第14話 屍の王--あるキョンシーの追憶 ①
――とらえた!
上空二百メートルからユカリは確信する。炎の騎士は見事その大槍を道士へと突き刺した。
光に包まれた中央広場は徐々に色を取り戻して行く。それと平行してユカリは箒に腰掛けて傍らに居る炎狐と共に高度を下げて行った。
タローがユカリを見上げて何か文句を言っているようだが、ユカリは道士が居た場所から視線を逸らさない。
道士が居た場所を中心にしてモウモウと爆炎によって生まれた煙が立っている。
風に吹かれればすぐに晴れるだろう。
自分とあれ程の戦いを繰り広げた相手なのだ。これで決まった筈が無い。これで終わったのなら肩透かしも甚だしい。昂ぶった自分の感情をどうすれば良いと言うのか。
はたして、ユカリの期待通りである。
水面に落とした墨滴の様に徐々にその色を薄くして、遂には元通りに成ったそこには、プスプスと肩から煙を出した道士が居た。
道士服は多少傷んだようだが、特にダメージは無く見える。
「……嬉しいねぇ。アレを耐えるか」
ユカリは頬を三日月に吊り上げて、高度を下げる。
道士は炎の魔女の降下を見上げていた。
「……感服した。まさかこれほどの威力とは」
「まだまだあるぜ? 次は何が喰らいたい? ダンスパーティが嫌なら、お好みの舞台を用意するぜ?」
ユカリの言葉に炎狐が呼応する。
ここまで戦えるのは久しぶりなのだ。自分の目の前には極上の遊び相手が居る。
けれど、ここで赤の女王の言葉に水を指す者が表れた。
「勝手に舞台を変えられては困るぞ赤の女王。あくまで今は仕事中であることを忘れるな」
オニロクが嘆息混じりに黄城公園の森の中から中央広場に出てきたのだ。
「……オニロク。何だよ、別に良いじゃねえか。お前なら多少あたしが本気でやっても大丈夫だろ?」
「私ならばな。ここにおまえの部下であるタロー君が居る事を忘れるな。タロー君は私ほど頑丈では無い」
チラッと視線を向けると、ユカリの唯一の部下であるタローが全力で首を縦に振っていた。
ハッとユカリは鼻で笑う。
「大丈夫だ、タローなら。オニロク、何だかんだでタローはあたしの部下なんだ、信じろ」
「タロー君の事は信じている。お前の言葉を信じていないだけだ」
やれやれとオニロクは一度肩を竦めた後、ユカリから道士へと視線を移した。
「……さて、お前がこの町を脅かせた道士だな? 捕まえさせてもらう」
「魔女の次は、赤鬼か。こちらからも質問だ。私のキョンシーは何処に居る?」
オニロクが何か答える前に、ユカリは口を開いた。
もうさっきから我慢のしっぱなしである。何時までこのご馳走を前に我慢すればよいのか。
「聞きたければあたしらを倒してからにしな。もう逃がさないぜ。いい加減あたしと遊ぼうじゃないか」
ユカリの言葉に、道士は、頭上のユカリ、右のオニロク、そして最後に左のタローを見て、一度瞳を閉じた。
「……良いだろう。お前達全員を殺し、アレの居場所を吐いてもらう」
聞こえる音はタローが広場の出口へと駆けて行く音のみ。もうタローの仕事は終了である。
道士が右手を自分に左手をオニロクへと向け、オニロクが両足に力を込めたのを見て、ユカリは猟奇的に笑った。
バースデーパーティのケーキの蝋燭が一本一本点いていくに似た高揚感。
オニロクの邪魔が入り、一人で道士を味合う事が出来なくなったが、それでも、目の前に居る男は極上の相手である。
タローが広場の出口を出たのが合図だった。
「行け!」
ユカリの傍らから炎狐が軽快に飛び出し、道士は自身の足元へ黄の紙を落とした。黄の紙が落ちた地面は瞬きの間に盛り上がって炎狐を防ぐ壁となる。
狐の牙と土壁が触れた瞬間、爆発が起こり、土の壁は四散した。
これと同時に突撃したのがオニロクだった。
オニロクは道士へと一息に走り、右腕を振り上げる。
顔へと熱量を持った土塊が飛んでくるが、オニロクはそれを意に介さない。
道士は懐へ右手を入れて、左手をオニロクへと向けていた。
「らぁ!」
普段の彼らしからぬ、鬼らしい荒い声を出しながら、オニロクはその剛腕を飛んでくる土塊ごと道士へと振り下ろした。
「『止めろ』……ッ!?」
道士は何かを命じたが、すぐさま顔色を変えて、後方へと飛び逃げる。
オニロクの右腕は空を切り、鬼の拳は地面を打ち抜いた。
