第2話 赤の女王と赤い鬼--連れてこられた依頼主

 タローがビルの最上階である八階の超常現象対策六課に滑り込んだのは七時五十九分を回った時だった。

「おはようございます!」

 開け放ったドアの先では仁王立ちし、誇張表現ではなく炎を纏ったユカリが居た。

 タローの姿を認めた彼女は舌打ち混じりに右手を上げて、自身の周りに出していた炎を消した。えらく不満げである。

「……ちっ。久しぶりに焼けると思ったのに」

「唯一の部下に何しようとしてんのあんた!?」

 タローが聞いた話ではユカリの先祖の誰かがイフリートだかサラマンダーだか火車だか魔女だかの火を生み出すオトギであったそうで、外見は人である彼女だが、オトギの様に炎を生み出せるらしい。

 この炎を操る力を悪用とまでは言わないが振りかざし、日夜ユカリは暴君と化しているのだ。

「うるせえな。大体なんで今日はこんなに遅いんだよ? いつもならあたしが来る前に来てるじゃねえか」

「そりゃ一回遅刻して燃やされましたからね。鎌鼬ブラザーズの宴会に巻き込まれたんですよ」

「あの毛皮達か。良い加減剥いでやろうか」

「俺の隣人をスプラッタな事にしないでください。あんなんでもサブローは良い奴なんです」

「……ふん。まあ良い。以後気を付けろ。さあ、今日の仕事の始まりだ」

 ユカリに促され、タローは彼のデスクへと腰かけた。

 部屋の大きさに合わずここには机が二つしかない。後五つは置けるだろう。

「さて、やりますか」

 ぐるりと部屋を見渡して、最後にくわえ煙草を揺らしながら机で何かの書類を読むユカリを見てタローはパソコンの電源を立ち上げた。



「暇だ。タロー何か芸をやれ」

「ふざけんな」

 仕事を開始して二時間。早くもユカリはダレ初め、くわえ煙草を上下に揺らしながら、タローへと無茶振りをした。

「しょうがないだろう。もう仕事が無いんだ」

「仕事は探す物です。書類整理とか色々あるでしょう?」

「んなもんとっくに終わっている」

 タローが見てみると、確かにユカリのデスクの上には朝とは違う位置に書類の山が築かれている。本当に終わったのだろう。

 タローは溜息を付いた。この上司は下手に有能であるので、すぐに仕事を終えてしまう。そうなって暇を持て余した彼女の暇潰しの対象は専ら自分へと向いてくるのが分かっているからだ。

「何か上のほうから仕事来ないんですか?」

「最近は平和だからなぁ。閑古鳥ばかり鳴いてる」

 ユカリがリーダーを努める、ここ超常現象対策六課は名前の通り、オトギ達が起こした超常現象的問題を解決するべく奔走する課である。しかし、この浮世絵町は半年前に起きた事件からすっかり平和であり、この課の仕事は無くなっていた。

 また、ユカリはこの通り協調性が皆無、良く言えば単独プレーが得意な女だったので、他の部署などと組む事も出来なかった。

 今はただ上からの依頼を待つばかりのタローがこの上なく愛する平穏な日々が続いていたのだが、それに比例するように、ユカリのフラストレーションは逆巻く炎のように強く熱く成っていた。

「……はぁ。何処かにあたしを満足させてくれる依頼は無い物かねぇ」

「物騒な事言わんでください。言霊が出てるじゃないですか」

 アンニュイに溜息を付いたユカリの口元からは今正に生まれたフワフワとした発光球、言霊が出てきていた。言葉に宿るオトギである。

 意図してか偶然かは定かでは無いが、彼らが宿る言葉は力を持つ。

 トントントンとタロー達の部屋のドアがノックされた。

 この部屋をノックするのは一人しか居ない。


「喜べタロー。久しぶりの依頼だ」

「ええー」


 タローはげんなりと息を吐いた。



「失礼する」

 そう言って超常現象対策六課に現れたのは、タローとユカリが思ったとおり、赤銅色の肌をした額に一本角を生やす鬼、オニロクだった。

 オニロクはタロー達の職場へと上層部からの仕事を持ってくる仲介人の一人である。彼はタロー達とは同じ会社の違う職場である超常現象対策一課に所属しており、普段は町の警備部隊部隊長をやっている。

