第16話 屍の王--あるキョンシーの追憶 ③

***


――やばいやばいやばいやばい! 死ぬ!

 黄城公園の森の中、舗装された道をはずれ、全速力で走りながらタローはチラッと後ろを見た。

「……………………」

 一体の女のキョンシーがタローを追ってきている。その黒髪は腰ほどまで長く、背丈からして高校生から大学生ほどの年にも見えた。

 女のキョンシーは鋭利な黒い爪を伸ばして、タローの首を刈り取らんと両腕を振り回している。軽やかな足取りにも関わらず、何故か全力で走るタローのすぐ後ろから離れない。

 キョンシーの一団の姿を見たタローは速やかに黄城公園の森の中へと逃げた。

 ついさっきまで聞こえていた音は中央広場から上がる火柱の音だけだったが、脈絡も無く大きな雷が上がってからすぐ、俄かに森が騒がしくなった。

 ザワザワザワザワと何かが歩く音がして、何が起きたのか確認しようと森を歩いていたら、ばったりとタローはこの女のキョンシーと鉢合わせてしまったのだ。

 タローの姿を認めるや否や女のキョンシーは襲い掛かってきた。

 それを紙一重でかわし、タローは逃亡中という訳である。

 また、すぐ手の届く位置まで女のキョンシーがタローへと近付いてきた。

「くそ! セーマン!」

 悪態を付きながらタローはセーマンの札を後方のキョンシーへと投げつけた。

 バチバチバチバチ!

 と、五芒星の壁が生まれ、それに女のキョンシーの体はしばし捕らわれた。

 その間にタローは走りまた距離を開ける。先ほどからこの繰り返しであった。

 だが、これも長くは続かない。タローにはあと、セーマンの札が四枚しかないのだ。

 ドーマンの札は十二枚あるが、一度ドーマンの札を投げ付けた時、動作も無くキョンシーの周りに生まれた黄緑色の炎に札は燃やされた。

 セーマンは空中で勝手に作動するが、ドーマンは対象に貼らねば効力を発揮しない。

 この鬼ごっこでドーマンの札は使えないと考えた方が良いのだろう。

――ユカリさんはどうしたんだっ?