鬼の拳を受けた地面は鉄塊をビルから落とした様な音を立てながら、直径一メートル程のクレーターを作る。
追撃をオニロクは止めない。右の拳だけでやるクラウチングスタートの如き不格好な体制から筋力だけで左腕を振り上げながら道士へと更に突進した。
オニロクだけではない。空中からユカリはダンスを踊る一団を放った。
紳士達にエスコートされた淑女達。彼らはクルクルと踊りながら、道士へと手を伸ばす。
剛腕を振り上げる鬼と死の舞踏会へ誘ってくる淑女達を交互に見て、道士は黄の紙と黒の紙そして鉄串を取り出した。
先日ユカリと戦った時に道士が出した物と全く同じである。
だが、同じ攻略法を許す赤の女王ではない。
「意味ねえよ!」
ユカリは腰掛けていた箒の穂先から枝を引き抜いて道士へとダーツの様に投げる。
直線の軌道を描く枝は後ろをロケットの様に爆発させながら推進力を持って、道士が右手に持った黒の紙を貫いた。
火生土、土生金、金生水と強化するためには火、土、金、水のどれ一つ欠けても成らない。水を表す黒の紙が無ければユカリの炎を止めるに足る水を出す事は出来ないのだ。
道士は舌打ちをしながら残った黄の紙と鉄串を炎の淑女達へと投げ付けた。
淑女達に触れる前に燃え尽きた黄の紙から大量の土が溢れ出し、それと共に鉄串が多量の白銀色の槍と剣に成って、ユカリ目掛けて発射される。
「『押せ』!」
そして、この言葉と共に大量の水が出現し、道士自分の体を左後方へと押し流した。
オニロクの左の拳は再びぎりぎりで空を切り、道士が生み出した水面へと大波を立てる。
自身の眉間、心臓、腹目掛けて飛んで来た槍と剣をユカリは余裕を持って回避して、そのまま紳士と淑女達へ命じる。
「逃がすな!」
彼ら彼女らは女王の命令どおり、クルクルとワルツを踊りながら道士へと手を伸ばすが、水流に乗った道士は器用に淑女達の誘いを断って行く。
気付いたら始まりの時とほぼ同位置に彼ら全員が居り、睨み合いとなる。最初とは違って地面の至る所に小規模なクレーターや焼け焦げた後が出来ていた。
道士は右手をユカリに左手をオニロクへ向けながら、問い掛けた。
「……ここの植物達はオトギか?」
最初にオニロクが道士へと右腕を振り下ろした時の事を言っているのだろう。彼は何か命じた瞬間顔色を変え後方へと逃げていた。
「この公園に居る植物は全てドライアドの管轄だ。お前では操れまい」
オニロクの回答に納得したのか、道士は小さく頷いた。
「……なるほど。やはり私への対策は万全と言う訳か」
五行相剋、五行相生を用いる者相手ならば、木、火、土、金、水のどれか一つでも使えなくしてしまえば、途端に攻略は容易くなる。
だが、こんな簡単に無力化される様な相手ならば、自分と互角に戦えるはずが無い。
間違い無く、何か道士は手札を隠しているはずだ。
「当たり前だろ。出し惜しみしているようだと、死ぬぜ?」
赤の女王の言葉にしばらく道士は沈黙し、
「……そのようだ」
と軽く呟きながら、左手をオニロクから自身の胸元へ入れ、そこから小瓶を取り出した。
小瓶には赤黒い液体がトプンと入っている。
「私の作品を見るが良い。閲覧料はお前達の命だ」
道士の左手から小瓶が地面へとスーッと落ちる。
重力加速度に従った小瓶は、中に入っていた赤黒い液体を揺らしながら、落下し、地面へと接触し、そして、脆く砕け散った。
「良いねえ! 何を見せてくれるんだ!?」
ユカリは眼を見開いて笑いながら道士へと空中より突進した。
***
タローは黄城公園の出口近くで立っていた。タローの目の前では第三課と第四課混合の後方支援部隊達が幻灯機にも似た機器を黄城公園へと向けている。
雑務担当の第三課は書類整理等をする時パソコン等を扱うため人間や座敷童子が多く、治療や物資配達などの後方支援を行う第四課は移動のための火車や車を運転できるドライバー、機器の扱いに長けた人間やグレムリンなどが多かった。
あらゆる雑務担当の第三課は度々他の課と合同で仕事をする。今回彼らが持ってきた幻灯機の様な物も第三課が調達したのだろう。
幻灯機の如き機械の名称をタローは忘れてしまったが、効力ならば覚えている。
試しにタローは公園の出口へと手を伸ばしてみた。しかし、まるで磁石のN極同士を引き合わせた反発が左手に伝わり、それ以上進まなくなる。
「やっぱり出れないか」
今この黄城公園一帯は大規模な結界に包まれている。
