第8話 202号室--道士と浮世絵町 ②


 東の空が白んでくる程の時間が経った。後もう少しすれば日の出である。

「…………」

 女の体はボロボロで、その眼からは力が失われていた。両脚は不自然に曲がり、右腕は肘から先に感覚が無く、四肢で通常の感覚が残っている場所は無かった。

「話す気に成ったか?」

「…………」

 女は虚空を見つめるだけで何も言わない。それに男は何度目か分からない命令をし、また女の体が締め上げられた。

 しばらく前からもう女は男の拷問に反応すらしなくなっていた。ただ虚ろに空を見上げるばかりで、意識もはっきりとしていないように見えた。

 既に肋骨は数本折れているだろう。間接は外れ、腕はゴム人形の様に力無く落ちている。右足も三十分前に折ったが既にその時には反応は薄くなっていた。

 男は眼鏡の縁を触った。

「……何故、何故話さないのだ。言えば楽に成るだろう。お前達にとってアレは来て間もない新参者では無いか」

「…………」

 女は何も言わず、口元だけで笑う様に男を見た。

 男にはこの女が分からなかった。

 天狗や狼男ならば血気盛んで怪我など日常茶飯事だろう。そういうオトギである。しかし、この女はどうだろうか? 戦う術など持ち合わせず怪我に慣れているように思えない。

 女はただの力無いオトギであるはずなのだ。

 そんな彼女が何故黙ってこの拷問に耐え続けるのか。男には理解できなかった。

 黙り込む男へ、久しぶりに女が口を開いた。

「……舐めるな」

「……何?」

 女の言葉へ男が眉を潜めたその瞬間、薄暗い日の出前の朝、男の視界に影が差した。

「見つけたぞ、小童が」

 頭上から腹に響く憤怒の声が聞こえ、見上げると、そこには蒼い鱗の全長三十メートルほどの龍が居た。

「コマメ。すまんな遅くなった」

「……ほん、と、ですよ、たつたさん」

 男は穏やかに喋る龍へと問い掛けた。

「……何者だ? ……いや、何故私達の姿が見えている?」

「わしは浮世絵町町内会会長、龍田龍二じゃ。耳を澄ましてみろ」

 龍田と名乗った龍へと眼を逸らさないまま、男は周囲へ意識を向けてみると、シャリシャリシャリザーザーシャリと言った音が後方より鼓膜に響いた。

 音源へと眼を向けてみると、男の居る場所から十数メートルの場所にそれはあった。

 先ほど、女が投げつけ、男が叩き落としたザルの上に高さ五十センチほどの赤黒い小さな竜巻が渦巻いていた。

 ザルの上で数千の小豆が渦を巻いて旋風の様に形を成していたのだ。

 男の耳に目の前に居た女の声が届く。

「……僕は、『アズキ堂』四代目店主、小豆洗いの、豆蔵コマメだ。舐めるなよ」

 女、豆蔵コマメは強く喉を震わせて、しかし弱々しく苦笑してそのまま意識を失った。


***


 毎朝の日の出前に、龍田は竜神川から飛び立って朝の散歩をする。悠々自適に空を舞い、日の出と共に朝食に帰るというのが龍田の日常である。

 浮世絵町を見下ろしての飛翔は心地良い。町は一部を除いてまだ眠っていて、住民達が活動を始めるのを見るのが龍田は好きだった。

 龍田が昔、竹虎を含めた旧友達と共に作り上げた町がこの浮世絵町。浮世絵町を青い龍は愛していた。

 けれども、本日いつもの様に竜神川を見下ろしながら空を泳いでいた龍田の眼に奇妙な物が映ったのだ。

 幾百もある竜神川から枝分かれるした川の一つ、その川岸に小さな赤黒い旋風が起きていたのである。

 天狗共がまた何かしているのか? と思い眼を凝らすとそれはザルの上を高速で回転する無数の小豆であった。

 この竜神川で朝早くザルと小豆を持って川に来るのはただ一人、小豆洗いの豆蔵コマメだけである。

 最近先代からアズキ堂の看板を引き継いだ四代目の彼女は毎朝日の出前にそのオトギ名に相応しく川へ小豆を洗いに来るのだ。

 コマメが自身の洗った小豆から作る餡子は絶品であり、彼女はそれを誇っていた。

「何じゃ?」

 小豆洗いというオトギは小豆を洗うだけのオトギである。彼女の曲芸の一つに離れた場所にある小豆を自在に動かすという何とも微妙な物があった。

 が、しかし確かに忘年会と新年会が近いとは言え、コマメは周囲から隠れて一発芸を練習するような女ではない。

 龍田は奇妙に想い、改めて周囲へと意識を向けた。

 川岸から三十メートルほど離れたある地点へと違和感を覚える。まるで蜃気楼の如くその地点だけが揺らいでいるのだ。

