第21話 死者の慟哭--青年とキョンシー ③

***


『皆盛り上がってるか! この年最後の時間を楽しんでるか! 終わり良ければ全て良し! 精一杯に騒げ楽しめ! 一年最後何をしても無礼講!』

 十一時五十八分。除夜の鐘がイエイイエイと自身を打ち鳴らす。

 鐘の音は轟音であるのにも関わらず、住民達の会話を邪魔しない。たとえ、目の前で鳴っていたとしても、住民達は互いの声を何時もの様に聞き取る事ができた。

如何なる力が働いているのか浮世絵町の誰も知らなかったが、この鐘の音はとても心地が良い。一説では浮世絵町の創成期、龍田と朱雀丸、そして竹虎達と同時期からこの鐘は毎年毎年響いているようだ。

 浮世絵町を見守り続けた鐘の音は今年最後を彩る様に締め括る様にしんみりとされど華やかに轟音を鳴らす。

 その音を聞きながら、コマメは未だ時子と共に黄城公園を見つめていた。

「ねえ、時子。そろそろ今年が終わってしまうよ。まだタロー達は戦っているようだね」

「そうだな。あの馬鹿達は大晦日を楽しむ頭が無いらしい。どうやら私の新年一日目は診察から始まりそうだ。まったく、診察料をふんだくってやる」

 時子の言葉にコマメはハハっと笑った。法外の診察料を請求され眼を丸くするタロー達と頭を抱える超常現象対策第三課の姿が目に浮かんだからだ。

「それは良い。タロー達もそれだけ請求されれば少しは懲りるだろう。もっと平和的に戦ってくれるはずさ」

 コマメはグルグルと包帯を巻かれ固定された自分の足と腕を見た。自分の四肢を追ったあの黒い服を着た道士が今タロー達と戦っているのだ。ユカリと戦い生き残れた相手なのだから間違い無く実力は確かである。

――また、タロー達に大福を振舞いたいな。

 前回、愛鈴を連れてタローがアズキ堂に来た時の事をコマメは思い出した。タローはアズキ堂の常連客であったが、あの日以降一度もタローはアズキ堂へ来なかった。

 コマメは自分が作った大福や団子やおはぎをタロー達に食べてもらうのがとても好きだった。客達が談笑しながら品を食べ、茶を啜る。コマメは小豆色の制服を着てその様子を見つめ、偶には彼らの和の中に加わる。

 コマメは早くまたタローにアズキ堂へと来て欲しかった。

 これからの穏やかな時間の中にはあのキョンシー、愛鈴が加わるだろう。彼女はコマメの大福をとても気に入ってくれていた。

 タローは今全力を持って愛鈴のために戦っているだろう。

 だが、コマメは複雑な気持ちだった。

「ねえ、時子。僕はタロー達に頑張って欲しいけど、タローに頑張って欲しくないんだ」

 素直に吐露したコマメの気持ちに時子は短く沈黙した。

「……ああ、私もそう思う」

「もう何度か聞いているけど、タローは加減できないのかな?」

「加減するための経験をあいつは積めないからな」

「そうだよね。そうなんだよね」

 コマメは溜息を付いた。何度も聞いている事だった。

 タローはこの浮世絵町で誰よりも頑張ってはならない人間だ。それをコマメは良く知っている。

「……タローはあんな〝力〟を持たなければ良かったんだ。タローが持つには過ぎた〝力〟だ。両刃の剣はあの馬鹿に重過ぎる」

 ふうっと吐かれた時子の言葉に、コマメは眼を丸くした。

「珍しいね。時子がそんな事を言うなんて。いつもの君ならもっと淡白に言うと思うけど」

「今日は大晦日で今除夜の鐘が鳴っている。私だって少しは失言するさ」

「うん。ならしょうがない」

 後ろ振り向いてコマメは時子と眼を合わせ、もう一度ハハッと笑った。

 何はともあれ何を言ったとしても、コマメはここでタロー達の無事を祈るしかない。

 ゴオオオオォォォォオオオオオオォォォオオオオオオオオオオォォォオオオオオォォォン!

 除夜の鐘の音に耳を澄ましてコマメは瞳を閉じた。


***


「何でマイクが飛んでくるかなぁ」

 サブローは自分の後頭部に薬壷の薬を塗りながら、ため息を付いていた。

 この鎌鼬の前にはカッカッカと赤い杯で酒を飲む法被姿の朱雀丸達が居る。彼らは今年最後の宴会をしている様だ。

 つい先ほど、除夜の鐘の音でサブローは眼が醒めた。喉自慢大会に吹き荒れた朱雀丸の暴風の中、巻き上げられたスノーマーメイド達の下着を求めた結果、後頭部へのマイクによって気絶していたのである。

