第22話 死者の慟哭--青年とキョンシー ④

***


 考えてみれば明らかにおかしな話だった。むしろ何故今まで疑問に思わなかったのかとさえ愛鈴は思う。

 村が病に襲われ、それを道士が救ったのだ。これに死の淵に居た愛鈴も救われた。

 そう、つまり、あの時点、■■に村が救われた時点で、愛鈴達は〝死なず〟に済んだのだ。

 あの時、救われたあの時、愛鈴は歓喜した。これからも自分は生きられるのだ。姉と共に、村人と共に生きていけるのだ。そう愛鈴は感涙し、目元が腫れ上がるほど狂喜した。

 けれど、ならば、何故、何故、愛鈴は〝キョンシー〟なのか。

 死なずに済み、そのまま生きていけるはずだった愛鈴達が何故、〝生き返って〟いるのか。

 何故、人間として〝生きているはず〟だった愛鈴がキョンシーとして〝生き返って〟しまっているのか。

 〝生き返る〟のには〝死ぬ〟必要がある。

 何故、そんな簡単な事に気付かなかったのだろう。

 どうして、李愛鈴は死んだのか。

 あまりにおかしな話だった。



「……」

 沈黙が下りた。愛鈴の耳に聞こえるのは響き続ける除夜の鐘の音のみ。

 山吹色の着物を着て、同じく山吹色の髪をした女性の九本の尻尾に包まれたタローが眼を見開いていた。だが、それに反応する余裕が愛鈴には無い。

「ご主人様。答えてください。どうして、わたしは死んだのですか?」

「…………」

 ■■は愛鈴の言葉に黙ったままだ。丸メガネの奥の瞳からは何を考えているのか分からない。

 愛鈴は肩を震わせた。確信が加速度を持って強くなっていく。

「お願いです。答えてください。ご主人様なら分かるでしょう? どうして、李愛鈴がキョンシーに成っているのですか?」

「…………」

 答えを聞くのは恐ろしい。だが、もう賽は投げられた。回答を聞かなければならない。

 愛鈴はもう■■に疑念を持ってしまっているのだ。

 疑念を振り払うように、祈るように愛鈴は言葉を続けた。

「ご主人様は、わたし達を助けてくれたのですよね? 急な流行り病に犯されたわたし達の村を、救ってくれたのですよね?」

「…………」

 ■■は答えない。ただ観察するように愛鈴を見るだけだった。

 愛鈴は息を整えようと胸に右手を当てる。

 心音は聞こえない。当たり前である。愛鈴はもう死んでいるのだ。

 愛鈴は自分の体が死体であると正しく認識していた。別に自分がまだ生きている存在であるとか、血が通っているとか思っていたわけではない。

 だが、愛鈴の記憶の中で、人間である時の李愛鈴とキョンシーである時の李愛鈴の記憶が連続して存在している。

 愛鈴には自分がキョンシーとして生き返った記憶が無かったのだ。気付いたらキョンシーとしてあの村に居て、■■へ尽していたのだ。

 その不自然さに、不可解さに、愛鈴はつい先ほどまで気付けなかった。

 ■■が何も答えなかったが、愛鈴は言葉を止めなかった。

 沈黙が既に答えを言っているような物だったとしても、それでも一縷の望みを賭けて、愛鈴は回答を求める。

「答えてください。ご主人様」

 ゴオオオォォォォォオオオオオオオオオオオオオォオオオォォォン!

 ゴオオオオオオオオオォォォォォォォォオオオオオオオオオオオン!