 更に集中し、龍田は自分が違和感を覚えたその地点を凝視した。

 したらば、そこには蔦で全身を絡め取られ、弱々しく空を見上げる満身創痍の豆蔵コマメと、その目の前に立つ黒い道士服を着た男が居たのである。



「さて、小童よ。弁解は聞かんぞ」

 龍田は激怒していた。その眼下には蔦で絡め取られ気を失ったコマメが居る。

 この男が龍田の愛する町民を傷つけた事は明らかである。

 轟音をたてながら広大な竜神川に竜巻が百数も生え、空を覆い尽した。

 その一つにでも巻き込まれれば男の体は引き千切られるだろう。

「…………くそ」

 男は毒を吐き、それに龍田は殺意で答えた。

「行くぞ」

 百数の竜巻が明確な意思を持って大口を開けた大蛇として男へと襲い掛かる。

 男はすぐさま飛び去りながら川岸の地面を右手で撫でた。

 すると、川岸の土が盛り上がり、男の背後に暑さ六メートル高さ数十メートル程の巨大な壁を形成する。

 こんなもの龍田にとってはただの脆弱な膜である。

「薄いぞ、小童」

 ズガガガガガ! と龍田の作った竜巻は削岩機の如く土壁を削り、一秒とかからず貫通した。

「『爆ぜろ』!」

 が、それは男の予想通りであった。

 一瞬龍田の視界から自身の姿が消失した事を利用し、男は赤い紙を背後へと投げ、爆発を起こす。

 爆風に乗って、男の体は瞬間的に加速し、空遠くへと飛び立った。

「……逃げおったか」

 どうやら男は全力で龍田から逃げると決めたようだ。

 本気で追いかければ追いつける。が、元から本気で戦う気の無い龍田は一瞬の迷いもせず男を追わない事を選択した。

 元からこの場より男を追い払う事が目的である。

 まずはコマメを治療しなければ成らない。

「すぐに万年亀病院へ連れて行こう」

 意識を失ったコマメのところまでスーッと下り、龍田は憎々しげに声を漏らした。


***


 早朝六時半、始業時刻である八時を待たずして、オニロクは超常現象対策第一課へ出勤した。連日の深夜パトロールも空しく、道士は未だ見つからない。それどころか本日未明に竜神川に住んでいた豆蔵コマメが道士に襲われ、現在、万年亀病院で治療中との事だ。

「…………」

 オニロクは寝不足による頭痛を感じながら、特注した自分のデスクへ腰掛けて眼を閉じていた。胸にあるのは怒りである。

 善良な一般市民が連日襲われ、それを何れもオニロクがリーダーを勤める第一課は防げていないのだ。町中を巡回しているのにも関わらず、道士は蜘蛛の巣を避けて行く。

 これではオニロク達警備部隊が居る意味が無い。市民を守れない部隊に何の価値があると言うのか。

「オニロク。どうする? このままじゃ住民が危険に晒されるだけだぞ」

 トコトコとオニロクの足元へ通常よりもはるかに大きいサイズの奇怪な白い四足動物が歩いてきた。

 犬だか獅子だか分からない生き物で、額に当たる場所に第三の眼がある奇妙な動物。瞳は何れもぎょろりとしていて、体長は二メートル程あり、なるほど奇怪なオトギである。

「分かっている」

 この生き物は〝ぬりかべ〟というオトギで、自身の事をハクと名乗っていた。

 ハクは第一課の副リーダーであり、度々こうしてオニロクへ意見を促していた。

 彼らはほぼ同時期に浮世絵町を訪れたオトギであり、オニロクの良き理解者だった。

 オニロクはしばし考えた。道士のためにパトロールを初めて十日近く、未だに成果は出ていない。

 道士が自身に施しているという術をオニロク達では看破する事が出来ないのだ。

 不幸にしてユカリと戦って生き残れるだけの実力者の術を解く事ができる人員は第一課には居ない。

 他の課を回ればオニロクに心当たりは二三あったが、心当たりの者達は皆非戦闘員である。

 とにかく、このままでは道士を捕まえる事はできないだろう。

 方法を変える必要があった。

「オレの力を使えば追い詰められるんじゃないのか?」

 ハクというぬりかべには任意の道路を通行できなくする力があった。ハク曰く透明な壁のような物が生えるらしく如何なるものもその壁を通り抜けて移動できない。

 そのためハクは基本的に事故現場や乱闘している地域等の通行止めを担当している。

 もっとも最近で大規模な通行止めをしたのは八ヶ月前に朱雀丸が酔っ払い、闇鍋大会を開始した時である。ハクの尽力が無ければあの思い出すのもおぞましい闇鍋の被害者はもっと増えていた事だろう。

