第30話 色即是空--我思う、されど我無し ②

***


「ユカリ!」

 ココノエはその九本の尾を山吹色に輝かせて、上空百メートルの位置で白炎のドレスを纏っていたユカリへと一直線に飛びながら声を張り上げた。

 ユカリはボブカット気味に成った短い髪を揺らしながら優雅に箒へ腰掛けていて、自身へと向かってくるキョンシー達へ拳大の炎を撃ち出している。

 少女が放つ白炎は螺旋を描いてキョンシー達の胴へと吸い込まれていき、緑色の炎ごとキョンシー達の体を貫通し、それと 同時に灰と化していた。

 また、ユカリの周りでは、彼女が召還したのであろう白炎の炎像達が、キョンシー達を巻き込んでクルクルと回っている。

 紳士と淑女はキョンシー達の腕を掴んでワルツを踊り、狐達はじゃれ付くように首へと噛み付いて、騎士はそのランスでキョンシー達を突き殺していた。

 色とりどりの五色の龍はユカリの白炎に包まれて灰に成っては蘇る。

 龍達を背景とした死者と炎の舞踏会のボルテージは激しく燃え上がり、キョンシー達の数はもう百名を切っている。

 このペースならば後数分でここに居るキョンシー達は殲滅されるだろう。

 だが、数分では遅いのだ。もう愛鈴の体は崩壊の境目にある。何時体が腐り落ちてもおかしくない。

――まあ、私にとってはどうでも良いのだけれどね。

 この九尾にとってはあのキョンシーが腐汁を吹き出そうが、眼球が落ちようが、骨と化そうが心底興味の無い事だ。むしろ、タローが気にする他の雌が減ることはココノエにとって好ましい。

 ココノエは嫉妬深い妖狐である。彼女が惚れた相手に近付く者を好ましく思わない。

 けれど、そのココノエの想い人がキョンシーを救おうとしている。

 ならば、想い人の願いを聞き届けるのもまたココノエにとって当然の事だった。

 どれほど忌々しくとも、タローが望むのなら、ココノエは行動するのである。

 ユカリは眼下から彼女へと近付いてくるココノエの姿に気付いたようで、自らへと爪を突き出してきた若い女性のキョンシーの腕を左手で掴み放りなげながら、九尾の狐へと声をかけた。

「おお、ココノエ、どうした?」

 一息にココノエはユカリと同じ高さまで飛び、彼女と眼を合わせた。

 ユカリの姿はココノエが何度か見た少女の物に戻っている。傲岸な目つきが憎たらしい。

 長い言葉をココノエは言わなかった。状況を詳しく伝える必要は無い。

「タロー君が〝力〟を使うわ」

 これだけでこの魔女はココノエの言いたい事を理解するはずである。ユカリは戦闘狂であるが、理性を無くさない。

 案の定、ユカリはココノエの意図を正しく理解した。

 ユカリは数瞬だけ沈黙し、彼女らしくなく苦笑いをする。

「……あたしは何をすれば良い?」

 再度ココノエの答えは単純で明解であった。

 ココノエの左手の一指し指が真っ直ぐに眼下の王志文と李愛鈴へと向けられる。

 彼らの間には巨大な緑炎で出来た龍が居る。

「あいつらを撃ち落としなさい」

「了解。んじゃこっちは任せるわ」

 ユカリはやれやれと左頬を掻いて、ヒュッと後方へと飛び去った。



 下方のもう一つの戦場へと突撃したユカリから眼を外し、ココノエは自身の眼前へと広がる戦場を見つめた。

 ユカリが生み出した舞踏会の出席者達は彼女がこの場から去ると共に消え、赤の女王を殺さんとしていた百のキョンシーと五匹の龍は役目を全うすべくユカリを追おうとする。

 それをココノエは許さない。

「待ちなさいな」

 ココノエは懐から山吹色の巾着袋を取り出して、その口を開き、シャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア、と、もち米を噴出した。

