第19話 死者の慟哭--青年とキョンシー ①

 午後十一時五十分。

「オニロクさん!」

 ココノエに抱えられたまま空を飛び、タローは声を張り上げた。前方には先ほどの自分と同じくキョンシーに囲まれたオニロクが居る。彼を囲むキョンシーの数は百を越え、オニロクはその赤銅色の額からぽたぽたと血を流しながら、果敢に四肢を振っていた。さすが徒手空拳であるのなら浮世絵町一の実力者。タローならば開幕五秒で殺されているだろうが、この鬼はしかと生き残っていた。

 ココノエは右手で巾着袋を持ち左手の指を鳴らした。

「飲みなさい」

 シャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア。

 と、巾着袋から白の濁流が射出された。白の濁流は津波となり容赦なくオニロクごとキョンシー達を飲み込んでいく。

「むう!」

 オニロクは溜まらず屈み込み、両手両足で地面へと踏ん張った。

 白の津波はシャアアアアア、ズシャアアアアアアアアと勢いを増しながら、黒の道士服を着たキョンシー達を飲み込んでいく。

 空に逃げようとするキョンシー達も居たが、意味は無い。白の津波から十数本の大蛇が伸びて空を飛ぶキョンシー達を飲み込むのだ。タローを苦しめた黄緑の炎や紫電は米に触れた瞬間掻き消され、キョンシー達もまた米に飲み込まれた瞬間からタダの死体へと戻っていく。

 一分も経たない内に白の津波は全てを飲み込んだ。残るのは踝まで積もり、遠目には雪化粧に彩られたように見える姿だけである。

「……礼を言う。ココノエ助かった」

「勘違いしないで。私はタロー君の頼みだから助けただけよ」

 体が半ば米に埋まっていたオニロクは体に付いた米を叩き落としながら立ち上がり、ココノエが辺り一帯の餅米を再び巾着袋の中に戻しながら鬼の礼を一蹴した。

 ココノエがタロー以外にあたりの強い事は知られておりオニロクは気にした様子も無しに彼女とタローへ言葉を続けた。

「タロー君たちはキョンシー達を倒しまわっていたのか?」

「俺は何もしてませんけどね。ココノエさんに抱えてもらいながらもち米でザバアアァって感じです。ココノエさんが言うにはキョンシーの弱点らしいですからね」

「私も先ほどハクから聞いた。そしてタロー君、悪い報告だ。李愛鈴が今この黄城公園に来ている」

「は?」

 タローは耳を疑った。今オニロクが何と言ったのだろうか。

 愛鈴が今この黄城公園の中に来ている? 愛鈴を追ってわざわざ浮世絵町に道士とやらが来ていると言うのに?

「何でですか?」

「分からない。ハクが言うにはいきなり立ち上がって道士に聞かなければならない事があると言ったようだ。しかも、李愛鈴はこのキョンシー達と同じ様に黄緑色の炎を出し、超常現象対策課のビルの窓を突き破ったらしい」

 ますますタローは自分の聞いた事が信じられなかった。超常現象対策課のビルの窓は特別性である。確かにオニロクやユカリなどの実力者ならば破壊できるだろうが、戦闘能力が並み以下であるオトギや人間ならばそう簡単に割れはしない。たとえばタローが金槌を全力で振り下ろしたとしても傷一つ付かないのだ。

――愛鈴はただのキョンシーじゃなかったのか?

 タローは口元に手を当ててしばし考えるが、答えを出す前にココノエが口を開いた。

「つまり、その李愛鈴はこのキョンシー達と同じ伏屍以上のキョンシーって事ね。確かに出来が良すぎると思っていたわ。あのキョンシー、タロー君を騙していたのかしら?」

「いや、それは無さそうです。黙っている理由も騙す意味もありません」

 ココノエの言葉にタローは首を横に振った。ココノエが面白く無さそうな顔をするけれど、タローには愛鈴がタロー達を騙していたとは思えなかった。

超常現象対策課を訪れた李愛鈴が自分は伏屍とやらである事を黙る、または嘘を付く意味が無い。伏屍であるのならあるで、超常現象対策課が行う処置は変わらないのだ。愛鈴が伏屍であったとしても伏屍一体くらいならばさして影響が無い。

では、何故李愛鈴は自分が伏屍である事をタロー達に言わなかったのか。

「知らなかったって線はありませんかね? 愛鈴は自分が炎を出せたり、超常現象対策課のビル窓を割れる力を持っているなんて知らなかったとか?」

「あり得なくは無いと思うけれど、それなら大分あのキョンシーは馬鹿よ。幾ら死体であるからって二階からビルの窓を突き破ろうとするなんて」

「それだけの事が愛鈴にあったのかもしれません」

 と、そこでタローは首を振った。

 違うのだ。タロー達がするべき事は何故愛鈴が自身の力について言わなかったのかや、超常現象対策課から逃げ出したのかを議論する事ではない。

 愛鈴がこの黄城公園の中に居るというのなら一秒でも早く、道士に見つかる前に彼女を見つけ保護しなければならないのだ。

 幸運な事にタローのすぐ近くにお誂え向きの九尾の狐が居る。

 タローはココノエの顔を見た。

 ココノエは嘆息混じりに肩を落とす。

「分かったわ。あのキョンシーを探せば良いのね? 本当は嫌だけれど、タロー君が望むんですもの。やってあげるわ」

「お願いします」

 苦笑しながらココノエは瞳を閉じた。


***


 ココノエの真っ暗な視界が徐々に色を持つ。先日ユカリに李愛鈴を探させられたのが功を奏した。一度でも千里眼で認識した相手ならば髪も血液も無しに探す事が出来る。

 視界の中央部に李愛鈴は居た。愛鈴は人間には不可能な速さで黄城公園の森の中を駆けている。チャイナドレス然とした赤い服が悔しくも彼女に似合っていた。

――で、今このキョンシーは何処に居るのかしら?

