第6話 女王の炎--道士との対顔 ②


「……居た」

 浮世絵町から出て数十分、ユカリは視界の下方にて空中で立ち止まり自分を見上げる男を見つけた。

 黒の道士服、タローと同程度の背丈、雰囲気は優男で時代錯誤な黒縁の丸眼鏡。ココノエの情報と違わない。

 男は地上から百五十メートルほど、ユカリは二百五十メートルほどの高さに居た。

 ユカリは滑空する様に自身の高さを下げて行き、男と同じ高さまで高度を下げて、自分の正面二十メートル程の所に男の姿を見た。

 近くで見ると、なるほど確かに優男。髪は長くも短くも無く無造作に伸ばされていて、古びた図書館などがお似合いだろう。

「……お前が道士か?」

「#$%&%$?」

 問い掛けて見たユカリの言葉への男の言葉をユカリは分からなかった。

「……そうか。言霊は居ないのか」

 浮世絵町には偶にしか眼に見えてこないが言霊達が至る所に存在している。

 言霊というオトギは種族や言語の違う住民達の会話の媒介をしてくれ、彼らのおかげで住民達はコミュニケーションを出来ているのだ。

 彼らが居なければ李愛鈴の言っている事などユカリは分からなかっただろう。

 ならば、とユカリはコートの左ポケットからオニロクから渡されていた錠剤取り出し、これを飲み込んだ。一時的にだが言霊の力を得る薬である。

「さて、もう一度聞く。お前が道士か?」

「一体何のようだ? 私は先を急いでいる。邪魔をしないで貰いたい」

 外見に反して口調は大仰だった。ユカリは少し意外に思ったが言葉を続ける。

「いや、そう言う訳にもいかない。こっちにも事情があるんだ。……言い方を変えよう。お前今キョンシーを追っているのか?」

 ユカリの言葉に男の肩がピクッと止まった。

「……なるほど。アレはお前達に頼んだのか」

「ああ、あたしが頼まれたのはお前からあいつを守る事だ。さあ、これであたしを無視できなくなっただろう?」

「……仕方ない。『切り裂け』」

 男がそう四文字の言葉を発した瞬間、ユカリは直感的に真下へと逃げた。

 高速に動く箒に乗った体とは違い、その軽さゆえ、未だ頭上に残る赤髪の幾らかが切り落とされる感触がユカリに伝わった。

 とても鋭利な、けれど透明な何かがユカリの首めがけて一直線に飛んで来たのだ。

 後コンマ二秒動くのが遅れていたら、ユカリの首は胴から落とされていただろう。

 これにユカリは内心歓喜した。

 もしも今、この男が戦闘の意を示さなかったら、ユカリは戦う事が出来なかった。あくまで彼女に命じられた仕事は迎撃なのだ。

 今、自分が戦う正当な理由を作ってくれた事にユカリは感謝する。

「……空気の刃みたいなものか? 今のどうやったんだ?」

「答える必要は無いだろう。お前はここで死ぬのだから」

 男は無感動にユカリを見たままである。

「面白い。さあ、やろうぜ」

 にんまりと笑うユカリの全身を白い炎が包んでいき、くわえ煙草に火が灯る、

 ユカリは男へと右手を向けた。

「燃え上がれ!」



 高速で移動しながら男へユカリは炎を放っていく。時刻は午後二時を越え、気付いたら彼女達の眼前には雪で彩られた山脈があり、眼下には扇状地であろうこれまた雪景色と成った平野が広がっていた。

 ユカリが作り出す炎は摂氏二千度を越え、予兆も無く彼女の思うままに空間中に生まれていく。ユカリが思えば炎を生き物のように意志ある存在へとする事も出来るし、爆発させる事も出来た。

 炎は上下左右前後、球状に男を追い詰めるが、それらを男は全てかすりもせずに対処する。

 気付いたら男は体中に水を這わせており、その水がユカリの炎を打ち消していたのだ。

 どれほど熱い炎であれ、熱が届かなければ意味が無い。

「水剋火、か」

「『押し潰せ』」

 再び男が命じた瞬間、ユカリの頭上より数百トンほどの量の水が土石流のように襲って来た。

「はっ!」

 瞬時にユカリは螺旋状の炎を上方の濁流に向かって放ち、瞬間水蒸気爆発が起きる。

 鼓膜を破らんばかりの爆音が響き、生まれた白い煙に紛れてユカリは男へと一気に近寄り、そのまま箒を鉄棒の様に持って大車輪をするようにくるりと一回転し、踵を男の旋毛へと叩き付けた。

