第29話 色即是空--我思う、されど我無し ①
「ハッ! 楽しいな、おい! 」
鼻先まで迫った白銀の龍を白炎で焼き、消し炭としながらユカリはハハハと高笑いをした。銀の龍を燃やした直後、その消し炭を飲み込みながら、土塊で出来た龍が更に迫ってくる。
一体一体の龍それ自体が極上の出来であるのにも関わらず、五匹の龍は絶え間なく互いを強化していきながらユカリへと牙を突き立て、尾を叩き付ける。息着く暇も無い猛撃にユカリは笑顔を浮べた。
「………………………………」
また、箒で空を駆けるユカリの視線の先では道士と土壁を破壊して現れた李愛鈴が居た。愛鈴は髑髏を抱えているようであり、ブツブツと何か呟きながら先ほどユカリを苦しめた紫電と緑炎そして、ユカリが見た事の無い烈風を生み出しながら、それらを全て道士へと放っていた。
愛鈴の放つ術の全ては疑いようの無い一級品である。先ほどユカリを殺すに至ったキョンシー達が使っていた物も一級品ではあったが、愛鈴のソレは格が違う。彼女の紫電と緑炎は苦も無く他のキョンシー達の物を打ち消すだろう。
こんな場でさえ無ければ愛鈴と手合わせをしたいものだったが、その気持ちをこらえ、ユカリは箒を震わせて五色の龍の牙と尾を避けながら、白炎でそれらを燃やし続ける。
五匹の龍は灰に成った側から再生し、ユカリへ牙を突きたてようとする事を止めなかった。
――あたしが死んでいる間に何があったんだ?
高笑いを上げながら五匹の龍へ炎を浴びせながらも、ユカリの頭は冷静だった。
――さっき土壁が崩れた時、愛鈴のすぐ後ろで吹き飛ばされているタローが居た。ココノエとオニロクが居るし大丈夫だと思うが、殺さないであの愛鈴を止めるのはあたしじゃ少し難しいか?
実際の所、ユカリがこうして五龍達を燃やすだけで王志文へと炎を放てない理由は愛鈴が居るためだ。
今のユカリならば彼女へと迫り来る龍達を瞬きの間に灰燼と化す事が出来、それに続いて眼下の道士へと炎を放つ事くらい容易い事であった。
道士のすぐ近くには愛鈴が居て、彼女を巻き込まないレベルで王志文へと炎撃を放つのは少々難しい。道士も案山子ではないのだから、ユカリの攻撃を防ぐなり逸らすなりはするだろう。その一撃がもし愛鈴に当たったのなら、彼女の体は一たまりも無い。
あくまで愛鈴はユカリの依頼主であり、庇護の対象である。彼女を故意に傷つける事はユカリが浮世絵町の超常現象対策課と結んだ契約に反する事だった。
「来い、私の作品達よ!」
連続的に四色の紙と鉄串を袖口から出しながら空のユカリへ五色の龍を地上では幾分弱くなった術を愛鈴へ放っていた道士は突如としてユカリにまで届くほど空高く叫び、それに答える様に黄城公園の森の全方位から黒い影達が上がってきた。
「さっきぶりだな!」
ユカリは眼を輝かせた。およそ十年ぶりに自分を殺すに至った術の極致が森の中から飛び出てきたのだ。
三百近く居るキョンシー達は二百体ほどが空へユカリを囲むように、百体程が地上で道士を守るように現れた。彼らは皆額に呪言の札を付けたままであり沈黙の道化である。
ユカリは天幕を上げるように右手を振り上げた。
「お前達、ダンスの誘いだ! 存分に相手をしてやれ!」
赤の女王の号令の下、舞踏会が三度開催される。ドレスと燕尾服を着た淑女と紳士はそれぞれ百体。彼らを守る騎士は五十。狼と狐は十で、牡鹿は六。それらはいずれもゆらゆらと揺らめく白炎でできた舞踏会の参加者であり、赤の女王の配下達である。
「みんな仲良く灰塗れになりな!」
炎像達は真っ白に揺らめく手を伸ばし、緑炎を纏ったキョンシー達へと矢の様に飛び出でた。
***
――ああ……。
愛鈴は目の前へと現れたキョンシー達へ躊躇無く風の刃を放った。
竜巻に乗って流線上の軌道を描く無色の刃は愛鈴へ爪を突き出した幼子のキョンシーの体をミキサーにでも入れたように細切れにする。
それに愛鈴の胸は何の痛みも感じなかった。今彼女が肉塊とした子供には見覚えがある。愛鈴の家の近くに住んでいた四歳程度の男子だ。枝葉を振り回しながら遊んでいたのを良く覚えている。
「……」
