第20話 天使の輪っか

 恐怖を感じるほど広い平原だ。

 遠くに中世ヨーロッパ風の城の影が見えたりなんかしている。

 ここはどこなんだ?

 少し離れた場所に、ようやくルシヤさんの姿を発見した。すてきな下着姿で女の子座りをしている。

 その頭上には、天使の輪っかみたいなのがぷかぷか浮いている。

 思わず二度見してしまった。

「どうしました?」ルシヤさんが小首をかしげて僕を見る。

「可愛い」と僕。

 じゃなくて。

 僕たちは死んでしまったのだろうか。布団圧縮袋に詰め込まれて。呼吸困難で。ふたり抱き合って。マスメディアを2日ぐらい騒がせて、あっさり忘れられていく死のひとつとなってしまったのだろうか……。

「よう。久しぶり。元気?」と後ろから軽い調子の挨拶をするやつがいる。

 振り返ると、さっきの金髪だ。白衣のまま。サンタクロースみたいに大きな袋をかついでいる。

「きみも死んだの?」と僕は聞く。

「馬鹿か貴様は」金髪は袋を地面に降ろした。「誰ひとり死んでない」

「事情がまったくわからないのですが……ここはどこですか? VR? 夢?」

「ここは天界なのです」ルシヤさんが答えた。「博士は天才なのです」

「はあ。天界で天才」僕はルシヤさんと金髪を交互に見る。

「その通り。吾輩は天才だ」金髪が胸を張った。

「吾輩?」

 金髪は胸を張ったまま僕を見下し、言葉を乱射する。

「吾輩は、この世に生まれ落ちたときの第一声からして『存在の耐えられない軽さ……』というセンス抜群のつぶやきであったし(ちなみに生まれて40秒後にはTwitterに同様のメッセージを送信したよ!)、4歳でマサチューセッツ工科大学(以下MIT)の全学部に同時に入学し、9歳になるともはや他人から学ぶこともなくなり、学内に48の研究室を与えられた神童なのだ。今ではMITそのものを乗っ取り、完全に支配下に置いている。次はハーバードと全面戦争だ! これ、Wikipediaには載っていないからな。クラスのみんなには内緒だよ! ところでトーマス・エジソンを知っているかい? 知っているだろうな。エジソンは偉い人らしいし、そんなの常識らしいからな。しかし貴様らが崇め奉るトーマス・エジソン氏が晩年、死後の世界と交流を持とうと涙ぐましい努力を重ねた結果、霊界ラジオなどというおもしろオモチャを発明するのがやっとだったというのは有名な話だ。あのようなインチキとは違って、吾輩は16の歳、つまり昨年、あっさりと天界にアクセスする方法を発見してしまったというわけだ。エジソンが偉い人で、そんなの常識なのだったら、いったい私は何者なのだろうなあ常識的に! 雲の上の人か? 天界なだけに! あっはっは! 99%の努力? 1%の閃き? 小せええええええええええ! 小せなあ……102%天才なのだよ私は。2パーおまけな。私が天才であるという事実以外は0%だ! わかったかこの腐れマザファッカ!」

 後半、金髪が完全に「吾輩」を使い忘れていることが気になった。

 それ以外は何を言っているのかわからない。

「博士特製の布団圧縮袋でぎゅうぎゅうに圧縮されると、私たちは天界へ移動できるのです」とルシヤさんが補足してくれた。

 要するに、僕たちはみんな死んだんだな。と理解することにした。


 ルシヤさんは、頭に浮かぶ輪っかの位置が気になるのか、それを細かく修正している。

 僕はルシヤさんの、頭より下のほうをじろじろ見てしまう。

「下着姿になる必要があったのはなあ!」いつの間にか僕の背後に回った金髪が、両手で僕の目を隠した。「余計なものは少ないほうが移動にまつわる計算が少なくてすむからだ。下着を脱がさなかったのは貴様の素っ裸を見たい者などこの世に存在しないからだ。ルシヤの下着を脱がさなかった理由は二つあって、そのうちのひとつは、あのすばらしい素っ裸を貴様に見せたくないからだ! 残りの理由は後述する! ところで小僧、春雨の酢の物はおいしかったか?」

「え、あ……はい。ほどよい酸味と春雨の弾力、そこにきゅうりのシャキシャキ感がアクセントとなり、さらには錦糸卵の濃厚な旨味と絶妙な甘味が……」

「黙れ。貴様のセリフは一度につき2秒だ」

 僕の背後から僕に目隠しをしたまましゃべる金髪の、あたたかい肌の気配を感じるために、すべての意識を背中に集中した。金髪は背伸びをして、僕に体を密着させているのだ。

「貴様に春雨を食わせたのは、天界へ移動する際の体のすべりを良くするためだ。春雨の酢の物にはそういう効果があるからね(※独自研究)。ナノ単位の絶妙の配分で構成された春雨サラダなのだよ、さっき貴様が食べたのは。クックパッドには載ってないぞ! しかも吾輩の手作りだからな! 吾輩をあがめろ! 歓喜の涙を流し尽くせ! さて、ナノで思い出したが、天界への移動に関するその他の技術的問題はすべて『ナノマシンの働き』で説明がつく。テストにもそう書け。吾輩なら部分点を与える。ナノマシンの働きって言ってれば貴様ら凡俗の民は一応納得するのだろ? 一部の妄執的なSFマニアみたいなのを除いてな。そいつらは無視だ。石ころだ。蹴ってやれ! 私のことは魔法使いだとでも思っていろこのファッキンチェリーが!」

