第15話 屍の王--あるキョンシーの追憶 ②

***


「……こんなに楽しいのは久しぶりだ」

 赤黒い液体の入った小瓶が割れた瞬間、一分も経たない内に、黄城公園の空を幾百数のキョンシーが覆った。

 ユカリには一目で分かる。これらキョンシーの出来は最高峰。

「じゃあ、あたしもパーティを開こうか。オニロク、死ぬなよ?」

 猟奇的に笑いながら赤の女王は赤のトレンチコートを翻すように、一息に炎の天幕を生み、舞踏会を開催した。女王の周りには手を取り合ったドレスの淑女と燕尾服の紳士、彼らを守るランスを持った騎士、舞踏会を見守る鹿や狐や狼達。数は前回の凡そ二倍。合計して二百体今日の炎像を作り出した。

 地上には道士と鬼。頭上には赤の女王と舞踏会。その更に上空中には黒のキョンシー達がそれぞれ見つめ合った。

「魔女よ。さあ、焼き尽くしてみるが良い」

 号令をする様に道士は右手を上げ、振り下ろし、これに従って空中のキョンシー達がユカリとオニロク目掛けて落ちて来た。

「噛み付け!」

 ユカリは狼達に命じた。炎狼達は十数匹の群れと成ってユカリのすぐ近くへ落ちてくるキョンシー達九体へ突進する。

 けれど、他の幾百数の着地を狼達だけでは防ぐ事ができない。

だからユカリは他の炎像達へとこう命じる。

「踊れ!」

 舞踏会の出席者たる紳士と淑女達は弾かれた様に地上へとクルクルと回りながら踊り出した。騎士達が彼ら彼女らの踊りの邪魔をさせぬためランスを持って彼らを守る。そして、それら周囲全てを囲むようにして狐と鹿達が走り回った。

 瞬く間に広場全てが炎の海に変わり、狼達がキョンシーと突撃した。

 長年の経験から導き出されるユカリの予想では、空中のキョンシー達は狼の牙に捕まり、地上に落ちるキョンシー達はダンスパーティに巻き込まれ灰となるはずだった。

「「「「「「「「「……………………」」」」」」」」」

 しかし、狼達の顎がキョンシー達に届こうかと言う瞬間、ユカリの物とは違う、黄緑色の火にキョンシー達は包まれた。

「なにっ?」

 狼達は確かにキョンシー達の喉へ腕へ足へ噛み付くが、ユカリが思っていた爆炎はそこから生まれず、キョンシー達は炎狼に噛み付かれたままユカリのところへと落ちてくる。

 先陣を切っていた男のキョンシーがその黒く長く伸びた爪を自分へと突き立てるのを、ユカリは急上昇する事によりギリギリで回避した。

――何があった?

 重力落下するだけに見えた九体のキョンシー達はユカリが彼らの攻撃を回避したのを見るや否や空中で物理法則を無視して宙を蹴るようにして上空へと飛ぶ。

 下方から爪を突き出してくるキョンシー達へ、ユカリは散発的に炎を放つが、それら全てが彼らに噛み付いている炎狼達と同じように黄緑色の炎に阻まれてあらぬ方向へと弾き飛ばされた。

 見ると、地上へと降りたキョンシー達も皆黄緑のおどろおどろしい火を包まれている。

 紳士と淑女達がキョンシー達へと踊る様に抱きつき、騎士達は槍を突き出し、狐はじゃれ付き、鹿はその角を振り上げるが、それだけであり、キョンシー達はどれ一つとして灰と成る事は無かった。

