37 最終決戦 その6
試合は五回を終わって0−0の同点である。日向と菅生の二人がこれ以上ないほどの好投を見せている。
「菅生をマウンドから引きずり降ろさないとダメだな」
風花がつぶやく。
「ちょっとやってみるか」
風花は先頭打者の元町を呼んで何かささやく。
「また、せこい作戦ですね」
「菅生を疲れさせなければ勝機はない。今日は昨日あれだけ投げた徳川や新田の登板はない。キングのブルペン陣は薄い。せこかろうが何だろうがやるの!」
「へいへい」
元町はバッターボックスに立った。
菅生の初球。元町バントの構え。菅生マウンドから前進。元町バットを引く。ストライク。続いて第二球。またしても元町バントの構え。菅生前進。ボール。三球目も四球目も元町はバントの構えをしては直前で引いた。菅生はその度に前進しなければならず疲労した。挙げ句の果てには元町を歩かせてしまう。
続くは富士だ。ここは送りバントだろう。富士もその構えを見せている。第一球、ちょうどバントしやすい球がきた。しかし、富士は直前でバットを引いた。これは完全に菅生を潰しにかかっている。そう気づいた日本橋監督は河津と浦田に超前進守備を命じた。菅生の守備の負担を減らす為である。
「ふふふ」
三塁側ベンチの風花は笑った。富士はバントの構えからバスターに転じ、浦田の頭上を越えるレフト前ヒット。ノーアウト一、二塁となった。
バッターはアンカー。キングの内野はダブルプレーを取るため、中間守備をとった。菅生第一球。あっ、アンカーバントの構え。菅生前進。すると、アンカーはサッとバットを引いた。菅生潰しはまだ続いていたのだ。マウンドに帰る菅生の背中が重たい。かなり疲れがきているようだ。考えてみれば菅生は中三日だ。いくら前回早い回で降板したとしても、きついといえばきつい。疲労感が漂うのは仕方のないことだ。
すると、日本橋監督が出てきた。
「ピッチャー徳川」
風花は耳を疑った。徳川の登板はないと思っていたからだ。
「相変わらず、やるな。日本橋監督」
カウント1−0から試合再開。徳川投げる。アンカー今度は本当にバントした。1アウト、ランナー二、三塁。続くは四番、トラファルガー。ここでキング側は敬遠策をとった。ランナー満塁。
次打者は台場だが左の変則投手、徳川を打てていない。代打を出すべきか、風花は悩んだ。そして、ここで打てば台場が格段と成長するであろうと考え、そのまま打たすことにした。その結果、台場はショートゴロ。あっさりキングの併殺網にひっかり、ダブルプレー。
「うーん」
思わず、風花はうなってしまった。。代打を出すべきだったか。しかし、結果は結果。仕方ないと風花は気持ちを切り替えた。
六回の裏。こちらもきりよく、一番、風間からの攻撃だ。日向は風間が大の苦手である。今日も二打席目にヒットを許している。珍しく、弱気な顔を見せる日向を気遣って、風花はマウンドに向かった。
「どうした日向。そんなしけた面をして。野獣のニックネームが泣くぞ」
「すみません。でも風間のやつを見ると、また打たれそうな気がして」
日向は胸の内を語った。
「なるほどねえ。じゃあ、風間には打たれちゃえばいいじゃん」
「ええっ?」
「後の打者を抑えれば、塁上の風間は用をなさない。あいつ一人では点を取られない。ホームラン打たれたら別だけどね。まあ、開き直っていこうよ」
風花は適当なアドバイスをした。
「はい。開き直ります」
日向は答えた。風花がベンチに戻って振り返ると『カキーン』といういい音がして、日向ががっくりしている。風間のホームランだ。1−0。均衡が破れる。しかし、日向は二番上杉、三番武田、四番土肥を打ち取って最少失点に留めた。
七回の表、六番、門脇からの攻撃。ピッチャーは相変わらず徳川だ。なんというスタミナだと風花は敵ながらあっぱれと思っていた。
「しかし、徳川を打つにはどうしたらいいんだろう。左バッターは全然ダメだ。右バッターに期待をかけるしかないな。門脇とか……」
そう風花が独り言をしていると、痛烈な音がした。門脇が右中間を破ったのだ。2ベースヒット。チャンスだ。風花、今度は
「潜水に変えて大和」
と大声でコールした。
左バッターの潜水に変えて右バッターの大和武蔵を送ったのだ。大和は「ホームランか、三振か」の行き当たりばったりのバッターだから、リスクは大きい。しかし、徳川にプレッシャーを与えるためには、右バッターの大和が必要なのだ。だが、一塁側ベンチから日本橋監督が出てきて、
「ピッチャー新田」
とまたしても連投のピッチャー交代をしてきた。右ピッチャーに右バッター。不利は不利だ。左の枯木を代打の代打で送ろうか? 一瞬、風花は思ったが、後々の代打不足を恐れて、動かなかった。
新田の速球は札幌ベアーズの大山には劣るが常時150キロ台後半を出してくる。驚異のピッチャーだ。大和は速球を打てるか?