 二度除夜の鐘が鳴った。もうとうに鐘の音は五十を過ぎている。

 その鐘の音に何を思ったのか。■■は天を仰いだ。

 質問をはぐらかす気だろうかと愛鈴は思ったが、即座に違うと分かった。

 ■■の肩がクックックと震えていたのだ。

 それはまるで目的地へと辿り着いた旅人の様だった。

「……ご主人、様?」

 愛鈴の肩も震えた。だが、この震えが意味する物は喜びではなく、恐怖である。

 ■■は自身の顔へ両手を当てて強く押し付けた。丸メガネが割れるのではないかと思えるほどの力が込められていると愛鈴には分かった。

 それを止める事は愛鈴にはできない。彼女の思考は恐怖で縫いとめられている。

 さながら、銃殺を待つ死刑囚の気分だった。絶望がすぐ先まで寄って来ている。

 避ける事はできない。避ける事ができたのは遥か昔の話だったのだ。

 しばらく肩を振るわせ続けた後、スッと■■は顔を覆っていた両手を外し、顔を愛鈴へと向けた。

 その顔は狂喜で染め上げられていた。唇は隠し様も無く大きく孤を描き、その眼はギラギラとして、頬は隠し切れない喜びにプルプルと震えている。

「ひっ」

 愛鈴は息を飲んだ。こんな■■の顔は初めて見た。

 彼女が知る優しい■■の姿は無い。そこに居るのは見る者を恐怖させるに足る喜びを体中から発している狂った男だった。

 それでも、愛鈴は■■を見た。胸に当てた右手を強く掴む。赤い服に皺が付く。

「わたしは、何で、死んだんですか?」

 ■■はクツクツ震えながら、ランランと愛鈴を見つめた。その眼は彼女を見ているようで彼女を見ていないと、愛鈴にははっきりと分かった。■■が自分を見つめる眼は、李愛鈴ではなく、キョンシーと言う人形を見つめる物だった。

 愛鈴達を救い、愛鈴達が愛した■■の眼の中には、ただの死体の姿しか映っていなかった。

 そして、

 堰を切った様に■■は声を張り上げた。

「……完成した。完成したぞ! 私の生涯の目的が! 私の生の目的が! 自力で私へと疑念を抱くとはっ! こんな所で完成するとはっ! 李愛鈴お前は最高だっ! お前を持って帰ってからじっくりと完成させようと思っていたが、やはりお前は最高の〝素材〟だったっ! 喜べ李愛鈴! お前は私の最高傑作だ!」

 その眼は、

 その声は、

 その言葉は、

 何よりも雄弁に語っていた。

――……ああ。そっか。

「…………」

 愛鈴は右手で鼓動を止めた胸を触ったまま、左手を自身の額へと伸ばした。

 カサッと、クシャクシャに成った、破かれた呪言の札が愛鈴の左手の指に触れる。

――全部、嘘だったのかぁ。

 愛鈴達を救ってくれた事も、自分達へ向けてくれたあの優しい瞳も何もかもが、偽りだった。

 愛鈴達を救ってくれた■■など最初から、居なかった。

 強く、愛鈴は左手で額の呪言の札を掴んだ。

 ビクッと愛鈴の全身に電流を流したような嫌悪感が流れる。

 駄目だ。

 止めろ。

 壊れてしまうぞ。

 早くその手を離せ。

 そんな本能的とも呼べる恐怖が背筋をスーッと舌で舐められた様に這い上がってきて、愛鈴はビクビクと震え出す。

 けれど、そんな事愛鈴に取ってはどうでも良いことだった。

 全てが終わった。

 いや、違う。

――わたしは、とっくの昔に終わっていた。

 見ると、■■は未だ興奮冷めやらぬ様子で何か歓喜の言葉を紡いでいた。

 見ると、タローが山吹色の尾に抱えられたまま、愛鈴へと何か言葉を紡いでいた。

「ごめんなさい」

 聞こえないくらい小さく聞こえないように小さく愛鈴はタローへと謝り、一息に左手を振り上げた。

 その左手には半分に破かれた呪言の札が握られたままだ。

 瞬間、愛鈴にはパキンと言う音が頭の中から確かに聞こえた。

 気付けば愛鈴の視界は濁っていて、その頬を冷たい水が流れ出す。濁った視線の先には誰よりも救いたいと思っていた男の姿が在った。

 男は見た事も無いような喜びを顔に張り付かせ、愛鈴へと手を伸ばしていた。

「……王志文!」

 愛鈴達の主人、王志文の名を叫んだ瞬間、愛鈴の全身を更に激しい悪寒が襲い、彼女の周りで全てを巻き込む激烈な旋風が巻き起こった。


***


 ゴオオオォォォォォオオオオオオオオオオオオオォオオオォォォン!

