4 地獄の? キャンプ

「じゃあみんな集まれい」

 宗谷ヘッドコーチが全員を集める。のん気な声だ。

「まず、投手陣はみんなブルペンに入ってもらう。この中でブルペンに入るのに不安がある人はいるかあ? 手を上げてくんろ」

 宗谷ヘッドがそういうと、恥ずかしげに、問題児、古井戸が手を上げた。日向や住友に隠れて目立っていなかったが、この東京キングから去年、浦田の人的補償でマリンズに来た古井戸もやんちゃなことでは右に出るもののいない不良投手だった。昨年もキャンプ前の自主トレをサボってやってきて、すぐに小田原の二軍キャンプに送りだされた前歴がある。

「体の何処かが悪いのか?」

 投手コーチの西東和美が心配して尋ねる。

「いやあ、体がまだ、出来上がってなくて」

 古井戸がしらっと答える。

「またサボったな」

 風花が得意のメガフォンで古井戸の頭を叩く。

「キャンプ中に作りますよ。痛えな」

「じゃあ、古井戸くん、野手組ね」

「えっ? 野手組」

「それから日向くんもこのオフ、動けなかったでしょ、だから野手組。それから、純一郎。お前も野手組だ」

 風花はどんどん決めていく。

「他に、いないか。いないか」

 セリの仲買人みたいな声を出す風花。三人の投手が手を挙げた。

「六人か。ちょうどいいや。西東さん。残りのピッチャーをブルペンに連れてってください」

「はい」

「で、野手組はノックで守備練習するんだけど、ただのんべんだらりとノックしたって意味はない。だから氷川さん、甲板さん。何するんだっけ?」

「シートノックをします。全員、守備位置について。バッターは宗谷ヘッドコーチだ。そして残った六人は」

「なんですか?」

 住友が聞いた。

「打撃投手だ。六人が一打席交代で投げろ。七割の力でいいよ。何せ体ができていないんだから」

 風花が嬉しそうに言った。

「それから野手陣は、試合の通り動く事。内野ゴロは一塁に転送するし、外野は全てホームに全力で返す事。当然連携プレーもありだ。気を抜くなよ。さあ開始」

 野手陣たちは自分の守備位置に散った。するとコーチ陣たちはバッターボックスに集まる。ランナー役をやるのだ。

「さあ、誰から投げるだ。甘い球投げたらホームラン打っちゃうよ。そしたら罰金一万円だ」

 宗谷が吠えた。

「じゃあ、全力投球しなきゃいけないじゃないか!」

 古井戸が叫ぶ。

「いいんだよ、七割で。その代わり財布がすっからかんにならないようにね」

 風花がまた笑った。


「じゃあ、俺が最初に行く」

 日向五右衛門がマウンドに立った。第一球。鋭いストレートが胸元に食い込んだ。

「ビーンボールだ!」

 宗谷が慌てて避ける。

「何すんだ!」

「だって真剣勝負だろ。金が掛かってているんだ」

 すました声で言う日向。でも目つきは野獣の目だ。

「これはこっちも真剣にならなくちゃいけないな」

 宗谷も勝負師の顔になった。第二球。低めのストレートが外角ギリギリに投げ込まれる。

「ウォーッ」

 宗谷はそれを思いっきり踏み込んで打った。ライト線に高々と上がる。

「なんというクソぢから。本当に引退したコーチなのか」

 日向は思った。打球はライト線ギリギリに入る二塁打コース。打撃コーチの大池が全力で走る。

「二塁で刺せ!」

 風花は叫んだ。だが、ライトの枯木がもたついて、大池悠々と二塁へ。

「くそ」

 日向はグラブを地面に叩きつけた。

「おい、落ち着け日向、守備練習だよ。シートノックだよ」

 風花がマウンドに飛び出す。

「ああ、そうでした。つい入れ込んでしまって」

 野獣の目が人間に戻った。

「それより枯木、なんだその凡プレーは。今日は打撃練習なし。一日中ノックだ。鵠沼さん。第二球場で奴にノックしてください」

「はい」

 枯木と鵠沼は第二球場に消えた。選手たちはおびえた。これはふるい落としではないのかと。


「次、俺に行かせてください」

