第17話 双子の家

 三鳥川みどりかわ乃亜のあは隣のクラスの生徒だった。さっき生まれたばかりなのに、ずっと前から隣のクラスに在籍していたのだ。

 誰も三鳥川乃亜の存在を疑っていない。話題にもなっていない。

 霧川に意見を聞いてみたかったけど、教室ではお互いに無関心を装うことになっている。

 そんなことを思って廊下を歩いていると、理紅に出くわした。僕一人ではこの件を抱えきれなくなっていたから、理紅に話してみる。

「三鳥川乃亜さん?」理紅は歩きながらパック入りの紅茶を飲んでいる。「知らない子だな」

「まあ、理紅だって転校してきたばかりだもんね」

「その子がどうかしたの?」

「さっき生まれたところなんだ」

 保健室での不思議な体験を手短に説明する。

 自分でもその内容のばかばかしさに耐えきれなくなって、途中で話すのを何度もやめようと思ったほどだ。

 でも最初は退屈そうに聞いていた理紅の瞳には徐々に光が宿りはじめる。

「なんだそれ」理紅は目を大きくして言う。「すっごい、おもしろい」

「そう? 僕はなんだか白けちゃったよ」

「というかさ、梅森先生って何者なの? なんでそんなことができるの?」

「さあ……」

「その場にいたんでしょ? ふつう聞かない?」

「そんなの聞くような雰囲気じゃなかったんだよ」

「私だったら聞くけどなあ」

 理紅は咎めるように僕を見る。

「というかさ」と僕は話を少しそらす。「これって、僕たちが世界のスイッチを入れたことと関係があるのかな?」

「あるんじゃない? いろんなところに破綻が見えるようになったし。もうこの世界はそれほど整然としてはいない。私たちがスイッチを入れたときに理解した、この世界のマニュアルと、現実に起こっていることのつじつますら合わなくなってきてる。困ったことに」

「僕はマニュアルを完全に理解したとは言えないんだ……。まだ部分的にしか体に浸透していない感じがする」

「遅いな。勉強はできるくせに」理紅は僕の額を指で押した。「やっぱり子供なんだな」

「そうだね……」僕は素直に認めた。「勉強って、今では何の役にも立たないし」

「落ち込むなよ」理紅は微笑んで僕の頭にぽんと手を置く。「私、三鳥川乃亜さんに会ってみたいな」

「隣のクラスだよ。でも、僕は隣のクラスに知り合いがいなくて……」

「ほんと、頼りにならないなあ」


 僕たちは教室に戻った。

 驚いたことに、集介の席に三鳥川乃亜が遊びに来ている。

「あの子だよ。ほら、あの赤い髪の」と僕は理紅に小声で言う。「三鳥川乃亜」

「へえ」と理紅は言って、さっそく二人に近づいていく。

 僕もそのあとを追った。

「双子なんだって?」と理紅はいきなり話しかけた。

「荻野ナノくん」理紅を無視して、乃亜は僕に言う。「さっきはどうも」

「さっき生まれたって本当?」理紅はめげずに聞いた。

 乃亜はまだ理紅を見ない。

 ちょっと微笑みながら僕を睨む。

「私の秘密をばらしたのね。意外と口が軽いんだ」

「理紅は特別だよ」と僕。

「私は特別なんだ?」と理紅。

「あなたが有居理紅さんね」乃亜はここで初めて理紅と目を合わせた。「私がさっき生まれたという話を理解できるってことは、あなたは本当に特別なのかもしれない。少なくともこの世界の平均的な人間ではない」

 ばちばちっ、と視線がぶつかり合う……っていう大昔のコミックの演出を思い出して、僕はちょっとどきどきしてしまった。

「そう、私にはいかなるまやかしも通用しない……」理紅は手で顔を覆って奇妙なポーズを取った。「いかなるまやかしも」

 数秒の沈黙。

 乃亜は小首をかしげて理紅を見ている。

「きみたち、今夜うちに夕食を食べに来ない?」集介が早めに沈黙を破った。

「夕食?」僕は集介のいつもの調子に少しほっとする。「どうして急に?」

「ちょうど、荻野を夕食に誘おうという話を二人でしていたところなんだ」集介は穏やかに言う。「でも今の話を聞いていたら、有居さんも一緒のほうが良いみたいだね。4人でしかできない話っていうのがあるはずだ」

