8 オープン戦の虚々実々

 二月二十九日、土曜日。今年は閏年である。今日からマリンズのオープン戦が始まる。今年の目標は『引き分け禁止。白黒つける』を主張した風花の意見は無視され、『いつもハツラツ、全力プレー』という大池コーチの平凡なスローガンが採択された。

「オロナインDかよ」

 文句を言う風花。

「引き分け、引き分けと考えすぎると本当に引き分けになるだよ」

 と諭す、宗谷ヘッドコーチ。

「引き分けダメ、絶対!」

 なんかのポスターみたいなことを叫ぶ、風花であった。


 今日の試合相手は札幌ベアーズ。ナ・リーグの強豪である。監督は今年も昼間照義である。

「お久しぶりです。風花監督。お体の調子はどうですか?」

 一つ年下の昼間監督から風花に声をかけてきた。人見知りの風花にはこの気遣いが嬉しい。昼間監督大好きである。

「ええ、お陰さまで。ルーキーの田の中投手はどうですか?」

「今日、先発させます。お手柔らかに。そちらの先発は?」

 ここで、風花は爆弾を投下した。

「日向五右衛門です」

 昼間監督の機嫌がみるみる悪くなるのがわかった。

「風花監督はそういうことをしないと思っていました」

「すいません。僕はやめようって言ったんですが、西東投手コーチが『ローテーションはきっちり守る』と言うものですから」

 嘘である。本当は「昼間監督に悪いから日向はやめときましょう」と西東コーチが止めたのに、風花が「因縁の対決。面白いからやっちゃおう」と焚きつけてしまったのだ。

「まあ、とにかくよろしく」

 昼間監督はちょっと怖い顔をしてベンチに帰っていった。


「先発は田の中だってさ。プロの洗礼を浴びせてくれようぞ!」

 風花が喝を入れたが、選手は乗ってこない。

「監督、プロ野球ニュース見てないでしょ。田の中ってえげつないシュートの持ち主なんですよ。右打者なんか、ホームベース近くにいたら腹にボール当てられちゃいますよ。それも判定はストライクだったりするんです」

 元町が言う。

「なんで?」

 尋ねる風花。

「ボールがホームベース上を通ってから急速に変化するんです」

「なんで、そんなに変化するの? なんか塗ってんじゃないの」

 また尋ねる、風花。

「指の長さが異様なんです」

 富士が答える。

「怪物ってことか」

「語弊があるだや」

 宗谷コーチが風花を叱る。

「まあとにかく、相手は新人だ。ナメてかかろう」

 風花は変なこと言って締めた。


 スターティングラインナップ。


 先攻 横浜マリンズ


 一番 元町商司、背番号1。ショート。

 二番 富士公平、背番号3。セカンド。

 三番 アンカー、背番号4。サード。

 四番 トラファルガー、背番号44。センター。

 五番 台場八郎太、背番号25。レフト。

 六番 門脇将、背番号5。ファースト。

 七番 潜水勘太郎、背番号20。ライト。

 八番 氷柱卓郎、背番号22。キャッチャー。

 九番 大和武蔵、背番号8。DH。

 ピッチャー、日向五右衛門、背番号14。


 後攻 札幌ベアーズ


 一番 明石圭一郎あかし・けいいちろう、背番号1。センター。

 二番 宮永真生みやなが・まさお、背番号9。セカンド

 三番 福永俊太ふくなが・しゅんた、背番号3。サード。

 四番 ライラック、背番号44。DH。

 五番 急式裕一きゅうしき・ゆういち、背番号8。レフト

 六番 岡崎和彦おかざき・かずひこ、背番号4。ショート。

 七番 内山佳うちやま・けい、背番号41。ライト。

 八番 木村洋三きむら・ようぞう、背番号2。キャッチャー。

 九番 永井破夢彦ながい・はむひこ、背番号6、ファースト。

 ピッチャー、田の中実たのなか・みのる背番号16。


「プレーボール!」

 主審、富田の手が上がり、試合開始だ。

 マリンズの一番は元町だが、なぜか右ピッチャーなのに、右打席に入っている。

「またおかしなことやってきたな。元さんよ」

 ベアーズのおしゃべりキャッチャー、木村が声をかける。

「ふん、命をかけた真剣勝負よ」

 そう言って内角ギリギリに構える。

「おいおい、危ないよ。田の中ちゃんのシュートは腹をえぐるよ」

「えぐってもらおうじゃないか!」

 挑発に乗る元町。

(挨拶代わりにやってやれ。田の中)

 木村は田の中に“殺人シュート”を要求した。第一球。

 シュートが内角をえぐる。ストライクコースから強烈に曲がってくる。

「これはストライクだ!」

 元町はもんどりうって倒れた。当たったか?

