第10話 202号室--道士と浮世絵町 ④

***


 夕食も終わり、風呂と歯磨きも終え、日を跨ぐまで後一時間となった。

愛鈴は布団に座りながらテレビでお天気ニュースを見ていた。明日晴れのち雨、昼頃から天気が崩れ夜には雨が降る様だ。

 冷蔵庫の中身を思い出し、明日やる家事のプランを考え、明日は青椒肉絲を作ろうと決めた時、ふと愛鈴は隣へ眼を向けた。

 ちゃぶ台を挟んで愛鈴から一メートル程の場所にタローは居て、彼は布団に座り壁に背を預けながら何かノートを読んでいた。

 ノートを捲るタローの指の動きが何処かゆっくりとしている事が愛鈴は気に成り、そのまま問い掛けた。

「タローは何を読んでいるんですか?」

「日記」

「書いていたんですか?」

「まあね」

 タローはそう言うが、202号室に匿われ十日弱、愛鈴は一度も彼が日記を書いている姿を見た事が無かった。

 この気持ちが出たのだろう。愛鈴の視線にタローがばつが悪い顔をした。

「愛鈴には隠れて書いてたんだよ。ほら日記書いている所見られると、何か恥かしいじゃん?」

「何故今日に成ってわたしの前で日記を出したんですか?」

「ちょっと久しぶりに読み返したいと思ったのと、愛鈴なら別に日記を覗こうとはしないでしょ?」

「はい。人の日記を覗く様な無粋な真似はしません」

「なら、別に隠れて読まなくても良いと思った。それだけかな」

 タローの言っている事は筋の通っていると思えたけれど、愛鈴にはそれ以外の理由がタローにあるようにも思えてならなかった。

 だが、そこを追求する事は愛鈴には出来ず、仮にしたとしてもタローは答えない事は明らかだった。

 自分とタローにはまだそこまで親しい関係を築かれていない。信頼と言う橋無しに互いの心は行き来出来ないのだ。

 だから、愛鈴はタローの言葉に納得する事にした。

「はあ、なるほど」

どれほど疑問を覚えようが、愛鈴が踏み込める領域では無い。

所詮自分は依頼したキョンシーであり、タローは護衛係りなのだ。

 お天気キャスターである日和坊と雨女の今週一週間の天気を見終わり、愛鈴はタローに断ってテレビを消した。どうやら今日まで日和坊が優勢らしく、明日以降は雨となるらしい。そして、大晦日は快晴になるそうだ。

 しかしながら、いくらテレビ内で晴れだ雨だ霰だ雪だと言っても、浮世絵町のその日の天気は予測不可能だ。

 晴れなのに雪が降ったり雷が落ちる事があるし、大雨にも関わらず日が差す事も多々あった。

 ■■の元から浮世絵町に来て愛鈴が最も驚いた事がこれである。

 浮世絵町の空は女心より気紛れで一貫性も無く、場所によって天気が変わっていたのだ。タローが言うには一年も暮らしていると法則性が何となく掴めるらしいが、愛鈴には全く信じられない。