 二メートルを優に越える巨漢はノシノシと部屋の中央へと足を運んだ。

「やっと来たかオニロク。待ちわびたぞ。さあ今回の依頼は何だ?」

「眼を輝かせるな赤の女王。今回の仕事は君向きではない」

 この課に所属している人間はユカリとタローの二人のみである。

 タローは「マジか」と呟いた。

「だけどあたしの仕事もあるんだろう? あるに決まっている。あるよな?」

 ユカリの背後に何処からとも無く炎の狐が生まれた。

「落ち着いて下さいユカリさん。話が進みません。……オニロクさん。俺向きってどういう事ですか?」

「……実際に見せた方が早いだろう。……入って来たまえ」

 オニロクの言葉にタローとユカリがドアを見ると、そこからギーッと音を立てながら、目深にフードを被ったダッフルコートの子供が現れた。背丈からして人間であるのなら十二歳から十五歳程度であろう。

 ダッフルコードの子供はすたすたとオニロクの傍らまで歩きそこで、フードを取った。


 流れ落ちる黒き髪、雪女のように白い肌、黒曜石の瞳。そして何よりも眼を引く、額に張られ、下半分が破かれた呪言の札。


 異様な少女がそこには居た。

「おいおい。珍しいな」

 ユカリの唇が三日月を描いていく。

「そいつはキョンシーじゃないか」

 タローは言葉を失った。 

 オニロクが彼らしい低い声で口を開く。

「……タロー君にはこの子の護衛を頼みたい」



 キョンシーとは道力と呼ばれる力によって生き返らせられ、額に張られた札により、生き返らせた主人に忠誠を誓わされた者達の総称である。

 昨今のオトギ社会においてリビングデッドなどさして珍しく無い。リビングデッドのみが暮らす『屍町』と呼称される町でさえ存在するくらいなのだ。

 しかし、その屍町にでさえキョンシーは暮らしていない。

 通常のキョンシーは自らを生き返らせた主人――道士――の側から離れる事は無い。道士がそれを許さないのだ。

 現代において自発的に蘇ってしまったのならともかく、他者を生き返らせる事は重罪である。

 札を張られている限り、キョンシーは道士に絶対服従であるので、普通キョンシーの存在は知られてはいれど明るみに出る事は無い。



 室内に暫しの沈黙が流れた。ユカリはにんまりとくわえ煙草を上下させ、タローは頬を掻き、オニロクは沈黙する。彼らの視線はいずれも白いダッフルコートを来たキョンシーに注がれて、各々が会話の切り口を探していた。