 雷光が上がってから空にあの真紅の炎が見えなくなった。考えたくは無いが、ユカリが負けたのだろうか。

 タローには信じられなかった。ユカリは文句無しにこの浮世絵町随一の実力者である。龍田や朱雀丸や竹虎などサイズも力もおかしいオトギ達と渡り合える数少ない人物なのだ。

 その彼女が道士という人間の種族にくくられる相手に負ける姿をタローは想像できなかった。

 だが、先ほどまで祭り太鼓の如く響いていた爆音が聞こえなくなったという事は、何かがユカリにあった事は間違いない。少なくとも戦闘を中断しなければならない何かがだ。

 腿を振り上げて走っていたタローだが、その視界の前方に新しいキョンシーが現れた。今度は壮年の男だ。

「……ちっ!」

 筋肉に悲鳴を上げさせながらタローは直角に方向を変え、更に逃げていく。

 鬼の数が多すぎる鬼ごっこだ。このままではいずれ捕まるだろう。

 タローは何とか打開策を考えながら走るが、思いつかない。手段があるとしてもそれを実現する実力をタローは持ち合わせていないのだ。

 ならばタローに出来る事は逃げの一手。何か状況が変わるまで時間を稼ぐのだ。



 何時の間にかタローを追うキョンシー達の数は二十を越え、それぞれのキョンシー達が爪を、炎を、雷をタローへと放っていく。

 タローは右に飛び、左に転がり、上へ跳ね、下にしゃがむなどして、何とかまだ生きていた。

 セーマンの札を三枚使い、残り一枚と成った時、タローはある事実に気付いた。

――キョンシー達には種類がある。

 タローを追っているキョンシー達にはどうやら種類がある様だ。

 一番数が多いのが、両腕を前に突き出して足首を使って跳ねる者。彼らの動きはぎこちなく、跳ねるしか移動手段が無かった為、タイミングさえ注意すれば逃げる事は容易い。

 そして次に多いのが、生きている人間と同じに走れるキョンシー達。彼らの動きは人間と遜色なく、突き出される爪が脅威である。

 これに続いてキョンシー達は宙を飛べる様に成り、その内の半分が雷撃と炎を生み出す事ができた。

 タローが初めに会った女のキョンシーは宙を飛べ、雷撃と炎を生み出せる少数派だったらしい。

 あの黄緑色の炎さえ無ければ、ドーマンの札が使えるかもしれない。

 タローに残された札は、セーマンが一枚、ドーマンが十二枚。

勝負を仕掛けるしかないだろう。

 チラッとタローは後方を確認した。跳ねるキョンシーは十五、走るキョンシーは十三、飛ぶキョンシーの数は六で、その内、炎と雷を出したのは三。

 少し眼を離した隙に十以上も数を増やしていた。

 相手の数が多すぎてこのままではすぐに捕まるだろう。

――数を減らさないと。

 タローは周囲を見渡し、走ってきた感覚や微かに見えた外灯から、すぐ近くに小さく開いた広場が有る事を分かった。

 一目散に右に左に木々に隠れてその外灯へと向かいながら、タローは右手でドーマン、左手でセーマンの札達を握る。

 転がる様にタローは小さく開いたそのスペースへと走り込み、クルッと体を後ろへと向けた。

 そして、タローの眼と鼻のすぐ先まで最も近付いていた空を飛ぶキョンシー達へ残り一枚のセーマンの札を投げ付けた。

 バチバチバチバチバチバチ!

 五芒星は見事その役目を全うし、空駆ける六のキョンシー達の体を固定する。

 最も先行していた飛ぶ事の出来るキョンシー達の後方からは、跳ねるキョンシーと走るキョンシー達が爪を突き出していた。

 今、この場を逃してチャンスは無い。タローはセーマンの札を使い切ったのだ。

「行け!」

 タローは一息に右手に残ったドーマンの札八枚をキョンシー達へ投げ付ける。

 炎を出していたキョンシー達は今五芒星に捕らわれている。

 放たれたドーマンの札達は五芒星に捕まっているキョンシー達に三体、後方から跳び、走るキョンシー達五体に貼り付いた。

――良し!

 貼られなかったキョンシー達は多数居るがそんな事は問題では無い。

 庶民派陰陽師特性の護身法の効力は折り紙つきだ。

「切り裂け!」

 八重の巨大なドーマンの印がキョンシー達ごと空間を切断した。

作戦は成功である。

 だが、ここでタローには信じられない事が起きた。

 体中を切断されたのにも関わらず、宙に飛んでいた六体のキョンシー達がその切断された肉片と共にタローへと飛んで来たのだ。

 完全に体の動きを止めてしまったタローでは避ける事が出来ない。

 腕、腹、太腿、足、頭、首。

 黒い布を絡み付かせた青白い肉片達は内臓をドボドボと落としながら、その体に黄緑色の炎を纏わせていき、それと共にバチバチバチと紫電を作る。

 セーマンの札は使い切ってしまった。ドーマンの札は炎を纏われては使えない。

「ッ!」

 せめて、と、タローは形ばかりの防御を取るため両腕を交差させた。


***


 カチ、コチ、カチ、コチ、カチ。

 時刻は秒針を見つめながら愛鈴はタロー達の無事を祈っていた。

 先ほどの違和感への答えは後少しで分かりそうだったが、答えに近付くほど、騙し絵の様に煙に巻かれていく感覚を覚えた。

 時刻盤を何度も回った秒針。今は十一時を回るかという所。タロー達が■■と相対して一時間は経った筈だ。

 戦況などの報告がありそうな物で、事実あるのだろうが、愛鈴を護っているハク達は彼女へ何の情報も流さない。

 確かに下手な事を伝えて護衛対象に暴走されては堪らないのだろうから、彼らの考えも分かる物だと、愛鈴は胸中で溜息を吐く。もしも、タロー達が追い詰められている等の事柄を自分が知ってしまえば、現場へと向かおうとしてしまう可能性を捨て切れないのだ。

