第29話 妄想の地図(2)
理紅はソファの上にあぐらをかいた。
そしてどこかうっとりした表情で話しはじめる。
「とてもシンプルな話なんだよ。私は他の人たちと同様に、冷凍カプセルに収められた。正規の手順通りに。きれいに冷凍された。冷凍されると同時に夢を見た。冷凍された121名のうち、私以外の121名が勝手に冷凍カプセルから外に出て、120人で殺し合いをする夢。それはそれは、世にも凄惨な120人の戦争だったよ」
「勝手に殺し合った……?」僕は息をのむ。
「夢の話だけどね」理紅は人差し指を唇に当てる。「目を背けたくなるような残虐行為を、すぐに別の残虐行為が塗りつぶしてしまうような、最悪の夢。そんな夢を見たの。どれほど恐ろしい内容だったとしても、夢はただの夢にすぎない。目が覚めればそこでおしまい。目が覚めたときには私は病院のベッドの上にいた。凍っていたはずの私はいつのまにか解凍されていた。知らない大人たちが私のベッドを取り囲んでいた。そいつらは、私以外の120名が一瞬にして死体になった事件について教えてくれた。そのときはわからなかったけど、私には大量殺人の嫌疑がかけられていた。私はあの日から自分が夢の中にいるのか、現実の世界を生きているのか、自分でもわからずにいる」
理紅はそこまでを一気に、淡々と語った。その表情からは何も読み取れない。
「でも、ここは夢の中じゃないよ」僕はしぼり出すように言う。「現実だ」
「どうしてそう言える?」
「だって、僕はいま眠っていない」
「それ、私には関係ない話だよ」理紅は苦笑する。「この世界は私が見ている夢なのかもしれないんだから」
「それは……そうだけど」
「だいたい、私以外の120人って、ほとんどがお爺さんとかお婆さんとか不治の病におかされている人とかだったんだよ。あんなふうに悲惨な殺し合いができると思う? 私の夢の中だから可能だった。すべては私の夢の中で起こったこと。あのとき、私の夢と現実は混じり合ってしまった。もう二度と戻せない。夢を見る能力を持った人間である私が、冷凍睡眠された影響でそうなったんだと思う。夢を見られる人間は、きっと凍っちゃいけなかったんだよ。永遠に眠るようなものだから。永遠に夢を見続けてしまう。あの死体の山だって、ほんとうに実在した人物だとは思えないな。たぶん、もともとは私の夢の中にいた人たちなんだよ。夢の中で暮らしていた人たちが、いきなり、最初から、死体としてこの世界に現れた。あれは死体という役割で、この世界に用意された人たちなんだよ。それが真相だと思うな」
今日いちばんの根拠のない話だな、と僕は思う。
気の触れた犯罪者の言い訳みたいだ。
「なんだか夢の中で聞いている話みたいだ……」僕はこめかみを抑える。
「どっちでもいいんじゃないの、もう」
「どっちでもいいって?」
「夢というのは記憶の引用。つまり、この世界って、過去の物語の安直な引用でできた世界なんでしょ。教養のない私たちは、闇雲にいい加減な引用ばかりを繰り返している。最初から。今の今まで」
○
●
○
手応えのないまま話し合いはお開きになった。
これ以上中身のない理屈を振り回すのは、ランダムな文字の組み合わせで法律を作るようなもの。そういうタイプの芸術だって存在するのは知ってるけど、僕たちにはあまり興味のない分野だ。
ようするに僕たちは疲れ果てていた。
僕が食事をつくるあいだ、理紅は古い古いアニメーション映画をながめていた。
食事中も、そのアニメーションが流れていた。
世界を救うために女の子が一人で戦うストーリー。
とても牧歌的な発想だと思う。
食器を洗うのは、理紅も手伝ってくれた。そのあとは簡単なボードゲームを楽しんだり、お風呂に入ったり、本を読んだりして、眠るまでの時間を過ごした。
難しい話題はひとつも出なかった。
僕たちは並んでベッドに入る。二人で眠るのには、まだ慣れない。
理紅は空中に指で何か絵を描いていた。空中に絵を残すことなんてできないのに。
「何を描いてるの?」
「ナノだよ」と理紅は答えた。「今日のナノ」