「てめえ、殺す気か!」

 元町は田の中を恫喝する。

「でも、ストライクだもんね。文句ないだろ、元町ちゃん」

 木村がニコニコ笑う。

「そうだな、ストライクだったな」

 冷静さを取り戻す、元町。続く第二球は外角にストレート。際どく、ボール。カウント1−1。

(よし、もう一球行ってやれ。今シーズン、元町は内角恐怖症になるぜ)

 木村は再び“殺人シュート”を要求した。第三球、田の中投げる。

(球筋が狂った。これはボールだ!)

『ガツン』

 と音がして元町の腹にボールがめり込む。

「やったな!」

 宗谷コーチを先頭にマリンズのメンバーがマウンドの田の中に向かって駆け寄る。

「田の中を救え!」

 ベアーズ勢も負けずと飛び出す。

 風花はベンチで丘田真純マネージャーと談笑して、乱闘には気にも留めない。昼間監督もベンチに腰掛け黙って乱闘を見ていた。


「なあ、みんな俺は平気だぜ」

 突然、元町が立ち上がった。

「腹に球がめり込んで、なんで平気なんだよ」

 木村が喚く。

「審判用のプロテクターを装着したのさ」

「ええっ?」

「これで、田の中はもうだめだぜ。殺人シュートはただのデッドボールだ」

「審判? そんなのありかい」

 木村が富田主審に聞く。

「アイデアが斬新だな。デットボール。ランナー一塁」

 富田はルールブックも見ずに言った。

 二番、富士は左バッターだから殺人シュートは使えない。送りバントの格好で田の中の動揺を誘う。田の中ストライクが入らずフォアボール。ノーアウト一、二塁。

 三番アンカーはプロテクターを借りて、打席に入る。もう殺人シュートは意味がない。147キロの速球で勝負した。

『カッキーン』

 打球はレフトスタンドにあわや入ろうかという大飛球。フェンス最上段に当たって跳ね返る。レフトの急式が上手くさばいて、二塁ランナーの元町だけがホームイン。0−1、マリンズ先制。

 マウンドに吉川投手コーチが駆けつけて、田の中を落ち着かせる。

「田の中、お前はシュートなしでも勝負できる。外角にストレートとフォークで行け」

「はい」

 返事をする田の中の顔は青い。

「まだオープン戦だ。一回の失敗なんか取り返せるよ」

 木村捕手も励ます。

「はい」

「まだ一回だ。これから、これから」


 一方マリンズ側も問題が起きていた。

「トラファルガーの体が大きすぎて、プロテクターが入りません」

「もうシュートは投げてこないだろ。つけなくていいよ」

 風花は言った。


 四番、トラファルガーが打席に入る。このアルジェリア生まれのフランス人は、昨年のア・リーグのホームラン王だ。しかし、チームが最下位になったことからわかるように、チャンスに弱いという欠点を持つ。さあ、ノーアウト二、三塁のこの場面で結果を残せるか。

 田の中、第一球。外角にストレート。トラファルガー見逃し。ストライク。続いて第二球、内角に来た。シュートか? いやストレート。際どく、ボール。カウント1−1。

「配球を変えてきたな。さすがベテラン、木村のおっさん」

 風花が感心する。

「ただのおしゃべりなジジイですよ」

 元町が呟く。

 田の中第三球。外角にフォーク。トラファルガー強振するも空振り。

「固い、固いよ。誰かトラファルガーの肩揉んでこい」

 大池打撃コーチが何か指示するふりをして、トラファルガーの肩を揉んだ。

「OK、リラックス」

「OK、OK!」

 トラファルガー打席に戻る。第四球。内角にストレート。トラファルガー渾身の力で振り抜く。しかし、打球は浅いライトフライ。富士、タッチアップの構え。ライト内山捕った。富士スタート。内山好返球。木村捕球して富士にタッチ。「アウト!」