 愛鈴はふと気に成り始めた。浮世絵町の天気の傾向を掴んでいるタローはどれくらいこの町に住んでいるのだろうか。彼の口ぶりからして一年以上は暮らしているのは確かだが。

 思えば愛鈴はタローの事を何も知らないでいた。この十日弱彼と寝食を共にしているが、彼の名前ぐらいしか知っている事は無い。

 別に依頼人である愛鈴がタローの事を詳しく知る必要は無いのだが、一度気にすると聞きたくなってしまう。

 愛鈴はしばし考えた。果たして質問をして良いのかどうか。また質問するならどの程度の質問なら許されるか。

 視線はカーテンの合間に見える202号室からの夜空。自分が居た村と同じく暗黒の空。

 行き過ぎた質問はしては成らない。タローは愛鈴の家族でも友人でもなんでもない。

 なるべく簡単で、そして踏み込みすぎない質問は一体なんだろうか。

 熟考した結果、この質問ぐらいならばしても大丈夫だろうという結論を愛鈴は出した。

 昨今のオトギ社会、初対面の相手に聞いても何らおかしくない質問である。

「そう言えば、聞いていませんでしたが、タローはどの様な種族なのですか?」

愛鈴は今自分がした質問がどれほどの意味を持つのか理解していなかった。

 日記を捲るタローの指がハタッと一瞬止まる。

 愛鈴は失言してしまった事を悟った。

 タローが不自然に表情を消して、愛鈴を見た。無表情と言う仮面を着けた顔からは何の感情も意図も読み取れない。

 一瞬にして目の前に居た青年が別物に変わった印象を愛鈴は受けた。

 愛鈴はゾッとした。

「い、いえ、あの、言いたくないのなら言わなくて良いです。ごめんなさい。何かタローの気に障る発言をしてしまいましたか?」

 愛鈴はすぐに謝罪し、頭を下げた。タローの〝何〟に触れたのか分からなかったが、踏み込んでは成らない質問を自分がしてしまったという事だけはありありと分かったのだ。

 愛鈴の耳に小さく笑った声が聞こえて、愛鈴は顔を上げた。

 タローは困った様に小さく笑っていた。

「……人間だよ。事情があるけどね」

「……は、はい。……本当にごめんなさい」

「謝らなくて良いよ。確かに普通聞く事だった。久しぶりに聞かれたからちょっとびっくりしただけだよ」

 タローはアハハと笑いながら答えるが、愛鈴は彼が自分に対して壁を作ったのを感じていた。

 これ以上踏み込むなと言うサインなのだろう。

「じゃあ、今日はもう寝よう」

「……分かりました」

 日記を書いているというノートをタローは閉じて、そのまま部屋の電灯からちゃぶ台へ垂れ下がっている紐を引いた。

 光は三段階かけて消え、タローが自身の布団を被る音が愛鈴へと届く。

「おやすみ、愛鈴」

「……タロー、おやすみなさい」

 気まずさを感じながらタローへ返事をし、愛鈴は布団へ潜り込んで瞳を閉じた。


***


 第一課に帰ったオニロクはすぐさま第五課へと足を向けた。

 第五課は大抵の人員が捜査に出ているのか、第五課のあるビルの五階にはたった一人しか居なかった。

「げっ。ダンナ何のようですか? 赤の女王関連だったらもう勘弁ですよ?」

 突如として第五課を訪れたオニロクの姿にたった一人居た金髪の男が顔をしかめる。

 男は人間としてはやや小柄。赤い皮のジャケットに緑のズボンを着て、色あせたブーツを履いている。そして、額に二本小さな角を生やし、フレームレスメガネを掛けていた。

「赤の女王は私には止められない。諦めてくれ。ジャック、もう一つ仕事を頼みたい」

 この男の名前はジャック・スパンデュール。グレムリンである。

 グレムリンとは機械に悪戯するオトギだ。ありとあらゆる機械へ介入できる彼らは全ての機会のエキスパートである。グレムリンに扱えない電子機器は無く、彼らが本気と成ればありとあらゆる情報社会は破滅するだろう。

 オトギと人間の争いの黎明期、人間社会へ率先して大打撃を与えたのがこのグレムリンと言う種族だった。

過去にイギリスに暮らしていたジャックは故郷で問題を起こし、色々あって浮世絵町に流れ着いたとオニロクは聞いている。

「赤の女王の依頼をこなすのも大変なんですけど?」

「すまんな。道士の本名は分かりそうか?」

「キョンシーが暮らしていたとか言う村が見つからないんですよ。キョンシーの記憶には確かにあるはずなんですけど。どんなに調べても李愛鈴とやらが暮らしていたとか言う村が見つかりません。よっぽど上手く隠しているんでしょうね。赤の女王の記憶から一応候補は絞れますが、信憑性はありません」

 ジャックの情報収集及び情報分析の腕は折り紙付きであり、僅かで断片的な情報からの分析はお手の物だった。

 そのジャックをして李愛鈴が暮らしていた村の情報が掴めないと言う事にオニロクは違和感を覚えたが自身の依頼を優先する事にした。

「道士が次に来る場所を予測してもらいたい」

「……ああ、またこの道士繋がりですか。断っても駄目なんでしょ?」

「まあな。そろそろ我々も反撃と行きたい」

 メガネの角度を整えながら溜息を付くジャックにオニロクは苦笑した。

「では、これが道士のキョンシーから得た道士の趣向だ。これを元に予測を立ててくれ」

「あいよ」

 オニロクはタローの家で書いたA4サイズのメモ帳をジャックへと渡し、ジャックはやれやれと言いながら自身の特製パソコンがあるデスクへと腰掛けた。

「大体どれくらいで終わりそうだ?」

「明後日にでも来てくれればいくつかパターンを作っておきますよ」

「分かった。頼む」


***


 愛鈴と少々気まずい夜を過ごしてから数日経った大晦日の四日前、夕方オニロクが再び202号室を訪れた。今回はユカリを連れている。

 ユカリは見るからに不機嫌であった。道士が見つからない、言い換えれば、道士と戦えない事に不満が溜まっているのだろう。

 彼女からすればせっかく見つかった遊び相手に会えずにがっかりしているに違いない。

 タローはオニロク達を202号室へ通し、先日と同じ様に愛鈴が人数分の茶をちゃぶ台に置いた。

「で、また何かあったんですか? オニロクさん」

 ちょいちょい202号室へ遊びに来るサブローから未だに浮世絵町の住民達が襲われる事件は続いている事をタローは聞いていた。どうやら道士は亀甲海付近に出没したらしい。とは言っても亀甲海に住む人魚達は時子の言の元、常に集団で行動したため、被害は他の地域に比べて大きくないようだ。

オニロクがユカリを連れて来たのだから何か状況が変わるのだろうと思っていた。

 はたして、タローの予感は的中である。

「ジャックが次に道士の来る地点の予測を立てた」

「なるほど。で、何処に成ったんです?」

「次に道士が現れるのは浮世絵町の中心部である確率が高いという結論が出た」

 確かに、南の鳳凰山、西の寅縞森林、東の竜神川、北の亀甲海と来て、残った中心部へ手を付けるのは自然だろう。しかし、

「中心部も結構広くないですか?」

 浮世絵町の中心部は住宅地とスーパー等の雑貨店が並ぶこの街の中心地であり、他の四方の地域と比べればやや小振りだが、それでも人一人が隠れるのには十分過ぎるほど大きかった。

 オニロクは頷いて、申し訳無さそうにタローへ問い掛けた。

「タロー君。囮役に成ってくれないだろうか?」

 タローはオニロクが何を言ったのか一瞬理解できずつい聞き直す。

「…………はい?」

 再度質問に答えたのはユカリだった。

「タローに道士を釣るための餌に成って欲しいんだとよ」

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