最早『どけ』とも言わなかった。愛鈴と王志文の進路上に居るキョンシー達へ躊躇い無く彼女は炎と雷と風を放っていく。
「何という出来だ! 素晴らしい! 素晴らしいぞ! 私はここまでの傑作を作り出したのか!」
王志文は喉が潰れそうなくらい大声で笑い、その黒縁丸メガネを整えた。
王志文の周りに立っていた百数のキョンシー達の中から十体ほどがまた愛鈴へと飛び出してきた。それらは大地を跳ね、空を飛び、紫電を放って、緑炎を纏う。
だが、そんなもの、愛鈴には意味が無かった。
「巻き起こせ」
ギュッと明鈴の頭骨を抱き、一言命じた瞬間、予兆も無く紫電を纏った大旋風がキョンシー達の体を飲み込み、その風圧を持って彼らが纏う緑炎を吹き飛ばし、四肢を引き千切った。
だが、四肢がバラバラになろうともキョンシー達の動きは止まらない。老若男女問わず居るキョンシー達はバラバラに成りながらも、愛鈴へと飛び爪を突き出した。
それも愛鈴に取っては些事である。
「……」
命じる事すらせず、自らへと向かってくる肉片達を見つめるだけで、それらは緑炎に包まれて灰と成った。
灰としたキョンシー達もまた、愛鈴が愛した村人たちである。誰もが村の一員で、仲間で、家族だった。
「良いぞ良いぞ! さあ、そろそろお前を連れて帰ろう! 早く私の元に来るのだ!」
歓喜し、涙さえ浮かべようかと言う王志文を愛鈴は冷たく見つめた。
キョンシーとなった村人達をどう壊そうとも愛鈴の心はもう揺れなかった。
自分の胸にある髑髏の感触が、愛鈴の感情を消し去っていたのだ。
一歩、また一歩と愛鈴は踏み出し、その度に十、二十と、キョンシーを壊していく。
一のキョンシーを壊す度に十の思い出が蘇っては消え、十のキョンシーを眠らせる度に百の感情が愛鈴の中から叫びながら消えていった。
「…………あなたは、許さない」
愛鈴の心にあるのはそれだけだった。つい先刻、時間にして一時間ほど前までは確かにあった王志文への感謝の情や、親愛の念は全て憎悪へと反転している。
「さあ、さあさあ! 早く私の元へ来い!」
王志文は赤黒青黄の四色の紙と鉄串を宙へと放ち、そこから龍が生まれた。
今、空駆ける少女を追っている物に比べれば遥かにサイズと力が落ちていたが、それでも秘めた力は絶大である。
十のキョンシー達と共に五色の龍が愛鈴を飲み込まんと飛んできた。
――くだらない。
愛鈴は無感動に髑髏を抱く力を強くして、
「現れろ」
消えていく感情に反比例するような巨大な龍を召還した。
龍の体はビル十階分あり、その顎は一軒家くらいならば簡単に飲み込めそうなほど巨大である。これだけの龍を即座に作れる者など世界にもそうは居ない。
王志文が今空駆ける灼髪の少女へと放った龍達よりも遥かに大きいその龍の姿を浮世絵町に居る誰もが眼にし、そして驚愕した。
体は渦巻く風で出来ており、その鱗は一枚一枚が緑の炎で形作られ、牙と爪はバチバチと紫電を纏っている。
愛鈴が持ち得る力の全てを結集した力がそこにはあった。
ボトっと左下から何かが落ちる音が聞こえ、愛鈴は自分の左腕が腐り落ちたのだと分かった。
全力を持って龍を作った代償なのだろう。もう自分の体が腐り果てる寸前であると愛鈴は即座に理解する。
だが、それと同時にまだ、まだ後少し、数分の間は猶予があるはずだという事も愛鈴は理解していた。自らの体の事は自分が一番分かっている。
愛鈴は肩口から腐り落ちた自分の左腕へ視線も向けないまま、残った右腕で更に明鈴の髑髏を抱く力を強くし、龍へと命令を放った。
「食い尽くせ」
緑と紫二つの色を持つ龍はその大口を広げてキョンシーと五体の龍ごと王志文へと突撃した。
王志文の狂喜が絶頂を迎えたのがはっきりと愛鈴には分かった。
「『塞き止めろ』!」
王志文とその周り居る五十体ほどまで数を減らしたキョンシー達を守るようにして、高さ五十メートルはある土壁が再び地面より生えた。
ズガアアアアアアアアァァァァァァアァァァァァァン! と、龍は十のキョンシーと五体の龍をあっさりと飲み込み、そのまま土壁へ紫電の牙を突き立てた。
土壁は紫電の牙を付き立てられた側から分解されて龍の体内へと飲み込まれる。飲み込まれた土片は不規則に渦巻く風に磨り潰され、最後には龍の表面を覆う緑炎に燃やされ灰と成った。
