第11話 青年と道士--大天狗と大晦日 ①
十二月三十日。大晦日の一日前。時刻は二十二時。
タローと愛鈴はパジャマ姿でちゃぶ台を挟み、向かい合って正座していた。
呪符の札を揺らしながら、愛鈴は眉根を潜めている。その顔は見るからに不機嫌だった。
黙っていれば彫刻かと思えるほど整った顔立ちが台無しである。
「タロー。わたしは反対です。危険過ぎます」
沈黙を唐突に破った第一声はこれだった。タローは予想通りの言葉が思ったとおりの苦々しいイントネーションで紡がれた事に苦笑いをする。
「やっぱり?」
「当然です! 何でタローが囮役などと言う危険な役目を担わねばならないんですか!」
そう、タローは明日、この一年の最終日、道士を捕まえるための囮役をする事に成ったのだ。
「いや、何でと言われても、俺が超常現象対策課の人間だからだよ」
「そんな事はこの数日何度も聞いています。わたしが聞きたいのは、何故わざわざ危険な囮という役目をタローがしないといけないのかという事です!」
前回オニロクとユカリの口からタローの囮についての言葉が出た時、愛鈴は烈火の勢いで反論し、それは今でも続いている。
「もう決定したんだから今更言っても意味無いし止めない?」
「止めません」
愛鈴が何を言ったとしても既にタローは囮の件を受け入れていたため、今更愛鈴の反論が聞き入れられる事は無い。
だから、この一方的な話し合いは、タローが愛鈴を宥めるだけに終わっていた。
それも愛鈴は分かっているらしく、だからこそ更に腹を立てている。
「いや、ね。愛鈴。ほら、愛鈴の護衛なら第一課の皆がしてくれるって言ってたし」
「違います。タローが危険だという話をしているんです」
「囮役って言ってもユカリさんとオニロクが近くで見てくれるし、そこまでの危険は無いって。多分」
正直な話ユカリからの飛び火の方をタローは心配していた。あの周りが見えなくなる傍迷惑な上司はきっと唯一の部下などお構い無しで炎をぶちまけるだろう。
「言い切れないじゃないですか」
「この世に絶対なんて無いらしいし? しょうがなくない?」
「……ああ、もう!」
愛鈴は苛立たしげに頭を振った。破れた札が左右に揺れる。
「……今からでも、せめて、誰か体が強いオトギの方と交代してもらえないんですか?」
弱々しく、何かを駄目元で期待する声で愛鈴は聞くが、タローはにべも無く否定した。
「オニロクさん達の話では俺じゃないと駄目っぽいから無理」
否定される事を分かっていての質問を案の定否定され、愛鈴は大きく息を吐く。
彼女は右肘をちゃぶ台に置いて、右手で髪をかき上げるように俯いた。
「嫌、なんですよぉ。私の所為で誰かが傷つくのは」
その声は今まで外見に反して大人びた言葉遣いをしていたこのキョンシーが、初めて見せた外見相応の子供の言葉だった。
タローはつい息が詰り、ただ短く謝った。
「……ごめん」
*
オニロク達から出された作戦の概要は以下である。
・タローが李愛鈴を匿っているという噂を流す。
・大晦日に朱雀丸達が開催する祭りをタローは不自然じゃない程度に回る。
・夕方頃祭りに使う神輿等の置き場である黄城公園へと足を踏み入れる。
・尾行しているであろう道士がタローへ接触した瞬間、ユカリとオニロク達が突撃し、道士を捕まえる。
・なお、この間、李愛鈴は超常現象対策第一課に匿われている。
文字にしてみると酷く呆気ない作戦の様に見えるが、ジャックが導き出した作戦なのだからタローは信じる事にした。
ジャック曰く、たとえ罠だと見え見えだとしてもこの道士は罠に飛び込んでくる人格の持ち主なのだそうだ。
朱雀丸達主催の大晦日の祭りは浮世絵町の中心部にあるウツセミ神社を中心として半径数百メートルに渡り開かれる大祭である。
日の出と共にこの一年の終わりを祝い、日の入りと共に新たな一年を願う。年が明ける時には除夜の鐘の付喪神が盛大に鳴り、百八回目の音色と共に町を住民達合作の巨大な花火が包み込む。去年これを見たタローは腰を抜かすほど感動した。
