22 パーフェクトゲーム

「マリンズがとてつもないことをやってのけるかもしれない」

 報道陣と全国のプロ野球ファンはざわついた。ベイサイドスタジアムでの対札幌ベアーズ三連戦。マリンズは二連勝を成し遂げた。あと一勝すれば、史上初の交流戦全勝である。しかもマリンズは、次節から再開されるリーグ戦の緒戦、東京キングとの戦いに備えて、日向、ベルーガ、住友を温存。船頭、砂場を先発として出しての勝利だ。そして第三戦の予告先発は悪童、古井戸。果たして全勝はなるか。意地を見せたいベアーズ昼間監督は“二刀流”大山投手を先発に持ってきた。


「相手は大山ですよ。失礼ですが古井戸投手でいいんですか? 大記録がかかっているのに」

 スポーツジャパンの東記者が風花に尋ねる。

「本当に失礼だよ。古井戸は過去に最多勝をとったこともある投手だよ」

「でも、日向もベルーガも投げられるじゃないですか?」

「チームの戦略上の都合で、その質問には答えられません」

「どうせ、次のキング戦にまわすんでしょ。見え見えですよ」

「あくまでノーコメント」

「最近、面白いコメントが減りましたね?」

「衣食足りて礼節を知る、だね」

「それはことわざ。面白いこと言ってくださいよ」

「面白いことねえ……ああ、ごめん。ミーティングの時間だ。じゃあね」

 風花は適当なことを言ってお茶を濁した。でも、今日勝ちたいと一番願っているのはこの風花だった。


「ミーティング始めるぞい」

 宗谷コーチが皆を集合させる。

「今日勝てば、ナ・リーグ全チームに連勝することになるだ。張り切ってほしいだ。だがな、我々の目的は、あくまでア・リーグ制覇だ。四日休んでのリーグ戦再開。ここからが勝負だ。これを忘れんでくれや。緒戦は東京キングだ。全力を持ってこれにあたるだ。日向、ベルーガ、住友、分かっただか?」

「はい」「イエス」「分かりました」

 と三人が言う。ところがここで、古井戸がぐずりだした。

「今日の試合は全力をださないですか?」

 宗谷に突っ込む。

「そんなことはないだ。だが相手はあの大山だ。苦戦が予想されるだ。もし負けても交流戦最高勝率賞は獲得したんだ。気楽にやるべ」

「そんな。俺にとっては一試合、一試合が勝負だ。ナインがお気楽にやって負けたんじゃ、意味はないぜ」

 すると、黙って話を聞いていた、風花が口を開いた。

「古井戸くんの言うことは正しい。みんな、気合を入れ直してくれ。ナ・リーグ完全制覇は僕の願望でもある。決して、手抜きなんかするなよ」

 風花の言葉にナインが身を引き締める。

「これでいいな、古井戸くん」

「ええ」

 古井戸は機嫌を直した。


 問題は、ベアーズ先発の大山だ。時速160キロの球をバシバシ、ほおってくる。北海ドームの大阪タワーズ戦では阿倍野選手への第二球に163キロの日本新記録を出した。ちなみに阿倍野はそれをファールした。若手有望株の必死の戦いである。また、大山は打撃も超一流で、この試合DHが使えるのにそれを放棄、五番打者として出場し、ホームランを放っている。


「大池さん、大山の攻略法は?」

 風花が聞く。

「163キロにみんな踊らされていますが、案外棒球が多いです。コンパクトに打ち返せばヒットを打つことは可能です」

「ふーん」

 風花は何気なく返事したが、大池の的確な判断に内心、成長したなと思っている。

「打者、大山はどうなの?」

 風花の質問に西東投手コーチが答える。

「とにかくスイングスピードが早いです。まるで鞭のようにしなやかです。ただし、大振りするのでゆるい変化球に弱そうです」

「古井戸くん、聞いた? ゆるい変化球だってさ」

「俺の球はもともと遅いです」

「なら問題なし」

 風花はミーティングを切り上げた。


 夕暮れにはまだ早い、ベイサイドスタジアム。梅雨明けはまだ先というのに今日は晴天だった。日中は真夏を思わせる暑さ。そう、夏が近い。今日が終わればまたリーグ戦が始まる。運良く、マリンズは首位に立っているが、二位、東京キングとのゲーム差は3。三連敗すれば、追いつかれる。東京キングは監督が代わっても強い。直接対決ではマリンズの三勝五敗一引き分けだ。次のキングダムドームの三連戦では最低でも勝ち越さなくてはならない。前回のキングダムドームでの試合は三連敗した。去年はキングダムドームで一試合も勝てなかった。キングダムドームは鬼門だ。何としても勝たなければならない。一勝でもいい。ナインのキングダムドームに対する、拒否反応を払拭しなくてはならないのだ。ここまで考えて、風花は思い出した。

