第32話 色即是空--我思う、されど我無し ④

***


――ッ!

 魔女が放つ炎の弾丸を避けながら、王志文は自身へと猛烈な勢いで迫る黒い影の姿を見た。アレはタローと呼ばれ、□□の形の影と成った男だ。

 未だに王志文はタローという者の正体を理解できない。だが、アレが〝名前〟に関しての力を持っている事は分かった。

 だから、自身へと右手を伸ばして近付いてくるタローを王志文は許せなかった。

未知の物に対しての恐怖。あの手に触れればおそらくだが、自分の名を奪われるだろう。王志文は確信していた。

「『押し流せ』」

 首を傾け、紙一重で火球を避けながら、王志文は大量の水を召還し、迫り来るタローへ濁流を放った。

「舐めるな!」

 だが、タローは竜巻を放ち、水流を全て絡め取った。

 水を含んだ竜巻はますますその勢いを増して、タローと共に王志文へと迫ってくる。

 紛れも無くこの力はキョンシーの□□としての物だった。

――ならば、

「『絡め取れ』」

 王志文は迫り来る水流を纏った竜巻へと青の紙を放ち、そこから大量の蔦を生み出した。あの小豆洗いを捕まえた時に生み出した物と同じである。

 空中にて根を生やした蔦は即座にタローの全身を捕まえた。緑炎を纏った影人形の体に蔦が絡み付いて、即座に燃える。

 その僅かに蔦が燃え切る間に、王志文は上空へと飛び、タローから距離を取る。

「待ちな!」

 箒に腰掛けた白炎の魔女が即座に追従し、螺旋の弾丸を放ったが、ギリギリでそれを王志文は避け続ける。一発でも喰らえば終わりだと理解していたからだ。

 疑いようも無く、窮地に居ると王志文は分かっていた。魔女の炎相手に最早自分の水は意味を持たない。火悔水。魔女の炎は強すぎて、水の克制を受け付けないのだ。

 しかしながら、この魔女相手だけならば王志文は幾らでも相手にする事が出来た。

 殺す事は難しいだろう。純粋な戦闘能力のみを見たならば、この魔女は王志文の上に居るのだ。如何なる術を使ったのかは大まかにしか分からなかったが、若返った魔女の炎はそれほどまでである。

 殺す事を目的とせず、□□を回収する事だけを目的とするならば王志文にも勝ち目は十二分にあった。魔女の炎は戦う事にのみ特化しており、王志文の術ほど応用が聞かないからだ。

 途中まで王志文は自分にとっての勝利が見えていた。魔女の炎を避けながら、□□の額へと札を貼る機会をただただ待っていたのだ。

 けれども、タローというイレギュラーが起きた。何をしたのかは分からない。だが、影人形と化したこの男は、□□の名を奪い、王志文と□□との間にあった縁を完全に消失させた。

 こうなっては最早王志文が札を貼ろうとも意味が無い。□□の所有権があの影人形へと移ったのだ。

 さらには、影人形は□□の影となり、□□が用いた天雷を、陰火を、贔風を操り、龍さえも召還した。

 これは侮辱に他ならない。王志文作り出した作品の成果を掠め取り、我が物としているのだ。

 丸メガネの奥、王志文の瞳は怒りで燃え狂っていた。怒りで身が張り裂けそうだった。彼が完成させた作品だというのに、何故その成果を他者へ盗まれなければ成らない。

 しかし、怒りのままにタローを殺す事はできない。理解は出来ないが、タローという男が持つ力にはある種の絶対性があると王志文は睨んでいた。何かしらの発動条件はあるのだろうが、それを満たした場合、強制的に能力は発現し、防ぐ事はできないだろう。

 伸ばされるタローの手が王志文には悪魔の手に見える。

 王志文にとって、この影人形は最悪の間男だった。

「痺れろ!」

 蔦の拘束から逃れた影人形は、□□の両手と同じ影で、眼下から王志文へと紫電を放つ。

 鉄串を投げ付けそれを巨大な盾へと変え、その雷撃を防ぎながらも、その時には自身の眼前へ魔女が迫っていた。

 眼と鼻の先で魔女の右手が向けられている。

「『来い!』」

 反射的に王志文は、魔女が生み出した炎像達と対峙していたキョンシー一体を呼び寄せた。

 キョンシーはその体を魔女の手と王志文の間に滑り込ませる。

「燃えな!」

 瞬間、魔女の右手から強烈な爆炎が生まれ、王志文はキョンシーと共に三十メートルほど後方へと吹き飛ばされた。だが、無傷である。体中へダメージはあったが、それでもまだ戦うのには支障は無い。

 見るとキョンシーの上半身は見事に消失し、下半身だけがピクピクと自身の目の前で浮いていた。

 すぐさまキョンシーの体は再生を初め、木の骨格を生やし、土塊の肉を侍らせ、白銀の鎧を纏い、半身に緑炎を半身に紫電が混ざる水流を走らせた。

 このキョンシーの形態はある意味で王志文の失敗作だった。昔、まだキョンシーと言う、生き返った人間という物の作り方が万全で無かった頃に生まれた物。キョンシーの全身を五行で作り変え、人だった場所を無くす事で、再生能力と戦闘能力を飛躍的に上昇させる術。

 使いたくは無かったが、使わねば成らない状況に追い込まれたのだ。それに既に□□という完成例が出来ていたのだから、それに劣る作品ゆえに、断腸の思いでこの呪術を使ったのである。

