1 日向五右衛門の帰国
遡って十月十日。風花涼の監督再任が発表された日の夕方、成田国際空港には多くの報道陣が押しかけていた。一人の男が夢破れて帰国してくるのである。男の名は日向五右衛門。プロ野球のピッチャーである。いや、今の段階ではピッチャーであった。現在は無職である。今年の二月、ポステイングシステムを使い札幌ベアーズからメジャーリーグ、テキサスブラザーズへ移籍した五右衛門は四月からその実力を発揮し、四月三勝、五月四勝、六月四勝で十一勝を挙げ、オールスターゲーム出場も確実視されていた。事件が起こったのは七月最初のゲームである。その日も五右衛門は絶好調。七回までパーフェクトピッチングだった。ただし、ボールの出入りが激しくて、すでに百二十球を投げていた。監督のドリーはこれ以上投げると次の試合に影響が出ると、無情にもピッチングコーチのテリーをマウンドに送り、自らは主審に五右衛門の交代を告げた。五右衛門はベンチで荒れた。ピッチングコーチのテリーは日本人嫌いだったので、思わず暴言を吐いた。「ヘイ、ジャップおねんねの時間だよ。ママのおっぱい吸ってきな」テリーは忘れていた。五右衛門がネイティヴスピーカーだということと、五右衛門が超短気で、極真空手の有段者だということを。
テリーはのちにその時の恐怖をこう語っている。
「バットマンが急に飛びついてきて、超人ハルクにめった打ちにあったようだった」
十月現在、彼はまだ入院中である。
監督のドリーやチームメイトも必死に五右衛門の暴行を止めようとした。だが皆、返り討ちに遭い、重軽傷を負った。ドリーはカツラを毟り取られ、残り少ない自毛まで被害にあった。まだそれはいいほうだ。外野手のハンセンは両腕を折られ、トイレにも一人で行けなくなった。内野手のブロディは顎に蹴りを受け、流動食しか食べられなくなった。捕手のブッチャーはキンタマを思いっきり蹴り上げられ、今ではショーパブへの転職を考えている。
テキサスブラザーズは今シーズンの残り試合をマイナーから無理やり昇格させた選手で戦わざるをえなくなった。結局、地区最下位に終わる。
球団首脳は日向五右衛門を即日解雇した。警察も動いたが、選手らが被害届を出さなかったので起訴されなかった。球団首脳がイメージの悪化を恐れたためである。
しかし、コミッショナーは許さなかった。日向五右衛門を無期限失格選手としたのである。
このままでは日向五右衛門はどこの国のプロ野球リーグでも試合ができない。五右衛門の代理人、ジョージ四万十川はコミッショナーに対し、社会奉仕百日、罰金一万ドルで無期限を期限付きにしてくれないかと嘆願した。許可はおり、五右衛門はアメリカ中の孤児院で野球を教えた。五右衛門は子供には優しかった。そのおかげで失格選手の期限は今シーズン限りとなったが、付帯条項として、メジャーリーグへの復帰は認めないとされた。残る行き先はメキシコなどの中南米か台湾、韓国、そして日本復帰だった。しかし、五右衛門の気の短さは内外に知られてしまっている。テキサスブラザーズのドリー監督は、
「あんな奴を雇うのはクレイジーである」
と世界中に訴えた。
今、日向五右衛門が姿を現した。恐る恐る近づく、記者やテレビレポーター。
「五右衛門さん、今後の予定は?」
「日向さん、日本球界への復帰はありますか?」
質問が飛ぶが、全く無視する、五右衛門。ジョージ四万十川の用意した車でどこかへ行ってしまった。
それから、ジョージ四万十川による、日向五右衛門の売り込みが始まった。最初は古巣、札幌ベアーズに打診した。けんもほろろだった。昼間監督は日向五右衛門が嫌いだったのだ。
続いて、東京キングに話を持って行ったのだが「東京キングは紳士たれ」の創立者、
結局、打診したすべての球団に断られた。
「日本でのプレーは諦める。荒っぽい中南米でプレーする」
五右衛門が自棄を起こした時、ジョージ四万十川のスマホがなった。
「もしもし」
――横浜マリンズの舵取です。久しぶり。
「ああ、舵取社長、お久しぶりです。何の用ですか?」
――ああ、日向君のことで話がしたい。
「そうですか。ちょと待ってください」
ジョージ四万十川は五右衛門に向かい、
「横浜マリンズだってさ。どうする?」
と聞いた。五右衛門は、
