第23話 死者の慟哭--青年とキョンシー ⑤

***


『そろそろ宴もたけなわ! 残す鐘も後三十! ラストスパートの始まりだ!』

 空へと鳴り響く除夜の鐘を聞きながら、オニロクは愛鈴と道士そしてココノエ達から南に五十メートルほど離れた所で足を止めた。

「ここにするか」

 呟きながらオニロクは、抱えていたユカリを大きめの木を背もたれにして座らせる。

 ここからでも李愛鈴の叫び声が聞こえてきた。彼女に何かがあったのは明白である。

 自分も行かなければならない。何とかして日を跨ぐまで時間を稼ぐのだ。

 オニロクでは道士に敵わない。その懐に入る前に倒されてしまう。だが、彼の頑丈さがあれば数分は時間を稼げるはずだ。

 現在時刻は午後十一時五十八分。数分の時間を稼げれば、十分にユカリは蘇る。

 さて、行こうかと足に力を込める直前、オニロクはユカリの姿を見た。

 灼髪を首へと流しながら、眼を伏せる彼女は、姿だけならば格調高い貴族の様だ。

「赤の女王、早く生き返れ。お前にはまだ仕事がある」

 聞こえてはいないが、オニロクはユカリへと伝言を残し、両足に力を込めた。

 この一月近く続いた道士との戦いもこれで最後である。

――取り逃がしてなるものか。

 赤銅色の肌を持つ鬼は鉄の拳を握り、戦場へと再び突貫した。


***


「良いぞ良いぞ! もっとお前の力を見せてくれ!」

「だまれ!」

 隠しきれない満面の笑みを浮かべる王志文へと、愛鈴は激怒した。

――――――――。

 最早、心中は言葉を為していない。怒りと悲しみと悔しさを掻き混ぜて何百倍にも濃縮した激しい感情の揺れ幅に思考が乱されている。

 今の愛鈴にあるのは、目の前にいる王志文への感情の嵐だけだった。

 愛鈴は自分でも気付かない間に、空を飛び、雷撃を、緑炎を、烈風を支配下に置いていた。

 体中に黄緑の炎を纏い、両手から紫電を放ち、情動に揺らされて旋風が勢いを増しながら王志文へと飛んでいく。

「ああああ!」

 愛鈴は左手から雷撃を右手から緑炎を自身の作り出した竜巻に放った。

 旋風は色を黄緑に変え、全体をバチバチと紫に帯電させ、地面を抉りながら王志文へと向かっていく。

 しかし、それを王志文はいとも簡単に眼を見開いて笑みを浮かべたまま防いだ。

 王志文は青、赤、黄、黒の紙を鉄串で一纏めにして地面へと落とし、瞬間、王志文が立っていた地面は泥沼と化し、津波と成って愛鈴が放った紫電を纏う緑炎の竜巻を飲み込んだ。