「いけねえ。今日の試合のことすっかり忘れてしまっていた。これじゃあ、古井戸に怒られちゃうな」

 そっと呟く。時刻は五時半。両軍のスターティングメンバーが発表される。


 先攻 札幌ベアーズ


 一番 明石圭一郎、背番号1。センター。

 二番 宮永真生、背番号9。セカンド

 三番 福永俊太、背番号3。サード。た

 四番 ライラック、背番号44。レフト。

 五番 大山翔平おおやま・しょうへい、背番号11。ピッチャー。

 六番 岡崎和彦、背番号4。ショート。

 七番 内山佳、背番号41。ライト。

 八番 木村洋三、背番号2。キャッチャー。

 九番 永井破夢彦、背番号6、ファースト。


 後攻 横浜マリンズ


 一番 元町商司、背番号1。ショート。

 二番 富士公平、背番号3。セカンド。

 三番 アンカー、背番号4。サード。

 四番 トラファルガー、背番号44。センター。

 五番 台場八郎太、背番号25。レフト。

 六番 門脇将、背番号5。ファースト。

 七番 潜水勘太郎、背番号20。ライト。

 八番 氷柱卓郎、背番号22。キャッチャー。

 九番 古井戸秀悟、背番号00。ピッチャー。

 

 注目の大山は五番に入った。すごいことである。水島漫画もびっくりだ。果たして、マリンズ打線は、大山を打てるのだろうか。気づけば午後六時。マウンドに向かう、古井戸に風花はこう言った。

「五回まででいい。全力投球だ!」

 古井戸は言い返した。

「完投勝利を挙げますよ」

 古井戸が完投したのは東京メトロ時代の話だから九年前だ。今とは直球の早さも変化球の精度も雲泥の差だ。よくぞ、大口を叩いたものだと、風花は思った。


 さて一回の表。トップバッターは明石。古井戸、第一球。ああ、135キロの棒球がど真ん中に。明石これを痛打。だが当たりが良すぎてセンター、トラファルガーへのライナー。1アウト。

 続く宮永への初球。ぎゃあ、お手本のようなションベンカーブ。宮永打つ。打球は一二塁間。あっと、富士打球に飛び込んでキャッチ。一塁に送球。バッターランナー宮永と勝負。ギリギリ間に合ってアウト。富士、ファインプレー。

 三番は、福永だ。古井戸、全力投球。悲しいかな時速138キロ。情け容赦なくこれを振り抜く福永。打球はレフトスタンドに、あっ入らない。台場、フェンスギリギリでキャッチ。風に救われた古井戸。わずか三球で3アウトチェンジ。