黄城公園への入場は許可するが退場は許さない。第三課が調達した幻灯機によって出ようとする物を中へ押し戻す力が働いているのだ。
分かっていた事だがタローは一度溜息を吐いた。後方からはユカリの爆音が聞こえる。出来るだけ爆心地から離れたいと思っていたのだが、やはりこの公園から出る事は叶わないらしい。
タローが中央広場の方へ眼を向けると、午後十時半を回っていると言うのにその一帯だけが昼間の様に明るかった。
自分の力では足手まといになるだけであり、ユカリ達の戦いを邪魔しない事が得策である事をタローは理解していて、事実それを実行しようとしている。タローの仕事である囮役はもう完遂されているのだ。
だがしかし、こうも手持ち無沙汰で何時終わるとも分からない戦いの終了を待つというのも居心地が悪い物だ。
想像は付かないし、考えたくは無いが、仮にユカリ達が負けた場合、この公園内で次に道士が狙うのはタロー唯一人。無論、超常現象対策課から応援が呼ばれるのだろうが、応援が到着する前に道士はタローを無力化し、公園を覆っている結界を解くだろう。
自身の安寧を他者に委ねざるおえない状況にタローは何やら焦燥感に似た脱力を感じていた。
「……どうしようか」
入り口の外に居る第三課と第四課の構成員達がタローの存在に気付いたのか、二つの人影がタローの所へ歩いてきた。
第三課からはお団子にした髪がチャーミングな座敷童子のシキコ、第四課からは青いニットキャップを付けた伊月浩司が来た。どちらも偶にタローと食事をする仲である。
「タロー、ユカリはどー?」
「ヒャッハーしてるよ。さっきだって袖が焦げかけた」
「おつかれー」
シキコらしい間延びした声にタローは頬を緩めながら、次に伊月を見た。
「で、伊月。ここから出るのは無理?」
「無理だ。諦めてオニロクさん達が戦い終わるのを待つんだな」
「やっぱりかー」
タローが放った一抹の期待は、伊月に軽く一蹴された。
「どんまい、どんまい。いつかいいことがあるよー。胸を張っていこー」
「そうだぞ、シキコの言うとおりだ」
シキコと伊月の何の心も篭っていない励ましにタローは肩を落とす。
「じゃあ、とりあえず何処かに――」
――隠れてるよ。
そう、気を取り直してタローが言おうとした瞬間である。
タローの眼は空中へと釘付けに成った。
「シキコ、伊月。何だあれ?」
タローの言葉に座敷童子と伊月は彼の視線を追って後ろに振り向いた。
すると同時に彼女らは一様に眼を丸くする。
呆然とタローは呟いた。
「おいおい、マジか」
夜空の彼方から黒い塊が速度を持ってこちらへと向かってきていた。
初めは唯の塊だった黒の一団は徐々に眼に見えてその輪郭をはっきりとしていく。
雲が流れるよりも遥かに速く、それらは飛んで来る。
タローの頬から冷や汗が一滴流れ落ちた。
あれは一体何だ? 何がこっちに来ている?
あれは危険だ。自分達へ危機をもたらす物だ。
何が来ているのか、何も分からなかったが、絶対の速度を持って危機が訪れようとしている事がはっきりと理解された。
数十秒も経たない内に、黒い塊が何か小さな者の集まりだとタローには分かった。
黒い小さな者達はユカリや龍田や朱雀丸と同程度の強烈な速さを持って空を駆けているのだ。
みるみるとそれらとタローの距離は短くなり、タロー達が黒の一団をはっきりと視認できるように成る頃には、もう眼では追えなく成っていた。
夜空に紛れた黒い残像だけがタローの視界を過ぎる。
「――」
一息の間にそれらは黄城公園の上空部へと停止した。
「……………………」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
物言わぬそれらは良く出来た人形の様にも見えた。
タローからの距離では額に張られた呪言の札のせいで彼らの表情を見る事が出来ない。
だが、タローは彼らの姿にとても見覚えがある。
特にあの額に貼られた呪言の札は見間違えようが無い。
「……キョンシー」
幾百枚の呪言の札を貼った幾百体のキョンシーが徒党を組んで黄城公園を見下ろしていた。
そして、一拍の間の後、
「っ!」
黄城公園を覆い隠すようにキョンシー達は、一様に重力に身を任せた。
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