第30話 聖戦

 世界は急速に単調になっていく。


 冷凍睡眠はハイペースで進められ、街からは人の気配が消えた。

 立ち入り禁止の区画や、明かりが消えて塗り潰されたようになった区画も異様な速度で増えていく。

 自宅の各種システムは今のところ正常だ。

 僕と理紅は学校へも行かず、何か生産的なことをするでもなく、無人となった食料品店から食料を盗んで生活するようになった。

 店から食料が尽きる気配はない。

 人がいなくなるのも、食料が補充されるのも、自動で処理されているようだ。誰かの意思で。どうにも仕組みがわからない。その目的も。

 すべてがプログラム通りに淡々と進行している、とは感じる。


 戦いはなくならなかった。


 学校に行かなくなると、決闘状は僕の家に直接届けらるようになった。

 僕たちが必ず目にする場所に、いつのまにか置かれている。誰かが届けているというより、突然そこに出現している、という印象。

 結局、この決闘状というのも何かを暗喩しているのだと思う。

 だけどそれが意味するところはわからない。

 といっても、僕たちはもはや世界の仕組みを知りたいわけじゃない。

 引用も暗喩も読み解く必要はない。

 終わりを見たいだけ。

 そのために必要なのは、ただ生き残ることだ。


 決闘とは別に、突然の襲撃も断続的に続いた。

 正式な決闘と、不意打ち。この二つは何を意味しているのだろう。

「戦いって、そういうものなんじゃない?」というのが理紅の意見だった。「さあ戦うぞ、っていう戦いと、いつの間にか戦ってしまっているという戦い。その二つをこの世界は表現したつもりなんじゃないかな。最も稚拙な方法で」


 僕たちは戦いのあいまに、散歩をしたり、テニスやチェスや観葉植物の世話やらをして毎日を過ごした。

「人間って、自分の意思を持つべきではなかったのかもしれない」と僕が言ったことがある。ゲームの主人公を自在に動かしていたとき、突然閃いたアイディアだった。

「なんだい急に?」僕に背中を向けて、前髪を慎重に切りそろえていた理紅が言う。「そもそも【意思】の定義って難しいよ。本当に自分の意思を持っていると言い切れる人間なんて、いるのかな?」

「僕たちは意思を持ってる」

「どうしてそう言えるの?」

「意思を持っているから、間違った行動を起こすんだよ。チェスの駒が間違った場所に移動したとき、それはチェスの駒のミスではないでしょう? プレイヤーのミスだ。チェスの駒が意思を持って勝手に動き出したらどうなると思う?」

「だとしたら私たちの世界に意思を持った人間なんていないんじゃない? それこそ地上時代のフィクションの中にしか」

「僕たちには意思がある」

「気に入ったの? そのフレーズ」


 そんなある日のこと。なんて、ごくありふれた場面転換の用語を使用せざるを得ないほど平凡な日常が続いていた、そんなある日のこと。


 僕たちのもとに、おそらく最後の決闘状が届いた。


 どうして最後だと思ったのかと言えば、いつもと文面が違ったからだ。

 そこには、

『最下層で待つ』

 とだけ書かれていた。

 差出人の名前はない。


「最下層だって」と理紅がどこか馬鹿にしたように言う。「ラストバトル?」

「最強の敵が現れるのかな?」

「そいつを倒したらスタッフロールが流れるんだよ」

「へんてこな主題歌も」

 近ごろ出会う敵は、初期の頃に比べると格段に強くなっている。

 僕の体が直接ダメージを受けることも少なくなかった。

 だけど敵の攻撃によって損なわれた部分は、理紅の絵で補填できる。

 僕の体は、もう大部分が理紅の作品だといってよかった。

 僕の流動的なディテールのうち、理紅に描いてもらった部分はフィックスされている状態だから、最近では僕は薬を飲む必要がない。

 結果的に、細かい設定を理紅が決めてくれたのだ。

 理紅が描いた絵を動かして僕は毎日敵と戦っている。

 でも僕だって理紅に描かれた絵のようなものだ。今となっては。


 僕たちは最後の戦いへと向かう。

 理紅はパーカーにショートパンツ。ポケットに手を突っ込んで鼻歌を歌っている。

 何の緊張感もなかった。

 僕だって普段着だけど。


 ●

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 1000年後の未来から鳴り響いているような不可解な音楽が、圧倒的な音量で場内を支配していた。