 どういう理屈かは分からないが、あの黄緑の炎がユカリの炎を防いでいるようだ。

 ただの炎ならばユカリの炎に飲み込まれるだけに終わるはずだが、何か力が込められているのかこの黄緑色の炎は真紅の炎を完全に阻んでいた。

 数瞬の間、ユカリは攻撃を止め、キョンシー達の爪を回避のみに専念し、その間自身の持っているキョンシーの知識を全力で思い出していた。

 九体のキョンシー達の黒い爪がユカリの赤いトレンチコートの裾を切り裂いていく。

「ああ、キョンシーなんて見た目以外知らねえよ!」

 自身の体感時間で二秒、ユカリはキョンシー達の炎の仕組みが分からなかったため、思い出すのを止めた。

分からない事を考えても意味が無い。仕組みは分からないが、燃やせないのなら燃やさずに倒すだけである。

「ライダーキックってな!」

 ユカリは急展開してキョンシー達へと向き直り、箒の穂先を爆発させその推進力と共に一番前方に居るキョンシーの顔面を蹴り飛ばした。

 瞬間的に右足をキョンシーの黄緑の炎が包むが、ユカリは気にしない。

 メキョッ、と気持ちが悪い足応えが伝わり、キョンシーの首が砕ける。

 蹴りを放った体勢からすぐに箒へと座り直しながら、ユカリは急旋回した。

 それと同時に先ほどまでユカリが居た場所を地上から放たれた濁流が通り過ぎた。

 見ると、道士が左手をユカリへと向けていた。ユカリの頬が吊り上がる。何と強い相手だろうか。

 だが、見詰め合っても居られない。キョンシー達は未だユカリの事を追ってくるのだ。

「お前達! 道士を狙え!」

キョンシー達へ絡みつく炎像達への命令を変更し、彼らは皆道士へと進路を変える。

「って、マジか!」

 視線をキョンシー達へと戻したユカリはすぐさま眼を丸くした。先ほど首を蹴り砕いた男のキョンシーが首を砕かれ、だらんと頭を逆さまにしたまま、先ほどと同じ様に自分へと爪を突き出しているのだ。お化け屋敷ならばエースをはれるだろう。

 多少の肉体的損壊では動きを止めるに至らないらしい。

 ユカリの炎はキョンシー達の黄緑の炎に阻まれ、多少の肉体的損壊では止められない。

――どうする?

 そう考えた時、ユカリは直感的に地上を見た。

 地上では道士がユカリの命令通りに紳士淑女騎士達に追われているが、ゴキブリの様に蠢いているキョンシー達がユカリへとその両手を向けていたのだ。

 どうしようもなく嫌な予感に見舞われ、咄嗟にユカリは回避ではなく防御を取った。

 回避できないと直感したからだ。

 左腕でトレンチコートを一息に脱ぎ、それをユカリが盾の様に地上へと広げた刹那だった。

 地上のキョンシー達の両手から放たれた紫色の雷光がユカリの全身を包んだ。


 ユカリは自分の体に先ほどのキョンシー達と同様に炎を纏わせていた。

 彼女の視界は紫電に染まり、僅か一メートル先に広げたはずのトレンチコートすらも見えない。鼓膜を破らんばかりの雷鳴が耳元で響き、自分の息遣いすらも聞こえない。

 ユカリのコートは特別製であり、自然の雷ぐらいならば悠々と遮断する。このコートを広げていなかったら直にユカリは雷撃を受けていただろう。

 しかし、キョンシー達の雷撃は止まらなかった。絶え間なく両の手から放たれる雷光は徐々にコートを侵食し、手近にある物体、すなわちユカリへと空気を伝わって通電する。

「……あっ……くぅ」

 炎を纏う事で少なからず軽減しているとはいえ、電撃が体を駆け巡る事は止められない。

 外部からの異常な電流に体内を巡る電気信号を乱され、ビクッ、ビクッ、ビクンッ、と断続的にユカリの肩が跳ねる。

 箒から落ちないのが奇跡だった。

――これは、やばいな。

 苦しげに息を吐く事もまま成らなかったが、ユカリは冷静だった。

今の自分の体は満足に動ける状態では無い。

 息を吸おうにも肺が痙攣し、視界が部屋の明かりをオンオフするように明滅している。

 自然に反ろうとする背筋を必死に押し止める。炎とは違う肉が焼ける感触。臓腑が電流に焼け爛れて行くのがユカリには分かった。

 と、静電気にも似た一筋の電撃がユカリの首元へと落ちた。

「ッッッッッッッッ!」

 脳を泡だて器で掻き混ぜた様なゾクゾクとした一種快感にも似た感覚。

 一瞬、ユカリは視界がブラックアウトした。

 その快感に意識を奪われていたこの一瞬が過ぎた時、

 ドン、

 とも、

 ドス、

 とも聞こえる音がユカリの腹と胸から時間差を置いて聞こえた。同時にユカリは自分の中からグチャぁと言う酷く生暖かく湿っぽく厭らしい音を聞いた気がした。

――…………?

