18 春の珍事

 春四月。桜の花はとうに散ってしまったけれど、マリンズの勢いは止まることはなかった。

 カーボーイズとの一回戦、古井戸の奇跡的なホームランで勝利を得ると、第二戦は天明が老獪なピッチングで勝利をもたらした。そして三回戦、マリンズの先発は二日前に謎の高熱を発症し、救急病院に行っていた、日向五右衛門がマウンドに立ったのである。普通の投手なら、風花も休養を取らせるだろうが、相手はタフガイ日向だ。喜び勇んで送り出した。ちなみに高熱の理由は不明だった。血液検査でも何の問題もなかった。日向は「不覚にも風邪をひいたようだ」と自戒していた。さて、その日向はカーボーイズ打線をコーチンのホームラン一本に抑え、見事復活を遂げた。これでマリンズは十五試合で十勝四敗一引き分けとなった。ア・リーグ十勝一番乗りだ。そして単独首位。いずれも優勝した十七年前以来の出来事だった。


 各スポーツ紙はマリンズの首位を『春の珍事』と捉え、いずれは定位置に戻るだろうという風潮で記事を書いた。ただ、スポーツジャパンの東記者だけは『投打の揃った今年のマリンズ侮りがたし』と好意的な記事を書いた。

 スポジャパ以外のスポーツ紙を読んだ風花監督は激怒した。どうしようもない短気である。早速担当記者たちを呼んで、

「なあ、君たち。春の珍事とはよく言ってくれたものだ。我々は、夏には夏の珍事とやらを起こし、秋には秋の珍事をしてしんぜよう。これすなわち、珍事は珍事にあらず。当然のこととなるのだ」

と時代がかった台詞回しで記者たちを非難した。

 すると東記者が、

「冬が抜けていますが?」

と茶々を入れた。それに対し、風花は、

「冬は紅白歌合戦の特別審査員になるの」

と妄想を膨らませ、記者たちを呆れさせた。


 風花は記者達とのやりとりを終えると、監督室に戻り、

「ああ、似非インテリとの対話は疲れるよ」

と独り言を言った。そして、

「ここで手を抜いてはいけない。先発投手陣を今一度固めなくてはならないな」

と真面目な独り言をした。

「まずは、大黒柱、日向っと」

 帳面に名前を書いていく。

「次はベルーガ。三番目に純一郎だな。四番目は天明。五番目は横須賀は十日に一度の先発だから外して、壺をファームから呼び戻そうかな」

 風花の独り言は続く。

「足柄は力不足だから小田原に返そう。その代わりが壺でしょ。あと第二先発陣は船頭、砲、砂場にあんまりあてにならないけど古井戸かな。これでいくつだ。九人か。大陸を入れても十。枠は十三だから灯台、港に、そうだ! ドラフトで獲った塩見を入れてみよう。まだまだ一軍に置きたいピッチャーがいっぱいいるな。去年のキャンプの時からしたら大違いだ」

 風花は大きく伸びをした。そして、

「打撃陣は現状維持っと」

とつぶやいて鉛筆を机に転がした。球団からタブレットを支給されているのに風花は帳面と鉛筆主義者だ。でも、この帳面で監督になれたのだから一概に悪いとは言えないが、時代遅れだねえ。


 今日からはベイサイドスタジアムに久々に戻っての大阪タワーズ戦だ。これから五月末ののナ・リーグとの交流戦まで各チームとだいたい二回か三回ずつ当たる。

 さて、タワーズ戦の先発はどうしよう。カーボーイズとの三回戦で日向を緊急登板させてしまったから、順序が崩れてしまった。初戦はスライドで純一郎を投げさせよう。純一郎は開幕から先発に、リリーフに大車輪の活躍だ。今日の試合いかんでは先発に固定してやったほうがいいかもしれない。そのほうが疲労が出ないはずだ。若いと言ってもルーキー。精神的疲労は今後、重なっていくだろう。第二戦は名古屋に連れて行かなかったベルーガ。こっちは経験豊富だから心配なし。第三戦は遊びで砂場でも先発させてみるか。ここまで第二先発で頑張ってきたご褒美だ。上手くいったら六番目の先発にしちゃおうかなと風花は考えた。


 大阪タワーズは開幕の三連敗が響いて、調子が上がらず目下最下位の地位に甘んじている。前節の孔子苑球場での瀬戸内バイキングスとの最下位争い直接対決に三連敗して通算五勝十敗。単独最下位だ。吉本監督は「大阪での恨み、横浜で晴らしてみせるわ」と相変わらずのへたくそな大阪弁を使って闘志を口にする。「そやから、初戦は絶対落としてはならんのや、沢山頼むで」とゴールデンルーキー、とはいえ実際は門脇の外れ一位、大阪翠嵐大学出身の沢山実さわやま・みのるを第一戦の先発に起用した。沢山は気迫を前面に出して投げるピッチャーで『右の新地』と呼ばれている。先発投手陣総崩れの中にあって二勝一敗の成績を上げている。第一戦はルーキーピッチャー対決だ。