「ああ、それだったら空中に描くしかないか」
「ん? どういう意味?」
「僕には本当の顔がない、ってことを表現してるんでしょ?」
「考えすぎだよ」理紅は小さく笑った。「私は好きだよ、ナノの顔。あ、そうだ、前にルルナに聞いたことがあるんだよ、『ナノのどこが好きなの?』って。そしたらルルナ、なんて答えたと思う?」
「さあ」
「全身が水に濡れているようなところ、だってさ」
「僕ってそんなに湿ってる?」
「詩的な表現なんじゃない? ルルナなりの」
「きっと僕が雨の話をしたからだと思うな。雨に打たれて暮らしていた、昔の人たちの話を」
「雨かあ」理紅はため息をもらす。「空から予告もなしに水が落ちてくるんだもんね。どんな感じだろう。一度でいいから浴びてみたいな。雨」
「シャワーと同じじゃない? まあ、その話をしてからというもの、ルルナは僕と雨のイメージを切り離せなくなってしまって、僕がいつもずぶ濡れでいるような感覚を切り離せなくなったんじゃないかな。そういえばいつか、僕を乾かしてあげたい、とか言ってたな。唐突に」
「あはは。変わった子だね、ルルナって」
「うん……そうだね」
「とても可愛いし」
「うん……」
20億年前に別れた女の子の話をしているみたいな気分だった。
ルルナと別れたのは、まだ昨日の出来事なのに。
僕たちはベッドの中でいろいろな話をした。
といっても、ほとんど理紅がしゃべっていたのだけど。
理紅は僕の前髪を勝手にいじりながら、自分の生い立ちを延々と話し続けた。
くすくす笑いながら理紅が語る過去の話は、ほんとうにあったことなのだろうか。それとも夢で見た話なのだろうか。僕には判断がつかなかった。
「もう眠いよ……明日にしよう」聞き疲れて僕は根を上げた。
「そうだね。眠ろう」理紅は僕の頬に手を置いた。「でもさ、眠ると私たちは夢を見てしまうでしょう?」
「うん」
「たとえば戦いの夢を見てしまったとして、その夢の中で命を落としたら、私たちはちゃんと目が覚めるのかな?」
「覚めないのかも」
「そのときはきっと、二人一緒に死んでしまうんだよね。私たちの夢はとっくに混じってしまっているから」
「たぶんね」僕は眠くてあまり話を聞いていない。
「私たちさあ」理紅は僕の鼻をつまんだり離したりして遊びながら言う。
「なに?」
「結婚しようか」
「結婚?」僕はその意味を考える。「どうして?」
「だってもう、お互いしか頼れないから。結婚って、そういう人たちがするものなんでしょう?」
「違うんじゃない?」
「そうだっけ」
「そうだよ。僕たち二人だけだからって、わざわざ結婚しなくても……あれ?」僕はベッドから少しだけ体を起こす。「二人だけ……?」
「どうかした?」
「僕の猫がいない」
「そう言えば……」理紅もはっとした表情を閃かせる。「いつからいない?」
「いつからだっけ……いつから、あの猫は……」
思い出せなかった。
そもそも、最初から猫がいたのかどうかさえ、わからなくなりつつある。
名前を付けてあげなかったからだろうか。
名前って、この世界に存在をつなぎ止めるための、紐のようなものかもしれない。
荻野ナノ。
僕の名前はこの世界に、たったひとつしか存在しない。
僕は急にむなしさを感じて、ベッドに深く潜り込んだ。
泣きたいのかもしれない、と少し思った。
そのとき、理紅の手が突然、僕の背中に回された。僕の体は理紅に密着させられる。ちょうど、理紅の喉のあたりに僕のおでこがぶつかった。
「あたたかくして寝たほうが良いよ、ナノ」
「うん」僕も理紅に腕を回す。「少し寒い」
理紅は鼻先を僕の頭にくっつけながら言った。
「ナノって、雨に打たれたあとのような匂いがする」
「理紅は、花のような匂い」
花の匂いなんて知らないのに、僕はそんなことを言う。
これは一体、どこからの引用だろう。
「ねえ、ナノ」理紅の声が僕の髪に、じかに降りかかる。「明日から、学校行くの、もうやめよう」
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