第21話 まだ始まったばかり


 □□□□■



 見上げる位置でまばゆい二本の光が高速に揺れ動いている。衝突したり離れたりを不規則に繰り返す。幻想的な光のアトラクション。

 僕の横では金髪が大声を張り上げていた。オペラグラスで戦闘を見物している。

「いいぞルシヤ! 上下に打ちわけろ! 相手はもうフラフラだぞ! 一気に決めようと思うな! ジャブでいい! 地獄の減量を思い出せ! 練習量では負けてないぞ!」

 目まぐるしく交差する二本の光。

 響き渡る打撃音。

 数分が経過した頃だろうか。

 光は消え、あたりは唐突に静かになった。


 下着姿のルシヤさんが一人で空から降下してきて、ふわりと着地した。

「博士、申し訳ありません。予定より52秒ほど遅くなってしまいました」

 報告するルシヤさんの腕や足は何箇所か傷ついていて、傷口からは複雑なメカ構造が見え隠れしている。ちょっと引いてしまう。

「安心しろ。この程度の故障、吾輩なら5秒で直せる。道具さえあれば」

「どうして下着姿なんですか」と僕は今さらなことを聞いてみる。

「この下着は吾輩の開発した戦闘服だ。有史以来最強の防御力を誇る鎧なのだぞ」

「でも見た目下着ですよね? 上から服ぐらい着てもいいんじゃ……」

「だって下着のほうが美しいし、興奮しない?」

「いや服は着てた方が、想像がかき立てられて良い気が……」

「黙れ小僧!」金髪が突如、激高する。「あの子はロボットだぞ! あの子を解き放て! 気安くヤックルに乗るな! 想像ばかりでものを言うな! 経験してから語れ! このファッキンチェリーが! 世の中の『未経験者歓迎』、あれぜんぶウソだからな! 椅子工場のバイトでエラい目にあったんだからな!」

 椅子工場でバイトしてたんだ。

 怒鳴り散らす金髪の肩に、後ろからルシヤさんがそっと手を置いた。 

「博士、基地に戻りましょう。お腹が空いているのでしょう?」

「うん……大きな声出してごめんね」と金髪がルシヤさんにだけ謝った。

「基地?」と僕は聞く。

「我々の拠点だ。ついてこい」

 金髪が金髪を揺らして僕に命じた。


 平原を1時間ほども歩いただろうか。

 木々に埋もれた洞窟にふたりが入るので、僕もついていく。

 中は真っ暗だ。しかしルシヤさんの眼球から照射される光線で、周囲の様子ははっきり見て取れる。あまりルシヤさんのそういう機能を見たくなかった。普通の女性でいてほしかった。

 僕は好きな女性に「あるべき姿」を押し付けてしまうような狭量な男だったのだろうか。

 だとしたら自分にがっかりだ。

 白いライトを放つルシヤさんの目。

 まぶしい。

 じっさいにまぶしいんだ。


 しばらく進むと、道は行き止まった。

 分厚そうな金属の扉が行く手をふさいでいるのだ。

 大仰な装飾の施されたその扉に、金髪はそっと手を当て、

「ププッピ・ドゥッピ・ドゥ!」

 とおかしな呪文を唱えた。

 西荻窪の雑貨屋で(遠い昔の出来事のようだけど、たったの2時間前だ)、ルシヤさんと店員が使っていた言語に似ている。

 ごごご……と低い音を立てて重々しい扉がスライドし始めた。

「ププッピ・ドゥッピ・ドゥというのは、開けゴマ的な呪文だ」聞いてないのに金髪が解説する。「意味は『タマネギを飴色になるまでよく炒めます』だよ」

「天使の言葉ですか?」

「いや。吾輩がイチから創造した新言語【ゴリアテ】だ。プピパ・ピッピプ・ペポリナーナ」

「ん?」

「今のは『あー海の家ぜんぶ燃やしたい』と言った」

「いや、そうじゃなくて……天使の言葉じゃないんですか?」

「天使の言葉など知らん。やつらはテレパシーで意思疎通するからな。いずれ生け捕りにして研究するつもりだが。【ゴリアテ】は、吾輩が人間界にこっそりばらまいているアンドロイドたちのために作った、アンドロイド専用の言語だよ」