初球158キロの豪速球が大和の胸の前を通った。
「ビーンボールかよ!」
マリンズベンチで元町がヤジる。
第二球、しつこく内角を狙う新田、土肥のバッテリー。158キロだ。カウント1−1。
第三球。少し遅めのボールが来た。「フォークだ」と読んだ大和は思いっきりアッパースイングでバットを振り抜いた。打球はレフトスタンド最上段を超えて看板にぶち当たった。逆転2ランホームラン。
「よし!」
風花はガッツポーズで大和を迎え入れた。
七回の裏、マリンズの守備陣形はサードに大和、ライトにアンカーが回った。日向は完全に立ち直り、五番、小机から三振を奪い、六番、浦田はサードゴロ。七番、河津もライトフライに終わった。
事件が起きたのは、八回表、マリンズの攻撃だった。バッターは二番、富士。ピッチャーは新田の続投だ。新田にはいつもの冴えが見られなくなった。ストレートは150キロ台前半まで落ち、変化球はすっぽ抜けた。富士はよく見てフォアボールを選んだ。三番、アンカーはレフト前ヒット。ランナー一、二塁で四番、トラファルガーを迎えた。ここで日本橋監督が動いた。
「ピッチャー案山子」
先発要員の案山子が緊急登板。今日が最終戦だけに使える戦力は使ってしまおうという、日本橋監督の戦略。
案山子は右の変則投手だ。トラファルガー、翻弄されて三振。続くは五番、台場。先ほどの打席ではダブルプレーに終わっている。でも、ピッチャーはその時の徳川ではない。案山子だ。台場は初球をセンター前ヒット。富士、二塁からホームインかと思ったら、
「アウト、アウト!」
という末永のコール。上杉からの返球が富士のベースタッチより早かったというのだ。
「末永ぁー!」
完全にキレた風花がグラウンドに飛び出す。そして末永の顔面にパンチを繰り出した。
「何だ、この野郎」
末永もキレて応戦。殴り合いとなった。宗谷ヘッドコーチと日本橋監督、責任審判の伊能が止めに入るが、二人の怒りが凄まじくて、なかなか止められない。ようやく風花を宗谷が、末永を日本橋監督が羽交い締めにしてことは収まった。
「えー、責任審判の伊能でございます。お客様にはお見苦しいものをお見せしてしまい、申し訳ございません。風花監督と末永主審は退場処分といたします。監督代行には宗谷ヘッドコーチが、主審には私がなり、三塁塁審は予備審判の森田がなります。これでゲーム再開します」
伊能審判がマイクで場内の観客に説明した。凄まじい喧嘩であった。審判と監督が殴り合うなんて、前代未聞のことだろう。二人とも厳罰は免れない。
試合に戻ろう。宗谷監督代行は主審代行の伊能に改めて抗議をし、ビデオ判定を求めた。審判団はそれを受理し、ビデオ判定となった。その結果は、
「セーフ」
富士のホームインが認められた。これで1−3。マリンズ二点のリード。さらに、門脇が第34号のホームラン。案山子を打ち崩した。1−4。
八回の裏、日向が好投している時、監督室では風花が上島オーナーにお小言を受けていた。
「風花はん。暴力はいけませんて」
「でも、あんなインチキ審判、ぶちのめさなきゃ分かんないですよ」
「それなら、コミッショナーに訴えればいいでしょ。ウチの企業イメージも考えてくれなきゃ」
「じゃあ僕、クビですか?」
「そうは言っておまへん。あんたが優秀なのは今シーズンを見て分かったわ。来年も契約しまひょ」
「僕、もう帰ります。いても仕方ないから」
そういうと風花は着替えもしないで監督室を出ていった。
九回の表、ピッチャーはクローザーの和田が出てきた。日本橋監督の執念だ。しかし、イケイケムードのマリンズ打線は止められなかった。バッターはトップの元町。
「すいませんね、土肥さん。ウチが優勝しそうですね」
「まだわからんぞ」
「もう、負け惜しみなんて言って」
そういうと元町は和田のストレートをセンター前に弾き返した。
二番の富士はきっちり送りバント。三番、アンカーのライト前ヒットで元町ホームイン。そしてとどめはトラファルガー、台場、門脇の三者連続ホームラン。1−8、勝負は決まった。
九回の裏。日向はキング打線を三者三振で斬って取り。マリンズ、前年最下位からの奇跡的な優勝! 十八年ぶりのことである。しかし、胴上げしようにも監督は不在。なので監督代行の宗谷が胴上げされた。
そのあと恒例のビールかけが行われたが、風花はいなかった。主役が不在なので、ちょっと物足りなさを感じる選手たちだった。
翌日、前日の暴力事件の裁定がコミッショナーから下された。風花には罰金二百万、出場停止一ヶ月。末永審判には二軍での再研修が言い渡された。
つまり、風花はチャンピオン・シリーズにも、ジャパン・シリーズにも出ることができないのだ。それだけ厳しい裁定ということだった。
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