぎた。多分あれのことだろう。な、宗谷さん」

「あれって何ですか?」

 尋ねる住友。

「君にもあるものだよ」

「えっ?」

「ああ、でも何で?」

 住友が尋ねたが、風花はそれには答えず、

「宗谷さん、今夜は僕のそばを離れないでくださいよ。僕は腕っ節には自信ありませんから」

と宗谷に頼んでいた。

 焼肉店からの帰り道、風花は住友に、

「今夜一緒に居る? 日向の本性が見れるよ」

と言った。

「本性?」

「ああ、戦う男の繊細な部分だ」

 風花はそういうとくしゃみをした。つくづく、かっこ悪いの神様である。


 風花のスイートルームで、風花、宗谷と住友がハイボールを飲んでいると、玄関の扉をものすごい勢いでノックする音がする。

「純一郎、開けてやれ」

 風花が促す。住友が扉を開けると、

「風花、いるか! うぬ、住友、なんでここにいる? ああ、今はお前は関係ない。風花いるか!」

 日向五右衛門が侵入してきた。酒に泥酔しているようだ。普段の物静かな態度とは真逆で、風花を殴らんとばかりに走りこんでくる。それを宗谷ががっちり受け止めた。

「日向君、待っていたよ。まず、言いたいことを言ってみなさい」

 宗谷に守られて、あーんしんな風花が冷静に口を開く。

「君の言いたいことはだいたい分かっている」

 日向は一瞬キョトンとしたが、宗谷のブロックに抗いながら、

「何で、俺が開幕投手じゃないんだ。横須賀さんは名ばかりエースだろ。真のエースはどう見ても俺だ。なのに何で開幕投手に指名しない」

宗谷の怪力をはねかえそうと努力しながら、日向はそう叫んだ。

「日向君、かなり酔っているね。正常な判断能力はあるかい?」

「俺は酔ってなんかいない」

「まあ、水を一杯飲もうよ。純一郎、ミネラルウォーターを出してくれ」

「はい」

 住友がミネラルウォーターを差し出すと、日向は素直に飲んだ。

「何で、お前がここにいる」

 日向は繰り返し質問した。

「はい。日向さんの男のプライドを見せてくれると監督が言ったからです」

「男のプライド? わかっていたら何で踏みにじる!」

 日向はまた怒り出した。

「日向君。君のプライドなんか踏みにじっていないよ。逆にプライドを立ててやろうと思っている」

「どういうことだ?」

「まずは座りなさい。でないと話ができない」

 風花は日向に着席を促した。

「しょうがねえ」

 日向はソファーに座った。

「正直に言おう。僕も最初は君を開幕投手に起用するつもりだった」

「じゃあ何で?」

「開幕戦の相手を覚えているかい」

「大阪タワーズだ」

「そうだ。しかも、敵地難波ドームだ。孔子苑球場が高校野球で使えないからね」

「それが、俺の開幕回避と何が繋がっているんだ」

「実はね。大阪タワーズ戦に僕は三連敗してもいいと思っているんだ。まあ、一勝でもできればいいかな?」

「負ける気で試合をするのか?」

「違うよ。一生懸命にやって負けてもいいと思っていると言っているんだ」

「どういうことだ?」

「敵将は吉本興行監督。二年目だ。彼のことは全部脳みそにインプットしている。彼は前半戦は良い采配をするけれど、リーグ中盤から後半にかけてヘマをするんだ。去年も後半失速したろって、アメリカにいたから知らないか。とにかく、開幕シリーズの負けは後半で取り戻せるんだ」

「……」

「だから、開幕シリーズは裏ローテーションを起用する。君は大阪に来なくていい。で、二カード目はどこか知っているね」

「ベイサイドスタジアムで東京キング戦だ」

「そう。序盤戦の肝はここにある」

「何でだ、未だ二カード目だぞ」

「甘い。東京キングは今季、日本橋監督に代わった。若い監督だから実力は未知数だ。開幕カードをどう戦ってくるかはわからないが、もし、相手に三連勝でもされたら、若いチームだ、突っ走る恐れがある」

「……」

「だから、君なんだ。自慢のストレートと釜茹でカーブでキングをコテンパンにやっつけてくれ。格の違いを見せつけるんだ。そのための開幕温存だ。分かったらシャワーを浴びて寝ろ!」

 風花は珍しく強い口調で日向を叱責した。

「わ、わかりました。失礼します」

 日向は部屋を出て行った。

「純一郎、ついて行ってやれ」

 風花は言った。

「ふー、今日の大仕事終了」

 風花はソファーに深くもたれかかった。

「上出来だがや」

 宗谷がねぎらう。

「これからも、大なり小なりトラブルを起こすんだろうな」

 宗谷が呟いた。

「今までの監督がいけない。日向を腫れ物に触るように接していたんだろう。僕は昼間監督を尊敬しているけど、日向に対する接し方は失敗だな」

「疲れたわ。監督、休ませてもらいます」

「ああ、お疲れ様」

 宗谷が出て行くと風花も寝ようと思ったが、興奮して寝付けなかった。明日が休日でよかった。

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