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 キョンシーの慟哭が空へと響いた。

 絹を裂いた様な悲鳴はタローの鼓膜を痛くなるほど震わせる。

 だが、それにタローが何か反応する事はできなかった。

 愛鈴が額に貼られた札を剥がした瞬間、烈風が辺り一体に吹き荒れたからだ。

 ヒュンヒュンと風切り音が鳴り、タローと彼を抱えたココノエの体が空へと巻き上げられる。

 あまりの風圧に抵抗する事もできない。喉自慢大会にて吹き荒れた朱雀丸の竜巻以上の暴風だった。

 タロー達と同じ様に愛鈴を中心とした半径五十メートルはあるかと言う竜巻に飲まれた黄城公園の木々が揉みくちゃに折れながらミキサーにかけられた食材のようになっていく。

 黄色の花吹雪が空を舞った。

 ココノエの尻尾に包まれていなければ今頃タローは何処か空の彼方へと飛んでいってしまっただろう。

「……あいつ、不化骨に成りやがったわ!」

 ココノエが体制を何とか立て直しながら耳元に驚嘆の声を上げていた。

 山吹色の尾に包まれたままタローが二十メートルほど下方の愛鈴を見ると、彼女は叫び声を上げながら道士、王志文へと走り出していた。

「返せ! わたし達の村を返せ!」

 愛鈴の叫びは天を付き、その劇的な感情の昂ぶりに揺らされて、キョンシーの体は黄緑の炎に包まれて、体中から各地へと無差別に紫電が落ち、旋風は意思を持った。

 タローとココノエを襲っていた竜巻は王志文へと進路を変え、途中愛鈴の額から射出された黄緑の炎を飲み込んだ。

 黄緑の炎は旋風に巻き込まれて、黄緑の火炎旋風となって王志文を襲う。

 王志文は狂喜の笑顔のまま何かを呟いて、巨大な水龍を召還し、火炎旋風へと噛み付かせた。

 水龍の牙が炎の竜巻へ突き立てられた瞬間、水流の体は爆発し、一帯が水蒸気の煙に包まれた。

 もくもくとした煙は時折紫電を纏い、愛鈴の叫び声だけがタローの耳へと届く。

 何とかして、安全地帯を見つけたココノエに抱えられたまま、タローは彼女へと問い掛けた。

「ココノエさん。愛鈴に何があったのか分かりませんか?」

 先ほど、タローを助けた時、ココノエはキョンシーについてとても詳しく話していた。そんな彼女ならば今、愛鈴がどう成っているのか分かるのでは無いかという期待がタローにはあった。ココノエはタローの知る限り相当の知識を有していたのだ。

「キョンシーにはその強さに応じて階級があるの。空を飛ぶ事ができる第五級の飛僵、天雷を会得した第六級の遊屍、陰火を会得した第七級の伏屍、そして、贔風を会得した第八級、不化骨。あのキョンシーは多少荒さがあるけれど間違いなく第八級よ。しかもあいつ額の札を自分から剥がしやがったわ。死体相手に言うのはおかしいけれど、自殺行為よ。間違い無くすぐに自我を無くして暴走状態に入って最後は体ごと崩れ去るわ」

 タローは絶句した。別に前半部分はどうでもいい。愛鈴がどれほど化け物じみた強さを獲得しようが、リアルな化け物たちと暮らしている彼に取っては些事である。だが、問題は後半部分だった。

 ココノエは良く人を騙すが、タローへ嘘を付いた事は無い。ならば、彼女の言うとおり、すぐに愛鈴は自我を失って暴走状態に入るのだろう。

 それならば、止めなければ成らない。助けなければ成らない。

 だが、すぐ下で繰り広げられている争いに割り込んだ瞬間、タローはミンチである。

――どうする?

 考えていると、ココノエが吐き捨てるように呟いた。

「やっぱり禁忌に手を出したのね」

「どういうことですか?」

「さっきのキョンシーの言葉で確信した。あの道士、李愛鈴の村ごと〝冥界〟に引きずり込んだのよ」

 タローにはココノエの言っている事が良く分からなかった。だが、ココノエは十全に説明を続ける。

「仮説も入るけど、李愛鈴の暮らしていた村の村人はキョンシーとして生き返る適正が高かったのでしょうね。それに眼を付けたあの男は村ごと村人全員を冥界に落とした。冥界に落としたって事は……まあ、死なせたと思って良いわ。そして、村人達をキョンシーとして生き返らせたってところかしら」

「つまり、愛鈴が言っていた村を襲った病ってのは」

「十中八九、道士がばら撒いた物よ。キョンシーとしての適性検査をしたのかしら。死にかけているほうが生き返りの素質は見極め易いのよ。それに洗脳もし易くなるわ」

――何だ、それ?