 視界の高度を上げ、ココノエは愛鈴が今居る場所が分かった。ココノエ達が居る場所から南東に五百メートルの位置。

――さて、憎たらしいけれど、タロー君に伝えないといけないわね。

 そう思いながらココノエが千里眼を解こうとした時、薄らと違和感を覚えた。

――何か変ね?

 ココノエはしばし李愛鈴の姿へと集中する。すると、前回李愛鈴を見た時と同じ様に李愛鈴の心臓から手の平サイズほどの帯、〝縁〟が浮かび上がってくる。

 その縁はいずれも太く艶やかに赤かった。そして何よりも李愛鈴を中心にして三百六十度黄城公園を囲む蜘蛛の糸の様に張り巡らされていた。

 李愛鈴の体は彼女の縁で見えなくなるほど覆い隠されて、その縁は全てが高速で動いている。

――……これはどういう事?

 奇妙な奇妙な縁の付き方だった。

――何故、この公園内の中に〝しか〟李愛鈴の縁が繋がっていないの?

 正確に言うのなら、浮世絵町の方にもちらほらと李愛鈴の縁は繋がっている。だが、太く赤く意味を持つ縁はいずれも黄城公園内のみで完結していた。全ての縁が黄城公園内に居たキョンシー達と道士、そしてタローにのみ繋がっていたのである。


『そう言えば、さっきの見たキョンシーの縁、〝全部〟動いていたのよね。何でかしら?』


――そうだった。あの時、初めてこのキョンシーの縁を見た時も、私は疑問に思っていたわ。正直興味が無い相手だったから放っておいたけれど、これはあまりにおかしいわ。

 ココノエは再度集中して李愛鈴の縁を見た。

 結果は同じであり、全ての縁がこの黄城公園の中から出る事が無い。

――私の力は千里眼。私が認識した物、またはそれに縁が有る物であるのなら、人であろうとオトギであろうそれらの持ち物であろうと出身地であろうと何処に有っても見通せる力。

 これがココノエの神通力以外に持つ千里眼の力だ。

 ココノエが認識した相手ならば、その者に縁がある全てを見通せる力。

 その力で李愛鈴の縁を見た時、その縁はこの黄城公園内で、正確には今黄城公園内に居るキョンシー達と道士そしてタローにのみ繋がっている。

 昔ココノエが見た絶句物の縁に比べればまだまだマシな程度であったが、李愛鈴の縁は十二分に規格外である。

 千里眼は全ての縁を見通す力なのだ。

 ならば、何故、

――何故、〝出身地〟への縁が見えないの?

 自身が生まれた場所と言うのは否が応でも決定的な縁に繋がれる。その物の生命の開始点であり、将来的な死が確定した瞬間でもある、出身地と言う物は絶対的なのだ。

 これは生命の生まれ方には依存しない。フラスコから生まれようが子宮から生まれようが関係なく、その者が生まれた場所が重要なのである。

 だが、そんな絶対的な出身地への縁が李愛鈴からは結ばれていない。

 これはつまり、李愛鈴の生まれた場所と言う物が無くなっているという事に他ならない。

――道士とやらは何をしたのかしら? いえ、何という事をしてしまったのかしら?

 李愛鈴の出身地への縁を無くす方法ならばココノエは幾つか思いついた。けれど、その何れでも実行しようとは思わない。後の影響を考えれば非効率極まりないからだ。

 李愛鈴の縁を辿り、ココノエは先日見たあの時代錯誤な丸メガネを掛けた道士を見つけた。

 李愛鈴からおよそ一キロ弱離れた位置に居て、今、真っ直ぐにココノエ達の所へと向かっていた。

 ココノエ達の位置がばれたのである。

――流石にあれだけキョンシー達を死体に帰していたら気付かれるか!



 ココノエは千里眼を解き、タローの了解無しに彼を尻尾で包み込んだ。

「逃げるわ。道士がここに向かっている」

 ココノエは懐から人型に切られた十数枚の紙を取り出し、空中へと投げつけ、両手の指をパチンと鳴らした。

 すると、ドロンと音を立てながら、人型の紙はココノエと瓜二つの姿となり、その場から空中へと散開する。

「オニロク。あなたはすぐにユカリを見つけなさい。ここから東に三百メートルの場所で死んでいるわ」

 オニロクへと先ほどついでに見つけたユカリの居場所を言いながら、ユカリはオニロクの返事も聞かずに空へと飛び立った。

「ちょっ、ココノエさん、ユカリさんが死んでいるってどういうことですかっ?」

 タローがココノエの尻尾に包まれながら彼女へと先の言葉の真意を聞く。

――そうか。タロー君はまだ知らなかったわね。

 ココノエは簡潔に答える。

「大丈夫よ。あいつは殺しただけで死ぬような可愛げのある女じゃないわ」

 チラッと、道士が居るであろう場所を見ると、先ほど放ったココノエの分身たちがもう三体もやられていた。

 出来るならば、このまま分身たちに時間稼ぎをさせ黄城公園から出たかったが、今結界が張られ黄城公園から出る事が叶わない。

 ならば、この領域内で逃げ切るだけである。

「さて、タロー君、九尾の狐の逃走術見せてあげるわ。ちゃんと捕まっていてね」

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