第13話 青年と道士--大天狗と大晦日 ③

***


 カチ、コチ、カチ、コチ。

「……」

 愛鈴はジーッと壁に掛けられた時計の秒針を椅子に腰掛けて見つめていた。時刻は午後六時を回る少し前。場所は初めてタロー達と出会ったビルの――オニロク達が所属する超常現象対策第一課がある――二階。彼女の近くにはぬりかべのハクとオニロクより一回り小さい鬼達が居た。

 もう、タローは■■と出会っただろうか。午後十時に黄城公園へ■■を誘き寄せると言っていたが、その前に■■が何か仕掛けて来ないとも限らない。

 そう成った時、はたしてタローが無事に済むのどうか。

 カチ、コチ、カチ、コチ。

 時計の針は中々進まない。

「愛鈴さん。そんなに心配する事は無いよ。オニロクが付いているんだから」

「……はい」

 ハクの労わりも愛鈴には慰めに成らなかった。

 オニロクの力を知らなかったが、この世に絶対は無い。どうしたってタローが無事に済む保障は無いのだ。

 何故、何故、■■はこうまでして自分の事を追って来るのだろう。李愛鈴は■■が作った百十数のキョンシーのたった一人。愛鈴が居なくなったからと言って■■にそこまでの被害は無いはずなのだ。

 にも関わらず、■■は海を渡ってまでこの町に来た。

 何処までも反魂の術に取り憑かれているのか。あれ程優しかった■■はもう居ないのか。

 生前、愛鈴がまだ人間だった頃、唐突に村を襲った病。村人の半分が死に絶えたあの悪夢を終わらせてくれたのが■■だった。

 全ての家で家族の誰かが死んで、次は自分かと絶望していた。

 愛鈴もまた病に罹り、床に伏せ、ただ死を待つばかりだった。

 そんな時、旅人として現れた■■が薬を持ってきた。

 初めは誰もが半信半疑だったが、死の淵に居た愛鈴が完治したのを見て誰もが眼の色を変えた。■■の薬の効果は絶大であり、この薬を飲んだ全ての村人が病から立ち直った。

 愛鈴の村は■■へ感謝した。病で後は滅びるだけだった村の救世主に感謝しない者など居るだろうか。

「………………………………あれ?」

 愛鈴は何か違和感を覚えた。色を間違えて絵を描いている様なちぐはぐとした感情。

 今、自分は何に違和感を覚えたのか。

 愛鈴は瞳を閉じて、先ほどした回想を何度も繰り返した。

 自分が人間だった頃、村を病が襲った。

 その病を■■が救った。

 そして、村人は■■へ感謝した。

 …………何らおかしい事は無い。

「…………勘違い?」

 何度回想を繰り返しても、愛鈴は違和感が見付けられなかった。

 自分が人間だった頃、村を病が襲った。愛鈴の家族は三つ上の姉以外全員死んだ。

 愛鈴自身も病に罹り、血を吐いて死を待つだけに成った。

 ■■が旅人として村を訪れ、愛鈴へ薬を渡す。

 その薬を飲んだら、たちまち愛鈴の病は完治し、■■は村全体へこの薬を配った。

 村中から病が消え、村人達は■■へ感謝した。

「……………………」

 やはり、何処もおかしい所は無い。

 ■■が村を襲う病を治した。その結果、愛鈴達村人は救われた。

 この話の何処にも愛鈴にはおかしいところを見出せなかった。何もおかしくない。おかしくないはずだ。

 けれど、ならば、この首の後ろをちりちりと焦がす様な不快な感情は何なのか。

 愛鈴は周りを見た。ぬりかべのハクと鬼達しか居ない。彼らへ今自分が感じた違和感を相談するのは気が引けた。

 これがタローであったのなら愛鈴は相談しただろう。二週間以上の間共に暮らした彼相手なら、愛鈴も安心して疑問をぶつける事が出来た。

「……………………タロー」

 つい洩れた言葉を聞きつけたのか、ハクがペロリと愛鈴の右手を舐めた。

「ひゃっ!」

「やっと気付いた。硬い顔をしてばっかじゃ気が滅入るよ。ココアでもどうだい?」

 ハクの視線を追うと、二本角の鬼がお盆に湯気立つココアを入れて愛鈴の前に立っていた。

「あ、ありがとうございます。いただきます」

 受け取ったココアを一口愛鈴は飲み、甘苦い暖かさが喉を通っていった。

「……ふぅ」

「さっきから恐い顔をしてたよ。やっぱりタローが心配?」

 自身の回想に違和感を覚えたから沈黙していたのだが、愛鈴はそれを話さない事にした。タローが心配で成らないという事も真実である。

「え、ええ。ご主人様が本気になればタローは簡単に殺されてしまいます。やはり心配です。タローにも作戦があるのでしょうが、いざその作戦が失敗に終わった時の事を考えると恐ろしいのです」

「なら、尚の事心配ないよ」

 ハクの言葉は確信に満ちていた。

「何故ですか?」

「タローにはすごい護衛が付いているからね。そうそう死ぬ事は無いさ。知らぬは本人ばかりなりだけどね」

「……?」

 ハクの言葉に近くに居た鬼達が揃って噴出した。

 愛鈴は小首を傾げながらココアをもう一口飲んだ。

 気付いたら時間は午後七時半を回っている。タローが黄城公園と言う場所へ行くまで後二時間半。

 どう成るにせよ、今日何かが変わるはずだ。タロー達超常現象対策課の作戦が上手くいけば愛鈴は程無くして■■と会えるはずである。

 今の彼女には待つという選択肢しか存在せず、だから、愛鈴は先ほどの違和感についてまた考える事にした。

 一体、自分は何に違和感を覚えたのだろう?