 結局、僕たちはどれくらいの時間戦い続けているのだろう。


 もう500年くらいここで戦っている気もするし、たったの12分しか経過していない気もするし、濃密な3年間が過ぎ去った気もする。


 強敵だった。

 というか、僕たちは敵の姿も、強さすら認識できていない。

 とてつもなく巨大だとも感じるし、僕たちよりはるかに弱いとも感じる。それどころか僕たちと寸分違わず、鏡に映したように同等の力であるようにも感じられる。

 狡猾で、品があり、醜悪で、かわいらしく、臆病で、好戦的。

 泣きながら爪を振りかざして、暴れに暴れている。

 だけどすべて幻覚のようにも感じる。

 僕たちとその敵は、心のどこかで理解しあっているようにも、意思の疎通なんてまるではかれないようにも思える。

 僕たちは苦戦していた。

 お互いの精神に傷を与える戦いだった。

 肉体への攻撃ではないからか、ふだんは絵を生み出した後はのんびり見学するしかない理紅にも、僕の受けたダメージは波及する。

 敵の攻撃は、僕たちの思い出や、成り立ちや、自我をえぐった。

 酷い消耗戦だった。

 仮に勝利を収めたところで、以前のような僕たちに戻ることができるだろうか。


 天井を覆うほど巨大化した敵は、同時に赤子のように小さくもあり、計算され尽くした、しかしきわめて雑な攻撃を延々と繰り出してくる。

 疲弊し、防戦一方となり、しだいに削り取られていった理紅の絵は、やがて完全に消滅した。


 僕たちの敗北。


 敗北したはずだ。


 なのに僕はまだ戦っている。

 自分が動いているのか、誰かに動かされているのか、それすらわからない。

 いつしか僕は極端な暴力衝動の中に埋没し、自我を失った。



 敵は正面に立っている。私を一撃でしとめようと、熊みたいな右腕を振りかざしている。

 熊なんてじっさいには見たことないけど。

 いや、動物園でちらっと見たかな?

 覚えてない。

 私はナノを正確に操り、敵の〈熊みたいに〉巨大な右腕を受け止める。そのまま相手をひきずり倒し、膝を顔面に入れる。

 芸術みたいに溢れ出る血。

 敵は倒れて動かなくなる。

 なんだ、簡単じゃないか。

 可愛いナノは、女の子みたいな顔で立ち尽くしている。

 私の最高傑作、荻野ナノ。

 細くて白い腕は、相手の返り血でタトゥーみたいに彩られている。

 それを拭き取ってあげようと私が近づき……かけたそのとき、場内を圧迫している気持ち悪い音楽が急激に転調した。


 なんだ?


 私は天井を見上げる。

 サラダボウルをひっくり返したみたいなドーム型の屋根から、黒々とした染みがにじみ出ている。

 かと思うとそれは突如、


 ぼたぼたぼたぼたっ……!


 と重たい音を立てて私の目の前にしたたり落ちてきた。

 私は慌てて飛び退く。

 黒い液体は、たちまちひとつの巨大なかたまりとなって、私に襲いかかってきた。

「ナノ!」

 私が叫ぶとナノは走り出す。

 私の意のままにナノは動く。

 忠実で無口なナノは低い姿勢からすごいスピードで黒いかたまりに飛びかかり、とんでもなく重いタックルを浴びせた。

 敵のバランスが如実に崩れる。

 ナノの細い体のどこにそんな力があるのだろう。ちょっとぞくぞくしてしまう。

 嘘みたいに高度な技術で体勢を整えると、ナノは間髪入れず鮮烈なハイキックを炸裂させた。

 ナノのきれいな脚のかたち。

 思わず見とれる。

 黒いかたまりは思い切りひしゃげて変形した。

 しかしそこで潰れてしまうような弱い敵ではなかった。

 生き残った土台の部分を一気に薄く引きのばすと、敵は投網のような姿に変化する。すごい勢いでナノに覆い被さろうとしてくる。

 おぞましい!