「ショーの脇役は早くマウンドから降りるんだ」

 古井戸は減らず口を叩いた。


 一回の裏。全国の注目、いや全米にも注目される、大山投手の登場。球場は異様な空気に包まれる。

 マリンズのトップバッターは、元町。今日も“ささやき打法”でヒットを打つか? しかし、

「口チャック」

と言ったっきり、無言である。それを見たキャッチャーの木村が、

「元さん、腹でも痛いのかい?」

と聞いたが、元町は無視する。

「なんだよ。つまらないねえ」

 木村はぼやいて、大山にサインを送った。その第一球。光速のストレートがズバリと決まる。出た、初球から163キロ。元町、バットが出ず。

「早打ちの元さんが、手が出ないんだ。大山の速球は段違いだねえ」

 すると、ムムムと音を立てて元町の口が開いた。

「俺は審判団に打席でのおしゃべりを禁止されたんだよ。それから調子狂っちゃってよ。伊能さん、しゃべっちゃ駄目なんだろ」

 元町は主審の伊能に突っかかる。伊能はその勢いに押され、

「試合進行に妨げがなければいい。きみのおしゃべりは長すぎる」

「じゃあ、短ければいいんだ」

「全くしゃべっちゃいけないとは誰も言っていない」

「やったあ、調子取り戻せる!」

 元町は張り切った。しかし、大山は163キロのストレートと140キロ後半のフォークボールで元町を三球三振に斬って取った。それでも元町は、

「しゃべっていいんだ。ルンルン」

と笑顔でベンチに帰った。

 二番の富士はバットにボールを当てる天才である。大山の初球、160キロの直球を三塁側客席に打ち込んだ。

「当てた!」

 客席がざわつく。第二球もバックネットに当たるファール。

「タイミング合ってるぞ」

 一塁側ベンチで大池コーチがハッパをかける。

 第三球。

「見えた!」

 富士はバットを振り抜いた。だがボールはバットの下を潜り抜けた。スピリットだ。二者連続三振。

 三番、アンカーに対して、大山は、というよりキャッチャーの木村は変化球攻めをした。直球狙いだったアンカーはバットにボールが当たらず、三球三振。大山、上々の滑り出しにスタジアムが熱狂する。これじゃあ、どちらの本拠地か分からない。


 二回の表。古井戸はバックスクリーンの上になびく、球団旗を見上げてつぶやいた。

「風が出てきたなあ」

 さあ、ベアーズの攻撃は四番、ライラック。その初球。内角を突くストレート。142キロ。その表示が電光掲示板に出た瞬間、風花始めマリンズ一同、首をひねった。

「あいつに140キロ台のボール投げられたっけ?」

 そんな疑問にお構いなく、古井戸、第二球。またしても内角ストレート。143キロ。そして第三球を外角に外す130キロ。勝負の四球目、またまた内角ストレート145キロ。

 この回、古井戸は徹底的な内角ストレート攻めで、大山、岡崎を打ち取った。大山の凡退に球息が漏れる、ベイサイドスタジアム。だから、どっちの本拠地なのさ!


 二回の裏。大山は四番トラファルガーと対決。初球、直球勝負だ。トラファルガー強振。打球はバックスクリーンへ、届かない。センター明石取って1アウト。マリンズ、始めてボールをフェアゾーンに飛ばした。しかし五番、台場は高めの釣り球に手を出し三振。この時電光掲示板に164キロと表示された。日本新記録更新である。スタンドから大歓声が起こる。これは致し方ない。風花は黙って戦況を見つめた。

 六番、門脇も大山に手玉に取られ三振。早くもグランドから「完全試合やったれ」とのヤジが飛んだ。


 三回から六回まで、大山は連続三振を奪った。もちろん、パーフェクト継続中である。だが、その大山の好投の裏でとてつもない記録が生まれようとしていることにほとんどの人が気がついていなかった。


 九回の表、ベアーズは内山、木村、永井が古井戸にあっさり抑えられた。ベアーズベンチでは、

「今日、ウチの選手ヒット打ったっけ?」

「打っていないのはマリンズの方でしょ」

「そうか。ウチは打ったよな」

 と間抜けな会話が行われていた。それを見ていた昼間監督は不機嫌そうに、

「ウチはパーフェクトをやられたよ。この裏、大山のピッチング次第でな」

と言った。

 一方、マリンズベンチでは、風花が古井戸に、

「ご苦労さん」

とねぎらいの言葉をかけていた。

「さあ、誰か大山から一発かましてこいよ」

 風花は喝を入れた。

 しかし、七番、潜水は空振り三振。八番、氷柱の代打、鳴門も三振に倒れた。風花は、

「男になれ」

と言って、古井戸の代打に、大和武蔵を送った。

「パーフェクト! パーフェクト!」

 スタンド中が割れんばかりの声援を送る。大山の奪三振ショーに隠れて、古井戸のパーフェクトピッチングは見逃されている。大山、初球ストレート164キロ。大和豪快に空振り。

「そうだ、振り切れ。あとはボールに当てるだけだ」

 風花が大和に檄を飛ばす。

 大山、第二球。これは145キロフォークボールだ。

「打つなあ!」

 風花が叫ぶが、大和フルスイング。ああ、フォークボールが落ちない。

『ガキーン』

 何かが壊れるような音がして、ボールがレフトスタンド場外に星となって消えた。

「サヨナラだ。パーフェクトだ。ナ・リーグ完全制覇だ!」

 風花が帽子を高く投げ上げて、グランドに飛び出した。ナインは、古井戸、大和、風花の順で胴上げをした。マリンズファンが万歳三唱をする。何年間も屈辱にまみれてきた日々が今日、少し報われたのだ。この後目指すのは優勝だ。この時はマリンズ関係者、ファン、そしてなによりナインと風花が強く思った。

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