【11/17締切】「短歌の秋」第三弾開始! 選者は郡司和斗さん。第2回で取り上げられた歌もご紹介

ようやく秋らしい気候になってきたところで、「短歌の秋」いよいよ最終回!

「短歌の秋」第三弾のお知らせです。
継続は力なり!引き続きご参加いただけますとさいわいです。
そして、今回が初めてという方もぜひぜひお気軽にどうぞ!

本イベントは、募集期間内にカクヨムで発表された短歌作品から、ゲストが気になった歌を選んで生配信で評(コメント)していくというもの。
奮ってご参加ください!

第3回「短歌の秋」概要

スケジュール

募集期間10月28日(月)0:00~11月17日(日)23:59
歌会配信12月6日(金)19:00~21:00頃

※歌会配信は「カクヨム」公式Discordで実施します。
※歌会配信で取り上げる歌について、事前の公表は行いません。配信後、本サイトにてご紹介いたします。

募集テーマ

「濃さ」


みなさんは最近何かを「濃いな」と思った覚えはありますか?
秋は魚に脂が乗ってきて、濃密な味を楽しめる季節。あるいは涼しくなって行楽に濃い1日を過ごせたり。
年度はじめから半年が経って、そろそろ新しい環境で濃い関係が築ける時期、というのもあるかもしれません。
もちろん、現実の生活から解き放たれた、想像のなかの「濃さ」でもだいじょうぶ。
みなさんの思い思いの「濃さ」の歌を投稿してください!
※「濃さ」という言葉を短歌のなかに含む必要はありません(含んでもOK)。

ゲスト歌人のご紹介

郡司和斗(ぐんじ・かずと)さん

1998年茨城県生。第62回短歌研究新人賞、第39回かりん賞、第4回口語詩句賞新人賞受賞。歌集に『遠い感』(短歌研究社)。

■テーマ「濃さ」に沿った郡司さんの1首

あずにゃんのフィギュアを買いに行くときの心まみれの心のことを
(『遠い感』(短歌研究社))

応募詳細

応募要項

  • テーマに沿った短歌1首以上(一人何首でも応募可)
  • 自作のみ(既発表可)

応募資格

  • カクヨムに会員登録している個人の方のみご応募いただけます。
    ※カクヨムへの新規会員登録はこちら

    応募方法

  • 以下の内容で作品を投稿してください。
作品タイトル指定なし。こだわりがなければ「『短歌の秋』投稿作品」等と記載してください。
エピソードタイトル応募する短歌を入れてください。
本文指定なし。こだわりがなければ「『短歌の秋』投稿作品」等と記載してください。
タグ短歌の秋」(※「」はタグに含まれません)を設定してください。
  • 一人で二首以上の応募も受け付けます。その場合は同一の作品内で新規エピソードを作成し、エピソードタイトルに応募する短歌を入れてください。
    ※タグを設定して投稿すれば応募完了です。「コンテスト」や「自主企画」への参加は不要です。
    こちらに投稿サンプルを作成しておりますので参考にしてください。
    ※はじめてカクヨムに投稿される方は、こちらをご参照ください。

    注意事項

  • 応募期間に新規に投稿された作品が対象となります。
  • 締め切り後に作品を削除、あるいは非公開にした場合は、応募が取り消しとなりますのでご注意ください。選定を受けたい場合は、2024年12月6日まで作品を公開状態にしてください。
  • 選定に関するお問い合わせには一切応じられません。
  • その他、記載のない事項については、カクヨムのガイドラインに準拠いたします。

第2回「短歌の秋」結果発表!宇野なずきさんによる配信でのコメントをご紹介!