午後五時半。いつものようにスターティングメンバーが発表される。 


 先攻 大阪タワーズ


 一番 手毬蹴、背番号1。ショート。

 二番 花屋敷錦吾、背番号2。サード。

 三番 鏑木真信、背番号7。セカンド。

 四番 バンパック、背番号44。レフト。

 五番 御厨千香、背番号9。センター。

 六番 阿倍野公二あべの・こうじ、背番号3。ファースト。

 七番 島木錠、背番号5。ライト。

 八番 本願寺石新、背番号8。キャッチャー。

 九番 沢山実、背番号11。ピッチャー。


 タワーズは六番に不振の河内屋に代えて、去年大活躍した、阿倍野を入れた。阿倍野はルーキーイヤーだった昨年、ホームラン二十本打つ活躍を見せたが、今年はホームラン倍増を目指し、フォーム改造を図ってそれに失敗。開幕を二軍で迎える羽目になった。そこでフォームを昨年仕様に戻し復調。先発メンバーに戻ってきた。


 後攻 横浜マリンズ


 一番 元町商司、背番号1。ショート。

 二番 富士公平、背番号3。セカンド。

 三番 アンカー、背番号4。サード。

 四番 トラファルガー、背番号44。センター。

 五番 台場八郎太、背番号25。レフト。

 六番 門脇将、背番号5。ファースト。

 七番 潜水勘太郎、背番号20。ライト。

 八番 氷柱卓郎、背番号22。キャッチャー。

 九番 住友純一郎、背番号23。ピッチャー。


 マリンズはピッチャー以外、おなじみのメンバーだ。今シーズンは門脇が頭部にデットボールを受けて二試合、大和に代わっただけで不動のメンバーで固めている。好調の証拠だ。


 午後六時、プレーボール。

 住友は一回表を三者三振に斬ってとった。歯噛みして悔しがる、吉本監督。


 一回の裏、沢山の登場だ。相変わらず敵地なのにマリンズファンより多い、タワーズファンが大声援を送る。沢山は不振のタワーズにとって唯一の希望の光なのだ。

「それを打ち砕くのが俺様、元町商司さまなのだ」

 なぜか地のセリフに答える元町。君は神の声が聞こえるのか? それはともかく元町、左打席に入る。第一球。ストレートど真ん中。

「いただき!」

 早撃ちの元町、フルスイング! しかしボールはキャッチャーミットの中。

「えっ?」

 驚く元町。

「今のはフォークボールだよ」

 とキャッチャの本願寺が言う。

「嘘だあ。じゃあ、次にストレート投げさせてみろよ」

 挑発する、元町。

「いいよ」

 本願寺も負けていない。

 第二球。さっきより早い。これがストレートか。

「馬鹿め、挑発に乗りやがって。これを打つ!」

 元町、豪快なスイング。しかし、またもやボールはキャッチャーミットの中に収まる。

「ごめん、ごめん。間違ってフォークボールのサイン出しちゃった」

 とぼける本願寺。

「あの速さでフォークだと。なんてこった」

 元町は天を仰いだ。

「なあ、頼むからストレート見せてくれよ」

 本願寺に頼む元町。

「いいよ」

 気安く、答える本願寺。また騙すつもりか。しかし、立ち上がると、

「沢山、次はストレートね」

本願寺は声に出して言った。うなずく沢山。第三球。

「うえっ」

 元町、思わず声を出す。

「ストライク。バッターアウト」

 主審伊能が高々と右手を挙げた。

「どうだった?」

 尋ねる本願寺。

「ふふふ、球道は見きった」

 元町は負け惜しみを言った。だが、次打者の富士に、

「早くて見えねえよ」

と本音を漏らした。

 続く富士はボールをバットに当てる天才だ。果たして沢山の豪速球を打てるか。富士はいつも以上にバットを短く持った。沢山、第一球。ふわっとした変化球。これに慌てた富士が慌ててバットを引くと、ボールはストライクゾーンをえぐった。