ここで道士を誘い込む黄城公園とはウツセミ神社からやや離れた所にある広さが野球ドーム十個分ほどもある大きな公園だ。元々は何かの城が立っていたらしいが、百年ほど前にその城が付喪神として生まれ変わって逃亡し、その跡地を再利用した場所である。
黄城公園の印象を一言で説明するならば、眼も眩む黄色。春夏秋冬問わず、ありとあらゆる黄色い花を咲かせる草木が入り乱れ、視界を強く刺激する。今頃ならば水仙と蝋梅が見頃だ。
ここに誘い込めば確かにユカリ達は全力で戦う事ができる。燃えてしまう筈の草木はドライアド達がどうにかするのだろう。黄城公園を戦場とするのだから、そこに住むドライアド達に許可を取っているはずだ。
そんな戦場に行かねば成らない事にタローはげんなりとするが、囮役はタローにしか出来ない仕事である。
では、何故タローが囮役をしなければ成らないのかというと、タローが中途半端に強くないからだ。
ユカリとジャック曰く、中途半端に強い者が囮役をやると、道士も警戒し、誘いに乗らない恐れがあると言うのだ。ユカリの見立てでは道士は相手の実力も見抜けない様な弱者では無い。
また、残念な事にこの浮世絵町で道士に対応できる実力者は皆自分の実力を隠す事は不得手であった。
こうなると、超常現象対策課に所属する数少ない人間であるタローへお鉢が回って来ると言うのも納得できる話だった。
タロー本人からしても、コマメを傷つけた男へ一矢報いたい気持ちはあったため、自身が囮役をする事に不満は無い。
ただ一つ懸念があるとするならば、タローは未だに道士の本名を知らないと言う事だ。
***
「頭領! 屋台の設置完了しました! 後は櫓です!」
「うむ。分かった。後で我が見に行こう」
若い天狗が朱雀丸へと報告に来た。
道士という者に多くの天狗達が万年亀病院送りされたが、何とか明日の大晦日までには準備が間に合いそうである。
朱雀丸は空高く飛びながら祭りの準備の首尾を見る。
半分ほどに数を減らした天狗達が木槌片手に所狭しと翼を羽ばたかせていた。
オトギ達のサイズに合わせた出店が続々と出来上がっていく。これならばオトギであろうが人間であろうが楽しめる。
朱雀丸を含めた天狗達は皆いつもの山伏姿から赤い法被へと着替えていた。祭りの時の鳳凰山の正装である。祭りの実行委員と言う意味であり、祭り好きの証でもあった。
地上を覆う天狗達は巨大な紅葉が町を覆い隠す様に見えなくも無い。
紅葉達は怒鳴り声にも聞こえる小五月蝿い声を出しながら木槌を振るい、小さなつむじ風を起こしていた。
朱雀丸はつい顔を綻ばせた。
この大天狗は祭り好きである。祭りの前の慌しい雰囲気、祭り中の騒がしい風、祭りの後の寂しい空気、全てを朱雀丸は愛していた。
祭りは良い。祭りと言う一種異様な空間に一度身を投じれば、そこにあるのは夢の世界である。この夢の中では立場もしがらみも全てを忘れ、我々は一つの個へと戻れるのだ。朱雀丸はそう信じていた。
祭囃子の音を聞きながら屋台を回り、友と騒ぎながら酒を飲む。恋人と愛を語り合うのも良い。時には喧嘩でさえ良質のスパイスだ。
何もかもを受け入れておきながら、祭りと言う本質は何一つぶれない。感情が混ざる事こそが祭りの本質である。
そんな祭りと言うあり方を朱雀丸は酷く好んでいた。
だから朱雀丸は遠い過去、ある人間の言葉に乗って浮世絵町に来たのだ。
『あんたに最高の祭りを見せてやる。この町に来い』と、あの人間が脆弱な人の身で啖呵を切った事を朱雀丸は今でも昨日の事の様に思い出せた。
浮世絵町へ自分に仕える天狗達と共に移り住んだ朱雀丸はあの人間と共に数々の祭りを盛り上げてきた。
花見に花火に体育祭。
クリスマスに大晦日にお正月。
四季折々ありとあらゆる催しをした。毎日毎日朱雀丸は楽しく、それまでに無い程充実して過ごしていた。
遥か前にあの人間が死んだ後もこれは続いている。
大晦日の祭りもまた朱雀丸は楽しみながら準備をして来たのだ。
しかし、どうやら乱入者が居るらしい。
朱雀丸は乱入という物を嫌いではない。祭りが盛り上がるのであればむしろ大歓迎である。
「……道士とやらはこの祭りを引き立てる者と成り得るかのう」
しかし、もしも祭りを邪魔する者が現れるとしたら、朱雀丸はその名前の由来となった赤い翼を広げ、この羽から作った大扇子を振るい、邪魔者を排除するだろう。
