第5話 女王の炎--道士との対顔 ①

 さて、タローがオニロクから労いの言葉を受けている頃、超常現象対策第六課を率いる赤の女王、ユカリへと視点は変わる。

「まずは何処に行ったものか」

 そう呟きながら超常現象対策課があるビルから出たユカリはくわえ煙草を揺らして、深紅のトレンチコートの左ポケットからオニロクより奪った李愛鈴の資料を取り出した。

「李愛鈴、外見年齢十二歳、実年齢不明、出身地不明、李愛鈴をキョンシーとした道士の情報は一切明かさなかった。第二課の鑑定によると、中国北東部の山近くに住んでいた記憶あり。しかし、道士の外見の情報にはもやがかかった様に判別不能。……見事に情報が欠けているな」

 超常現象対策課は第一課から第六課まであり、それぞれで専門としている仕事が違う。

 第一課は町の警備と守護

 第二課は検査と鑑定

 第三課はあらゆる雑務

 第四課は救護と後方支援

 第五課は交渉と捜査

 第六課はその他の揉め事

 ちなみにユカリがこの町に来た時、無理やり作らせた課が第六課である。

 数十秒、ユカリはどうするか思案した。どうせ、この浮世絵町で待っていても李愛鈴をキョンシーとした道士とやらは彼女を奪いに来るだろう。なぜなら、

「あんな見事なリビングデッド見たこと無い」

 ユカリの唇が三日月形に吊り上がった。

 けれど、ユカリに待つ気などさらさら無かった。果報を寝て待たず、取りに行くのが彼女である。

「ああ、楽しみだ」

 あれ程のキョンシーを作り上げた者ならば、自分を満足させてくれるかもしれない。

「とりあえず当たりをつけるか」

 ユカリは足をタローが住むアパート『チミモウリョウ』へと向けた。あそこには彼女の昔なじみが居る。



「おーいココノエー、起きてるかー?」

 チミモウリョウの一階にある101号室のドアをユカリは遠慮無くノックした。

 ガンガンガンガンガンガンガンガンガンガン!

 ただひたすらに絶え間無く近所迷惑も甚だしいノックをしているが、ユカリには一切の罪悪感が無い。

 この時間にこのアパートに居るのは101号室の住民だけだと分かっていたし、こうでもしないとこの部屋の住民は起きて来ないのだ。

 ガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガ―――

「うるさああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁい!」

 と、どうやら起きた様である。ユカリはヒョイッと後ろへ一歩下がり、その瞬間ダアァァン! と勢い良く101号室の木製のドアが叩き開かれた。

「なになに何なの!? うるさいわよ! ただ純粋にうるさいわよ! 寝ているのよこっちは! 寝させなさいよ私を! 瞼が重いのよ!」

 全力を持って唸る101号室の住民には九本の山吹色の尻尾が生え、その髪は尾と同じ眼も眩むような山吹色であり、頭には三角形の耳が二本ピョコンと付いている。目鼻は人形かのように整っていて、尾と同じ色の着物に彩られた肢体は官能的であり、男ならば誰もが魅了されてしまいそうであった。

 まあ、その外見も今の彼女の唸り様と深く付いた隈によって台無しだったが。

 彼女の名はココノエ。九尾の狐である。

「よう、ココノエ。喜べ、仕事だ」



 101号室の部屋に入り、中心にちゃぶ台が置かれた六畳一間のリビングへユカリは堂々と胡坐をかいて、脇に脱いだトレンチコートを置き、ココノエへと茶を催促していた。

 リビングに置かれたテレビにはゲーム機のハードが取り付けられコントローラーが片付けられもせずに置かれている。おそらくココノエはゲームで徹夜をしたのだろう。ココノエは狐のオトギである性か夜行性であり、昼間は基本的に寝ているのだ。

