35 最終決戦 その4

 序盤三回を終わって、7−7の同点となった。

 四回の表、マウンドに向かう横須賀を見て、スタンドからは「よくやった。もう降板しろ」とか「これじゃあ、晒し者じゃないか」と言うヤジが飛び交った。それでもマウンドには横須賀が上がる。その背中、ナンバー18には悲愴感さえ漂ってきた。

 バッターは七番、河津。一発に要注意だ。横須賀、セットポジションからの投球。疲れている証拠だ。その球を河津強振。しかし高々と上がるレフトフライ。八番、畠山は三振。そして九番、徳川がネクストバッターズサークルからバッターボックスに入った。続投のようだ。

「ロングリリーフなら他にいるだろうに」

 風花はつぶやく。その間に徳川三振。キングのスコアに初めて0がつく。

「ナイスピッチ。これから本領発揮だ」

 風花は激励する。

「任せてください」

 横須賀は笑顔で返した。


 四回の裏。バッターは氷柱。打率.220と、あてになるバッターではない。だが氷柱は頑張った。ボールをよく見て、カウントを3−2まで持って来て、あとはファール、ファールと粘る。普段、球数を投げない徳川は汗びっしょりになりながら投球している。持ち場を崩す、これは良くない采配だと風花は思った。そういう自分も、昨年の開幕戦の先発にクローザーの大陸を送ったじゃないかと脳裏で誰かが囁く。それはともかく、二十二球目に徳川はとんでもないボールを投げて四球。塁に出た。尾根沢コーチがマウンドに行く。そして、日本橋監督がピッチャー交代を告げる。

「これで、明日の徳川登板はないな」

 ほくそ笑む風花でああった。

 

 ピッチャーは新田小太郎に変わった。豪速球の持ち主である。バッターはピッチャーの横須賀。ここは、定石通り送りバントだ、と見せかけてバスター。横須賀はバッティングもいけるのだ。三遊間を破ってランナー一、二塁。バッターは一番に戻って元町。元町にバントはないだろう、そう考えたキングナインは内野を深くした。しかし、意表を突くのが風花野球。元町、まさかの送りバントで1アウト二、三塁。二番、富士はここでいい当たりながら、惜しくもセンターフライ。氷柱タッチアップでホームイン。8−7とマリンズ勝ち越し。だが、アンカーはサードゴロに倒れ、大量得点とはいかなかった。


 さあ、五回だ。ここを抑えれば横須賀に勝ち投手の権利が発生する。


 五回表のキングの攻撃はトップの風間からだ。横須賀、スライダーを外角に投げる。風間狙い撃ちでこれを打つ。ライト前ヒット。二番、上杉はバントの構えだが、横須賀、気を遣いすぎてストライクが入らない。四球だ。ランナー一、二塁。続く、三番武田は横須賀得意の超スローカーブを渾身の力で打ち上げた。逆転3ランホームラン。8−10。横須賀の勝ち投手の権利は消え去った。それでも、土肥、小机、浦田の三人をなんとか打ち取り、五回を投げ切った。ここで本当に降板だろうと思ったスタンド中の観客も、キングベンチも、果てはマリンズナインも盛大な拍手を送った。冗談じゃない。今日の横須賀は完投しかない。風花は観客に向けてマイクパフォーマンスをした。


——あ、テス、テスト。えー、横浜マリンズの監督をしております、風花涼でございます。今日の試合は横須賀くんの大事な引退試合でございます。なので、彼が何点取られようと、何時まで試合がかかろうとも、横須賀くんはしかないのであります。よって、途中の回で『横須賀、終戦』とか『横須賀、よく投げた』などと口にしないでいただきたい。横須賀くんのモチベーションが下がりますので、よろしくお願いいたします。わたくしからは以上です。ご静聴ありがとうございました。


 球場内が一瞬の静寂をうったあと、大音声が立つ。

「横須賀を殺す気か?」とか「もう限界超えてるよ」

 という横須賀の体を気遣う声や、

「まだ、横須賀が見れるのかやったあ」

という声援。

「キングファンにとっちゃラッキーだな。優勝シーンが見れる」

 という、素直な感想がごちゃ混ぜになってグラウンドに流れてくる。あまりのことに主審の伊能はなかなか、プレーボールと言えなかった。


 五回の裏は四番、トラファルガーからだ。新田豪速球を内角に投げ込む。これは打てない。1ストライク。第二球は外角にカーブ。ボール。1−1。第三球、又しても内角へ160キロの速球。トラファルガー、これを打ち砕く。ホームランだ。9−10、一点差だ。まだ分からないぞこの試合。しかし、この回は台場、門脇、潜水が打ち取られて一点止まり。追いつくことはできなかった。