「ストライク」

「何ですか、今の?」

 富士が本願寺に聞く。

「懸河のドロップ」

 本願寺は答えた。懸河のドロップといえば、マリンズの大先輩、権藤久次良ごんどう・くじら投手の代名詞ではないか。

「ノスタルジーですね」

 と富士は言った。さあ、第二球。

「えっ!」

 本当に見えない。ドロップの後のストレートは矢のように早かった。ストライク2。

 第三球。

「見えた!」

 富士はバットを振った。空振り三振。

「球が見えたらフォークだよ」

 本願寺が種明かしする。

「沢山って、一敗してるんですよね。信じられない」

「後半はコントロールが乱れて四球を二個出して若干、スピードが落ちたところを打たれて、河内屋のタイムリーエラーさ」

「コントロール悪いんですか?」

「フォークを多投すると、握力が弱まっちまうのさ。だからフォークはあんまり投げさしたくないの」

「へえ。その割には投げさしましたね」

「あんたらに見せてやりたかったのさ」

 本願寺入った。

「君たち、おしゃべりは試合が終わってからにしなさい」

 伊能が二人を叱った。

 続く、アンカーも三振。ルーキーピッチャー両者三者三振のスタート!


 両ルーキーは互いに競う合うように好投を続けた。先に点を取られるのはどちらか?

 それは住友の方だった。六回2アウトでバッター、バンパック。パワーあるスイングで、ここまでホームランを四本打っている。住友は直球をバンパックの内角に投げ込んだ。バンパック、思いっきり打ち込む。ボールはピンポン球のようにライトスタンド場外へ消えた。住友の球は軽い。ジャストミートされたボールは予想以上に飛んで行ってしまうのだ。

「クソー!」

 グラブをマウンドに叩きつける住友。タワーズが先制した。


 六回裏、マリンズは円陣を組んだ。宗谷コーチが喝を入れる。

「なあ、みんな。沢山の速球とフォークに苦労しているようだが、ここはフォークに狙いを定めにゃいかんぞい」

「でも、ほぼ直角に曲がるから打てませんよ」

 元町がぼやいた。

「アホ、頭を使え。バッターボックスの前方ギリギリに立ち、曲がる前に打つんだがや。見えないほど速いストレート打つより簡単だ」

「しかし、本願寺さんは、沢山にフォークは多投させないって言っていました。握力が弱くなるそうです」

 富士が報告する。

「だが、一球もフォークを投げないわけにはいかないだろう。的をしぼってフォークを打つべさ」

「はい」

 エンジンは解けた。

 この回の先頭は潜水。彼は宗谷に言われた通り、バッタボックスの手前ギリギリに立った。それを見た本願寺は、

「フォーク」狙いだな。ここはストレートとドロップで勝負だ」

とマリンズの作戦を見切った。沢山第一球。ボールが見えた。潜水はヒット狙いのバッティングをした。見事にボールはレフト前に運ばれる。

 本願寺はマウンドに向かった。

「どうした? サイン間違いか」

 聞く本願寺。すると沢山は、

「いえ、悔しいけれど握力が落ちてきました」

と正直に言った。

「限界か?」

 本願寺が聞くと、

「まだいけます」

 沢山は答えた。

「じゃあ、ドロップを多投しよう」

「はい」

 バッターは八番、氷柱。沢山ドロップを投げる。氷柱、バットを引きつけてそれを打つ。レフト前ヒット。風花はベンチから立ち上がって、

「こら、氷柱。ドロップは見送れって、宗谷さんが言ったじゃないか!」

と作戦をバラしちゃった。馬鹿だ。さて、次の打者は住友だ。常識的には代打を起きるところだが、

「続投、続投。純一郎、ホームラン狙ってこい」

と風花は住友を送り出した。

「ようし、一発撃つぞ」

 ブルンブルン、素振りをする住友。

(こいつ、打撃がいいからな。ストレートが甘く入ったら打たれるかもしれない)

 本願寺は考え、フォークを解禁した。沢山、第一球。フォークだ。

『コツン』

 と音がして、住友、三塁線に送りバント。沢山取れず、花屋敷が拾って一塁に送球。間一髪、住友アウト。沢山の動きが若干、緩慢になってきた。さあ、バッターはトップに帰って元町。バッタボックスの手前に作戦通り立つ。

「元さん、フォーク狙いでしょ」

 本願寺がカマをかける。

「そうだよ」

 正直に答える元町。

(じゃあ、初球はストレートだ。腕を振りぬけ、沢山)

 サインを出す、本願寺。

「はい」

 沢山は頷くと初球、ストレートを投げ込んだ。

「あっ、見えた。宗谷さん、ごめん」

 元町、得意の初球狙い。バットの芯に当たった打球は一二塁間を破るライト前ヒット。潜水に続いて氷柱もホームを狙う。ライト島木、好返球。クロスプレーだ。

「アウト!」

 マリンズ同点止まり。しかし、好投の沢山から点をもぎ取った。


 さあ、こうなると熱き男、住友純一郎の本領発揮が期待出来る。バッターの六番阿倍野にバシバシ、ストレートを投げて、2ストライク。三球目も遊ばずに豪速球を投げ込む。

『カキーン』

 と阿倍野の打球はレフト方向に上がった。

「上がりすぎだ」

 下を向いて、一塁に向かう阿倍野。しかし、その時、上空には海風が強烈に吹いていた。

『スー』

 と伸びていく打球。レフト台場がフェンスにはりついた。ジャンプ。しかし、打球はタワーズファンの待つ、レフトスタンド最前列に飛び込む、勝ち越しホームラン。阿倍野は自分の復帰戦に花を添えた。