「アンドロイドをばらまいてるって……あっ、ひょっとして、あの雑貨屋の店員も?」

「ああ、西荻窪の? そうだよ、西荻窪に2体、西日暮里に8体、西葛西に3体のアンドロイドをばらまいているよ。プリペ・プポップ・ペロポネソス。いまのは『この動画は削除されました』という意味。貴様もこの言語、勉強する? いまのところ人間では吾輩にしか通じないんだけど」

「遠慮しておきます」

 ごごご……と音を立ててゆっくりスライドしている扉だが、ゆっくりすぎてまだ100分の1も開いていない。

 ルシヤさんが扉に手をかけてぐぐっ、と一気に残りを押し開けた。

 手で開けられるのかよ。

「これは時間がかかり過ぎますね博士!」

「ごめんね」

 金髪が舌を出して、自分の頭をこつんと叩いた。

 僕たちは開いた扉の中に入る。ルシヤさんは重いその扉を片手で軽々と閉めた。

 ぴしゃん!と軽い音がした。


 扉の奥にはがらんとした広大なスペースがひろがっていた。

 バスケットコート2面分くらいの広さだろうか。ドアがいくつかあるので、全貌は見えない。

 なんとなく、UFOの内部みたいにつるんとした印象だ。

 UFOの内部見たことないけど。

 広間の真ん中には、ぽつんと丸いテーブル。少し離れた位置にはキッチンらしきものも設置されている。

「さて、ごはんにしよう」と金髪が言った。「つくり置きのカレーがある。貴様が温めてこい。吾輩はその間にルシヤの故障を直したり、ルシヤとシャワータイムを楽しんだりする」

「あの、僕のシャワータイムは」

「ない。手はしっかり洗えよ」


 食卓にカレーが並べられた。金髪とルシヤさんはおそろいのイブニングドレスをお召しになっている。大変お美しい。眼福である。下着姿は僕だけだ。下僕のようだ。下僕なのかもしれない。

 僕は温めたカレーの鍋をテーブルの中央に、でん、と置いた。

 金髪がそれをごはんにかけた。

 僕も同じようにした。

 ルシヤさんはカレーを木製のオルゴールと、アンティークのミニカーにかけた。

 僕が運ばされたサンタクロースみたいな大きい袋に入っていたものだ。

「吾輩はカレーしか食べない」金髪が宣言する。「ルシヤはカレーと雑貨しか食べない」

「雑貨!」僕は小さく叫んだ。

「雑貨はおいしいものです」とルシヤさんはにこにこした。

「吾輩がそのように設計した」金髪がカレーを食べながら言う。「雑貨を愛するガーリーなイマジネーションが、機械の体に魂を定着させる技術の最後のキーとなったのだ(学会未発表)」

 何を言っているのかよくわからない。

 出会ってから今まで、こいつが何を言っているのか理解できた瞬間なんてないけど。

「雑貨って、どこからどこまでが雑貨なんですか」

「女子が雑貨だと思うものすべてが雑貨だ! 雑貨だと思ったものならルシヤはなんでも食べる!」金髪はルシヤさんに向き直る。「ルシヤ、シルバニアファミリーは雑貨か?」

「雑貨です」

「聞いたか、ルシヤはシルバニアファミリーを食べる」金髪が僕に報告する。

「むしゃむしゃ食べます」ルシヤさんが宣言する。

「ルシヤ、地球は雑貨か?」

「雑貨じゃないです」

「ルシヤは地球を食べない」と金髪は満面の笑みで僕に言った。「助かったな」

 そこで会話は途切れた。僕たちは黙々とカレーを食べることに専念する。

 雑貨をかじる音もする。雑貨をかじる音が気になりすぎる。雑貨をかじる音がとても神経に障る。

 僕は狭量な男だ。


「食べ終わったら僕は帰っていいんですよね?」おかわりのカレーに、福神漬けを山盛り乗せながら僕は聞いた。

「だめだ」と金髪は答える。「貴様は我輩の戦力として、天使と戦ってもらう」

「戦えませんよ」

「戦える。なぜなら貴様は、吾輩の手によって天使殲滅用アンドロイドに改造されるのだからな」ビーフのかたまりをスプーンで突き刺して、それを僕のほうに向けながら金髪は言う。