◆総評
今回のテーマについては、以前短歌を募集する企画に参加した時に、「死」をテーマにして募集したので、今回は真逆のものということで選びました。みなさんが何に「光」を感じているのか、ということが気になったというのあります。 募集期間が2週間くらいしかなかったのに、1700首近く来ていてすごいな、という印象でした。中にはひとりで100首送ってきた方もいて、驚きました。 いただいた歌の中には、「光」を肯定的に捉えているものもあれば、「光」に怯えているような歌もあったのですが、どちらかというと否定的なものが多かったのは、ぼくが選ぶ企画だったからなのかな、とも感じました。



◆作品評
焼き肉は米にワンバンさせて食え光を直視してはいけない
作者:白雨冬子

この歌は「焼き肉は米にワンバンさせる」という食べ方と、「光を直視してはいけない」というフレーズを重ねているのが面白かったです。「光」は概念的なものとして読んだのですが、自分にとって眩しいものを直接受け取りたくない、ということと、焼き肉を網から直接口に入れずに、米に置いてから食べるということを、同様なものとして捉えているのかな、と思い、詠み手はとてもいい人なんだろうな、と感じました(笑)。
短歌を作った方にとって、焼き肉は光と近い存在だと捉えているのも良いなと思って選ばせていただきました。
(宇野なずき)


線香の煙が高く立ち昇り光を緩く滲ませる
作者:風宮 翠霞

「線香の煙が高く立ち昇り」はお墓や仏壇に線香をあげているイメージですが、そこに「光を緩く滲ませる」で、末尾の「滲ませる」が五音の字足らずになっていて、線香の煙が立ったあとの余韻のある寂しい感じと共鳴しているのがよいと思って選びました。短歌は57577が定型ですが、表現として字足らずにしたという意図を感じました。
また、「光を緩く滲ませる」からは、これからに希望があるような、暗さの中の明るさであることを感じます。滲んでいるのはほんとうに煙なのか、線香をあげた相手が亡くなって間もなくて、涙で滲んでいる、というようにも読めるなと。
「緩く」の部分には、亡くなってしまってから時間が経っていて、悲しみが和らいでいるような印象も受けます。
(宇野なずき)


病窓にカーテンはなく音もなく星を殺す朝焼けを見ていた
作者:森野舞良

病院の窓の描写があるので、入院していて、静かな病室のなかで眠れずに起きていて、身体が痛くて眠れないのかもしれない。そこに、「星を殺す朝焼け」というのがすごくよいと感じました。「朝焼け」は一般的にはポジティブな印象が強いフレーズですが、そこに対して「星を殺す」という強烈にマイナスな捉え方を与えているのが良かったです。カーテンはふつう病室にはありそうなものだなと思ったんですが、カーテンがないことで、空の景色が遮られず、さらに音もない、と続くことで何もないところで物憂い思いをしているような感覚が伝わってきます。
(宇野なずき)


またひとつ光を手に入れた私 黒髪の中の白髪が煌めく
作者:琴里梨央

白髪が増えるのは、老いを意味するので、あまり嬉しくないことと捉えられがちなのに、それを「光」と書いているのに惹かれて選びました。「またひとつ」は白髪のことなのか、白髪が生えるくらいの年齢なので、たとえば家族など、ほかに「光」のように思っているものがあって、そこに白髪を加えているとも捉えられると思います。 歳を取るのは悪いことばかりじゃない、というのをやさしい形で表現していて素敵だなと思いました。こういった一般的な発想をひっくり返すような表現ができる方は、自分の短歌のライバルになってしまうので、よい短歌を詠むひととして警戒しないといけないなと思わされます(笑)
(宇野なずき)