「ちくしょう!」

 またもグラブをマウンドに叩きつける、住友。

「純一郎! 馬鹿のひとつ覚えでストレートばっかり投げていたら、打たれるのも当たり前だぞ」

 マウンドに来た風花が、お得意のメガフォンで住友の尻を叩く。

「すみません」

 住友、平謝り。

「あとは抑えろよ。まだ三回攻撃がある」

 風花の顔が勝負師のそれに変わった。最下位にもがいている、タワーズを助けることはない。徹底的に倒さねばならない。そのためには落とせない戦いだ。

 住友は続く七番島木、八番本願寺をコンビネーションで打ち取った。


 七回裏、マウンドには沢山が立ち続ける。住友への激しい、ライバル心がそこにはあった。バッターは二番、富士。

(さすがの沢山も球威が落ちている。ここは意地悪してやろう)

 富士は考えると、第一球目にセーフティバントの構え。沢山ダッシュ。富士、バットを引く。ストライク1。第二球もバントの構え。沢山必死にダッシュ。富士、バットをまた引く。判定ボールでカウント1−1。

(こりゃいかん)

 慌てたキャッチャー本願寺は三塁の花屋敷に前進守備を命じた。沢山の負担を軽くするためである。第三球目はストライク。1−2となった。ここから富士劇場が始まる。第四球、五球目をファール。六球目は際どく外れたのを見逃さず、ボール。

(こりゃいかん)

 本願寺は立ち上がって富士を敬遠した。同点のランナーだが、これ以上沢山の体力を消耗させるわけにはいかない。タワーズには信頼できる中継ぎ、抑えがいないのだ。

 次打者はアンカー。沢山、初球を投げる。富士スタート。本願寺、二塁に送球。

「セーフ」

 がっくり肩を落とす、本願寺。自分の判断は間違っていたのかと自問自答する。第二球、なんと富士スタート。慌てて送球の構えに入る本願寺の目の前で、アンカー豪快なスイング。打球は右中間を割り、富士悠々ホームイン。同点だ。アンカーは二塁に進んだ。

 ここで四番、トラファルガー登場。マリンズファンのボルテージ最高潮。一方、大阪ベンチでは、

「沢山は限界だ。ピッチャー交代だ」

と主張する吉本監督と、

「まだ同点です。投げさしてあげましょう」

そう主張する、中東投手コーチが一触即発の雰囲気だ。しかし、指揮権は監督にある。ここで沢山は交代。伊丹が登板した。涙に濡れる、沢山のユニフォーム。タワーズファンも涙を流さずにはいられなかった。

 さあ、伊丹の初球。ああ、デットボール。腰に当たった。これでランナー一、二塁。バッターは台場。あっ、連続デットボール。風花、マウンドへ突進。

「何考えてんだ。キャッチボールからやり直せ!」

 と伊丹に説教を始めた。それに、キャッチャー本願寺がキレて、風花対本願寺の乱闘が始まった。両軍ベンチも飛び出す。口ばっかで、喧嘩に強くない風花は宗谷に救い出されたが、両目に青タンを作っていた。

「審判、本願寺がひどいんです」

 風花の主張がなぜか通って、本願寺退場。紅玉にキャッチャーが代わった。

 さあ、試合再開。バッターは六番、門脇。タワーズはピッチャーを淀川九児よどがわ・きゅうじに代えた。その初球、150キロのストレート。門脇見送り、ストライク1。第二球152キロ。早い。門脇またも見逃し、ストライク2。ここで紅玉はフォークのサイン。淀川、これに首を振り、ストレートを投げた。155キロ。これを門脇強振。ライト方向に流打ちだ。伸びる、伸びる、入った。ホームラン! 満塁ホームラン! これで試合は決まった。住友は完投で四勝目。

 続く、五回戦、六回戦もマリンズが勝利し。対大阪タワーズ戦六連勝。四月の残り、十二試合も八勝四敗で乗り切り、通算二十一勝八敗一引き分けで堂々の首位で四月を終えた。誰もが今年のマリンズは違うと認めだし、このまま突っ走るのではと思い、アホの風花監督の采配ぶりに注目が集まったのだが……。

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