***


「朱雀丸、絶対にお前とはカラオケしない」

 タローはげんなりとしながら気絶したサブローに肩を貸して朱雀丸を睨んでいた。隣を歩く大天狗はカッカッカと笑いながら空を見上げている。

「カッカッカ。久しぶりに歌い気が昂ぶってな! すまんすまん。まあ、これも祭りの一興である、許せ!」

「祭りって言えば何でも許されると思うなよ? ああ、俺はこれから仕事だってのに何で今から疲れてるんだよ……」

 現在時刻は午後九時。つい三十分前に喉自慢大会は終わった。司会の榊原明文はマイク片手にしっかりとタローの事を宣伝してくれた。ちゃんとタローが愛鈴と暮らしている事を言ってくれたため、タローはこの点において満足だった。

 朱雀丸の所為で人魚と雪女の混成ユニットグループ『スノーマーメイド』の前座と言う順番に成った事にも文句を付けたかったが、タローが今サブローを抱えて朱雀丸を睨んでいる理由はこれでは無い。

 朱雀丸が歌ったのは喉自慢大会の最後。流石顔役の一人と言った所か、貫禄たっぷりに朱雀丸は歌い出した。

 しかし、これがまずかった。朱雀丸はゲートボールに熱中するだけで神通力が漏れ出してしまう奴である。歌を披露していた朱雀丸のボルテージは徐々に上がっていき、それに比例して彼の体から神通力が漏れ出してきたのだ。

 タロー達参加者や司会の榊原、スノーマーメイドの親衛隊達を含めた参加者達が『ん?』と朱雀丸の周りで巻き起こった旋風に気付いた時にも全てが手遅れだった。

 歌のサビに入った瞬間、旋風は竜巻と鳴り、喉自慢大会会場を包み込んだのだ。

 誰もが近くにあった何かに捕まったが、二割近くが巻き上げられ空の彼方へと消えて行く。

 ちなみにタローに抱えられたサブローは竜巻に巻き上げられた雪女のスカートの中身を見ようと体を乗り出し、飛んで来たマイクが後頭部に激突し気絶したのである。

あの災害の中普段のスタンスを崩さない態度にタローは『こいつ馬鹿じゃねえの?』と感服し、たまたま近くの看板に引っ掛かっていた所を先ほど回収したのだ。

 朱雀丸が引き起こした竜巻で会場はボロボロとなったが、そこは流石浮世絵町、十分もしない内にほとんどが帰り、今回の優勝は猫又の三毛村タマミに決まった。猫撫で声をふんだんに生かした歌声とイケイケな振り付けが受けたらしい。

「まあまあ気にするな! あれはあれで良い思い出になる、祭りの夜は無礼講である!」

 カッカッカ。

 豪快に笑う朱雀丸を見て、タローは苦笑いした。

「……はあ。まあ、そうだね。何だかんだ楽しかったよ」

 確かに楽しかった。気持ち良く歌う朱雀丸以外全員が阿鼻叫喚だったが、喉元過ぎれば熱さを忘れる。タローに残るのは喧騒に塗れた色鮮やかな記憶だった。

 思いの他、タローが素直に頷いたのだろう、朱雀丸が少しだけ驚いてた。

「ほう。タローも祭りと言う物の醍醐味をまた分かってきたようであるな。我の同志が増えた様で嬉しいぞ?」

「はいはい」

 あしらう様にタローは眼を瞑った。

 タローがふと左手の腕時計を見るとそろそろ黄城公園に行かねばならなかった。

 どうやら、本日の祭りの時間は終了の様である。今からメインイベントの始まりなのだ。

「じゃあ、俺今から黄城公園行ってくるから。サブローをイチローかジローに届けといて」

「うむ。任された。頑張るのだぞ、タロー。また祭りに行こうではないか」

「はいよ。まあせいぜい頑張るよ」

 朱雀丸は左手一本で軽々とグテンとしたサブローを抱えて、一息に翼を羽ばたかせた。

「では、タローよ、良いお年を!」

「うん。良いお年を」

 空へと飛び立っていく大紅葉を見送ってタローは黄城公園と足を向けた。

「さて、じゃあやりますか」



 タローは特に迷う事も無く黄城公園へと向かっていく。祭りの会場からやや離れた所にあるここ。足を進めるほど祭りの喧騒が背後へと流れて行き、黄城公園の入り口に着く頃には辺り一体は沈黙と成っていた。