「なんか怖い言い方だな」理紅は腕組みをする。「まあ、ご馳走してくれるんなら、行っても良いけど」

「行くの?」と僕。

「行かないの?」と理紅。

「理紅が行くなら……ひとりで行かせるわけにはいかないしね」

 僕が言うと、みんなが笑った。

 いつもの子供扱い。

 子供だから仕方ないけど。

「何も危険なことなんてないよ」集介は手で顔の半分を隠して笑っている。「友達の家で遊ぶたけ。そうだろ?」

「決まりね」と乃亜が行った。「今夜7時にうちに来て」


 ○

 ●

 ○


 僕と理紅はいったん家に帰り、着替えてから三鳥川家に向かうことにした。

理紅と二人で遊ぶときには、いつも霧川に内緒にしてしまう。僕はずるい人間になろうとしているのだろうか?

 駅で理紅と落ち合う。

 僕はいつもの格好だったけど、理紅はうすいグリーンの、ちょっとしたイブニングドレスみたいなものを着ている。

「何その普段着」理紅は僕を咎める。「すっごい大きな家らしいよ。友達が言ってた」

 学校での理紅の友達は、すでに僕よりはるかに多い。


 電車を降りて、そのあとは歩いて三鳥川家に向かった。

 代わり映えのしない四角い通路を、地図に従って進む。学校からそんなに遠くはないけど、一度も足を踏み入れたことのない区画だ。

 マップの指し示す三鳥川家は、見たところただの壁だった。

 指定された位置に立つと、壁が僕たちを認識したのか、自動的に左右に開いた。

 おそるおそる足を踏み入れる。そこは広大な芝生の庭だった。個人の邸宅では珍しい趣向だ。

 芝生の上を縦横に走る石畳を踏みしめて進む。庭の奥には旧世代のフィクションでよく見かけるような、古びた洋館風の建物が待ち構えていた。遊園地のアトラクションみたいだ。