「……まあ、それも含めて祭りであるか」
朱雀丸は楽しみだった。今年最後の祭りはどんな色を自分に見せてくれるのか。
祭りはもうすぐ開かれる。
***
十二月三十一日。大晦日に成った。
食材として何を使っているのか分からない、自称たこ焼きを頬張りながら、タローは喧騒にまみれた祭りの中をふらふらと歩いていた。
服装は久しぶりに着る黒スーツとPコートである。
時刻は午後二時。愛鈴をオニロク達へ預け、いざ仕事の時間である。
タローは不自然じゃない程度に祭りに参加し、尚且つ所定の時刻である午後十時に黄城公園の中心へと道士を誘い込まなければならない。
道士の顔はユカリから伝えられタローは知っているが、肝心の道士はタローの顔を知らないのだ。
鬼ごっこにおいて子は鬼に顔を知られている必要がある。
つまり、タローは残り時間四百八十分の間に、道士へ自分の顔を知らせ、さらに、尾行させるだけの対象だと認識させなければならない。
タローはたこ焼き(仮)を胃に収め、ウツセミ神社へと足を踏み入れた。
すると同時にタローお目当ての人物に声をかけられた。
「あれ? タロー君。どうしたの?」
ウツセミ神社の賽銭箱のすぐ近く、周りにでかい饅頭の様な式神を何体も出してあくせく働かせながら、チミモウリョウの管理人、後藤正則が袴着を着て意外そうな眼でタローを見ていた。
陰陽師である後藤は年末年始にウツセミ神社で神主のバイトをしている。
彼ならば今回の祭りのプログラムを良く知っているはずである。
「ちょっと後藤さんに聞きたい事があって」
「何だい? というか愛鈴さんはどうしたの?」
「実は――」
タローは掻い摘んで自分が本日しなければならない事を後藤へ伝えた。
後藤は上手くタローの意図を読み取り、顎に左手を当てながら、ふむ、と頷いた。
「……なるほど、つまり良い感じに目立てる場所が無いか聞きたいわけだね」
「はい。で、できれば道士が俺の名前を一発で分かってくれて、しかも襲われ難い場所が良いんですけど何処か知りませんか?」
タローの言葉に後藤は十秒も考え込まないで答えた。
「ああ、なら夕方から喉自慢大会があったよ。あそこでなら司会者が名前を呼んでくれるし、住民も集まるから道士さんとかも手を出せないんじゃないかな。愛鈴さんの事も司会者に話を通しておけばさり気なく言ってくれるはずだよ」
この提案は的確だった。これならば祭りの観客が飛び入り参加しても違和感が無いし、喉自慢と言う事は人魚達も来るだろう。彼女らが来るのならサイリウムを両手に持った親衛隊達も集まるはずだ。あの勢いの中、壇上に立つタロー個人を狙う事など不可能に近い。
タローは後藤からこの喉自慢大会の場所と時間を聞き、礼を言い、ついでにもう一つの目的を果たす事にした。
「後藤さん。アレ売ってくれませんか?」
「良いよ。十枚五万円」
「三十枚ください。お題は超常現象対策第六課に請求をお願いします」
「了解」
後藤が懐から十五枚ずつセーマンとドーマンが書かれた紙を渡した。
「どうもです。使い方は変わってないですか?」
「まったく。投げれば使えるから」
これは後藤正則特製の護身法が込められた札である。後藤の副業であり、陰陽術の心得が無い者でも投げるだけで使える優れものだ。セーマンは壁となり、ドーマンは触れた物を切り裂く。
タローの様に普通に戦う力が無い者達は外部的手段に頼るしかない。
たとえば、タローが今着ている服もそうである。この黒スーツは眉唾物だが天女が着ていたとされる羽衣と同じ素材を最新科学技術で織り上げた物らしい。防水坊刃防火坊電とハイスペックな衣類であり、着衣している者の生存率を飛躍的に上昇させている。
「ああ、でも、道術と陰陽術って似ている所があるからすぐに破られると思うよ。ユカリさんが倒しきれなかった相手なんでしょ?」
「瞬殺されなければオニロクさん達に助けてもらいますよ」
後藤の忠告にタローは肩を竦めた。
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