 タローは眼を丸くした。つまりココノエの言っている事を鵜呑みにするとしたのなら、愛鈴がとても嬉しそうに語っていた『村をご主人様が救ってくれた』というエピソードは王志文の自作自演であり、彼は初めから愛鈴達の事をキョンシーとしてのただの素材としか見ていなかったという事だ。

「あいつは、愛鈴の未来を、奪ったのか」

 ならば、ならばだ。今、愛鈴が呪言の札を剥がしたという意味は、あの凄惨な慟哭の意味は?

 タローの眼下、一帯を覆っていた煙は烈風に晴らされ、未だ愛鈴は叫び声を上げながら、王志文へと突撃していた。

 けれど、王志文はその愛鈴の足を、炎を逆巻かせ、水龍を召還し、土壁で遮り、鉄槍を放って、止めていく。何度も何度も愛鈴は後方へと弾き飛ばされ、木々に激突し、それでも足を止めず、王志文へと飛んでいた。

 子供をあやす様に愛鈴は王志文にあしらわれ、この分ではすぐに捕まる事は明白だった。

 彼女の叫びは凄惨で悲痛で、その慟哭はタローの胸を締め付ける。

「……何とかして愛鈴を助けられませんか?」

 タローはココノエへと聞いた。だが、九尾の狐の返事は否定である。

「私でもあそこに挟まれたら死ぬわ。逃げる事ならできるけど」

 タローは強く歯噛みした。ココノエに抱えられなければ空を飛ぶこともできない自分では今の愛鈴を止める手段は無い。

――今の俺に何ができる?

 タローが思考を切り替えて、彼ができることを考えたその時である。

 除夜の鐘が三度声を張り上げた。

『そろそろ宴もたけなわ! 残す鐘も後三十! ラストスパートの始まりだ!』

 除夜の鐘の言葉通り、これまで以上に加速した鐘の音が連続して鳴り響いた。

 ゴオオオォォォォオオオォォォン!

 ゴオオオオオオォオオオォォォン!

 ゴオオオォォォォオオオオオォン!

 ゴオォオオオォォォォオオオォン!

 ゴォォオオオオオオオオオォォン!

 ゴオォォォォォォオオオオォォン!

 ゴオオオォォォォオオオオオォン!

 このペースならば一分か二分で百八の鐘が突き終わるだろう。

 と、ここでココノエがタローへと質問した。

「タロー君はあのキョンシーを助けたいの?」

「はい。愛鈴は俺達の依頼人で、俺は愛鈴の護衛役です」

「会ったのはつい一月前じゃない」

「俺にとって一月は長いんですよ」

 タローの返答にココノエは溜息を付いた。

「……しょうがない。ちょっと無理をしてあげる。日を跨げばユカリは生き返るからそれまで時間を稼いで上げるわ」

「え?」

 そう言いながらココノエは懐から人型の紙を取り出して、自身の分身を作り出し、それにタローを渡した。

 本体と同じ、分身の九本の尾がタローの体を包む。

 タローは眼を開閉させた。

「少しの間安全な場所に隠れていて」

「……分かりました」

 タローは小さく頷いた。ココノエの好意に甘えるのは卑怯だと思ったが、卑怯さで愛鈴を救えるのなら手段を選ぶ意味が無い。

「……それじゃあ行ってくるわ。最高のデートをしてくれなきゃ怒るんだから」

「任せてください」

 苦笑するココノエの言葉にもう一度頷いた後、タローはココノエの分身に抱えられ、スーッと北へ飛んでいく。

 視界の端でココノエが九本の尾を更に強く山吹色に発光させながら、愛鈴達が居る下方へと落ちていた。

――どうする? どうすれば愛鈴を救える?

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