――惜しかった。あと一秒、あと一秒マイクが飛んでくるのが遅かったら、エデンが見えていたのに。

 サブローは唇を噛み締めた。何故、自分はマイク如きで気を失ってしまったのか。ガールズウォッチングをしに来たあのガッツは何処へ行ってしまったのか。

 ため息を付いたが既に後の祭り。未だ祭りのボルテージは高まっているが、後の祭りなのだ。サブローはスノーマーメイド達の下着という滅多にお目にかかれない激レアなエデンを見逃してしまったのだ。

 この傷ついた心は朱雀丸達の宴会を通り過ぎる色鮮やかな着物で自身を彩った女性達で癒すしかないだろう。

 そんな傷心のガールズウォッチングの中、ふとサブローはタローの事を思い出した。眼が覚めたら先ほどまで一緒に居たあの青年の姿は無く、目の前には豪快に笑う天狗や鬼や付喪神やらが居た。タローの仕事に行ったのだろう。彼は本日愛鈴の依頼のため道士とやらと戦っているのだ。

「タローはどうしてっかねぇ」

 年が明けるまで後三分と成っていて、百八つの除夜の鐘の音の間隔が少しだけ早くなっていった。鐘のテンションが上がってきているのだ。

 まだタローは戦っているに違いない。タローが無事と分かればこの天狗が無理やりでも宴会に連れてくるからだ。

――そういえば、タローとの付き合いももう八年くらいになるのか。

 八年前のある日。タローはユカリに連れられて突然この浮世絵町に現れた。そしてタローはサブローの隣の部屋、チミモウリョウの202号室の住民となり、思えばその頃からサブローはタローと付き合いがある。

 考えてみれば長いものであり、それだけの時間タローの事を何度も知る機会を持てば飲み会に誘うようになる物だ。

――タロー、今回はどうする?

 サブローは胸中で問い掛けた。

 必要と有らば、タローは彼の持つ〝力〟を躊躇いながらも使うだろう。サブローはその事を経験から知っていた。

 では、自爆に近いあの力をタローが使ってしまったとして、どうするかサブローは考えた。

 答えはとっくの昔に経験的に決まっている。

――まあ、とりあえず、飲み会に誘うか。

 起こりうる可能性への対応を決めて、サブローはガールズウォッチングを再会した。

――やべえ、あの雪女めちゃくちゃエロい!

 ゴオオォォォオオオオオォォオオォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォン!

 除夜の鐘の中、この鎌鼬は何処までもいつも通りだった。


***


 均衡が終わり、どちらとも無く神通力と水龍が掻き消えたのは二十一度目の鐘が鳴った時だった。ココノエの周りに居た分身達はその力を出し尽くしたのか、全てただの人形の紙に戻っている。

 道士とココノエの距離は何時の間にか百メートル強まで離れていた。

 けれど、未だ道士は健在である。

――あれを耐えるか!

 タローは驚愕したが、ココノエはにやりと笑った。

 最初からココノエは道士を倒す気など無い。彼女は時間一杯まで逃げ切れれば良いのである。

 距離さえ開けばまだまだ逃げ切れる。九尾の狐は自身の逃走術に絶対の自信を持っていた。

 タローを抱くココノエの尾の力が一度強くなり、再び、タローはココノエに抱えられ空を飛んだ。

 ゴオオオオオオオオオオォォォォォォォォオオオオォォォオオオオオオオオオオォォォン!

「さあ、仕切り直しよ!」

 みるみるとタローの視界に移る地面は小さくなっていき、道士がココノエを追おうと立ち上がる姿が見えた。このまま、また先ほどと同じ空中戦が始まる事は想像に難くない。

 されど、その瞬間である。

「っ!」

 タローは眼を見開いた。

 敗北条件がのこのことその姿を現したのだ。

――くそっ! 勘弁しろよ!

「ココノエさん、下だ!」

「!」

 ココノエはすぐさまタローの意図を察知し、急上昇した体を急降下させる。

「待て!」

 タローは叫ぶが、少女は止まらない。

 少女は赤いチャイナドレス然とした服を来て、薙ぎ倒された木々を越え、真っ直ぐに道士の元へ飛んで来る。

 距離はもうすぐそこまで迫っていて止める事は叶わない。

 少女の額に貼られた下半分が破かれた呪言の札が風に吹かれて揺れ動く。

「ご主人様ぁ!」

 李愛鈴が空を飛び、道士の眼前へと舞い降りた。



「ドーマン!」

 タローはココノエに抱えられ急降下しながら、残り全てのドーマンの札四枚を躊躇わず道士へと投げつけた。下方の道士へと真っ直ぐに放たれる。

 今ここで道士を止めなければならない。

 事情は分からない。理由も分からない。愛鈴の身に何があったのかも分からない。

 それを問い質す時間は無い。状況がそれを許さないのだ。

 愛鈴をタロー達が見つける前に彼女が道士の前に降り立ってしまった。ならばタローがするべき行動は決まっている。

 みるみるとドーマンの札が道士へと近付いていく。

 時代錯誤名丸メガネの奥の瞳を見開いて道士は愛鈴を見ていた。上方からのドーマンの札に気付いた様子は無い。

 けれど、ドーマンの札は音も無くボッと燃え上がり、塵と化す。

 あれだけの神通力を耐え切る相手なのだ。庶民派陰陽師御手製とは言え、素人のタロー程度の攻撃など意味が無いのかもしれない。

――駄目か!