「ッ!」

「『押し流せ』」

 そして、再び愛鈴が烈風を出すよりも早く、愛鈴が目の前に現れた数十トンの水流に押し流された。

 濁流に揉まれ、愛鈴は地面へと数秒間押し潰された。

――まだ、まだ!。

 愛鈴はすぐに立ち上がり、キッと王志文を睨み付け、再び走り出した。

 何度でも愛鈴は炎を雷を風を王志文へ放っていく。

 だが、それら全てが赤子の手を捻るように王志文にあしらわれていた。

 緑炎は水龍に飲み込まれ、紫電は鉄槍に吸い込まれ、竜巻は土壁に阻まれる。

 どうやっても愛鈴と王志文の距離が縮まらない。

 愛鈴はまだ自身が目覚めた力を制御できないでいた。宙を飛ぼうにも直線的に全力でしか飛べないし、炎も、雷も、風も、真っ直ぐにしか飛ばせない。威力も全て全力だった。

 もしも、愛鈴が自分の力を完璧に制御できているのなら、今のような無様な姿はさらしていない。だが、全力で真っ直ぐにしか動けないようでは王志文の格好の的だった。

「さあ、さあ、まだまだこんなものではないだろう! お前は私の最高傑作なのだ! お前の全てを見せてくれ!」

「うるさ、い!」

 だが、愛鈴は退かなかった。退くわけにはいかなかった。

 目の前に居る男は、自分の全てを奪った男なのだ。この男は、彼女の村を奪い、家族を奪い、世界を奪ったのだ。

 愛鈴は救われたと思っていたのだ。王志文のおかげで、自分はこれからも生きていける。まだ、自分には未来があるのだと、そう歓喜したのだ。確かに、父も母も血反吐を吐いて死に、家族は自分と姉しか残らなかったけれど、それでも自分達は生き残り、これからも生き続けて行けるのだと思っていたのだ。

 だが、それは全て王志文によるものだった。初めから愛鈴達は救われてなどいなかった。

 何時からは分からない。けれど、王志文は確かに愛鈴達を死なせ、キョンシーとしたのだ。

 退いてはならない。逃げてはならない。許してはならない。

 もう生きてはいない。既に死んでいる。それでも自分は最後の死に損ないなのだ。李愛鈴があの村で唯一、王志文の正体に気付いたのだ。

 愛鈴には分かっていた。もう今更であると。今更、王志文に何かをしたとして、王志文を許せないとして、何だというのだろう? 愛鈴達はとうの昔に死んでいて、全てがもう終わっている。手を施せたのは遥か昔、王志文が村に現れる前の事。

 今更、愛鈴が何をしたところで、何もかも変える事はできない。

 それでも、愛鈴は退かなかった。退くわけにはいかなかったのだ。

「ああああああああああああああああああ!」

 愚直に、それ以外の手段を知らないのだから、真っ直ぐに、愛鈴は王志文へと一センチでも距離を詰めようと叫びを上げた。



 ゴオオオォオオオオォォォオォン!

 除夜の鐘が鳴り響く。

 愛鈴が王志文に近付いては離される事を四度繰り返した時、空と地より乱入者が現れた。

「……シッ!」

 空から先ほどタローを抱えていた妖狐が、その山吹色に光る九本の尾を一杯に広げてそれぞれの先から藍色の狐火を、

「うらぁっ!」

 森から飛び出したオニロクが、その剛腕を、それぞれ王志文へと放った。

 九つの藍色の狐火はゆらゆらと不規則に揺れ動き、それとは対照的にオニロクの巨体が真っ直ぐに王志文へと近付いてく。

「『絡め取れ』」

 王志文は猛烈な速度で自らへと近付いてくる鬼と狐火に対して、地面へ青と黒の紙を落とす事で対処した。

 短冊ほどの大きさの青と黒の紙は地面に触れた瞬間数十本の長い水を纏った蔦となり、それがオニロクと狐火を絡め取ったのだ。

 狐火は蔦を焦がす事もできず、九つ全てが蔦へと絞め潰された。

「ちっ!」

 空の九尾が強く舌打ちをし、パチンと右手の指を鳴らす。それと同時に王志文は後方へと飛び、たった今まで王志文が立っていた地面がくり貫かれるように陥没した。

 だが、その隙にオニロクは右半身に絡みついた蔦を引き千切り、即座に構え、王志文を睨み付けた。

 三秒にも満たないこの間、愛鈴は一歩も近寄る事ができなかった。突然現れた妖狐とオニロクに驚き、固まっていたのだ。

 彼らがこの場に現れる事はある種当然であり、むしろ、今李愛鈴というキョンシーがここに居る事こそ異常であると分かっていたけれど、愛鈴はオニロク達が現れた時、放心してしまったのだ。

 放心し、ハッと思考が再開した時、愛鈴は激怒した。

「邪魔を、するなぁ!」

 愛鈴は自分の敵では無いはずのオニロク達ごと、王志文へ竜巻を放った。今ままで最も大きく強い烈風は地面を抉り、土塊を辺りへと撒き散らしながら、全てを飲み込もうとその大口を開ける。