 超大な量のもち米は渦を巻く海と成って眼下の戦場とココノエ達を分断し、ピタッとキョンシーと龍達の動きを止めた。

 キョンシー達はこの白い海に触れたら死体に戻ってしまうし、これだけの量の流れに対しては龍達も簡単には飛び込めない。

 たったこれだけの、大量のもち米の海だけでは、すぐにあの五匹の龍達に突き破られてしまう。

 五龍の力は激烈である。水の龍一体でさえ、遂にココノエは分身たちと力を合わせてでも倒す事すら出来なかったのだ。

 そして、ココノエにはもう分身を作り出す紙すら無い。

 しかし、この九尾はそれで構わなかった。

 ココノエが白い海を生み出したのは、一重に目隠しのためである。

 この空を覆わんとする白の海は、タローからココノエの姿を隠す。

 もち米の濁流を越えられないキョンシー達はココノエを標的に変え、五匹の龍は海を破ろうと力を溜めた。

 その全ての前に、ココノエは九つの拍手を打った。

「ひと、ふた、み、よ、いつ、む、な、や、ここのつ」

 拍手と共に九本の尾が発する山吹色の光は眩く強くなっていき、九の拍手でそれは最高潮へ達した。

 山吹の光はココノエの艶かしい肢体を包み込み、彼女の体を変化させる。

 ピンと立った三角の耳、切れ長の黒眼に、丸っこい長く黒い鼻、山吹色の毛並みで、一つ一つが人間大はある自身の胴と同じ大きさの九本の尾。

 ココノエの体は九本の尾を持つ人間大の化け狐へと変わったのだ。

――この姿に成ったのは五年振りね。

 山吹の九尾は高らかに、眼下の龍と死体達へ鳴いた。

「コオオオオオオオオオオォォン!」

 泣き声と共に横殴りの神通力が龍とキョンシー達を突き飛ばす。

 五色の龍と百のキョンシーは揉みくちゃに成りながら、獣の姿と成ったココノエの視点まで飛ばされて、すぐさまココノエへと向き直った。

 龍達はこの化け狐を敵と認識し、その牙を向いてキョンシーと共にココノエへと突撃する。

「コオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォン!」

 ココノエは宙で踏ん張りながら再び鳴き山吹色に光る九本の尾を激しく揺らしながら自身へと向かってくる龍とキョンシー達へ神通力を放った。

 神通力と龍達は真正面からぶつかり合い、鍔競り合いのような、綱引きのような力比べなる。

 力強さの合計ではまだあちらが上だった。遠く無い内にココノエは力負けするだろう。

 しかし、遠く無いとは言え、時間は稼げる。

 人間の姿では一秒も稼ぐ事の出来なかった時間が、獣の姿ならば稼ぐ事が出来る。

 この短くも長い時間がタロー達には必要なのだ。

――一分は持たせるわ!

 九の尾を強く振り、ココノエはもう一度鳴いた。

「コオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォン!」


***


――来た!

 タローは両足に溜めていた力を爆発させた。太ももから膝へ膝から足へ伝わっていく力は彼の体を前方へと踊り出させる。

 彼の視線の先には今何よりも待ち望んでいたユカリの姿があった。

 今こそ好機。タローは確信した。

 箒に腰掛けて白炎のドレスを纏ったユカリは、上空から緑炎の龍を携えた愛鈴と王志文のすぐ上まで現れ、右手の人差し指を天へと向けている。

 彼女の指先にはココノエが作り出した米の海が広がり、そのすぐ下に空全てを覆い隠す拳大の数十万の火球が生まれていた。

 火球は不規則に回転し、僅かに振動している。空へと固定された火球達は今か今かと赤の女王の号令を待っているのだ。

 王志文はユカリへと振り向いて、それと同時に王志文を守る様に集まっていたキョンシー達がユカリへと飛び出でた。

「ああああああああああ!」

 それに愛鈴は叫びを上げて王志文へ龍を放つ。緑炎を纏う龍は荒れ狂いながら、王志文へと牙を突き立てんとした。

 それら全てを見ながらタローは戦場の中央へと走り、空のユカリへと声を張り上げた。

「撃ち落とせ!」

 はたしてその声が上空五十メートル近くに居るユカリ達に届いたのかは定かでは無い。けれど、何故だかタローは視線の先でユカリが唇を三日月に吊り上げたのが分かる。

 腰ほどまであった灼髪は随分と短くなり、少女の姿と成っていたが、それでも彼女の笑みはタローが知る我儘な上司の物だった。

「――!」

 キョンシー達の爪がユカリへ届く前に、緑炎の龍が王志文へと牙を突き立てる前に、ユカリは天へ向けた人差し指を眼下の愛鈴達へ振り下ろした。

 空を覆っていた火球達は一斉に地上へと射出され、全てを燃やす白炎の雨が愛鈴を、王志文を、キョンシー達を、緑炎の龍を包み込んだ。

 ズガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガ!