 六回の表、やっぱり横須賀がマウンドに上がる。もはや、ヤジも飛ばない。一人の戦士の死にゆく様を見つめるだけである。バッターは河津。横須賀はこの猪武者を得意の変化球で三振に仕留めた。スタンドからは満場の拍手。もう、マリンズファンもキングファンもない。

 八番は畠山だ。これも一発を秘める強打者だ。横須賀は渾身のストレート139キロを有効に使って、最後はフォークボールで三振を取った。2アウト。

 ここで、日本橋監督は新田に代打を送る。毛利勝利もうり・かつとしだ。毛利はベテランで代打の切り札だ。横須賀、第一球を投げる。138キロのストレート。毛利は待ってましたとばかりにこれを振り抜く。レフトスタンドから大歓声が沸く。代打ホームラン。得点は9−11。膝をつく横須賀。さすがに限界か? いや、しかし立ち直り、次の風間と相対する。ここで風間はセーフティバント。足元がもつれる、横須賀。それでもボールを取り、一塁へ投げる。ファースト門脇、必死に体を伸ばす。風間滑り込む。判定は、

「アウト」

間一髪、アウトだ。また大歓声。横須賀はガッツポーズをして、ベンチに引き上げた。闘志に衰えなし。


 六回の裏、キングのピッチャーは、なんと北条である。明日の先発かと言われていた元エースの左腕である。日本橋監督は明日の試合はないと考えているようだ。

 北条は下位打線の氷柱、横須賀をあっさり三振で切って取ると、元町と対峙した。第一球。内角にストレート。思わずのけぞる元町。ストライク。

「おい、モト。また、待球作戦か?」

 土肥が聞く。

「ええ、バカの一つ覚えで。監督の」

 元町が答える。

「わあ、首脳陣批判だ。風花さんに言ったろ」

「やめてくださいよ」

「冗談、冗談」

 そう言っているうち、北条の第二球がきて、ストライク2。あっさり追い込まれる元町。

「やべえ。あとはバットを短く持って、ファール、ファール」

 元町は独り言をして北条に対する。しかし、北条は甘くない。ベースのギリギリのところを狙ってストレートを投げてきた。元町、手が出ず。ストライク! 

「ええっ、入ってますか?」

 元町、抗議するも伊能に無視された。3アウトチェンジ。

 首をかしげてベンチに戻る元町のヘルメットを風花のメガフォンが襲った。

「はい、罰金千円。このお金は被災者に寄付されます」

「近頃、物騒ですからね」

 元町は素直に罰金を支払った。


 七回に入るところで、明日の予告先発が発表された。

——明日の東京キングダムドームで行われる試合のピッチャーは、東京キング、菅生。横浜マリンズ、日向でございます。

「ええっ?」

 どよめきが起きた。

「菅生、中三日かよ」

 鵠沼が驚いたように言う。

「初戦で、すぐに降板したんだから、ありえることだよ。そんなことに驚くから、来季は企画部営業なんだよ」

 風花がヘラヘラしながら毒を吐く。

 

 七回の表。バッターは鼻骨骨折の上杉からだ。横須賀は第一球、内角にえぐった。

「おーい!」

 スタンドからブーイングが起こる。

「そう言われてもね」

 独り言した横須賀は外角に第二球を投げる。腰の引けた上杉はこれを凡打。ショートフライに終わる。三番、武田は二球目を三遊間ヒット。さすが首位打者である。四番、土肥は横須賀の超スローボールを高々と打ち返す。あわやホームランというライトフェンス直撃の2ベース。一塁から武田、長駆ホームイン。9−12。さらに五番、小机凡退の後、六番、浦田が三塁線に2ベース。土肥が帰って9−13。これで試合は決まったかに見えた。しかし、横須賀は堂々と下位打線を打ち取り、マウンドを降りた。


 七回の裏。キングのピッチャーは相変わらず北条である。バッターは富士。北条、第一球。スライダーだ。富士手を出さず。ボール。第二球は外角にストレート。これも手を出さず。ストライク。第三球。またスライダー。これを富士は器用にレフト前ヒット。ランナーが出た。続く、アンカーは左投手に強い。北条の初球を強振。ボールはレフトスタンドに消えた。2ランホームラン。11−13。トラファルガーもレフトスタンドに二者連続ホームラン。12−13。一点差。台場に三者連続の期待がかかるが、三振。門脇もショートゴロで同点にはならなかった。