はつなつを乱反射する頭頂部、俺から夏がはじまってゆく
作者:ケムニマキコ

この歌は、白髪の短歌と同じ着眼点で、白髪なのか、ハゲてるのかの違いなんですけど、とてもギラギラとしているので印象は大きく異なります。ハゲ頭が光るという短歌は何首かあったんですけど、この歌がいちばんエネルギーがあるなと感じて選びました。
「俺から夏がはじまってゆく」に自分中心に突き進んでいく強さがあって、全然違ったら恐縮なんですけど、日焼けしてサングラスかけてる元気な老人のようなイメージが浮かびます。この歌は「光」という言葉を使わずに眩しさが伝わってくる点も上手いなと思いました。 「はつなつを乱反射する」にも、ここが夏の中心だ、という気概を感じます。 「頭頂部」と「俺」の間に読点が入っているところについては、単に「頭頂部」と「俺」で漢字が続くから、ということもあるかもしれませんが、「頭頂部」にカメラのピントを集めて、そのカメラを引いたら夏が始まっていく、というシーンの切り替わりの効果を生んでいるようにも思えました。
(宇野なずき)


豆苗がやぶれた障子のひかりで育つ 育てやすい子がいい子と呼ばれる
作者:伽戸ミナ

障子が破れっぱなし、というのはあまり良い環境である印象を与えないのですが、その中で伸びていく豆苗がある。下の句の「育てやすい子がいい子と呼ばれる」からは、「あんたいい子やから育てるの楽やわ」とか言われて育ったのかなというイメージが湧きました。本当はいい子になりたいわけじゃないけど、下に何人かきょうだいが居て、「お姉ちゃんやから」みたいな事情があっていい子でしか居られない、みたいな恨みがあるようにも読めます。この薄暗い空気感が切なくて良いなと思います。
そこにスーパーで買ってきて、一度食べ終わった根っこの部分をもう一度食べるために育てている豆苗を重ねて描写しているのがよいなと感じて選びました。定型からは外れている音数ですが、感情のゆらぎに合わせているような感じで、そのリズムを大切にしたのかなと。豆苗がニョキニョキ育つのが、字余りによってイメージしやすくなっているのかなという感じもありますね。ぐんぐん育ちたいわけではないのにまっすぐ伸びていかなければならない、というちょっと鬱屈した感じ。
(宇野なずき)


日曜に振ったペンラの残光で闘う最終プレゼンテーション
作者:かなもん

「ペンラ」はペンライトで、アイドルのライブなどに行っている様子だと思うんですけど、 そこでもらったエネルギーで働いている、社会人の歌だなと思いました。この歌では、アイドルの光じゃなくて、自分の振ったペンライトの残光で戦っているんですよ。自分の発した光で戦っているのがいいなと思って。ぼくもアイドルのライブに行くことがあるのでわかるんですけど、ライブでペンライト振ったりとか、「ウオオオ!」って大きな声出したりするのって気持ちいいんですよね。いつもと違った自分になれて。そのエネルギーを月曜日に持ち越してそれで戦っている、頑張っているイメージがあっていいなと思って選びました。強い意志が自分のなかにあるんだなあと。ペンライトを振るにはアイドルがいないといけないので、アイドルから受けとった光が自分の中に残っていて、自分も光ることができる、というふうにも読めました。 太陽と月みたいな関係性。日曜日から月曜日で日→月というのとリンクしているのも素敵でした。
(宇野なずき)


結局はあなたがすきだ少しだけ隙間の空いた遮光カーテン
作者:海老珊瑚

「結局は」なので、いろいろ考えた上の結論として「あなたがすきだ」だと思うんですけど、遮光カーテンを完全に閉め切るように拒絶することはできなくて、少し開いてしまって、光が漏れている。「あなた」と作中主体の間に心のカーテンを引こうとしたんだけど、思い返してみて、楽しかったことや嬉しかったことがどうしても手放せない、愛だなって思いました。カーテンについては、自然と隙間が空いて光が差し込むのか、主体の気持ちの中に諦めきれない好意が残っていて隙間が開いてしまったのか、読み手次第でどちらとも読める歌ですね。「すきだ」とひらがなで書いているのが柔らかい印象になっていいな、と思います。
(宇野なずき)