「素人を監督にしている球団だろ……でも、そんな贅沢言っている場合じゃないか」
とOKを出した。
ジョージ四万十川はスマホに向かって、
「お話だけでも聞きましょう」
ともったいぶって言った。
――そうかい、ありがとう。ウチの監督が日向君を是非ともウチにと言うんだ。私は反対したけどね。
「監督って?」
――風花君だよ。素人監督で有名な。
「そうですか、詳しい日程はまた改めて」
――じゃあよろしく。
電話は切れた。
「例の素人監督が日向を気に入ったんだってさ」
「素人が俺を?」
五右衛門は考え込んだ。
(他に行き先もなさそうだ。素人監督でもなんでもいいか)
日向五右衛門はマリンズ入団に心が動いた。
ドラフト会議直後の夜、都内ホテルで極秘契約交渉が行われた。
「率直に言うよ。年俸一億円プラス出来高だ」
舵取が契約内容を明示した。
「一億って、安すぎませんか?」
「それはインセンティブの話を聞いてからにしてほしい」
「ええ」
「まず十五勝でプラス一億だ」
「はい」
「中五日のローテーションを九月まで守れたらプラス一億だ」
「ほう」
「それで、一年間喧嘩しなかったらプラス二億円だ。喧嘩したら、罰金一億だ」
「どうする日向。お前次第だ」
ジョージ四万十川が日向五右衛門に尋ねる。
「俺は、俺は……たぶん喧嘩する。でもしないように心がける。もし喧嘩しちまったら警察を呼んでくれ。罰金も払う」
「よし、じゃあ契約だ」
「それにしても素人監督さんは来ないんですか?」
五右衛門は聞いた。
「ああ、新婚旅行の最中でね。ああ、もちろん再婚だよ」
「いいご身分だ。でもその人が、俺を必要としてくれたんだな」
「そうだ。これからは素人監督とは言うな」
「ええ、ボスって言いますよ」
「さすが、アメリカ帰り」
日向五右衛門の横浜マリンズ入団が決まった。
日向五右衛門の入団発表は行われなかった。各新聞社、雑誌社、テレビ局にファクスが送られただけであった。
各所からクレームの電話があったが、
「監督が新婚旅行で不在なもので、わからないんですよ。すべてはキャンプイン初日に風花自身から伝えさせますので」
と球団職員たちはマニュアル通り答えた。
さて、ドラフト会議の結果による選手との入団交渉だが、ドラフト一位の門脇将は、
「どこの球団でも入団するつもりでした」
と快く、一回の交渉で判子を押した。入団決定である。交渉には宗谷一三ヘッドコーチも同席し、当選くじをプレゼントした。
反対にドラフト二位の住友純一郎との交渉は難航した。というより本人が見つからないのである。大学野球追放後、ドラフト会議当日まではアパートにいたらしいのだが、その後、行方不明になってしまった。これでは入団交渉できない。こまった球団は球団公式Twitterに拡散希望で「住友純一郎君を探しています」とツィートしたら、情報が集まる集まる。北は北海道から南は沖縄まで、あらゆるところから目撃情報は出てくるが、本人との連絡が取れない。お手上げ状態である。
その間にドラフト三位の氷柱卓郎捕手(丸亀食品)、四位の大漁丸五郎投手(ワコーレ)、五位の塩見師直投手(スーパー太平)と入団交渉が成立し、あとは住友待ちとなった。
そんなある日、舵取の元に風花から電話があった。
――ああ、風花です。今、エジプトにいるんですけど。
「ピラミッドですか。結構ですな」
――そこで住友純一郎君にばったり出会ったんですわ。
「なんだって」
――彼、ドラフト一位でどこからも指名されなかったんで、自棄になって世界一周の旅に出たそうです。テレビって一位しかやらないじゃないですか。だから二位指名のこと知らなかったです。
「早く、こっちに帰ってくるよう言ってください」
――二月一日には沖縄に行くそうです。その時契約よろしくとのことでした。
「何をのん気な。ああ、こっちからも報告があります。日向五右衛門入団させましたよ。世間のバッシング、酷いです」
――勝てば官軍。社長、大きな心でいきましょう。ではさようなら。
電話は切れた。
「ああ、のん気者と短気者ばっかりだな」
舵取は頬杖をついてため息を吐いた。
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