「らぁっ!」

 男の体が百メートル下の地面へと叩きつけられ、その衝撃で粉雪が舞う。

 ユカリはそのまま追撃するべく、男の落下点へと追従した。

 しかし、

「『掴まえろ』」

「ッ!」

 男の周りにあった地面から巨人族の如き大きな土塊で出来た右腕が生え、それにユカリの体は掴まれた。彼女が乗っていた箒が宙へ飛ばされる。

 男はそれを確認するや否や立ち上がって宙を飛び、人差し指と中指を伸ばした右手を指揮棒のように地面へと向け、左手で懐から赤、黒、青、黄の四色の紙を取り出した。

 そして、男はそれらの紙を右手で指す方向へと投げ落とし、懐から投げ付けた鉄串によって四枚の紙は雪原へと縫い付けられる。

「『溶けろ』」

 瞬間、地面が泥沼と化し、ユカリは土塊の腕によってそこへ引きずりこまれた。

「放――」

 右手と胸から下以外が地面へと埋まり、ユカリは自身へと右手を向ける男が何か言う前に命じた。

「爆ぜろ! 来い!」

 男の背後に浮かんでいた無数の槍と共にそれを爆発させる。

 爆風に男は距離を取り、その間に空高くに飛ばされていた箒がユカリの側まで来た。

 そして、これをユカリは右手で掴み、泥沼から自分の体を引き上げた。

 ユカリはすぐさま箒へと腰掛けて、男を見上げる。

「……炎しか使えないというのに良く対応する物だ」

「お前こそ、あたしの炎を真正面から対応できる奴なんて久しぶりに見たぞ」

「お前を殺すのは骨が折れそうだ」

「言ってくれるな。殺す事は可能だとでも言っている様じゃないか?」

「お前の炎は私には届かない」

 男の言葉は確信に満ちていて、これにまたユカリは歓喜した。

 本当に久しぶりである。自分が戦っても壊れない相手というのは。

 挑発をされるなど何時振りだったか?

 これほどの相手ならば、本気でやっても構わないだろう。

 ユカリはまるで十年来の友人の様に男を見て、小首を傾げた。

「じゃあ、試してみるか? ……行くぜ、簡単には死ぬなよ?」

 愉しげにユカリは笑い、瞳を閉じた。


 ユカリが体に纏っていた炎が強く逆巻き、周りに渦巻いて広がっていく。

 渦の半径が二メートル、十五メートル、五十メートルと大きく、白く、強く炎の中にユカリの姿は埋まっていく。

 雪は全て昇華され、草々も炎に触れる前に炭化する。くわえ煙草は灰となった。

 そして、渦巻く炎の半径が八十メートル近くに達した時、ユカリは彼女の炎へと高らかに命じた。

「さあ、現れろ! パーティの時間だ!」

 一際強く高さ二十メートルほど炎が逆巻いて、それは舞台の幕が上がるようだった。

 炎の天幕が剥がれた後、ユカリの周りに舞踏会が広がっていた。

 中心には中世のドレスを来た淑女達、それを囲むように燕尾服を着た紳士らが居り、これらを守るようにしてランスを持った甲冑服が控え、更に周りには舞踏会を盛り上げるように狐や狼や鹿が走り回っていた。