 再度口火を切ったのはユカリだった。

「なるほど。確かに護衛となるとあたしには無理だ」

「何でですか? 間違いなくユカリさんの方が俺よりも強いですよね?」

 タローの疑問に答えたのはオニロクだった。

「……タロー君、赤の女王が周りに配慮できると思うか?」

「そういうことだ。あたしは単独プレー以外できん」

 何も褒められた事では無いのだがドヤ顔で頷くユカリにタローは納得した。確かにこの上司が護衛しても大丈夫な者は最初から護衛など必要でない。

「……って待ってください。戦うとか俺無理ですよ。護衛って事はこの子を狙っている奴が居るって事なんでしょう?」

「安心してくれタロー君。戦うのは赤の女王だ。君はこの子を連れてほとぼりが冷めるまで隠れてくれれば良い」

 オニロクの言葉にユカリは眼を輝かせた。彼女の背後に居る炎弧の炎が一際強くなる。

「流石だ、オニロク。さあ言え。あたしの相手は誰だ?」

「それは――」

「わたしのご主人様です」

 オニロクの言葉を遮るようにして、沈黙を保っていたキョンシーが口を開いた。

 ユカリは興味深そうに眼を丸くした。

「……これはまた珍しい。お前喋れるのか」

 普通のキョンシーは死体であるので喋る事は無い。だが、このキョンシーは今確かに言葉を発していた。

 キョンシーはぺこりと頭を下げた。

「はじめまして。李愛鈴と申します。超常現象対策課のお二人にはわたしを生き返らせたご主人様を止めて頂きたいのです」

 これは長くなりそうだとタローは確信し、李愛鈴と名乗ったキョンシーへ言葉を放った。

「……タローです。李さん。とりあえず座って話しましょうか。お茶飲めます?」

「いただけるのなら」



 申し訳程度に部屋の一角に置いた来客用の机を挟んでタロー達と李愛鈴は向かい合って座った。オニロクのサイズに合う椅子は無いため、彼は李愛鈴の隣に立っている。

 李愛鈴はタローが入れた緑茶を一口飲んで、タローへと微笑んだ。

「美味しいです。ありがとうございます、タローさん」

「いえいえ」

「そうだろうそうだろう。タローの茶はあたしが仕込んだんだからな」

「あんたはただ気に入らなかったら俺を燃やしていただけでしょうが」

 タローが茶の入れ方を覚えたのは一重に身の安全のためである。

 しばらくの間、彼らはタローが入れた茶を飲み、李愛鈴が飲み終わった所でユカリが口を開いた。

「で、李愛鈴、何がどうしてキョンシーであるお前がお前のご主人様から離れて此処に居るのか、お前のご主人様とは誰か、止めて頂きたいとは一体どういうことか、そして最後にお前のご主人様とやらは強いのか、全て教えろ」

「タローさんもユカリさんもわたしの事は愛鈴と呼んでくれて構いません。順番にお答えします。まず、何故わたしがご主人様から離れて行動できるのか。これは見ての通りわたしの額が破れているのが理由です。額の札が破れた事でわたしはご主人様の支配から限定的に逃れました。限定的ですがご主人様の支配から逃れる事ができたわたしはご主人様の元から逃げ出し、ここ日本を訪れ、浮世絵町の自警団の保護を受けました」

「……ふむ。ではお前のご主人様とは誰だ?」

「申し訳有りません。先ほど言ったとおりわたしは限定的にしか支配を逃れていません。そのせいでわたしはご主人様の情報を他者にばらす事ができません。わたしが話せる事はわたしがご主人様と呼ぶ人物がわたしを追っているということだけです」

「なるほど。じゃあ次の質問だ。お前はあたし達に何をして欲しいんだ?」

「わたしはご主人様の眼を醒まして差し上げたいのです。あの方はもう変わってしまいました。わたし達の村を救ってくれた時の優しいご主人様はもう居ません。今のご主人様は完璧な反魂の術を完成させる事に取り憑かれています」

「反魂の術?」

 聞き返したタローに愛鈴は答えた。

「死者を生き返らせる術です。わたしも一種の反魂の術で生まれたオトギの一つとなります」

「……未だに反魂の術なんて物を極めようとしている馬鹿が居るとはな。まあ良い。あたしにとって重要なのは最後の質問だ。なあ愛鈴、お前のご主人様は強いか?」

 愛鈴は曖昧に首を振った。

「分かりません。わたしはご主人様が何かと戦っている姿を見た事がありません」

「会ってからのお楽しみか」

 愉しそうに笑うユカリにタローは溜息を付いた。

「バトルジャンキーめ」

 一通り聞きたい事は聞き終わったのか、ユカリは興味を失ったようであり、椅子から立ち上がった。

「赤の女王。まだ話は終わっていないぞ?」

「オニロク。まだあたしが聞く意味がある話はあるのか? 愛鈴の護衛はうちのタローがするんだろう? 愛鈴のご主人様とやらあたしが個人的に調べておくさ」

 それだけ言って、ユカリは彼女の机近くに掛けてあった赤のトレンチコートを着てこの部屋から出て行った。

「……毎度の事ながらうちの上司がすいません」

「タロー君も苦労するね」


 それからしばらくして、結局愛鈴はタローが護衛する事は変わらず、オニロクは超常現象対策課の部屋から出て行った。部屋に残されたのはタローと愛鈴だけに成った。

「えーと、愛鈴さん。それじゃあしばらくよろしく。超常現象対策課のタローです」

「これからしばらくご迷惑をおかけします。李愛鈴です」

 タローは愛鈴へと右手を差し出し、そのまま握手をした。

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