 許せないのだ。王志文の眼が自分以外へ向く事を愛鈴は許せなかった。今、愛鈴は復習者として相対しているのだ。自分以外の者へ眼を向けるなどあってたまる物か。

 李愛鈴の復讐なのだ。李愛鈴達の復讐なのだ。わたし達以外がこの場所に居てたまるか。そんなまとまりが無い、理性が働いていない思考が、愛鈴を凶行に走らせる。

――きっと、長くは持たない。

 愛鈴には分かっていた。額に貼られた呪言の札を剥がした時から、どんどん思考が働かなくなっている。体がみるみると腐り落ちている。このままではすぐに愛鈴の体はグジュグジュに腐り落ち、物言わぬ死体へと戻るだろう。

 死体に戻る前に、まだ意識がある内に愛鈴は、王志文への復讐を遂げなければならないのだ。

 それを邪魔するのならば、何物であろうと愛鈴の敵である。

「この馬鹿!」

 愛鈴が放った烈風に九尾の狐が苛立たしげに、両手の指をパチンと鳴らした。竜巻の左側方に何か強い力が巨大なハンマーのように叩きつけられたのが愛鈴には分かった。

 竜巻の進路は右へと変わり、間一髪でオニロクを巻き込まない。

 けれど、愛鈴はそれで止まらなかった。

「ああああああああああああ!」

 先ほど同サイズの烈風を、極大の緑炎を、白く光る紫電を、出鱈目に愛鈴はオニロクたちへと放ち続けた。一歩でも王志文に近付くために、邪魔者を排除するために、もうこのキョンシーには敵味方の区別は無かったのだ。

 しかし、

「ああ、もう!」

 山吹色の着物を着た艶かしい妖狐が心底うざったそうに、懐から山吹色の巾着袋を取り出した瞬間である。

「『分断しろ』」

 王志文の黄色い紙と共に、高さ百メートルほどの巨大な土壁が、愛鈴のみを分断するように一帯へと生えた。

 愛鈴が放った炎達は、全て土壁へとぶつかり、そこを削るだけに終わる。

 また、王志文の姿が愛鈴に見えなくなった。

――――――――――ッ!

 土壁を乗り越えようと、愛鈴は空へ飛ぼうとしたが、それは叶わなかった。

 空を飛び、後少し土壁を乗り越えられようとした時、誰かが愛鈴の体を体当たりするように抱き締めたのだ。

 愛鈴は彼女を抱き締めた誰かと共に、また土壁の向こう側へと叩き落される。

――――――――――$&*%!

 言葉にならない感情が爆発する。

また、新たなる邪魔者が現れたのだ。それは愛鈴が王志文の所へ行く事の邪魔をする。

 愛鈴は地面を背にして、自分を地面へと叩き落した者に馬乗りにされていた。

 何故、邪魔をするのか。わたしは復讐を遂げなければならないのに。

 愛鈴は自分を抱きとめた主をキッと睨み上げた。このまま燃やしてやると思ったのだ。

 だが、愛鈴はそうできなかった。

 彼女は眼を見開いた。目の前に居た者に眼を奪われていたからだ。

 その者は王志文の服と似て、けれど、やや流線型に近い黒の道士服を着ていた。黒い髪は首元から川の様に流れ落ちる。肌は白魚の様に真っ白で、黒曜石の瞳は見開かれ、左目蓋には泣き黒子があった。額には呪言の札が貼られ、その表情に色は無い。

 彼女の顔は酷く愛鈴と似ていた。いや、愛鈴が彼女と似ていると言った方が正しい。李愛鈴と言う少女が後三年もしたら、眼前の彼女のように成るだろう。

 愛鈴は彼女の顔に見覚えがあった。毎日朝昼晩と話し、自分を支え続けてくれた人の顔を忘れられるものか。

「……姉、さん」

「………………」

 見間違いようが無い。

 愛鈴の目の前には、彼女の最愛にして最後の家族、李明鈴が居た。

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