第25話 捲火重来--Happy New Year ! ①
ココノエ達と王志文が戦う一帯から百五十メートルほど離れた所で、タローは顎に手を当てていた。愛鈴を救うための方法を考えていたのである。
彼の傍らにはココノエの分身が居る。分身体はココノエの言いつけ通り近くにキョンシー達が居ない場所を選んで降下してくれたらしく、おかげでタローは愛鈴を救う手段を考える事に集中する事ができた。
どうすれば愛鈴を救えるのか。
愛鈴を救うに当たって何より問題なのは、タローでは愛鈴に近付く事すら不可能ということである。
ココノエが言うには札を剥がした愛鈴はすぐに体が崩れ去ってしまうらしい。愛鈴の体が保たれている内に何とかして札を貼りなおす必要があった。
幸運な事に後で第二課に検査してもらおうと先ほどキョンシー達から取っておいた札は胸ポケットに入っている。これを貼れば何とか成るだろう。
だが、炎を纏い雷撃を繰り出し竜巻を生み出す愛鈴の目の前へ不用意に出ようものならタローの体は即刻塵芥だ。
ムムムとタローは唸った。どうにも現実的に愛鈴を救う手段が思いつかないのだ。まず愛鈴を救おうとしたら王志文が邪魔である。王志文は愛鈴を連れ去ろうとしているのだから、当然タローを邪魔するだろう。しかも、今戦っているココノエとオニロクでは王志文に敵わないらしい。ココノエの口ぶりからして現在この場で王志文を打倒し得る可能性を持つのはユカリだけのようだ。
しかし、そのユカリは現在死亡中であり、日を跨がなければ生き返らない。除夜の鐘は後八つ。時間にして三十秒。
黄城公園に集まっているタロー達超常現象対策課の戦力の中で間違い無くユカリ実力はナンバーワンだったが、仮にユカリが生き返ったとしても確実では無い。
王志文は一度明確にユカリを殺しているのだ。一度殺せた相手を二度と倒せない道理は無い。
ならばユカリが王志文を倒せる確率は十割では無いだろう。
少しでも愛鈴を救える可能性を上げる必要があった。
「…………〝力〟とやらを使うしか無いのか?」
考えてタローの頭の中でこの結論が生まれた。
タローには実感が無いが、どうやらタローにはこの浮世絵町の誰もが恐れる〝力〟があるらしい。
曰く、この〝力〟を使えば誰であろうと何であろうと全てを終わらせられる。浮世絵町最強候補足るユカリでさえタローの〝力〟を喰らえば一たまりも無い。
ユカリから聞いたこの〝力〟の発動条件はつい先ほど整った。後は念じてある言葉を言うだけで〝力〟が発言するとタローは聞いている。
タローが持てる手札の中で、この〝力〟の使用は最も効果的な手札であろう。
これを使えば少なくとも舞台に立つ事ができる。
しかし、この〝力〟は出来る限り使うべきではない物だとタローは分かっていた。使えばタローの周りに居る多くの者が悲しむ事は想像に難くない。
ゴオオオォオォオオオォオォオン!
ゴォオオオォオォォオオオォオン!
ゴオオオオオォォォォォオォオン!
三回鐘が成るまでタローは考え、そこで思考を止めて足に力を込めた。
――大丈夫。走れる。
「とりあえず、そろそろ行くか」
結論は後に置いておくとしてタローは再び愛鈴達が居る戦場へと駆け出した。その傍らではピッタリとココノエの分身が付いて来ている。
このまま走れば、戦場に帰る頃には百八つ目の鐘の音が鳴っている。
戦場に着けば愛鈴の姿が見られるだろう。その時になれば自ずと結論は出てくるはずである。
結局のところ自分と言う人間は直感的に選択をする人間であるとタローは知っていた。
自分が知るタローという青年ならば、彼が後悔しない選択をできるはずだ。
森の中、木々を駆け抜け、途中で現れたキョンシー達はココノエの分身が弾き飛ばし、タローは直線的に最短距離で愛鈴が居る戦場へと向かっていく。
ゴオォォォォォォォォォォォオン!
鐘の音は後四つ、年が明けるまで二十秒を切っていた。
***
ゴオォォォォォォォォォォォオン!
百四つ目の除夜の鐘が鳴り響く中、眼を閉じて深窓の令嬢の様に木へ背を預けているユカリの体に変化が起きた。
ユカリを守る淑女や騎士、そして狐達の姿がスーッと消失し、反対にユカリの体が心臓部分を中心に真っ白な炎に包まれていったのだ。
白炎はユカリの全身を包み込み、ゆらゆらと燃え盛るが、ユカリが背を預けている木や周りにある物は何も燃やさなかった。
ユカリの体は炎に包まれ見えなくなり、その炎は胎動するようにビクンビクンと動き始める。
胎動は徐々に強くなっていき、これに呼応するように炎が強く逆巻いていった。
それはまるで卵の様だった。
白炎の卵の中、雛が徐々に外の世界に出ようと嘴で殻を叩く。そんな新たなる生命が生み出されるときにも似たある種神聖な空気がその場には流れていた。
***
ゴオオオオオオオオオオオォオン!
ゴオオオオォォオォオォオオオン!
――そうだ!