観光のコウは眩しい思い出に変化してゆく最初の光
作者:真朱

まず、「観光のコウ」って確かに「光」って書くな、という気付きがあって、「光を観る」っていい言葉だなと。そこから「眩しい思い出に変化してゆく最初の光」に楽しい予感があって、旅行の始まりのワクワク感にある光を感じさせる歌でした。ぼくだったら「観光のコウ」が光って気付いた時に、一発ギャグとして終えちゃうと思うんですけど、「最初の光」と捉えることで、世界が広がっていく。 ひとつの短歌にいろんな要素を詰めすぎるとごちゃごちゃするので、大体一つのテーマで詠むんですけど、この短歌は「気付き」と「旅の楽しさ」の二つを両立させています。 観光するという行為自体が最初の光になって、そこからどこかに行って何かをしていくことで、いろんな光が後に続いていくように感じました。旅行っていろいろ考えているだけでも楽しいので、その時点からすでに光を帯びているっていう捉え方で読みました。
(宇野なずき)


あと何個蛍光灯を替えられる?そろりと昇る脚立の上で
作者:蒼鷺

「あと何個蛍光灯を替えられる?」っていうのが、よく感傷的になるタイミングの描写で、「死ぬまでに何度桜を見ることができるのだろう」っていうのは創作とかであると思うんですけど、そこを蛍光灯で言うか?っていうのがおもしろくて。桜は見たいですけど、蛍光灯は別に替えたくないので(笑)。年齢を重ねてくると、「いつまで元気に居られるんだろう」と思うことも増えてきますが、「蛍光灯を変える」という日常的な作業に対してそれを思うってことは、桜が見られなくなることよりも深刻で、そこに未来への怖さや不安を感じて良いなと思いました。LEDとかだとだいぶ替える頻度は少ないので、もう人生でこの後蛍光灯を替えることないのか、と思うとゾッとする部分があるかもしれないです。脚立に登れてるので、ある程度足腰はしっかりしているのかもしれないですけど、「そろり」というところで、あんまり身体が強い印象は受けないですよね。
(宇野なずき)


真昼間の児童公園(唐揚げは光源)、ここで息継ぎをする
作者:深川泳

昼休みに公園のベンチとかで唐揚げ弁当を食べているのかなと思うんですけど、「唐揚げは光源」が良いなと思って。「カレーは飲み物」みたいな(笑)。一首目の歌でも焼き肉が光だったので、やはり肉は光なんだなと。「ここで息継ぎをする」からは、好きなものを食べることが昼休みの唯一の楽しみなのかな、という印象も受けます。仕事中ずっと苦しくて、昼休みでやっと一息つけるけど、また午後からは働かなくてはいけない。かっこ付きで表記されているところは、黙々と唐揚げ弁当を食べていて、頭の中だけで「唐揚げは光源」と思っている感じなのでしょうか。なんだか、好きな食べ物から食べ始めるタイプのひとかなって気もします。唐揚げをもぐもぐしながら、ここからどんどん食べていくぞ、みたいな。 もし「ここで息継ぎをする」が楽譜上のメモみたいなもの、という捉え方をしたら、児童公園でしか息継ぎできるタイミングがないのでせねばならない、みたいな、強制感が出てきて、暗さが強調されるのでそれもよいですね。
(宇野なずき)


