第9話 202号室--道士と浮世絵町 ③

***


 タローは険しい顔で早足に万年亀病院へ向かっていた。オニロクから豆蔵コマメの入院を聞いたからだ。

 サブローから聞いた話を合わせると、コマメが道士に襲われたのは明らかにタローが彼女に愛鈴を会わせた事が原因である。

 タローは自分の判断に間違いは無かったと思っていた。

 だが、コマメが傷つけられた事に激しく感情を掻き乱されていた。

 鳳凰山の天狗や寅縞森林の狼男達が入院したと聞いた時にはタローは冷静で居られた。

だが、彼にとって豆蔵コマメは別格である。

 この浮世絵町の中で現時点に置いて豆蔵コマメは数少ないタローの〝特別〟なのだ。

「……」

 荒れ狂う胸中を表に出さないように顔を硬く歩き続け、万年亀病院が見えてきた

 入り口の透明な自動ドアの開く速さがタローにはもどかしい。

 スタスタと雪女がしている受付の所までタローは歩いた。

「すいません。今日ここに運ばれたと言う小豆洗いの豆蔵コマメは何処に居ますか?」



「いきなり来て、重症患者に会わせてくれとごねるとはタローは私達の忙しさを理解していないようだ。ただでさえ噂の道士とやらのせいでこの病院は大賑わいだと言うのに」

 万年亀病院の院長室へと通されたタローに水瀬時子はやれやれと肩を竦めた。

 コマメが入院したと言う事を知ればタローがこのように成るだろうと時子は経験から分かっていたが、こうも嫌な予感が当たってしまっては溜息の一つでも出る物である。

「……コマメは大丈夫ですか?」

「この私が直々に見たんだ。命に別状は無いよ。〝人魚の血〟を使おうかどうか迷うレベルの怪我ではあるけれどね」

「そんなに酷いんですか?」

「後一時間来るのが遅かったら死んでいたな」

 彼女らしく、時子は淡々と事実を述べる。これにタローは眼を伏せた。

 人魚の血とは名の通り、亀甲海に住む人魚達が融資によって提供する彼女達の血液である。

 人魚の涙は真珠となり、人魚の肉を喰らえば不老不死と成る。彼女達の血肉には特別な力が宿っていて一口血液を飲めば傷は完治するのだ。

 しかし、身体の回復力を遥かに逸脱して効果を及ぼすこの血液はあくまで最終手段である。この血液には依存性と中毒性があり、時子は滅多な事では人魚の血を使わなかった。

「コマメに会わせてくれませんか?」

「……駄目だ。今の彼女は絶対安静だ」

「なら、せめて一目だけでも見せてください」

「……長時間は駄目だ。私も付き添おう」

「ありがとうございます」

 タローは頭を下げ、時子は溜息を付いた。



 病室のベッドにて豆蔵コマメは呼吸器を取り付けられ眠っていた。四肢は包帯でぐるぐる巻きに固定され、服も緑色の病院服へと着替えさせられていた。

「…………」

 その寝顔を見つめながらタローは歯を噛み締めた。奥歯がキュッと音をたてる。

 コマメが傷つけられた事にタローは激しく後悔していた。何故、自分は愛鈴を彼女へ紹介してしまったのか。龍田達顔役だけに顔見せをすれば良かったのではないか。もっと上手くやれたのでは無いか。