 舞踏会の参加者の数は何れも炎で出来ていて、その数は凡そ二百。

 ユカリは新しい煙草を取り出してくわえ、再びこれの先に火が灯る。

 舞踏会の出席者達は男へ手を向けた。

「Shall we dance?」



 終始無表情だった男の顔色が変わった。

 まず、狐達がじゃれ付くように男へと走り出した。

「『射抜け』」

 自身に向かって走ってくる炎弧を射抜くように水の弾丸を浴びせる。

 はたして、水の弾丸は狐達の全身を貫いた。

 しかし、狐達の脚は止まらない。胴が分かれてしまったら、そのまま分裂するように二匹の狐と成ってその数を増やしていく。

 ならば、と、

「『飲み込め』」

 男は十数匹の狐達全てを飲み込めるだけの大量の津波を空中に作り出した。

 けれど、

「意味ねえよ」

 それと同時に、炎の騎士達が出撃する。

 彼らはバチスタとなって狐を飲み込まんとする津波へと大槍を突き出した。

 槍先が津波に触れた刹那、水は一瞬にして爆発し、そこに大きな穴が開く。

「行け」

 サーカスの様に大穴を狐達は潜り抜け、男へと噛み付いた。

「!」

 男は驚愕した。自分は今、道力を込めた水の膜を纏っていると言うのに体中を噛み付いてくるこの狐達から明確に熱を感じているのだ。

 一秒もすれば膜を破られ、彼の体は黒炭と化すだろう。

 男はすぐさま懐より黄色と黒の紙、そして鉄串を取り出し、黄色の紙を炎弧へと当てた。

 黄の紙は一瞬にして灰になりそこから多量の土くれが生まれ、それに男は鉄串を突き刺した。

 すると瞬時に土塊は白銀へと変わり、それに男は残った黒い紙を押し付けて、叫んだ。

「『纏え』!」

 白金より結露と言うのにはあまりに膨大な水が溢れ、それらに炎弧達は押し戻された。

 狐達はキャインと嘶きながら、ユカリの傍らへと戻り、彼女は狐達の頭を撫でる。

「ちっ、惜しい」

 ユカリは愉快そうに舌打ちをした。

 今、男が先ほどと同じ様に水を出していたのなら、炎狐の牙は男が纏う水膜を貫き、男を殺していただろう。しかし、

「火生土、土生金、金生水。よくもまあ一瞬で出来るもんだ」

 陰陽五行の考え方の中に五行相生、五行相剋という考えがある。

 五行相生曰く、木は火を生み、火は土を生み、土は金を生み、金は水を生み、水は木を生む。

 五行相剋曰く、木は土に剋ち、土は水に剋ち、水は火に剋ち、火は金に剋ち、金は木に剋つ。

 両者は陰陽術の基本的な考え方であり、男は先ほどからこれらを使ってユカリの炎に対処していた。

 今も、ユカリの炎を起点に土、金、水と強化していき、炎弧達を退けた。

 男は空中より、箒へ腰掛ける魔女を見つめていた。

「……炎の魔女よ。お前の烈火に敬意を称そう。先ほどの言葉は撤回する。お前を殺すのは難しそうだ」

「そりゃどうも。さあ、次は全員で行くぜ? どう対処する?」

 ユカリの言葉に二百の舞踏会の出席者たちが浮き上がり、今か今かと男へと手を伸ばした。

 しかし、

「……いや、逃げさせてもらう」

 男はそう言って、雪化粧した山脈へと左手を向けた。

「何? ……っ! てめえ!」

 男の言葉に眉を顰めたユカリだが、瞬時に男の意図を察知した。

「行け! 逃すな!」

 ユカリは家来達に号令し、弾丸の速度を持って彼らは男を舞踏会へと引き込もうとする。

「惜しかったな。魔女よ」

 が、それらは一歩遅かった。

 男が左手の指をパチンと鳴らした瞬間、山脈全体が轟音に揺れる。そして、山脈を彩っていた雪全てが地響きを持って崩れ始めた。

 大規模な雪崩である。

 まるでケーキのクリームを剥がすように、山全ての雪が剥がれ落ちてきたのだ。

 男は津波の様に山から降りて来る雪へと飛び出す。

「待て!」

 すぐさまユカリは追うが、彼女と男の飛行速度はほぼ同じ。

 程無くして、男は大雪崩へと自殺者ごとく飛び込んだ。

「ちっ」

 ユカリは箒を急旋回させて上空へと飛び、雪崩を回避する。

「くそっ、やられた!」

 眼下には流動する雪。木々を飲み込み、先ほどユカリ達が剥がした雪原の雪も元通りに成っていく。

 こうなっては、ユカリでは見つけられないだろう。

「ココノエも連れて来れば良かった」

 ユカリは舌打ちをしながら、しばらく雪崩を見つめた後、空へと飛び去った。

 ここで待っていても自分では道士を見つけられないだろう。

 ならば、浮世絵町で男を待っていた方が無難である。

 雲より高く飛び、浮世絵町へと帰りながら赤の女王は溜息を付いた。

「ああ、あんなに強い奴は久しぶりだったのに」



「というわけだ、オニロク。すまん、取り逃した」

「何をやっているんだ。赤の女王」

 浮世絵町へと帰り、夕方のパトロール中のオニロクを見つけたユカリはあっけらかんと報告し、それにオニロクは頭を悩ませた。

「あいつマジで強いぞ。この町で勝てるのはあたしと朱雀丸、龍田に竹虎ぐらいだ」

「お前が言うのなら本当なのだろう。だが、私が言っているのはそういう事ではない。……まあ、良い。逃がしてしまった事はこの際言及しない。これからどうするつもりだ?」

「とりあえず、またココノエの所へ行ってみるさ。もう一度千里眼が通じるとは思わないけどな」

「……そうか。了解だ。私も警戒を続けよう」

 オニロクは話を打ち切ろうとしたが、ユカリはそれを止めた。

「ちょっと待て、オニロク。頼みたい事がある。」

「何だ? 無茶な要求は聞かんぞ?」

「あたしが無茶な要求なんてした事あったか?」

 どの口が、とオニロクは思ったが、黙ってユカリに続きを促した。

「第五課をあたしが訪れる事を言っておいてくれ。あの課に道士の本名を調べてもらいたい。あたしの記憶なら見せてやるから」

「……分かった。伝えておこう」

「サンキュー」

 軽妙に礼を言った後、ユカリは軽快にふわりと箒へ跨った。

「じゃあ、あたしはココノエの所へ行ってくる」

「ああ」

 オニロクの返事を聞いてすぐ、ユカリは空へと飛び立った。

 赤の女王の姿を見つめ、オニロクは懐より特注の携帯電話を取り出し、第五課へと電話を掛けた。

「……私だ。後ほど赤の女王がそちらへ行く。…………私に文句を言うな。すまんが頼んだぞ」

 電話を受け取った相手が文句を言う前に電話を切った。

「さて、行くか」

 苦労性の鬼は溜息を吐きながらパトロールを再開した。

 まだまだ本日の仕事は残っている。一体何時頃、道士はこの町に来るのだろうか。

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