 タローを抱えたココノエは全力で飛び、愛鈴と道士の間へ、彼女の体を割り込ませ、道士へ右手、愛鈴へ左手を向け、強く叫ぶ。

「動くな!」

 タロー達から道士は十一メートル、愛鈴は三メートルの位置に居る。これで、ついさっき作った道士との距離はほぼゼロとなる。これでタロー達が逃げ切る事は不可能だ。

 だが、それで構わない。タローは護衛役なのだ。愛鈴を護らなければならない。

「…………」

 ココノエの神通力と道士の水龍によって木々が薙ぎ倒された一帯に沈黙が落ちた。

 道士は愛鈴を、愛鈴は道士を見つめ、ココノエがタローを山吹色に発光する九本の尾で抱えながら、彼らへ両手を向ける。

 タローは愛鈴を見た。

「愛鈴」

「…………」

「愛鈴?」

 彼の声が聞こえたのか聞こえなかったのか愛鈴の反応は無い。

 彼女はわなわなと震えながら道士を見つめていた。

 最早タロー達が彼女のすぐ眼の前に降り立ったことさえ気付いて居ないのだろうか。

 ゴオオオォォオオオオォォォオオオオオオオオオオオオォォォオオオォォォン!

 ゴオオオォオオオオオオオオォオオオオォォォオオオオォォォオオオォォォン!

 ゴオオオォオオオオオオオオォオオオオォォオオオォオオオオォォォォォォン!

 間隔が短くなってきた除夜の鐘の中、愛鈴はしばらく肩を震わせた後、額の破れた呪言の札に触れた。

 クシャっと愛鈴の右手が彼女の前髪ごと、呪言の札を握りしめ、口を開いた。

「……ご主人、様。一つ、一つだけ、聞きたい事があります」

「…………」

 道士は何も言わなかったが、愛鈴はそれを一瞥した後、意を決した顔をして言葉を続けた。

「ご主人様、わたしは、」

 だが、それも途中で止まる。

 愛鈴の口は陸に打ち上げられ死を待つだけの金魚の様にパクパクと開閉し、徐々にハァハァと息が乱れていった。

「わた、しは、」

 ゴオオオォォオォオオオオオオオオオオオオォォォオオオォォォン!

 ゴオオオォオオオオオオオオォォォオオオオォォォオオオォォォン!

 ゴオオオォオオオオオオオオォオオオオォオオオオォォォォォォン!

 ゴオオオォォオォオオオオオオオオオオオオォォォオオオォォォン!

 ゴオオオォオオオオオオオオォォォオオオオォォオオオオオオォン!

 加速していく除夜の鐘。愛鈴は左腕で震える肩を抱く。右手の力は強くなり、破かれた呪言の札が更にクシャクシャに歪んでいくのがタローには分かった。

――どうするっ?

 行動を考えるが、タローには手段を思いつかなかった。愛鈴へと駆け寄るべきかと考えたがそれは悪手である。今、タローはココノエの尻尾に包まれていて、それを振り切って愛鈴の元へ行く事は死のリスクが高過ぎる。

 今、何故か道士は沈黙して愛鈴を見ているが、いつまた攻撃を始めるか分からないのだ。タローに出来る事は愛鈴へ声をかける事でだけであるが、それさえも彼女の耳には届いていない。

 今、タローには打つ手が無かった。ただ、この状況を見守る事しかできない。

 ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォオオオォォォン!

 ゴオォオォオオオオオオオオォォォオオオオォォォオオオォォォン!

 ゴオオオォオオオオオオオオォオオオオォオオオオオオオオォォン!

 ゴオオオォォオォオオオオオォォォォオオオォォォオオオォォォン!

 ゴオオオオオオオオオオオオォォォオオオオォォオオオオオオォン!

 愛鈴は振り切る様に頭を振った。両手を握り締めて胸の前にプルプルと震わせながら持っていく。

「わたしはっ」

「……」

「……わたし、はっ」

 呪言の札の奥、愛鈴の顔は恐怖に彩られていた。

 パンドラの箱を開ける様に、その中に希望があると信じたいでも言いたいかの様に、その口が何度も開閉する。

 だが、だが、仮に、箱を開いてしまった時、そこに在る物が極大の絶望だとしたら?

 自分には希望が無かったのだとしたら?

 そんな恐怖が愛鈴の瞳から見て取れた。

 十二歳程度の外見のキョンシーが浮かべるにはあまりに悲痛な表情。

 そして、何度目かの従順の後、とうとう愛鈴はその言葉を紡いだ。

「ご主人、様。わたし、は、わたしはっ、李愛鈴はっ。李愛鈴は何で〝死んだ〟のですか?」

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