 ココノエは剣呑なジトッとした眼で傲岸な来客の姿を見るが、諦観の溜息を付き、二つの湯飲みに茶を入れ、ちゃぶ台の上にコトっと置いた。

「おう、ありがとう」

「どーも」

 ココノエはユカリの対面に向かい合って正座で座り、茶を飲み始めたユカリへ早速問い掛けた。

「で、私の安眠を妨害してまで何の用?」

「さっきも言っただろう? 仕事だ」

「だから、何の仕事なのよ?」

 ふわぁっとココノエは上品に欠伸をした。唐突なユカリの訪問などココノエにとって慣れた物であり、早急にユカリの用件を叶え再び眠りたかったのだ。

 湯飲みに入れた茶をユカリは一口飲んで、彼女の本題に入った。

「今浮世絵町にキョンシーが来ているのは知っているか?」

「あら、珍しい名前のオトギ出てきたわね。何処に居るの?」

「多分タローと一緒に居――」

「それを早く言いなさいよ!」

 ユカリがタローの名前を出した途端、ココノエの眼の色が変わった。下手をしたら瞳の中にハートマークさえ見えてきそうである。

「……お前未だにタローに惚れんてんのか」

「ユカリには分からないのよ、タロー君の良さが。私からすればあんなに近くに居るのに彼の良さが分からないあなたの方が異常よ。いえ、彼が異常であるからこそ、同じく異常なあなたには魅力が伝わらないのかしら。とりあえず、ちょっと待って……」

 ココノエは瞳を閉じた。

 ココノエは千里眼を持っている。彼女が認識した物、またはそれに縁が有る物であるのなら、人であろうとオトギであろうそれらの持ち物であろうと出身地であろうと何処に有っても見通せる力を持っているのだ。

 目的のものを見つけ、ココノエは薄く瞳を開ける。

「……居た。鎌鼬達と一緒居る。この隣に居る白いのがキョンシー?」

「ああ、このキョンシーの主を探してくれ」

「嫌よ。面倒くさい。何が哀しくて好きでも何でも無い奴を覗かないといけないのよ」

「一応言っておくが、好きな男だとしてもそいつの私生活を覗くのは犯罪だからな?」

「愛があれば良いのよ。愛があれば」

 ココノエは神通力の力を悪用し、良くタローの事を観察していた。何処まで行っても逃げられない最悪のストーカーである。もちろんこの事をタローは知らないし、ユカリも言うつもりは無い。

「ああ、言っとくけど、そのキョンシーの主を撃退なり何なりするまで、そいつタローと一緒に住むから」

「何よそれ羨ましい! 何で私より早くこの白いのがタロー君と暮らすわけ!?」

「それが嫌ならさっさと探してくれ。あたしはそいつと戦いたいんだから」

 ユカリの言葉に恋する狐は頷くしか無かった。

「分かったわよ。何かこのキョンシーの持ち物とか血液とか髪の毛とか無いの?」

「ほれ」

 ユカリはポケットから長い黒髪を一本取りそれをココノエへと渡した。愛鈴から気付かれないうちに一本取っておいたのである。

「相変わらず手癖が悪いわね」

「ほっとけ」

 ココノエはユカリから李愛鈴の黒髪を受け取り、額に当てて再び眼を閉じた。

「この黒髪の持ち主を使役していた道士が何処に居るのかを探せば良いわけね?」

「ああ」


***


 瞳を閉じて千里眼を使う時、ココノエからはいつも視覚以外の情報が遮断されていた。

 まず見える物は自身の瞼であり、色は黒、真っ暗闇。

 その次に徐々に徐々に瞳を閉じた視界の中に光が指して行く。

 強くなった光の中心には先ほどタローを〝視た〟時に妬ましくも傍らを占拠していた白いダッフルコートの少女が居る。

 ココノエは千里眼における自身の視点を彼らから高さ二メートルほどにとりあえず固定する。

 少女の隣には先ほどと同じ様にタローが居て、ココノエはついそっちへ意識を傾けそうに成ったが、今は横暴であれど仕事の時間。普段の趣味ならいざ知らず、仕事中にタローを見ていては成るまい。

――さて、どれかしらね? 