 住友純一郎が、目の前の日向の気迫を見て自分から手を挙げた。

「宗谷コーチって現役時代、四百本ホームラン打ってるんですよね」

「全盛期は四番を張っていたからな」

「よし、三振に取ってやる」

 住友は気合を入れた。

「純一郎。これは守備練習だぞ。三振に取っちゃったら練習にならない!」

 風花が怒鳴った。

「へへ、すみません」

 謝ってみたものの、住友は151キロの剛速球を投げた。しかし、宗谷はそれを物ともせず打ち返した。強烈なゴロが三塁線を襲う。サードのアンカーはそれをバックハンドでキャッチし、一塁に矢のような送球をする、バッターランナー氷川アウト!

「ナイスキャッチ、アンカー」

 風花大喜び。

「サンキュー」

 そういったアンカーの目は笑っていない。勝負師の目だ。住友は感心した。

「次、古井戸」

「はいはい」

 次にマウンドに立った古井戸は明らかにシーズン中より太っていた。ノーワインドアップから繰り出された球速は138キロ。宗谷はフルスイングした。球はバックスタンドを大きく超えるホームラン。

「はい、罰金一万円。この罰金は選手会を通じて震災に遭われた地域に寄付されます」

 風花がバックネットで見ていたお客さんと報道陣にマイクで説明する。賭博事件で金銭のやりとりが批判されているから、念のため。

 その後も六人の投手が交代で投げ、宗谷が打って、守備練習するという単純だが、実は過酷な練習が淡々と行われた。特に連携プレーに重点が置かれ、ミスをした選手には氷川、甲板両コーチから遠慮ない罵声が浴びせられ、それでも駄目な選手は第二球場送りとなった。

 それにしてもすごいのは千球近い球を打ち続けた宗谷ヘッドコーチである。スタンドでは、

「まだ現役でもいけるんじゃないか?」

という声があちこちから聞こえた。

「現役に戻る?」

 思わず、風花も聞いたが、

「右膝がもう言うことを聞かないんだあ」

と宗谷ヘッドコーチは寂しそうに言った。


 なんと恐ろしいことに、この練習は第一クールの四日間、ぶっ通しで行われ、その間、野手は打撃練習を三十分しか行わなかった。

「ちょっと偏りすぎじゃ、ないですか?」

 という報道陣の質問に対し、風花は、

「ウチの打撃陣はアンカー、トラファルガー、台場始め去年も実績を残している。それでも大負けしたのは投手陣の弱さと守備の稚拙さだとデータに現れている。だから、守備の重要さを教えるために、あえて偏った練習をしたんだ」

と答えた。

「今年の風花さんはちょっと違うな」

「頭を打って回線が繋がったんじゃないか?」

「お得意のギャグも今年は出ないね」

「双子の弟なんじゃないか?」

 報道陣は勝手なことを言い合っていた。


 休日明け、第二クール。

 この日、二軍のキャンプ地、小田原に降格になる選手が発表された。古井戸秀悟投手は、すっかり諦めて移動の準備を早くも始めていた。そこに同室の港裕一郎投手が入ってきて、

「古井戸さん何やってるんですか?」

といってきた。

「見ればわかるだろ。小田原行きの支度をしているんだよ」

 古井戸は唇を尖らせて言った。

「えー?、でも古井戸さん、残留組に入っていましたよ」

「えっ?」

 古井戸は慌てて一階のロビーに走った。

 ロビーにはホワイトボードが父られていて、残留組、移動組の一覧表が貼ってあった。

「背番号00は、えーと、あっ本当だ!」

 古井戸は身震いした。そして良く見るとシートノックに参加した六人の投手が全員残留している。

「どうだ、嬉しいか?」

 急に風花が現れて、古井戸の右肩を叩いた。

「ええ、そりゃあ」

「君は四日間のシートノックで、真剣に投げた。ブルペンでちんたら投げているよりずっと体作りに役立ったはずだよ。初日、君は球速138キロしかでなかった。でも今はきっと145キロは出るよ。体と精神が絞られたんだ。これからもサボるなよ」