 悔恨の情がふつふつと湧き上がる。

 けれど、豆蔵コマメの事については、過去の自分の選択に過ちがあったとしても、愛鈴を守ると言う目的に即せば決して間違いではなかったとタローは断言できた。

 仮に愛鈴がタローの側から居なくなったとして、浮世絵町の誰もが彼女の事を知らず、道士が愛鈴に出会ったのならそれこそ詰みである。

 愛鈴の事を知っていれば、住民達が愛鈴を助けてくれるだろう。そう打算しての浮世絵町巡りだった。

 判断は間違えていない。決して不正解では無いだろう。だが、最善手を選べなかったようだ。

「それまでだ。コマメが起きる前に病室を出るぞ」

「はい」

 背後で控えていた時子へ頷いて、タローは病室を出た。

 ギリギリまでタローは眠るコマメへと視線を残していた。



 タローは愛鈴とも来た万年亀病院の食堂の一角に時子と向かい合って座った。夕暮れを間近に控えた事もあり、食堂は閑散としていた。

 表情暗くタローは項垂れ、時子は彼を見ている。

 タローの脳裏に呼吸器が取り付けられたコマメの姿が何度も繰り返された。

 つい先日まで元気にアズキ堂を営んでいた、小豆洗い。彼女の日常は何故こうも理不尽に奪われたのだ。何処までも善良な住民が、何故不当な暴力を受けなければ成らない。

 どうして豆蔵コマメが死にかからねば成らなかったのか。

「……あまり気にするな。コマメを傷つけたのはタローじゃない」

「分かってます」

「分かってない」

 返答は即座に否定された。顔を上げて時子を見ると、彼女は馬鹿を見る冷ややかな眼でタローを見ていた。

 タローは何か反論しようとした。自分は分かっている。悪いのは道士だ。彼が豆蔵コマメを傷つけたのだ。加害者は分かり切っている。冤罪の余地は無い。

 確かに豆蔵コマメが襲われた事は、彼女が愛鈴を知っていたからだ。そして、彼女に愛鈴を会わせたのはタローだ。

 ならば、元を辿った原因はタローであろう。

 だが、タローは原因ではあるが悪くない。

 行き先を教えた相手が死んだとしても、教えた本人には罪は無いのだ。

 タローが何か言葉をまとめる前に時子が口を開いた。

「思っている事全部言ってみたまえ。聞くから」

「良いんですか?」

「患者のアフターケアも医者の務めだよ」

 青縁のメガネをクイッと上げた後、時子は真っ直ぐにタローを見つめ、彼の言葉を促している。

吐き出してしまえとでも言っているのだろう。

 タローはその言葉に甘える事にした。

「………………今の俺にとって、コマメは俺がこの町で、初めて会った奴らの一人なんです」

「……私もその場に居た」

「はい。今の、浮世絵町に居る、俺は一年半前から始まりました。場所はこの万年亀病院の病室。眼が覚めるとユカリさん、サブロー、時子さん、ココノエさん、コマメ、オニロクさんが居ました。あなた達は今の俺の〝特別〟なんです」

 その日の事をタローははっきりと覚えている。ベッドに眠る自分を覗き込んでいたコマメにサブロー。彼らはタローの瞳が開いたのを見るや否や壁際に立っていたユカリとココノエへと騒ぎ立てた。程無くして、パタパタと時子が歩いてきて、遅れるようにオニロクが現れた。

 目覚めには強烈な出迎えが今の浮世絵町に暮らすタローの始まりだった。

「タロー……」

「俺は、タローは、あなた達に救われました。別にあなた達が居なくても生きて行けたかもしれない。でも、あなた達が居たから俺はこの一年半楽しかった」

 入院生活が終わったこの一年と半年、様々な事があった。龍田や朱雀丸と会い、竹虎の爪に宙を舞った鎌鼬三兄弟へ愕然とし、祭りに参加したりした。その何れにも彼らの誰かが居て、タローはとても楽しかったのだ。笑えていたのだ。

「そうか。元担当医からすれば嬉しい言葉だよ」

 タローは後頭部を二三掻いた。

「……でも、コマメが傷つけられた。俺が悪くないとしても、俺が原因です」

「……そうだな」

 一息入れて、自分以外が静寂を保った食堂を見つめてから、タローは胸に溜まった重い二酸化炭素を吐き出すように聞いた。

 二酸化炭素と一緒に抜け出した感情は驚くほど色を持っていない。

 それゆえ、タローが最も知りたかった言葉がスッと出てきた。

「何で最善を選べなかったんでしょうか?」

 時子の答えは明快である。

「後に成らなければ最善手は分からないからだよ」



 万年亀病院を後にしたタローは、夕日に頬を焼きながら、『チミモウリョウ』へと帰っていた。

 未だ万年亀病院へと後ろ髪を引かれるが、タローがあそこに居て何か出来る事は無い。タローに出来る事は一刻も早く道士を見つける事ではなく、李愛鈴を守り抜くことである。

 逆に言えばそれしかタローには出来ないのだ。

 タローにはユカリの様に道士と戦う事も、オニロクの様に町を警備する事も出来ない。ココノエの様に千里眼は扱えないし、時子の様な医者では無いし、サブローの様に薬を持っていない。