みるみる内に土壁は崩れ去ったが、その先に王志文とキョンシー達の姿は無い。
「……」
反射的に愛鈴は右上方へと飛んだ。
すると、今まで愛鈴の額があった位置に、上から呪言の札を持った王志文の手が伸び、紙一重でそれは愛鈴の頬を掠った。
愛鈴は旋回するように空中で体制を整えながら、先ほど呼び寄せた風の龍を自らの傍らへと呼び寄せて、上空三十メートルの位置で王志文と向かい合う。
あと一拍動くの遅ければ王志文が右手に持つあの忌々しい呪言の札が愛鈴の額へ再び貼り付けられていた事だろう。
愛鈴の十メートル先に王志文は居て、彼の周りには四十ほどのキョンシー達が居た。
「本当に素晴らしい! 私の予想も予測も遥かに超えた完璧以上の出来だ! 一体何がお前をそこまでの作品として高めたのか、私でも皆目検討が付かん! さあ、李愛鈴よ。早く私の元へ帰って来い。そのままでは腐り果ててしまうぞ?」
王志文はまるで散歩にでも誘う様な気軽さでその左手を広げて愛鈴へと伸ばした。
彼の眼は何処までも優しげである。その瞳からは愛おしささえ読み取る事ができた。
けれど、だからこそ、愛鈴は胸の髑髏を更に強く抱いた。
「もし、姉さんを元に戻してくれるのなら」
それだけを言うのが愛鈴には精一杯で、王志文には彼女の言葉の意味が良く分からなかった。
「? 確かに李明鈴はお前に次ぐ素晴らしい素材だったが、もう李愛鈴という完全なる成功例が生まれた。そんな物蘇らせる意味など無い。それにもうお前が胸に抱いているソレには魂など宿っていないから生き返らせるなど不可能だ」
その顔は何処までも不可解の色に満ちていて、愛鈴は更に強く髑髏を抱いた。
彼女の姿を見て王志文は何か得心を言ったように顔を明るくしたが、今の彼が愛鈴の望む言葉を言えるはずが無い。
それでも、一縷の望みを賭けて、愛鈴は王志文の言葉を待った。
「……ああ、そうか、なるほど。分かった。完璧に李明鈴を再現した個体をまた作ってやろう。そうすればお前も満足だろう?」
何処までも、何処までも愛鈴の言葉を王志文は分かっていなかった。
愛鈴の視界が霞み始めた。
左眼が見えなくなってきたのだ。
「……もう、だまって」
愛鈴は右腕に力を込めて髑髏を強く抱き、再び自らの龍へ命じる。
「アレを殺して」
龍は彼女の言葉に答える様に、雄たけびを上げて、王志文へと突撃した。
***
タローは空高く現れた緑の炎を纏う龍にあんぐりと口を開けて左頬を掻いた。
――暴走し始めたか?
いよいよ持って愛鈴のタイムリミットが近付いて来ている事がありありと分かった。
上空五十メートルほどの位置で龍を操っている愛鈴の左腕は肩先が消失し、赤い服の切れ端だけが残っていた。とうとう肉体が腐り落ち始めたのだ。
最早一刻の猶予も無い。
今、タローは一人、戦場から五メートルも離れていない森の中からまで眼上の戦いを見ていた。近くにはココノエもオニロクも居ない。彼らはタローの願いをかなえるべくそれぞれ別行動中である。
空を飛べないオニロクはタローと同じくこの近くの何処かに潜み、タローと同じ様にタイミングを計っている。逆に空を飛べるココノエはユカリの元まで行き、ユカリに作戦を伝えているはずだ。
大口を叩きはしたし、仮に正しいのであれば、自分の持つ力が大口を叩くのに相応しい物であるとタローは分かっていたけれど、タローは未だ安心できないで居た。
知識としてのタローの力が正しいのであれば、この力の射程は酷く短い物なのだ。
タローは空を駆ける事もできないし、遠距離まで届くような攻撃手段も持ち合わせていない。それなのに、現在タローが力を使うべき対象は何れも空の上に居る。
ならば、どうするべきなのか。
タローは今何をすべきなのか。
――タイミングを計れ。機会はすぐ側まで迫っている。
何時でも駆け出せるべく、何時でも力を使えるべく、何時でも愛鈴を救えるべく、タローは息を整えて両足に力を込めた。
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