 富田の右手が上がる。あっという間に2アウト。

 五番、台場は外角に逃げるシュートに手が出ず三振。結局壊れかけた田の中から一点しか取れなかった。

「何か、田の中生きかえらしちゃったな。昼間監督から付届けが来るかもよ」

 風花が嫌味を言った。


 一回の裏、マウンドに向かう、日向五右衛門と氷柱卓郎に風花が指示を出した。

「サインはベンチから出すって言ったけれど、面倒くさいから、日向、君が出して。氷柱君は、くれぐれもボールを後ろにそらさないように、いいね」

「はい」

 素直に答えた氷柱に対し、日向は、

「それじゃあ、氷柱が育たない。氷柱にサイン出させて、おかしいと思ったら俺が首を振ればいいでしょう」

と反論した。

「ああ、そういう手もあるね。それでいこう」

 風花は何の屈託もなく、日向の言うことに同意した。


 一番、明石圭一郎が右バッターボックスに入る。北海道では大人気の核弾頭だ。その第一球、明石の顔面を148キロのストレートが襲う。ビーンボールだ。慌てて避ける明石。マウンドを睨みつける。続く、第二球。またしてもビーンボール。ベアーズベンチから選手たちが飛び出そうとした。

「やめろ。敵の挑発に乗るな」

 昼間監督が選手たちを止める。

 第三球。外角に152キロのストレート。明石、手が出ず。カウント2−1のバッティングカウント。第四球高めに浮いたストレートを明石、空振り。カウント2−2。第五球、日向投げた。伝家の宝刀釜茹でシュート。明石、空振りの三振。

 続く、二番の宮永。その初球、またもビーンボール。148キロ。飛び出して日向をぶん殴りたいのを必死に抑えるベアーズベンチ。日向はしらっとした顔をして、次もビーンボールを投げた。もう我慢できない。ベアーズ選手が飛び出すと、日向は帽子を取ってお詫びした。これではブン殴れない。日向は続く、二球を外角いっぱいに決めると、最後は同じく釜茹でカーブで仕留めた。二者連続三振。頭を下げた以上、ビーンボールはもう投げられない。三番、福永には、釜茹でカーブに、田の中並みのシュートで三者三振に打ち取った。


ベンチに戻った日向と氷柱に、

「本当はどっちがサイン出したんだ?」

と風花が聞くと、氷柱は答えた。

「ノーサインです」

「嘘つけ、60キロの釜茹でシュートと152キロの速球を両方待てるはずないよ」

 風花が言うと、

「本当です。こいつ、動体視力が異常に優れている」

と日向が助け舟を出した。

「それが本当なら、君は山田太郎並みの捕手になれる」

 風花は感嘆した。

「あとは打撃だな。キャンプで打撃練習してないし、紅白戦でも打ててない。前言撤回。君は山田太郎にはなれない」

 風花は♬がんばれ がんばれ のり弁♬ と歌いながらトイレに行った。


 二回表、立ち直った田の中は六番、門脇と七番、潜水を三振に取った。続くは八番、氷柱である。

 ♬がんばれ がんばれ 崎陽軒のシューマイ弁当♬ と歌詞がどんどんおかしくなっていく、風花の鼻歌を尻目に、氷柱は初球の外角のストレートを迷うことなく叩いた。ボールはバックスクリーンに当たるホームラン。

♬がんばれ がんばれ 泉平のいなり寿司♬ 風花は呆然と打球を見上げた。 


 試合はその後、投手戦となり、日向が六回、二番手ルーキー塩見、日吉がそれぞれ一回、最後は大陸が九回を抑え、マリンズが勝利した。風花は開口一番、「引き分けじゃなくて良かった」

とつぶやいた。去年の悪夢が払拭されたのだ。

 昼間監督はよほどこの敗戦が悔しかったようで、

「交流戦ではコテンパンにやっつける」

とだけ言って、バスに乗り込んでしまったらしい。


 幸先良い一勝を得た、風花マリンズ。次の相手は名古屋カーボーイズである。

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