 無い物ねだりをしたくなる気分だったが、それで事態は好転しないのだ。

 愛鈴を、あのキョンシーを守る為に自分に何が出来るのか。夕日へ眼を細めながらタローは考えた。


 タローが202号室へ帰宅すると、丁度オニロクとココミが愛鈴への質問を終えた所だった。

「オニロクさん。もう大丈夫なんですか?」

「ああ。協力感謝する。この結果を元に道士が次に何処に行くかを検討しよう」 

 居間からココミが伸びをしながら歩いてきた。

「疲れた」

「お疲れ」

 ココミはボーっとヘッドフォンを付け直し、そのままタローを見つめた。

「……何?」

「タロー。無理はダメ」

 どうやら、彼女はタローの心境を見抜いているようだ。流石サトリと言ったところだろう。

 タローは何でも無いように笑ってこれに答える。

「分かってるさ」

「ん」

 ココミはそれで興味を失ったのかタローをどけて玄関を出て行った。

「待て、ココミ。私を置いて行くな。……では、タロー君、愛鈴さん、私達はこれで。また何かあったら来よう」

 何時の間にか隣に来ていた愛鈴と共にタローは鬼とサトリへ軽く頭を下げて返事をした。



 愛鈴が作った回鍋肉をやや遅めの夕食として食しながら、タローは今日何を聞かれたのかを愛鈴へ聞いていた。

「他愛の無いことばかりでしたよ。ご主人様の好きな色とか好きな時間。影と日向どちらを好むか。右利きか左利きか。川と山どちらを好むか。などなど。正直、何故、こんな事を聞くのか分かりませんでした。タローは何かこの質問たちからご主人様が次に何処に行きそうか分かりますか?」

「まったく分からない。ただ、第五課にそう言うどうでも良い情報から推理する専門家が居たはずだよ。多分そこへ持って行くんでしょ」

「なるほど。そう言えば聞いていませんでしたが、タローが所属している第六課は何をしている課なんですか?」

 ふと愛鈴がした質問にタローは咄嗟に答えられなかった。自分でも第六課がどの様な課なのか分からないからだ。

「他の課にはできない仕事をやる課って考えてくれれば良いよ。普段は人手が足りない他の課の手伝いをしてる。愛鈴が来た時、俺の机の上に色々書類あったでしょ?」

 あの時タローがしていた仕事は雑務担当の第三課から頼まれたデータ整理である。

 納得したように愛鈴は頷くが、また疑問が生まれたようである。

「はい。でも今回のわたしの様に護衛などの荒事もやっているのですよね? ユカリさんは大丈夫だそうですが、タローは平気なのですか?」

「どういう意味?」

「ご主人様がわたしを取り返そうと襲ってきた時に、タローが怪我をしそうで心配なのです。依頼したわたしが言うべきではないのですが、わたしの所為で誰かが傷ついて欲しくありません」

「ああー」

 タローは再び言いよどんだ。愛鈴の不安は既に的中しており、コマメ達が入院中である。

 けれど、それを愛鈴に伝えるなど愚の骨頂であった。

 伝えればこのキョンシーは速やかにタローの元から去るだろう。

「もし、タローがわたしを護る事で傷つく様なら言ってください。すぐにここから離れます」

「心配しないで。愛鈴。確かに俺はユカリさんみたいに戦えないけど、そこはまあ何とかするから」

「本当ですか?」

「本当本当。何が有っても愛鈴を護るよ。俺は護衛係りだからね。戦闘とかの荒事はユカリさん達に任せるさ」

 しばらくタロー達は見つめ合い、愛鈴が根負けした。

「分かりました。変な事を言ってすいません」

「気にするな。変な奴らばっかりが暮らしてる町だから」

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