21 波に乗る

 福岡、博多ドームで最強軍団、ドンタックに奇跡の三連勝をして魔の連敗を十五で止めたマリンズは翌日、午前中の飛行機で羽田空港に到着。飛行機恐怖症の風花は強力睡眠薬を利用してやり過ごした。そして休む間も無く大型バスで埼玉ザウルスドームに乗り込む。まさに強行軍である。しかし、ナインは疲れも感じさせず、日向、ベルーガ、そして久々登場の横須賀で三連勝! 横須賀は遅ればせながら今季初勝利である。そして登録抹消。コーチに逆戻りだ。

 意気揚々とベイサイドスタジアムに帰ってきたマリンズナイン。ここでも好調ぶりを発揮し、舞浜ランボーズを住友、砂場、壺でもぎ取り、連勝を九に伸ばした。これで通算成績、三十勝二十三敗一引き分けとし、ナ・リーグの強豪に苦戦するア・リーグの他チームを尻目に首位に躍り出た。しかし、その後ろを、東京キングと東京メトロサブウェイズが僅差で追う。そして交流戦は後半戦に突入した。


 マリンズナインは新幹線で神戸に向かう。また移動日当日ゲームである。

「日程作っている人の悪意を感じる」

 風花は独り言をした。神戸に行ってバイソンズと三連戦。そのあとやっと落ち着いてベイサイドスタジアムで仙台インパルスと札幌ベアーズとの六連戦である。

 神戸バイソンズはナ・リーグ最下位。交流戦も大阪タワーズと熾烈な最下位争いを演じている。泥沼状態である。大輪田監督の進退問題も浮上してきている。正念場だ。だが、池に落ちた犬は叩かねばならない。風花は日向、ベルーガ、住友を投入。あっさり三連勝して横浜に戻ってきた。これで交流戦十二連勝。ナ・リーグ完全制覇まで、あと六勝だ。一方、大輪田監督は休養となり甲羅淳一こうら・じゅんいちヘッドコーチが監督代行として指揮をとることになった。悲喜こもごもである。


 翌日は移動日だったが、マリンズは午後から練習を行った。「こうなったら、交流戦最高勝率賞をとるべし」風花は意気軒昂に言った。そのためには最低三勝は必要だ。福岡ドンタックがマリンズに三連敗した後、鬼のようにア・リーグ各チームを撃破している。この様子だと残り六試合も勝ってしまいそうだ。ドンタックを鬼にしてしまったのはマリンズのせいだ。「ア・リーグの他のチームの監督さん、ごめんなさい」と風花は報道陣の前で頭を下げた。「嫌味やわ」と出入〜スポーツの南記者がぼやく。


 さあ今日からは仙台インパルスと三連戦だ。先発は天明、壺、大漁丸である。そのうち、大漁丸はまだ未勝利である。プロ初勝利をかけてのマウンドである。

「大丈夫かなあ」

 心配する風花に、西東投手コーチは、

「二軍でだいぶ鍛えてきたから大丈夫ですよ」

とお気楽に答えた。果たしてどうなるか?


 対仙台インパルス戦は勢いに乗ったマリンズが二連勝して第三戦を迎えた。意気揚々と第三戦を迎える中、一人落ち着かない男がいる。今日、先発の大漁丸五郎投手である。ここまでの成績は四試合に登板して三敗。二軍では五連勝しているのだが、一軍の壁は厚い。今日負けるようならば、また二軍に落とされるだろう。つまり瀬戸際の登板である。そのため、彼は緊張でガチガチである。この試合、自分が負ければ、チームのナ・リーグ完全制覇の野望はついえる。そして自分も小田原に帰ることになる。自分に課せられた責任は強い。そう考えるだけで、体が震えた。こんなことで、プロとしてやっていけるのかと大漁丸は不安になる。社会人時代は堂々としたチームのエースだったのに、マリンズに入って、日向の豪速球や、ベルーガのスライダー、横須賀の超スローカーブなどを目の当たりにして驚かされた。一番驚いたのは同期入団の住友の直球とタフネスさ、そして飲み込みの早さだった。「俺には無理だ」大漁丸は諦めの境地に至った。アマでは一流でもプロでは二流なんだと考えた。