 最後の1回、「吾輩」を忘れなければノーミスでクリアだったのに……。

 僕は残念な気持ちになった。

 吾輩チェックに夢中で、話の内容はぜんぜん聞いてなかった。

 金髪がようやく僕の目隠しをやめる。

 目に映るすべてがまぶしい。



 □□□■□



「こんなところへ連れてきて、いったい何が目的なんですか」僕はパンツ1枚の姿で情けないことを言う。

「私たちは天使と戦っています」ルシヤさんが暗い顔で言った。

「トマト畑にはトマトがなっている。天界には天使がいる。トマトは収穫しなければならないし、天使は殺さなければならない」また金髪が割り込んできた。「当たり前のことだね」

「ちゃんと説明してくださいよ」

 金髪は僕を軽く睨み、そしておごそかに口を開く。

「遠い昔、遙か彼方の銀河系で……レイア姫は帝国軍に追われていた……」

「今スターウォーズの説明いらないですよ」

「あっ、普通に間違えたわ。ごめんごめん」金髪はわざとらしく咳払いをして呼吸を整え、ゆっくりと語りはじめる。「ちょうど1年前に……」

 全13章くらいの果てしなく退屈な話になりそうな雰囲気を察知して、僕は意識的に意識を失った。

「初めて天界にアクセスしたときのことだ。吾輩はある村の住人たちに本当によくしてもらった。住人というのは、もちろん天使たちだ。そこにルシヤもいた。吾輩は天界に到着するなり困り果てていたのだ。やって来たは良いものの、人間界に戻る方法がまったくわかってなかったからな。天才とは時として後先を考えぬもの。勢いだけで偉業を成し遂げてしまうもの。途方に暮れていた吾輩に、村人たちはポークビッツとキャベツのスープを振る舞ってくれた。おいしかった。幸せだった。クックパッドにも載っていた。およそ人の愛というものを知らずに育った孤高の天才、すなわちこの吾輩が、生まれて初めて『ここにいても良いんだ……』って素直に思えた。J-POPの歌詞が書けそうだった。だがその頃、折しも天界は、天下分け目の大戦争のまっただ中にあったのだ……」

 本格的に長そうだ。


「博士がやって来てまもなく、私の村は帝国側の天使たちに滅ぼされました。そのとき博士は、その高度な科学技術を用いて、かろうじて私の命だけを救ってくださったのです」

 ルシヤさんが劇的に短くまとめてくれたので助かった。


「そう。ルシヤは吾輩がつくったロボットなのだ。ロボットに魂を定着させる技術を12歳の誕生日に偶然思いついていた私は、帝国に殺されたルシヤの魂を大慌てで自作のロボットにセットしたというわけさ」

 金髪の口から放たれる驚きの事実。

「えっ。ルシヤさんはロボットなの? というか一度死んでいたの??」

「そうです。私はもともとは天使なのです。羽が生えていて、見た目もぜんぜんこんな感じではありませんでした。このボディは完全な博士の手づくりです」

「手ごねロボ。つくねの要領な」金髪が得意げに言った。

 僕はまじまじとルシヤさんを見つめる。

 可愛い。

 いや、可愛いのは今は関係なくて。

 大学での天使というあだ名は、あながち間違いではなかったのか。

 でも、どう見てもルシヤさんは人間の女の子だ。

 つやつやの髪と明るい笑顔。すらりとして健康的な体型。うすいピンクの下着とストッキング。ガーターベルト。

 天使だ。

 どのような意味においても。


「ルシヤの見た目は、吾輩の初恋の女の子に似せてつくったのだ」金髪がにやつきながら言う。「どうだ。切ないだろう。キュンとしただろう。今のをオチにして、この世界をぜんぶ終わらせてやっても良いんだぜ? そうはしないけどな。意地が悪い性格なのでね。吾輩は意地悪である。名前はまだない。何でも? 薄暗い? じめじめしたところで? ニャーニャー鳴いていて?」

 うざい。

「博士」突然ルシヤさんが緊迫した声を上げる。「天使です」

「む」

 二人は空を見上げる。僕もそうする。青い空。雲ひとつない。

 突如、ルシヤさんから、ウィーン……という起動音めいたものが鳴りはじめた。

 僕は聞こえないふりをする。

「高度8000フィート。単体。すでにこちらに気づいています。このままだと13秒後に到達します」

 早口に言うルシヤさん。

「殲滅せよ」

「ラジャ!」


 耳をつんざくような音とともに何かが空から飛来する。

 ルシヤさんは空高くジャンプしてそれを迎え撃った。

 およそ20メートルほどの高さだろうか。

 ルシヤさんと何者かは、耳障りな金属音を発して正面衝突した。

 激しい戦闘が始まる。

 両者の動きは速すぎて、傍目には二本の光線がめまぐるしく動き回っているようにしか見えない。

 流れ星みたいだ。

 僕はもう、どうでもいいような気持ちでそれをながめていたんだけど、何だか急に疲れてしまって、ちょっと頭を休めたいと思いはじめている。

 パンツ1枚だから、寒くて、上着がほしかった。

 自分の足もとを見る。裸足。

 上空で戦闘が行われている気配。

 ただただ、上着がほしいと思った。

 もし流れ星にお願いしたいことがあるとすれば、今はそれだけ。

 上着がほしい上着がほしい上着がほしい……。





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