 自身の足音以外にこの静寂を壊す物は無く、タローは少々不安に成った。

 トントントンと公園の中央広場へと歩いていくが、背後からは何の気配も物音もしなかった。時折吹く風に揺れる木の葉のさざめきだけがタローの耳に届く音だった。

 けれども、ジャックの作戦が確かならば、自分を尾行するなり何なりしている道士が居るはずである。

 今ここで道士がタローを襲った場合、タローは対応できる自信が無い。面と向かっても勝てそうに無い相手なのだ。不意打ちに対応できるはずが無い。

 しかし、そんなタローの心配は杞憂に終わり、タローが黄城公園の中央広場に到着するまで自分を追っているはずの道士から何のアクションも起きなかった。

 中央広場は直径百メートル近くあり、周囲の草木草花がドーム状に筒込む様にある場所である。ドーム状に囲っているのにも関わらず日差しを遮る事が無く、月明かりは一層はっきりと注がれていた。

 円形の花壇を囲むようにして置かれたベンチの一つへとタローは腰掛けた。

 さあ、後は道士の登場を待つばかりである。



 タローは何と無しに自身の吐いた息が白い煙と成って空に消えていくのを見る。

 黒い星空のキャンバスを白い息が染めていき、すぐに透明と成って行く。

「……ん?」

 タローの視界の下端からこちらへ歩いてくる男の姿が映った。

 黒い道士服。時代はずれな黒縁の丸メガネ。体の線は細く、日向に出れば優男だろう。

 なるほど、ユカリの証言どおり、オニロクから渡された人相書きどおりの男だった。

 道士は自身に術を掛け、周りから自分を認識できないようにしているとタローは聞いていた。

 確か周囲の他の物へ意識を向けてしまう極々小規模な結界の様な物であるらしい。

 だが、この黄城公園中央広場にはさざめく木の葉以外動く物はタローと男しか居ない。これならば視線をずらす物体は無いため、男の姿を見失わない。

 一先ずここまではタロー達の作戦通りである。

 タローはベンチから立ち上がって、男を見つめた。両手をPコートのポケットへ。後藤から買った護身法のセーマンとドーマンを握る。

 自分が見られている事に気付いたのか、男は立ち止まった。タローとの距離は三十メートル。タローならば五秒強、オニロクならば一秒弱、ユカリならば瞬きの間に到達できる距離だ。

 では、この男はどれくらい掛かるのか。

 と、ここで、まるで眼前に居る相手へ話す様に男の口が動いた。

「……お前がタローか?」

 タローもまた、男と同じ様に答える。

「そういうあんたがコマメを襲ったのか?」

 返答は簡潔だった。

 男は右手をタローへと向ける。

 嫌悪感にも似た強烈な感覚がタローの背筋を襲った。

 瞬時にタローは己の勘に従って左のポケットからセーマンの札を前方へ投げつけた。

「セーマン!」

 タローの眼前へと、セーマンの札を中心にして巨大な五芒星が現れる。大きさは直径五メートル近く、色は白。

 そして唐突に、

 バチバチバチ! 

 静電気を何百倍にも凝縮した様な音と共に五芒星が歪んだ。

 セーマンの札に込められた後藤の呪力が漏れ出して、至る所から雷の様にジジジと溢れ出した。

「……なるほど、こんな感じにコマメも襲ったのか」

 流石、庶民派陰陽師御用達の護身法。見事、男、いや、道士の放った攻撃を防いだようだ。

 タローは両手をポケットから出して、道士へと駆け出した。道士は依然としてタローへと右手を向けている。

「『――』」

 男は何かを呟いて、数十の金属製の槍が浮かぶ。このまま放つ気なのだろう。

 そうだ、そうだ、そのままだ。このまま俺へと意識を向けていろ。そう思いながらタローは左手から二枚セーマンの札を放つ。

 バチバチバチバチバチバチバチ!!

「ドーマン!」

 先ほどよりも更に大きな音が響き、二つの五芒星が弾丸の様に飛んできた槍達を止める。タローはそのまま今度はドーマンの札を一枚、五芒星に捉えられた金属の槍達へ投げた。

 ドーマンの札が二つの五芒星近くに透明な壁が有るかのように張り付いたと同時に、空間が縦に四、横に五の格子状に切断される。

 空間ごと槍達は力無く細切れとなり、タローの足は止まらない。

「『――、――』」

 今度は、道士は両手をタローへと向け、先ほどの二倍の両の槍が宙へと浮かぶ。

 だが、タローは、タロー達はこれを待っていた。

 タローへ道士の意識が完全に向くこの瞬間を待っていたのだ。

 道士の槍を防ぐためではなく、タローはセーマンの札を三枚重ねて目の前へと投げ付けた。

 直後、

 頭上より炎の魔女の声が中央広場へと高らかに叫ばれ、

「でかしたタロー!」

 空高く、箒星の如く、炎の騎士の大槍が道士へと落ちて来た。

「ッ!?」

 速度は音速を超え、一本の流星と成った彼の一撃を道士は避ける事ができない。

 バチスタは見事道士の体を捉え、そして、一拍の間の後、耳と眼を潰してしまう様な爆音と爆炎が生まれた。

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