 爆風で生まれた距離を利用して、チラッと王志文は眼上へと眼を向けた。そこには超多量なもち米でできた海が広がっており、その上から、キョンシー達と龍達の気配がする。あれらを何とかしてこちらに持って来ることができれば幾分楽に成るのだが、空へとあの海を突き破るだけの術を放つ余裕を魔女が与えてはくれない。

 王志文は自身の目的を変えていない。何とかして□□を連れ帰り、どうすれば同じ領域に到キョンシーを作り出せるのか解明するのだ。

 □□が生まれたのは奇跡である。もう一度同じ作品を作れる保障は何処にも無かった。

 魔女の炎を避け、影人形を退けながら、王志文はおよそ五十メートル下で鬼に抱えられた□□を取り返す機会をただただ伺っていた。


***


「さて、私はどうするか」

 タローから預けられた□□を太い腕で抱きながら、オニロクは上空の戦いを見上げていた。オニロクは空を飛ぶ事はできない。五十メートル程度ならば跳び上がる事が可能であったが、それだけではあの道士を捕まえる事ができないだろう。

 王志文からの攻撃を警戒しつつ、オニロクは彼の腕の中で眠る少女の姿を見た。

 チャイナドレスを模した赤い服は裾が破けて痛々しい。彼女の左腕は腐り落ちたらしく、無くなっている。額にはタローが貼った呪言の札が貼られ、瞳を閉じた顔は年相応の少女の物だ。

――守れなかった。

 オニロクの肩へ後悔が圧し掛かる。□□の体が腐り落ちるという事態を何故自分達第一課は想定できなかったのだろうか。想定できなかったにしても、どうして彼女をこの戦場へと来させてしまったのか。

 もっと多くの人員を□□の護衛に割くべきだったと、今に成って分かる事だがオニロクは後悔した。

 だが、後悔はしようともその報いのために何をするのか考えるのは後にする事である。

 自分達超常現象対策課はもうジョーカーを切っているのだ。

「……タロー君」

 腕の中の――もうタロー以外の全ての物が名前を忘れてしまった――少女の影を象った青年は空を飛び、道士と戦っている。

ならば、オニロク達に敗退は許されない。

 切り札を切った勝負は決して負けては成らないのだ。

 オニロクはタローの力の有用性を理解していた。人間とオトギが入り混じるこの世界で、タローの力は、数少ない絶対性を有している。

 発動さえ出来るのならかつて神と呼ばれたオトギでさえタローの間に平伏すだろう。

 八年前、ユカリとタローがこの浮世絵町を訪れた時、オニロクは反対派の住民だった。

 赤の女王と名高いユカリが住民となるのはまだ良い。けれど、タローは別である。

 何であろうと受け入れる事が浮世絵町の美徳であると分かっていたけれど、それでもタローという人間は危険過ぎたのだ。

 彼がその気になれば最悪一日と待たず浮世絵町は壊滅するだろう。

 未だこの世界ではオトギと人の確執は深く、オトギの社会と人の社会の間には高い壁がある。人間は人間だけ、オトギはオトギだけの狭い枠だけで暮らしていて、必要最低限の関わりしか彼らの間には無かった。それでも、日夜争いが絶えず、地域によっては未だ殺し合いをしている場所もある。

 そんな中、浮世絵町は奇跡の在り方をしていた。オトギと人が真に共存して暮らしている。今日のような新年ならば、住民達は種族の垣根を越えて酒を交わし、祭りをする。オトギが人に恋をする事もあるし、人がオトギを愛する事もあり、結ばれた異種族の夫婦も居た。

 タローという存在、正確には、タローが持つ力は、この奇跡の如き幸福な町を破滅させるに足る物なのだ。

 そのため、オニロクはタローが住民と成る事に関してだけは反発した。その時既にこの鬼は浮世絵町超常現象対策第一課の長をしていたのだから、住民達を危険に晒す可能性がある存在を易々と受け入れるわけには行かなかった。

 タローがあのような力を手に入れてしまった経緯をオニロクは知っている。

 だから、タローとオニロク達が呼んでいる青年が単なるオトギと人間社会の問題に巻き込まれた被害者である事をちゃんとオニロクは分かっていた。

 タローの力は被害者たる彼が不幸にも持ってしまった後遺症の様な物で、その力を持ってしまった事に彼は何の罪も持っていないのだと、オニロクを含めた浮世絵町の住民達は理解している。

 それでもなお、あの時のオニロクはタローの事を拒絶した。

あの時のタローが目元の小皺を少し深くして困ったように笑ったのをオニロクは良く覚えている。

 あれから紆余曲折を経て、タローとユカリが浮世絵町の住民となり、それからオニロクは彼らが無理やり作った超常現象第六課へ仕事を回す仲介人と成った。

「……」

 過去の情景がオニロクの頭を過ぎり、鬼は深く息を吐いた。

 眼上の戦いは熾烈さを増し、程無くして終わりを迎えるだろう。

 その時何か、必ずオニロクがすべき事が見つかるはずである。

 だからオニロクはあえて王志文に見えるまま、戦場となり木々が薙ぎ倒された一体から動かなかった。道士の意識が一分でもこちらに向けば上々であり、この場所からが一番戦況を把握できるのだ。

 もち米で作られた海の上ではココノエが、白き海の下では、ユカリとタローが、それぞれ死力を尽している。

 オニロクは空を飛ぶ事の出来ない鬼の身である自身の事をとても歯痒く思った。

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