「やめてください」

「やめない。貴様の運命はすでに決定しているのだガッハッハ」

 金髪はビーフをぱくっ、と口に入れた。

 僕をまっすぐ見ながら咀嚼する。


 もぐもぐもぐ。

 もぐもぐもぐもぐ。

 もぐもぐもぐ。


 よく噛んで食べるやつだな。

 カレーをまったく飲み物あつかいしていない。

 食事中の所作も、どことなく品があって、悔しいけど、ずっと見ていられる。

 この金髪の尊大きわまりない暴君は、非常に見目麗しい女の子でもあるのだ。

 可憐な生き物が目の前でごはんをもぐもぐし続けるという世界的に見ても価値の高い光景から、僕は歯を食いしばって視線をそらした。

「残念ながら、僕の人生はそんな劇的なものにはならないんですよ。平凡な職に就いて、平凡な日々を過ごし、平均寿命ぴったりで死ぬ予定なんです」

「あっはっは」と金髪は平坦に笑った。「馬鹿か貴様は。貴様は馬鹿か。平凡な人生、なんてものを想定している時点でナンセンスなんだよ。人生はままならないものさ。ままならないのが人生さ。吾輩に言わせれば、どんなに無難な仕事に就くのも、どんなに凡庸な女を選ぶのも、人生においては劇的なことだ。同様に、天界で天使のために戦うというのも、まったくもって平凡なことだといえる」

「そもそも天使ってどれくらいの数がいるんですか? こっちはたったの3人なんですよね?」

「おっ、もう自分を数に入れている。立派な心がけ。食後にプリンを一口だけあげよう。カラメル付いてない部分な。えーと、何? 天使の数? 天使の数は最低でも48億2000万体というのが吾輩の見立てだよ」

「無理ですよね?」

「無理じゃない。吾輩は生後7か月で銀河英雄伝説を読破した女だ。勝利に必要な軍略はそこですべて学習済みである」

「無理だって……」

 僕がうなだれた、その瞬間だった。


 ごわしゃあああん!!


 原因不明の破壊音が部屋じゅうに鳴り響く。

 テーブル上のものが等しく揺れている。

「博士」ルシヤさんが上を見た。「天使です」

「むむむ」

「29体。全員武器を所持しています。戦闘用の天使です」

「殲滅せよ」

「ラジャ」ルシヤさんは指をぽきぽき鳴らす。

「大丈夫なんですか?」

「ここが吾輩にとってのイゼルローンというわけだ。キャゼルヌ、やりようはいくらでもあるさ」

「誰がキャゼルヌだよ」

 パリーン!

 と澄んだ音がして天井が破られた。細かい破片がたくさん落ちてくる。

 まぶしい光とともに天使たちが侵入してきた。

 ルシヤさんが飛翔して迎え撃つ。

「オレたちの戦いはまだはじまったばかりだぜ!」と金髪が叫んだ。

 濃厚な死の気配が室内にあふれている。

 運命のずっしりした重力を感じる。

 僕の視線はテーブルの上に固定される。

 それが僕にできる最大の現実逃避だ。

 複数の人数が激しく争う音が上空から聴こえる。

 ひときわ大きな打撃音が響いて。

 皿が全部テーブルから落ちた。

 僕たちの戦いはまだはじまったばかり。

 次回作にご期待ください。

 暗転。

 エンドロール。




 □□□□□  ■




 気がつくと僕はベンチに座っている。

 隣には理紅がいて、僕の肩に頭をのせて眠っている。

 何か重要な夢を見ていたような気がする。でも何も思い出せない。

 僕たちは水着姿だ。正面には巨大な室内プール。ここはプールサイドのようだ。

 薄暗い照明。塩素の匂い。ぬるい空気。

 真ん中のレーンを誰かが泳いでいる。

 きれいなクロールで、スピードはかなり速い。

 それを見ていると、僕はなんだか不安になってきた。

「ねえ、理紅、起きて」

 理紅の腕をつかんで軽く揺さぶる。

「ん……?」

 理紅が身じろぎをした。

 まぶたがぱちりと開く。

 水色の瞳が僕を捉えた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る