ぐずぐずに成っていく思考の中、愛鈴はやっと明鈴を傷つけずに済む方法を思いついた。
――あの札が姉さんを支配しているのだから、あれを剥がせば姉さんは王志文に操られないはず。
今、明鈴が愛鈴を襲っているのは王志文の命令があったからなのは間違いなく、明鈴が王志文の命令に従わざるを得ないのは明鈴に貼られた札のためである。
ならば明鈴の札を剥がせば、愛鈴の姉は王志文の呪縛から逃れられるはずだ。
愛鈴は自分の中に僅かに見えた希望に賭けて、地上三十メートルでクルリと明鈴へ向き直った。
ゴオオオオオオオオオオォオオン!
「………………」
明鈴は無表情なまま眼を見開いて左手を愛鈴へ向け、体中がバチバチと紫電に帯電する。
「ごめん!」
けれど、愛鈴は明鈴が緑炎と紫電を放つ前に、突風を放った。
突風は明鈴の体の自由を奪い、彼女が放とうとした紫電と緑炎は夜空の向こうへと飛んで行く。
――今だ!
愛鈴は明鈴の体制が崩れたのを見た瞬間、その場から明鈴へと一気に飛んだ。
「姉さん!」
明鈴の体が愛鈴の眼にはコマ送りに近付いていき、時間にして一秒もしない内に愛鈴は明鈴を抱き締めていた。
そして、愛鈴は左腕で明鈴を抱きとめながら、右手で明鈴の札を一息に剥がし、同時に浮世絵町へと一際大きく声が鳴り響いた。
『さあ、これが最後の一発だ! 今年もちゃんと楽しんだか! 来年もちゃんと楽しめるか! 何はともあれ終わりと始まりの鐘を今ここで鳴らそう! さあ、皆準備は良いか! 行くぜぇ!』
そして一拍の間の後、
ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォン!
という今までで一番大きな鐘の音が鳴り響き、浮世絵町の夜空を満天の花火が彩った。
ドォン、ドォン、ドオオオオオオォォォン!
と浮世絵町のありとあらゆるところから空へと色とりどりの花火が打ち上げられていく。住民達全員が力を結集したここでしか見る事のできない花火の色は燦然と輝いて、夜空という黒いキャンパスを煌びやかに彩る。
札を剥がされた明鈴はビクッと一度体を硬直させ、すぐに力なく愛鈴へと体重を預けた。
愛鈴へと攻撃を繰り出そうとする気配は無い。
――良し!
愛鈴は自分の考えの成功を悟った。
これで明鈴はもう自分を襲わないはずだ。
愛鈴は明鈴を抱えて、スーッと花火が彩る夜空を背にして地上へと降り立ち、力なく自分へと体重を預ける最愛の姉へと声をかけた。
「姉さん。大丈夫?」
明鈴に意識があるのかどうかは分からなかったが、それでも愛鈴は姉の頬を触った。一月近くぶりに見る明鈴の顔は愛鈴が記憶しているものと寸分違わない。それに愛鈴は安堵した。
明鈴への記憶さえも王志文に操られたものだったとしたら、もう愛鈴には耐えられなかったのだ。
その時、
「……んぅ」
と明鈴が愛鈴に抱き締められたまま身動ぎをした。
「姉さんっ?」
弾かれた様に愛鈴は明鈴の顔を見た。明鈴は薄らと瞳を開けている。その視線は真っ直ぐに愛鈴へと向いていた。
「あい、りん?」
「うん。愛鈴。姉さんの妹の愛鈴だよ。大丈夫? わたしが分かる?」
愛鈴は舞い上がった。この時一瞬だけだけれど王志文の事を忘れていた。それほどまで明鈴とこうして離せている事が嬉しかったのだ。
思えば、王志文のキョンシーになってから愛鈴は一度も明鈴と会話をした事が無かった。
まるでよくできたからくり人形の日々の様に、毎日を変わらず平坦に過ごしていた。朝昼夜と一日一日の行動は同一の繰り返しであり、愛鈴達の時は止まっていたのだ。
もはや何時振りに明鈴と話せたのか分からなかったのだから、愛鈴は今こうして明鈴が自分の事を見てくれている事が嬉しくて堪らなかった。
ドーン、ドーン、ドドドドドドドーン!
愛鈴達の頭上を真っ赤な花火が彩り、しばらくの間見つめ合ったと、明鈴が愛鈴の右頬へと左手を当てた。
その手は慈愛に満ちていて、聖母の様に明鈴は微笑んだ。
「ごめんね」
「……? あ、ああ、気にしないで姉さん。操られていたんだからしょうがないよ。わたしも姉さんの右腕を壊しちゃってごめんね。後ですぐにお医者さんのところに連れて行くから」
愛鈴は初め、何故明鈴が自分へ謝ったのか分からなかったが、すぐに先ほどまで自分を襲っていた事を謝ったのだろうと思った。
あの優しい優しい姉ならば、自分の意思では無いとは言え、妹を襲ったと成れば罪悪感を持つに違いない。
愛鈴は何も気にしていなかった。こうして明鈴がまた愛鈴の事を分かって話してくれる。ただそれだけで十分に嬉しかったのだ。
しかし、
「……ごめん、ね」
明鈴は小さく首を横に振り、また、もう一度微笑んで、愛鈴の右頬を撫でた。
そう、明鈴が謝ったのは決して愛鈴を襲ってしまったからでは無かったのだ。
愛鈴は思い違いを、致命的な間違いを今犯していて、その事実に気付いていない。
もう、自分は逃れる事のできない結末に身を投げ出してしまった事に、愛鈴と言う少女は欠片も気付いていなかったのだ。
だから、愛鈴は、何故、彼女の最愛の姉が首を横に振り、もう一度謝ったのか分からない。
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