第04話 殺人鬼

「おはよう諸君。私が世界最悪の殺人鬼・有居ありい理紅りくだ。名前くらいは知っているだろう。さあ、存分に眺めるが良い。美しいこの私を。君たちが人生の最後に見る顔だ。さあて、誰から殺そうかな。まあどうせみんな殺すから、順番とか関係ないか、クックック」


 というのが有居理紅の第一声だった。

 有居理紅は無表情で、有居理紅以外も全員無表情だった。


「あれ?」と小首をかしげた有居理紅に少しだけ表情が戻る。「冗談ですよ。ちょっとは笑ってよね。あ、名前は本当です。有居理紅といいます。はじめまして。冷凍睡眠が再開されたら、またすぐ凍ってしまうので、皆さんと長い時間を過ごすことはできません。ですが、どうせ私たちはひとり残らず凍りつかなければならないのです。遠い未来に解凍されたあと、じっくりお付きあいしましょう。すべては氷を取り払ってからです」

 選挙演説みたいな口調で言って、彼女は拳を握りしめた。教室はまたしても反応なし。

 実際に肉眼で見る有居理紅は、映像で見た印象より小柄に感じられた。

 とても光沢のある人工的な水色の髪。名前に「紅」という字があるので、この時点で軽い倒錯がある。どことなく挑戦的な目つきに、なんとなく不遜な口もと。結果として、不機嫌そうにも高慢そうにも見える。

 この女の子は一度完全に冷凍され、そして見事に解凍されたのだ。

 彼女とともに凍りついた120名はすべて死んでしまったので、全人類で唯一の冷凍睡眠の経験者が、目の前にいる彼女ということになる。


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 有居理紅は今から4か月前、ほかの120名とともに〈冷凍庫〉に保管された。

〈冷凍庫〉は全貌が計測できないほどの巨大な空間だ。しかしその空間じたいの温度が低いということはない。

〈冷凍庫〉の敷地内には、カプセル型の冷凍睡眠装置が無数に並んでいる。カプセルは、人ひとりがちょうど収まる程度の大きさだ。そのカプセルの中に、ひとりひとりが別々に冷凍保存される。

 つまり、世界中の人間の数と同じ数だけ、このカプセルが存在するということになる。

 そんな場所が本当に存在するのか?

 そんなことが可能なのか?

 ばかばかしい話だとは思うけど、僕たちにわかるのは教えられたことだけだ。

 ばかばかしい話は続く。


 冷凍睡眠計画を管理する機関を〈終末省〉という。

〈終末省〉には、〈冷凍庫〉が正常に作動しているかどうかを絶えず観測する部署がある。地下時代の開始からずっと、いつか自分たちを凍り付かせるためのシステムを守り続けていたのだ。

 そしてそいつらも当然、最後には凍ってしまう。

 笑い話みたいだ。

〈終末省〉が、〈冷凍庫〉から検出された数値の異常に気づいたのは、有居理紅が凍ってしばらくしてからのこと。

 冷凍された人々がおさめられているはずの121のカプセルのうち、「120のフタが開いていて、中に人が入っていない」ということを、さまざまなデータが明確に示していた。

 しかし〈冷凍庫〉の様子を撮影したリアルタイム映像を確認してみても、カプセルのフタは閉じている。そこから出て歩き回っている人間も見当たらない。

〈冷凍庫〉の敷地に入るための扉だって、もちろん閉ざされたままだ。

 いくら調べてみても原因がわからない。


 仕方なく〈冷凍庫〉の扉が開かれた。


〈冷凍庫〉の風景は、リアルタイムの映像とはまるで違っていた。

 無数のカプセルのうち、120個の扉が開かれていたのだ。数値の示すとおりに。

 そしてカプセルにおさめられていたはずの人々は、一か所に集められ、山積みになっていた。

 文字通り、山積みに。

 すべて死体だった。しかも著しく損傷している。

 惨殺死体といって良い。

 映像には何も映っていなかったのに。

 不思議なことに、録画された映像を確認してみると、〈終末省〉の職員が〈冷凍庫〉の扉を開けた瞬間に、突如として山積みの死体が現れている。

 へたくそな編集でも施したみたいだった。

 現実は一瞬で書き換えられてしまった。

 だけど現実って、いったい何だろう?