 ユカリは何処か呆然と緩慢に視線を下へと向けた。

 自分の胸の心臓あたりから黒く太い棒の様な者が生え、その下からは白い棒が生えていた。白い棒は紅い紅い絵の具に浸した様にべとべとで先に行くほど細くなり一番先には小さな黒い模様が五つ付いている。白い棒は自分の背中側から腹側へと生えている様だ。

 黒い棒を胸から追ってみると、先ほど首を蹴り砕いたあの男のキョンシーの逆さまに成った眼とユカリは眼が合った。

「……………………あ」

 とても純粋な声を出したと同時に、

 ズルリッと針を抜く気軽さで、黒い棒は前へ、白い棒は後ろへと引き抜かれる。

 引き抜かれた黒い棒の先にはドクン、ドクンと動いているナニカが握られていた。

 一息もおかずに、その赤黒くドクドクと鼓動するナニカをこの黒いキョンシーは握り潰し、水風船を潰すにも似た、赤い噴水が空へと流れ落ちる。

 ユカリは自分の体が急速に冷えていくのが分かった。

 スーッと貧血を起こした時と同じに視界が暗くなる。

 スーー、

 スーーーー、

 スーーーーーーーーーーーーーーーーーー。

 と、眠るように赤の女王の意識は闇に落ちた。


***


「まったく道士とやらは迷惑だ。怪我人ばかりを増やして、私達医者の苦労を分かっていないのだろうね」

 万年亀病院の屋上にて院長たる水瀬時子は、豆蔵コマメを車椅子に乗せて、共に街の景色を眺めていた。コマメの希望であり、タロー達の戦いを見届けたいと言ったためだ。

 戦場たる黄城公園と遠く離れた万年亀病院からでもはっきりと分かる火柱が上がっている。ユカリが戦っているのだろう。

 先ほど空を黒い服を着たキョンシーの一団が飛び、黄城公園へと落ちていた。今頃あの公園の中ではキョンシー達が跋扈しているに違いない。

 時子は少々心配と成った。あそこに居る者達は無事に済むのだろうか。

 ユカリやオニロクはともかく、あそこにはタローが居る。

「……時子。タローはどうなると思う?」

「……怪我をしないとはとても言い切れないが、死なない限りは治すさ」

 コマメは黄城公園から眼を離さない。ここからではコマメや時子では黄城公園内で何が起きているか分からない。たとえば、ココミの様な先祖返りではなく、純粋で格が高いサトリであったなら黄城公園内の人々の心の声を聞く事ができるかもしれない。

「できることなら僕はタローが何事も無く帰ってきて欲しいよ。まだあいつは僕の見舞いに来ていないんだ」

 コマメの言葉が終わった瞬間、轟音と雷光と共に、黄城公園の中央部から巨大な紫の稲妻が空へと落ちた。

 雷光は十数秒間空を染め上げて、夜空へ吸い込まれる様に消えていく。時子の知る限り雷を作れる浮世絵町のオトギは黄城公園に居ないはずだ。ならば、あの雷撃は道士による物だろう。

「……ん? コマメ、見てみろ。また一人、新しい参加者だ」

「本当だ。あれは誰だろうね? ……まあ、誰だか検討が付いているけど」

 山吹色に光る何かが、空を駆けて黄城公園へと落ちて行った。

「あれはあいつだろう」

「時子もそう思う?」

 時子とコマメは互いの見解に相違が無い事を確信した。この状況で、黄城公園へと突っ込んでいく住民を彼女らは一人しか知らない。

「さて、馬鹿共はどうなる事やら」

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