 絶え間なく、一息の間に放たれる炎の雨の前に地上五十メートルに居た王志文と愛鈴達はどうする事も出来なかった。

 ユカリへと爪を伸ばしていたキョンシー達は火球に爆散して塵となり、残った王志文を守ろうとしたキョンシー達もまた同様である。

 王志文へと後一歩まで牙を迫らせていた緑炎の龍は白炎の雨に体を濡らし、それに悶えながら彼の主人たる愛鈴を自身の体を傘にして守った。

 しかし、龍の体は爆風を遮る事はできない。

 神速の火球は愛鈴達に落ちる度に小さく爆発し、その爆風は王志文と愛鈴の体を下に下に押し戻していく。

 タローは戦場を駆けた。目指すのは愛鈴の落下地点ただそれのみ。自身の頭上に迫る火球になど眼もくれない。

 なぜなら、タローの横目でオニロクが森から飛び出していたからだ。

 オニロクはその剛脚で地面を凹ませながら赤銅色の巨体をタローの左ピッタリに迫らせる。

「うらぁ!」

 赤鬼は走りながらその右腕を豪快に一振りした。

 その鉄腕はタローに当たろうとしていた火球をあらぬ方向へと弾き飛ばし、そこで爆発させる。タロー爆風は届くが、その足を止めるほどでは無い。

 オニロクの体のありとあらゆる所へ火球は落ち、爆発が起きるが、タローの体へ火球が当たる事は無かった。

 この鬼の丈夫さは浮世絵町随一である。彼が居る限りタローにユカリの炎が当たる事は無い。

 タローはオニロクに礼を言う事も無く、礼を言う余裕も無く、真っ直ぐに愛鈴が落下する場所へと腿を振り上げた。革靴が痛むなど気にしない。戦いでとっくにボロボロだ。

 見る見ると愛鈴の体は地面へと押し戻される。龍に守られた彼女の瞳は王志文だけを向いていて憎悪に濡れていた。

 三十メートル、二十メートル、十メートルと愛鈴達は地面へと近付く。同時にタローは愛鈴が落ちるであろう場所まで走り切りそこで、哀れなキョンシーを待ち構えた。オニロクの両の鉄腕が唸りを上げて火球達を弾き飛ばした。

「愛鈴!」

 熱っぽい息を吸ってタローが叫ぶが、愛鈴は視線すらタローに向けない。

 五メートル。あと少し愛鈴達は地に落ちる。

 苛立たしい訳ではなく、タローは舌打ちした。愛鈴にはもうタローの声が聞こえていないのだろう。

 彼女が見えているのは眼前の王志文ただそれだけで、故に彼女は壊れようとしている。愛鈴の左腕は腐り落ち、王志文を見つめる左眼は濁っていた。

 許してなる物かとタローは舌打ちをしたのだ。自分の目の前で壊れさせてなる物かとタローは憤ったのだ。

 そして遂に愛鈴の体がタローの手が届くその距離まで落とされる。

 彼女の頭上に居た龍は欠片しか残っておらずそれでも愛鈴を守ろうと果敢ユカリの炎へと立ち向かっていた。

 愛鈴の体は地面から一メートル半ほど浮いていた。

 タローは飛べないが、跳ぶことならば出来る。

 両足に力を込めてタローは垂直にジャンプした。右腕を真っ直ぐに伸ばし、その掌は愛鈴の額を目指している。王志文だけを見ていた愛鈴はタローの存在に気付く事が出来ない。

 ガッ、とタローの右手が愛鈴の小さな頭を掴んだ。その額は熱を持っている。

 自分の右手が愛鈴に触れたと分かったと同時に、タローは躊躇い無く、〝その言葉〟を口にした。

「名無しのタロー!」

 瞬間、タローの全身を真っ黒な影が包み込んだ。

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