二の腕に食い込む爪は乱視の三日月あちらこちらで煌めき始める
作者:カヒ

この歌は読みが難しい短歌だと思ったんですが、二の腕に爪を食い込ませると、ゆるいカーブのついた凹みになって、それを「乱視の三日月」と表現しているのが個性的だなと思って取りました。
二の腕に爪を食い込ませるのは、自分を強い力で抱きしめるような感じになるので、あまりポジティブなイメージではないと思うんですけど、「あちらこちらで煌めき始める」では光のイメージを使っていて、強い怒りの感情を燃やしているのかな?といろいろ考えました。強い感情で誰かを恨んでいるのを抑え込んでいて、自分に刻み込んだ「乱視の三日月」が光っていってこれから何か恐ろしいことが起きるような。
想像だけで「乱視の三日月」という表現を思いつくのはなかなか難しそうなので、実際に爪の食い込むような経験があって作られているような実感の籠った印象も受けます。 短歌では、誰が読んでも一目で伝わるイメージをストレートに伝えてくる作品もあるんですけど、この歌は複雑なぶん、詠み方によって結構変わってくるので、いろんな詠み方で何度でも楽しめるのも良いところだと思いますね。ちなみに、SNSでは性質上、一つのイメージを伝えてくる短歌の方が反応をもらいやすい傾向にあるんですが、歌会では、解釈がいろいろある歌の方が盛り上がったり、それぞれの歌に長所があると思うので、投稿する場に応じてどんな短歌を作るのか考えてみるのも良いと思います。
(宇野なずき)


生活が光の分だけあるんだね 他人の握ったおにぎりは無理
作者:磯部新一

「生活が光の分だけあるんだね」という部分で、夜景からそこに暮らす一人一人の気持ちを想像したりしていて、詠み手には優しい、人間を愛するような気持ちがあるのが見えるんですけど、それはそれとして、「他人の握ったおにぎりは無理」で、実際のひととの距離感に置いては引いている一線がしっかりある。ここのギャップがある感じがおもしろいです。人間のことが好きなのか嫌いなのかよくわからない(笑)。それが人間らしさでもあるかな、と思いました。ぼくはインターネットばかりやっているので、「生活が光の分だけあるんだね」も「他人の握ったおにぎりは無理」もインターネットでよくみる表現だなと思うんですけど、その二つが共存することで新たな面白さが生まれている。ぼくの好みに合った短歌だなと思います。 わかりやすさと読んだ上での深みがあって、あまり短歌に馴染みがないひとにも、しっかりと面白みが伝わる歌なので、良い意味で、Xとかに投稿したらバズりそうな気もします。
(宇野なずき)


サプリメントをたらふく飲むのを知ったとききみから消えた光があった
作者:サラダビートル

まずは、たしかに好きな人がサプリメントをたらふく飲んでいたら嫌だなあ、と。ふつうに飲んでる分にはいいんですけど、「たらふく」に嫌さがあって、怪しい宣伝のサプリとかなのかな?というふうな想像もします。なぜ嫌なのか考えてみた時に、栄養をサプリメントに頼っているということになるので、食生活に頓着してなくて、ふつうの食事と違って人工的なものなので、「きみ」の良さが人工的に作られたもののように見えてしまって、光が消えてしまうのかな、と。朝ごはんにヨーグルトとか食べてて欲しかったのに錠剤をジャラジャラさせているのがわかってしまった時に気持ちがふっと消えるような。その表現を評価しました。
(宇野なずき)


麦チョコを口いっぱいに頬張って幸せだった これからもそう
作者:倉井さとり

作中主体の方は麦チョコがすごく好きなんだと思うんですけど、それをたくさん食べて幸せなんだろうな、とこちらも嬉しい気持ちになる歌でした。「麦チョコを口いっぱいに頬張って幸せだった」のあとの「これからもそう」で確信めいた表現をしているのがすごく良かったです。この先も幸せでありつづけることの確信でもありそうですし、幸せで居続ける、ということへの覚悟でもあるような印象を受けて、今回読ませていただいた中でも印象に残りました。好きなものをいっぱい食べて、幸せで、それが続いていく、というこの短歌そのものが光ってみえて、「光」という言葉が使われていないことも特に意識せずに選びました。今回は食べものを詠んだ歌がいくつか選ばれていますが、焼き肉や唐揚げでは存在そのものが光でしたが、麦チョコ自体はとてもささいなもので、それを口いっぱいに頬張っている状態そのものへの幸せを歌っているという部分もとても素敵だと思いました。
(宇野なずき)