 しかし、チャンスを与えられた。横須賀が十日に一遍しか投げられないので、その代役に指名されたのだ。一緒に一軍のマウンドを踏んだ足柄は早々に小田原へ帰されている。厳しい世界だ。自分もチャンスを生かしきれていない。緊張して球がいかないのである。四度のチャンスにいずれも失点し、マウンドを降りた。横須賀が登板するときは登録を抹消され、小田原に帰った。これがものすごく嫌だった。敗残兵のようだった。「一軍に定着したい」それが大漁丸の願いだった。

 ブルペンでは調子がいい。西東コーチにも褒められる。「今日こそはいけるぞ」西東コーチはいつも言った。自分でもいけると思った。だが、大観衆の前で投げる本番になると、緊張して制球が乱れた。今日もブルペンでは絶好調だ。だが本番ではどうなるか分からない。それを考えると憂鬱になった。


 大漁丸の思いと裏腹に、試合開始時刻が迫ってくる。六月のムッとする暑さがねっとりと体にまとわりつき、気持ちが悪い。曇天での試合となった。もしかすると雨が降るかもしれない。


 午後五時半。スターティングメンバーが発表される。


 先攻 仙台インパルス


 一番 茶屋太郎二郎ちゃや・たろうじろう、背番号2。センター。

 二番 上泉研吾かみずみ・けんご、背番号6。ショート。

 三番 直江智将なおえ・ともまさ、背番号7。ライト。

 四番 荒鷲健太郎あらわし・けんたろう、背番号1。サード。

 五番 アームストロング、背番号3。レフト。

 六番 ボーイング、背番号25。ファースト。

 七番 結城朝秀ゆうき・ともひで、背番号5。セカンド

 八番 安東沖季あんどう・おきすえ、背番号15。キャッチャー。

 九番 陸奥一人みちのく・かずと、背番号18。ピッチャー。


 後攻 横浜マリンズ


 一番 元町商司、背番号1。ショート。

 二番 富士公平、背番号3。セカンド。

 三番 アンカー、背番号4。サード。

 四番 トラファルガー、背番号44。センター。

 五番 台場八郎太、背番号25。レフト。

 六番 門脇将、背番号5。ファースト。

 七番 潜水勘太郎、背番号20。ライト。

 八番 氷柱卓郎、背番号22。キャッチャー。

 九番 大漁丸五郎、背番号41。ピッチャー。


 インパルスの先発はエース陸奥。よく勘違いされるのだが、マリンズに陸奥武史という内野手がいる。こちらの読み方は《むつ》インパルスのエースは《みちのく》である。二人に血縁関係はない。


 一回の表、大漁丸がガチガチでマウンドに登る。

「あいつ大丈夫か?」

 思わず、風花が心配してしまうほど、顔が青ざめている。

「プレーボール」

 主審の朝倉の手が上がり、試合が始まった。コントロールの定まらない、大漁丸はトップの茶屋をストレートのフォアボールで出してしまう。二番、上泉への初球、茶屋走った。ボールはなんとバックネットまで飛んで行く大暴投。茶屋、二塁を回って三塁へ。あっ! 大漁丸凡ミス。ホームにバックアップに入っていない。茶屋、スピードを緩めずホームへ突進。慌てて大漁丸がホームに行くが、茶屋、悠々滑り込んでセーフ。インパルス先制。

 それを見た風花はマウンドに走り、大漁丸の睾丸を思いきなり潰しにかかった。

「い、痛い!」

 悶絶する、大漁丸。氷柱が必死に風花を止めに入るが、攻撃は止まらない。

「五郎、その痛み忘れるな」

 風花はベンチに戻った。

 大漁丸は羞恥心で顔が真っ赤になった。しかし、

「あれ、緊張感がなくなった」

とつぶやいた。睾丸を握りつぶされるという、ありえない行動が大漁丸の緊張感を消し去ったのだ。とんでもない荒療治である。どこで覚えた風花?