 と言って風花は朝食会場に消えた。


「今日から第二クールだ。打者陣にはお待たせしたなあ。打撃練習を中心にやるだ。ただ、そのことで監督からお話がある」

 宗谷ヘッドコーチが風花に話を振った。

「おはよう。今日から打撃練習を本格的にやるけど、午前中はファールを打つこと。ファールを打つ練習をするんだ。前に飛ばしちゃ駄目」

「またかよ」

 元町がぼやいた。

「でも試合で六球粘ったら賞金が出るんでしょ。五球以内だと罰金」

「それが、例の野球賭博問題で金銭の受け渡しができなくなっちゃったんだ」

「えー」

「その代わり契約更改の時の材料にするから。それでいいでしょ」

「まあ、それでもいいですけど」

「午後は思いっきり打っていいからさ」

「チームプレーですからね」

「そういうこと。なお僕は第二クールは西東投手コーチとブルペンに張り付くから。宗谷さん、野手はよろしく」

「はい」

「じゃあ、今日も元気に頑張ろう」

「おう!」


 第二クールの間、風花はブルペンに居座った。目的は日向五右衛門と住友純一郎。それに課題の左ピッチャーだ。


 日向の球質はいわゆる剛球だ。打者に襲い掛からんばかりの球が適度に荒れてくる。打者は恐怖を感じるだろう。それに人を食った“釜茹でカーブ”球速150キロ平均の日向が投げる時速60キロという落差の激しい魔球。横須賀のスローカーブが80キロだから、その効果のほどが分かるだろう。

 一方、住友の直球はカミソリだ。球速は155キロ平均で日向を上回る。ただし、球質が軽いので当てられると意外と遠くに飛ばされる。プロで大成するにはもっと球速を早くしなければいけない。

「純一郎!」

 風花が住友を呼ぶ。

「なんですか?」

「もっと飯を食え」

 住友はずっこけた。

「なんで、ずっこけるんだよう。飯食って体重を増やして、球速を上げろ。そうでないとプロで通用しないぞ」

「ああ、そういうことですか。相撲取りになれと言われたのかと思った」

「言うねえ、口が達者だねえ。頭のいい証拠だ。クレバーなピッチングもできるな。変化球も覚えろよな」

「はい」

 その住友、日向五右衛門に私淑してしまい、部屋も一緒、食事も同席。遊びに行くのにも付いていった。一匹狼でつるむのを嫌う日向だが、住友には同じ匂いを感じているらしく嫌がらずについてこさせている。続いて左ピッチャーを見ようとブルペンを移動しようとすると、

「俺もみてくださいよ」

エース、というより名ばかりエースの横須賀大介がブーたれた。

「君は見ても見なくても一緒」

 と手を振って去った。その去り際、

「大介、開幕投手ね」

と風花は宣言した。横にいた日向の目がキラリと光った。

 左投手の数は昨年のキャンプ時に比べて格段に増えた。だが先発となると、ベルーガ、砲の外国人二人に復活しそうな古井戸だけだ。三人いれば充分かもしれないが、万が一故障ということもある。リザーブが欲しい。新人の塩見はどう見ても中継ぎタイプだ。そうなると網元、未来、港のうちの一人を先発用に改良しなければいけない。そう思って見ているとバシバシいい音をさせるピッチャーがいる。誰だと西東コーチに聞くと、

「育成の砂場です」

いるじゃないか! いいのが、大至急支配下登録して、先発に育てよう。

 あとは、リリーフエース大陸広志の様子を見る。問題ない。挨拶してくる律儀な大陸に、

「今年は開幕投手はないから安心して」

と手を振って言った。


 何もかも順調とそのときは風花は思ったのだが……。

 

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