 私はナノの運動神経を、髪の毛一本分の正確さで制御した。

 信じられないボディバランスで敵の攻撃をかわし続けるナノ。

 かわしながら、切れ味の鋭い手刀で、少しずつ相手を切り裂いていく。

 ナノの一挙手一投足が、敵にとっては悪魔みたいに致命的だろう。

 私のイメージ通りに動くナノ。

 なんてかわいい。

 強く抱きしめて、自分の中に取り込んでしまいたいくらい。

 

 やがて敵は戦闘能力を完全に失った。

 ばらばらに千切られた糸くずのようになって、床に散らばっている。

 私はそれを無造作に踏みつける。

 ようやく終わった。

 と思ったらまた音楽が転調。

 ちょっと、さすがにいいかげんにして欲しいかな……。

 ため息をつきかけて、私は息をのむ。

 景色が一変していた。

 ドーム状のこの広場に、びっしりと、隙間なく、何百、いや何千もの【黒い瞳】が出現して、壁と言わず天井と言わず、とにかく視界いっぱいを覆い尽くしているのだ。

 しまった。

 思い違いをしていた。

 この決闘場それじたいが【最後の敵】だったのだ。

 背筋に冷たい汗。

 久しぶりの感覚。

 恐怖。

 壁や天井を埋め尽くした【黒い瞳】が、ほとんど同時に鈍く輝きはじめている。

 不気味な誰かの笑い声が聞こえる。

 すべての瞳が同時に私を狙撃しようとしている。

 その瞳から何が発射されるのかは知らないけど、そんなの避けきれるはずがない。

 なす術なし。

 と思った瞬間。

 圧倒的な光量のフラッシュ。

 すべての瞳から、何かが放たれたのだ。

 終わった。

 私の中で同時進行していたすべての希望を瞬時に諦める。

 ごめん、ナノ。

 世界より先に、私たちが終わってしまう。

 意識が遠のく。


 そのとき。


「しっかりしろよ、有居ありい理紅りく


 どこからか声がした。

 ごくごく微量の笑いを含んだ低い声。


「これで最後だぞ」


 聞き覚えのある声。


 沼野ぬまの摩耶まや先輩。


 の声


 だ


 天井からするりと飛来した先輩は、私とナノのちょうど中間地点に舞い降りた。

 そして細い剣をすばやく地面に突き立てる。

 黒い瞳から一斉に放たれた禍々しい光線は、すべて私たちの半径五メートルのあたりではじかれた。

 透明のバリア。

 何だよこの人。

 何でもありかよ。

 ばかばかしさに、私はちょっと笑ってしまう。


 敵の攻撃をいったん凌ぎきると、沼野摩耶は異様に格好良いポージングで地面から剣を引き抜いた。

 そしてまるでダンスでも踊るみたいに剣を一振り。

 私たちを守る透明なバリアが一挙に拡大し、場内一杯にひろがり、壁や天井を圧迫した。


 ぱちんっ!

 ぱちぱちぱちぱちぱちん……!!!!


 ちょっとコミカルで笑っちゃうような感じの音が辺り一面から同時に鳴る。

 バリアの圧力で、黒い瞳がすべて押しつぶされたのだ。


 先輩は休むことなく次の行動にうつる。私の視界にピンク色の描線が描かれる。

 先輩が軽い予備動作で跳躍し、一気に天井のあたりまで自分を浮遊させたのだ。

 何をする気だろう。

 と思うまもなく、空中で剣を振り回す沼野先輩。

 とてもシャープですばやい動作。

 長い髪が旗のように揺れている。

 先輩は空中を斬りつけている。

 それにあわせて、ドームの天井に亀裂が走る。

 横に二回、縦に三回、横に一回。


 二


 川


 一


「二、川、一」私はつぶやく。二川一。なんだか懐かしい文字の並び。決して忘れてはいけないことのような……。

 なんだっけ、これ?


 一瞬の静寂。

 それから、今後一切何も聞こえなくなってしまうほどの、恐ろしく巨大な爆発音。

 ドームがみるみる崩壊する。

 私はナノを抱きかかえて目を瞑った。

 つめたいナノの体。


「フタガワヒトツ。君たちが自分で発見しなければならなかった名前だ。私に答えを教えてもらうとは、明確な失敗だよ。残念ながらコンプリートは永久に不可能だ」


 直接頭の中に響くような沼野摩耶の囁き声に私は顔を上げる。爆煙の中にたたずみ、沼野先輩は微笑んでこちらを見ている。

 その口が動く。

 がんばれよ

 とか、

 さようなら

 とか、

 まったくもう!

 とか、

 そんな意味のない文字列の、どれかだった気がする。

 理解の範疇を超えた轟音と破壊の光景を一瞬だけながめて、

 私はナノを腕に抱いたまま、

 今度は本当に意識を失った。



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