 大漁丸は人が変わったようにいい球を投げ始め、二番上泉、三番直江、四番荒鷲を簡単に打ち取った。

「よっしゃ!」

 風花が大漁丸をメガフォンで叩きまくる。その光景はテレビカメラにバッチリ映り「暴力監督、反対」と全国PTA協議会からクレームがきた。


 一回の裏、トップバッターの元町が打席に入る。元町はこのところ絶好調でキングの武田隼人と首位打者争いを演じている。だが今日もやる気があるのかないのかわからない、だるだるポーズで登場した。ポーカーフェースなのである。

「安東さん、ウィッス」

 元町はキャッチャー安東に挨拶する。また無駄話を始めようとする気だ。しかし、主審の朝倉が、

「元町くん、おしゃべり禁止」

と叱ったので、

「へいへい、口チャック」

と口を塞いだ。元町のおしゃべりは審判部でも問題になっているらしい。

「無口は疲れるなあ」

 元町はぼやいた。そして陸奥の初球を簡単に手を出し、ショートフライ。1アウト。

「調子、出ねえや」

 元町はバットを地面に軽く叩いた。

 続くは富士。彼は復帰以降、ぐんぐん調子を上げていた。小指の折れている間、ウェイトトレーニングに力を入れていたようで、パワーがついてきている。ここ六試合で二本のホームランを放っている。

「いっちょ狙ってみますか」

 富士、長打狙い。しかし、陸奥の球は伸びてきている。ボールの上っ面を叩いてセカンドゴロ。2アウト。

 三番、アンカーも三振で、3アウトチェンジだ。それを見ていた大漁丸は、

「これは陸奥さんの球は打てないなあ。初回の俺のミスが命取りだ」

と嘆いた。その背後に黒い風が浮かぶ。

「なんだ?」

 大漁丸が振り返ると、風花が立っていた。

「今、マイナス思考してただろ」

 そういうとまた大漁丸の睾丸を鷲掴みする。宗谷コーチが、

「子供が真似するだ」

と必死に止める。

「フフフ、勝つためには手段を選ばず」

 風花は不敵な笑みを見せた。大漁丸は痛さと羞恥心で、不安なことを忘れてしまった。そして二回以降、見事なピッチングを見せた。怖いのは敵よりも味方の監督である。何してくるか分からない。五回表を終わって0−1。インパルス一点のリード。


 五回の裏の前、宗谷コーチを中心に、円陣が組まれる。

「なあ、今日の陸奥は絶好調だ。ここは大きいの狙わず、センター方向に打ち返せや」

「おう!」

 この回の先頭は四番、トラファルガー。こちらは復帰以降、富士と違って絶不調である。まだ、左足を踏ん張るのが怖いようだ。陸奥、第一球。伸びのあるストレート。トラファルガー、逆らわずに打つ。センター前ヒット。ようやく、マリンズ初安打。

 続く台場はなんと送りバント。意表を突かれた陸奥、このボールをジャックル。ノーアウトランナー一、二塁。

 六番、門脇の初球。まさかのダブルスティール。安東、慌てて三塁に送球。ああ、レフト線に大暴投。マリンズ労せずして同点。台場は三塁ストップ。インパルスは投手コーチが出てきて、陸奥を落ち着かせる。バッターはそのまま門脇。第二球。おっと、門脇スクイズだ。台場生還して、マリンズ逆転。

「これぞ、スモールベースボールだ」

 風花はニヤニヤ笑った。インパルスの伊達正男だて・まさお監督はそのにやけ顏を見て烈火のごとく怒った。

「陸奥、しっかりせいや!」

 ベンチから檄を飛ばす。頷いた陸奥は潜水、氷柱、大漁丸の代打、大和を気力で打ち取った。


 六回からは砲の登板である。砲の“石飛礫投法”は球の出所が見えにくく、インパルスのバッターは凡打の山を重ねた。そして九回はクローザー、大陸。あっけなく三人で片づけ、インパルスに三連勝。大漁丸にプロ入り初勝利がついた。マリンズのルーキーが二人、勝利を得たことは史上初のことである。


 これで、マリンズの交流戦、最高勝率が確定した。残るは札幌ベアーズ。これに三連勝すれば、強豪ぞろいのナ・リーグを総なめにすることになるのだが……

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