 そう思いながらココノエは李愛鈴へと意識を集中させていった。

 すると、李愛鈴の体の中心、大体心臓部付近からゆっくりと水滴を垂らしていったような赤い帯のような物が何本か伸びてきた。

 これが、ココノエが認識する〝縁〟と呼ばれる物である。

 縁は強ければ強いほど太く、色を艶やかに濃くし、縁が弱ければ帯ではなく糸としか呼べないほどの細く薄い線となる。

 李愛鈴からタローへの縁は未だ弱い。見逃してしまいそうなほど細い糸が薄らと伸びているだけだ。

 良し、と内心ガッツポーズをしながら、ココノエは李愛鈴の縁を検証し始めた。

 ユカリの言っている話では李愛鈴がこの町に来たのは昨日。という事は浮世絵町の住民達との縁は未だ薄いだろう。 

 ならば、浮世絵町以外で李愛鈴から伸びている縁が怪しい。

 そう考え、李愛鈴から伸びている縁の中でまず太い物を探した。

 すると、李愛鈴の縁は何れも北西の方向にのみ太く赤く結ばれていた。

 ココノエは視点を更に高く、浮世絵町を一望できる程度に上げ、李愛鈴から伸びる縁へと向け、それを逆に辿って行った。

 視界が空を翔る龍のように動いていく。浮世絵町から亀甲海を挟んで六つの町と二つの山を超えた所で赤い帯達の内一本だけに変化が起きた。

 北西に向かって一つの束と成って向かっていた縁の内、一本、ただ一本が眼に見えて左右に揺れていたのだ。他の物は皆見落してしまえそうなほどの微弱な振動のみである。

――動いている。

 これはつまり李愛鈴から縁が結ばれている対象が動いているというわけである。左右の揺れ具合を見るに高速に。

 おそらく、李愛鈴を追っている者はこれだろう。ココノエはただ一つ外れて動いている縁へと当たりをつけ、それを辿っていくと、ついに目的の主を発見した。



「見つけた」

 ココノエの言葉にユカリは膝を叩いた。

「ナイスだココノエ。さあそいつは何処に居る?」

 ユカリの言葉にココノエは千里眼を止めたが眼を瞑ったまま答えた。

「ここから北北西に二百から三百キロ。現在も時速八十キロ程度で空を走るみたいに移動中。服は黒の道士服、身長は百七十センチ後半の優男、時代錯誤な黒縁丸メガネを掛けてるわ」

「それだけ分かれば十分だ。礼を言うぜココノエ。行ってくる」

 残った茶を一息に飲み干し、ユカリはコートを持って弾かれた矢の様にココノエの部屋から飛び出した。

 ドタン! と言うドアが閉じられる音を聴いてココノエは瞳を開ける。

「全く、五月蝿いんだから」

 立ち上がって、ちゃぶ台に置かれた二つの湯飲みを片付け、ココノエは再び布団へと潜り込んだ。

 後はユカリが適当にやるだろう。情報を与えたのだ、これ以上何かしてやる義理は無い。

「ふわぁ」

 大きく欠伸をし、今度は眠るために瞳を閉じる直後、ココノエはふと先ほどの千里眼で気に成った事を思い出した。

「そう言えば、さっきの見たキョンシーの縁、〝全部〟動いていたのよね。何でかしら?」


***


 ココノエの部屋から飛び出したユカリはトレンチコートの内ポケットから一本の枯れ枝を取り出した。

 高く投げながらユカリはただ一声枯れ枝へと命じる。

「さあ、来い」

 ユカリが命じた瞬間、宙に投げた枯れ枝がクルクルと回転する。

 そして、それに呼ばれるようにして一本の竹箒が流れ星のように飛んで来た。

 弾丸のように空を駆けてきた竹箒は寸分のずれも無く天に掲げたユカリの右手に収まる。

 魔女は箒で空を飛んだと言う。

 ユカリは自身のルーツの中に魔女が居るのかどうか知らなかったし興味も無かったが、物心付いた時から自分という存在は箒で空を飛ぶ事が出来るという事を理解していた。

 宙を舞っていた枯れ枝は動きを止め、重力に引かれて落ちて行き、それをユカリは左手で受け止めて、コートの胸ポケットへと戻した。

「さて、行くか」

 ふよふよと浮く箒の柄に跨って、ユカリはスーッと重さを感じさせずに空へと昇っていく。

 そして、三百メートルほどの高さに成った所で、昼間の空に箒星が生まれた。

 髪は逆巻いて、瞳は爛々と、唇は三日月に、赤の女王が出陣する。

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