「赤の女王と龍田さんが言うには道士は空を飛べる。それではハクの壁も意味を成さないだろう」

 ハクの壁はオニロクでは超えられないぐらい高いが、ユカリや龍田などの空を飛べるオトギであるのなら簡単に乗り越える事ができる。

「そうか。なら、方法を考えなきゃな」

「……一度原点に帰ってみる。皆へパトロールに行くように伝えておいてくれ。私は午前のパトロールが終わったら、第二課を連れて李愛鈴の所へ行ってくる」

 オニロクは頭を振ってハクへ命じデスクを立った。



 オニロクは第二課の職員であるサトリのココミを連れてタローの部屋、『チミモウリョウ』の202号室を訪れた。

 タローと愛鈴は既に昼食を終えたようで、突然のオニロクとココミの来訪に少々眼を丸くしていた。

「愛鈴さん。唐突で申し訳ないのだが、彼女、ココミに君の心を覗かせて貰えないだろうか?」

 ココミは水色のパーカーにダメージジーンズを吐き、眼球をデフォルメしたシールが貼られたヘッドフォンを付けている。髪は白色で長さはセミロングでおさげにしていた。

 ココミは純粋なサトリではない。ユカリと同じ様に彼女の先祖の誰かがサトリであり、その力を断片的に受け継いでいるのみである。

 そのため、彼女は耳を何かで塞いでいない間のみ、近くに居る他者の考えている事を聞く事ができた。

「ココミさん。久しぶりですね」

「久しぶり」

 愛鈴を浮世絵町で保護した日、オニロクは愛鈴を第二課へ連れて行き彼女の心情風景などを調べてもらっていた。その時の調査班の一人がこのココミであった。

「何か事態が変わったんですか?」

 台所から人数分の茶を入れて戻って来たタローがちゃぶ台へ湯飲みを置きながらオニロクへと問い掛けた。

 タローと愛鈴はユカリとオニロクの言ったとおり大体の時間を202号室にて閉じ篭っていたため、浮世絵町の情報に疎いのだろう。

 オニロクは親指と人差し指だけで湯飲みを持ってズズッとそれを飲んだ後、愛鈴へは聞こえない様にタローへ耳打ちをした。

「今朝未明、豆蔵コマメが道士に襲われて万年亀病院へ運ばれた」

「…………そうですか」

 眉がピクッと上がったがタローは取り乱す事は無かった。この青年のこういう所は美徳である。感情を隠すのが上手いのだ。

 オニロクはタローへの耳打ちを止めて全員へ届くように声を出した。

「情けない話だが、道士の居所が点で掴めなくてな。心苦しいが愛鈴さんに協力を願いたい」

「協力できるのなら是非したいのですが、わたしはご主人様の情報を吐く事が出来ません。前に調べてもらった時も分からなかったと言っていませんでしたか?」

 確かに前回愛鈴の心をココミに聞いてもらった時、道士の名前や外見等にはノイズ音が入った様に聞く事が出来なかったと言っていた。 

 だが、今回オニロクが来たのは道士の思考を読むためである。

「今日来たのは、愛鈴さんから道士がどの様な人間かを聞きたいからだ。プロファイリングの様な物だと考えてくれれば良い。少しでも道士が次に何処へ現れるのかの候補を絞りたい」

「……そういう事でしたら分かりました。幾らでも協力します。わたしは何をすれば?」

「今からする質問にただ答えを考えてくれえれば良い。ココミが代弁しよう」

「任せて」

 ココミはVサインをしながらふんぞり返っている。

「それでは早速質問をさせて貰って良いだろうか?」

「ええ、構いません」

 愛鈴の返事にオニロクがA4サイズのメモ帳片手に質問を始めようとすると、タローがそれを遮った。

「オニロクさん。その質問とかって長くなりそうですか?」

「夕方には終われそうだと思うが」

「……なら、ちょっと愛鈴の護衛頼みます。俺少しだけ外に行く用が出来たんで」

「タロー? 何かあったんですか?」

 頬を掻くタローへ愛鈴が小首を傾げた。

「いや、大した用じゃ無いんだけど、少しやらないといけない事が出来た」

「はあ」

 豆蔵コマメの所へ行く気なのだろう。オニロクは確信していた。

「分かった。タロー君が帰ってくるまで護衛を引き継ごう」

「ありがとうございます」

 短く礼を言って、タローはPコートを持って202号室を出た。

 未だ愛鈴がやや不思議そうに家主が出て行った202号室のドアを見ているが、オニロクは気持ちを切り替えて質問を始めた。

「それじゃあ、愛鈴さん、第一の質問なんだが――」

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