 

 八回の表。キングはまたトップの風間からだ。横須賀の第一球。久々のヘロヘロボール。

「今度こそ騙されないぞ」

 と言いながら、風間鋭くバットを振る。しかし、球はフォークボールだった。

「くそー」

 珍しく感情を表に出す、風間。

 第二球もヘロヘロボール。風間見送ると、そのままミットへ吸い込まれる。2ストライク。第三球もヘロヘロボールでヘロヘロ攻め。またしてもヤケになって振ったバットにボールは当たらなかった。三振。

 二番、上杉にもヘロヘロ攻めで三振。三番、武田にもヘロヘロボールで先ほどの借りを返した。

 横須賀あと一回だ。頑張れ。

 多くの人がそう願った。


 八回の裏。潜水、氷柱、横須賀は北条のピッチングにうまくして取られ、三者凡退に終わった。


 九回表。延長戦にでもならない限り、横須賀のラストイニングだ。観衆の大歓声を受けながら小走りにマウンドに向かう彼の心境はいかばかりだろうか。気づけば投球数は160球を超えている。そのスタミナがあれば、まだ現役でやれるんじゃないか? でも、彼の体は満身創痍だ。誰にも、風花監督にも言っていないけれど、肩と膝が悲鳴をあげている。腰も痛い。勤続疲労だ。だが、投げる。この一回だけは全盛期の、あの最後の優勝の時のように投げる。横須賀は誓った。


 バッターは四番、土肥。横須賀、第一球。バシーン。ミットが唸る。147キロ。内角に決まってストライク。土肥が驚いて、氷柱に尋ねる。

「ミットの綿、抜いてないよな?」

「はい」

 第二球。ドスン。しつこく内角をえぐる。ストライク2。そして第三球、切れ味鋭いフォークボール。土肥、手が出て三振。思わず横須賀に駆け寄って、握手を求める。横須賀も一回の風間の時と違って、快く握手に応じる。

 続くバッターは次世代を担うべき逸材、五番の小机だ。横須賀は直球とフォークボールでこれも三振に取った。

 六番は、かつての同僚、浦田だ。横須賀は渾身の力を出してストレートを投げ込む。150キロ。浦田、手が出ない。第二球150キロ。これも手が出ない。そして第三球、151キロの豪速球。浦田、強振。バシーン。キャッチャーミットが鳴り響く。生涯最高のピッチングを横須賀はした。負けて悔いなし。目には光るものが見える。ナインがマウンドに集まって横須賀を讃える。客席から紙テープが投げ込まれる。もう優勝したような騒ぎだ。誰もが横須賀の最後のピッチングに酔いしれている。

 だが、一人だけ冷静な男がいた。主審の伊能である。

「お取り込み中すまんが、九回裏の攻撃をやってくれないか?」

 そう、試合はまだ終わっていなかったのである。


 キングのマウンドにはクローザー、和田が立っていた。

 マリンズの攻撃は一番、元町。元町は感動で泣いていた。目を泣き腫らしていてボールがよく見えない。だからあてずっぽうにバットを振った。いい感触だった。同点ホームラン。見えないから勘だけでグラウンドを一周した。よくベースを踏み忘れなかったものだ。

 続く富士も元町ほどではないが泣いていた。だからバットを一回も振らなかった。しかし、同点ホームランに動揺した和田は、連続ボールで富士を四球にしてしまった。

 アンカーはドライだからビジネスライクにレフト前ヒットを放った。

 慌てたのはキング首脳陣だ。急遽、尾根沢投手総合コーチがマウンドに行き、和田を落ち着かせる。

 バッターボックスにはトラファルガー。落ち着きを取り戻した和田はこれを三振に仕留める。次の台場も三振だ。

 今度慌てたのは風花だ。延長戦になったらとても困る。投手陣は家に帰してしまった。だからと言って横須賀はもう投げられない。ピッチャー出身の潜水を投入するしかない。と考えていたところに、カキーンといい音がする。門脇がホームランを打ったのだ。サヨナラホームラン。風花はじめナインは大喜びだ。

「横須賀に勝ちがついた」

「横須賀さんが勝った」

 グラウンドを一周してきた門脇を迎え入れると、ナイン全員で横須賀を胴上げした。優勝したような騒ぎだ。

 それを見ていた日本橋監督は、

「決戦はキングダムドームか」

と冷静に呟いた。

 

 

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