「……愛鈴さん、ココアのおかわりはどう?」

 ハクがトコトコとギョロっとした眼を愛鈴が両手で持っていたマグカップへと向けた。マグカップに入っていた暖かく甘いココアはもう無くなっている。

「はい。いただきます」

 素直に愛鈴はハクの言葉に甘え、ボトルを持った鬼から湯気立つココアを注いで貰った。

 両手に再び生まれた熱を感じながら、愛鈴はハクへと問い掛けた。

「……タロー達は今どうなのですか?」

「う~ん。答えられないよ。まあ、オニロク達を信じてとしか言えないな」

「そうですか」

 思ったとおりの言葉がそのまま返ってきた事に愛鈴は苦笑する。

 この犬だか獅子だか分からない、ギョロギョロとした眼のハクから表情を読み取る事など愛鈴には出来なかった。できれば楽観視してタロー達が無事に■■を捕らえただろうと信じたかったが、不安が尽きる事は無い。

 分からない事だらけだと、愛鈴は思った。今の自分は何も分かっていない。タロー達が無事かどうかも、何故■■がこうも自分に固執するのかも、さっきから感じている違和感の正体も。

 李愛鈴という人間に、いや、キョンシーにこそ直接関係のある話だと言うのに、当の中心人物が一番真実から遠い所に居るのは何故なのだろうか。

 今度は胸中ではなく実際に溜息を吐いて、愛鈴は一口ココアを飲んだ。

 暖かくほろ苦い甘さが舌をなぞり、喉を通っていく。

「おいしい」

 ふうっと感想が漏れて、愛鈴は困ったように笑った。

 まったく自分はこんな環境であると言うのにどうしてココアを味わっているのだ。この間にもタロー達が自分の依頼の所為で戦っているというのに。

 けれど、おいしいものはおいしいのだ。人間だった頃でもキョンシーに成った今でもこの食事の美味しさは変わらない。

「……困りまし――」

――たね。

 と自嘲気味に再び笑おうとした時、唐突に李愛鈴の中の何かが警鐘を鳴らした。

 待て。

 気づけ。

 思い出せ。

 何を考えた?

 ちゃんと整理しろ。

 今、重大な何かに気づいたはずだ。

「……愛鈴さん? どうしたの?」

 突然黙り込んだ愛鈴にハクが近付いていくが、彼女は何の反応も返さなかった。

――何? 一体何がおかしいの?

 おかしい事は分かる。何かがおかしい。何かが致命的に間違っている。

 なら、その間違いとは何なのか。

 愛鈴は改めて、違和感を持っていた情報を思い出し、一つ一つ順に吟味した。

――違う。そうじゃない。

 すぐさま頭を振る。違う。一つ一つを考えてはいけない。全体で考えなければならない。

 今、李愛鈴の記憶と、李愛鈴が置かれた状況を同時に吟味するべきのはずだ。

 愛鈴は考え、

 思い出し、

 考え、

 吟味した。

 横から聞こえてくるハクの声も気に成らない。気にする余裕が無い。

 騙し絵に気付く為には視野を広く、視点を変える必要がある。

 李愛鈴の過去は何だっただろうか。


 村を病が襲った。愛鈴の家族は三つ上の姉以外全員死んだ。

 愛鈴自身も病に罹り、血を吐いて死を待つだけに成った。

 ■■が旅人として村を訪れ、愛鈴へ薬を渡す。

 その薬を飲んだら、たちまち愛鈴の病は完治し、■■は村全体へこの薬を配った。

 村中から病が消え、村人達は■■へ感謝した。


 これである。

 では、今、李愛鈴置かれた状況は?


 逃げ出した李愛鈴を追って、■■が浮世絵町に来た。


 言ってしまえばこれだけだ。

 ならば、何故、そんな状況に置かれたのか。


 李愛鈴が■■のキョンシーだから。


 愛鈴にはこれ以外思いつかない。

 これらの情報をまとめると、何がおかしいのだろうか。

 愛鈴は眼を瞑り、額に右手を当てた。半分に破かれた呪言の札の感触が伝わる。

 そして、

 考えて、

 思い出して、

 考えて、

 思い出して、

 ふと、視点を変えた時、

「………………………………あ」

 愛鈴は違和感の正体に気付いた。

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