「こんな機能的でない家に住んでいる人がいるなんて」と僕は思わず言ってしまう。

「強い権力を持っている人間ほど、機能的でない家に住むものだよ。大勢の召使いを雇って、機能的に暮らせるからね。まあ、旧世界の話だけど」と理紅が言う。

 僕たちが館の前に立つと、両開きの重々しい扉が、これも自動的に開いた。

 まぶしい光が中からあふれ出てくる。

 そこは吹き抜けの巨大なホールだ。

 正面にある大きな階段は途中で左右に分かれて湾曲していて、そのまま二階の回廊に繋がっている。

 落ち着いた色あいの内装。

 ふかふかの絨毯。

 荘厳なシャンデリア。

 扉のそばに控えていた二人の若い女の子が、僕たちを見つけて近寄ってきた。旧時代のシンプルなメイド服を着ている。

 何もかもが、地上時代の映画やコミックでしか見たことのない光景だ。

「ようこそおいでくださいました」

 女の子たちはスカートの端をつかんでお辞儀をした。

 あまりにも動きが揃っているから、この子たちも双子なのかもしれない、と一瞬思ってしまう。

「なんだか笑っちゃうね」理紅が僕に耳打ちした。「ほら、双子の登場だ」

 メイドたちのことを言っているのかと思ったけど違った。

 集介と乃亜だ。正面の大きな階段から降りてくる。

 乃亜は黒いドレスを着ていた。鮮やかな赤い髪は複雑な形にまとめられている。

 集介は燕尾服に蝶ネクタイ。初めて見る格好だ。

「いかにもすぎて、本格的に笑いが止まらない」と理紅がおもしろそうに言った。

 苦手な雰囲気だな、と僕は感じている。演劇の舞台にむりやり上がられたみたいで、なんだか落ち着かない。

まあ、この世界って、僕が知らないだけで、本当は脚本のある演劇なのかもしれないけど。

「さっそく食事でいい?」集介がいつも通りのしゃべり方なので、僕は少しほっとした。「それとも家の中を案内しようか?」

「ごはんでいいよ」と理紅が言う。「今日はありがとう、招待してくれて」

「気楽にしてね。厳格なご主人様とかいないから。あなたたちを料理して食べたりもしない」乃亜が笑いながら言った。「食堂はこっち」


 ○

 ○

 ●


 4人にはちょっと大きすぎるテーブル。神秘的な燭台の明かり。品の良い音楽。一品ずつメイドが運んでくる食事は、どれも物語の中でしか見たことのないようなご馳走で、とても繊細な味つけだ。

「これ誰が作ってるの?」理紅は白身魚を口に運びながら聞く。

「誰だろう?」集介が首をかしげて動きを止める。「料理人じゃない?」

「知らないの?」

「気にしたことはないね、今まで」

「ご両親は?」

「いない。きみたちにもいないだろう?」と集介は僕を見る。

「昔はいたよ」と僕は答えた。

 僕にも両親はいた。今よりもっと子供の頃には。だけどある日突然、いなくなってしまった。

 朝、目が覚めたら、そんな人間なんて最初から存在していなかったみたいに、父も母も忽然と姿を消していたのだ。

 父と母はどうなったのだろう。

 誰に聞いても知らなかった。

 父母の失踪後、周りの大人たちに勧められて、飛び級の試験を受けた。

 それに合格したことで部屋を借りることができたし、生活費も支給してもらえるようになった。

 父母がいなくなったのは、ちょうど失踪事件が多発しはじめた頃だった。僕の両親も失踪事件の一部に含まれた。

 いなくなった人間はどこに行ってしまったのだろう。僕はよくそのことについて考える。

 いなくなった人間は、何かに選ばれているのかもしれない。

 たとえば、終わってしまうこの世界から逃げ出せる方舟のようなものがどこかにあって、そこに乗り込むことができる人員の選別が秘密裏に行われているとか。

 いなくなった人間というのが、その審査に合格した人たちなのではないだろうか。

 そんな荒唐無稽なことを思ったりもした。

 今はよくわからない。僕たちが【戦える】ようになったことと、やっぱり関係があるのだろうか。

 僕たちの他にも【戦える】人間がたくさんいるのだとしたら……たとえば、目の前の二人がそうなのだとしたら。


「乃亜だけが僕の家族なんだ」と集介は言う。

「集介が私のお兄さんで良かったな」と冗談っぽく乃亜が返した。その視線に、ちょっと粘り気のようなものを感じる。

「なんか二人って、あやしいね」僕が一瞬思ったことを、理紅が言語化する。「ほんとに血の繋がった双子?」

「へえ、あやしく見える?」乃亜が下唇を軽く噛んで笑った。「それはちょっと嬉しいかも」

「嬉しいんだ?」理紅は眉をひそめる。

「あやしくないより、あやしいほうが良いでしょう。どんなものだって」乃亜は意味ありげに理紅を見つめた。

「食事のあと、少し休憩したら、プールに行かない?」集介がまた絶妙のタイミングで場の空気をやわらげた。

 彼は社交的な笑みを一度も絶やさない。

「プールがあるの?」と僕。

「大きな温水プールがあるんだ。荻野は泳ぐのは好き?」

「泳げないけど……浮き輪なんかで遊ぶのは好きだよ」

「水着がないよ」と理紅。

「私のがたくさんある」と乃亜。「どれでも使っていいよ」

「他人の水着ってなんだか着る気がしないな」理紅は乃亜に視線を固定したまま、紅茶をひとくち飲んだ。「まあでも、今日生まれたばかりの女の子の水着だったら、着てもいいかな」

「清潔な水着よ。安心して」乃亜は少し笑う。「不潔だよ思ったの?」


 僕はさっきから感じている吐き気をこらえながら食事を続ける。

 何の予兆もないのに、何か良くない予感がする。

 僕と理紅が、なにか取り返しの付かない道に進んでいるような、そんな予感。

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