 そんな中、有居理紅だけがカプセルの中に綺麗に収まり、凍ったまま安らかに眠り続けていた。カプセルの中で彼女は血まみれだった。あとでわかったことだが、すべて返り血だった。


 かくして有居理紅は予定外の早さで解凍された。

 解凍されると同時に大量殺人の嫌疑がかけられた。

 ほどなく嫌疑は取り下げられた。

 カプセルの中で凍りついていた女の子に、120もの人間を一瞬で惨殺するなんていう芸当は不可能だからだ。

「凍る前に全員を殺してから、そのあと自分だけが悠々とカプセルに入ったのだ」

 とか、

「カプセルの中にいながらにして超能力で殺人を行ったのだ」

 とか、

「我々はすでに彼女の絵の中に囚われているのだ」

 とか、そういったばかばかしい意見も掃いて捨てるほどあったけれど、実際に掃いて捨てられ、煤しか残らなかった。

 有居理紅は、おそらくは無実。

 だけど、なんだか気味が悪い。

 という宙ぶらりんな状態で、もとの生活に戻ることになったのだ。


 それが2か月前の話。

 いま有居理紅は、僕たちの目の前にいる。


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 ○

 ○


 教師に促されて、有居理紅は教室の真ん中あたりに用意された席に座った。

 あるべきパーツがあるべき場所に収まったようにも見えたし、あってはならないものがあってはならない場所に出現してしまったようにも見えた。

 仲良くするように。

 とシンプルな言葉を残して教師が退出すると、教室は嘘みたいな静寂に包まれた。

 全員が陶器のように体を硬直させている中、ただひとり有居理紅だけが動いていた。頬杖をついたり、小さく息を吐いたり、身じろぎをしたり。

 周囲のすべては微動だにしない。

 書き割りのセットで芝居をする女優のようだ。

 もう二度と、有居理紅以外の人間は動くことができないのかもしれない。それこそ、彼女の絵の中に囚われてしまったみたいに。

 そんな空気を打ち払ったのが霧川ルルナだった。

 霧川の席は有居理紅のひとつ前。有居理紅を振り返って話しかけた霧川の小さな声は、僕の耳にもしっかりと届いた。

 というより、教室中の人間の耳に。

 音をさえぎる音がまるでなかった。

 霧川は有居理紅にこう言ったのだった。


「ねえ、自分が凍るのってどんな気分だった?」


 教室中が緊張した。

 全人類で唯一冷凍された経験のある人間に、霧川は聞いている。

 少しの間があって、有居理紅は答えた。


「冷たかった」


「どのくらい?」

 霧川は間髪入れずに聞く。

 有居理紅はまた少し考える。


「体が凍りついてしまうくらい」


 教室はしんとしたままだった。

 音も色もなく、ただ鉛のように重たい気体が教室を満たしている。

 くっ、と霧川ルルナが笑った。

 くくく、と有居理紅も笑う。

 くはははは、とふたりが笑っているあいだ、教室中の生徒は、お経でも聴くみたいにじっと声に耳を傾けていた。

「私は霧川ルルナ。ルルナって呼んで良いよ」

「じゃ、あたしも理紅でいい」

「なんかお約束のセリフだね。お互いを呼び捨てにする許可を出すのって」

「お約束の展開が待ってるのかな、このあと」

「どんな展開?」

「仲良くなったり、大げんかしたり、恋人を取り合ったり?」

「えー、めんどくさそう」

「じゃあ、やめとくか」

 二人の会話は驚くほどのスピードで新鮮味をなくした。まるでずっと昔からの友達だったかのような無邪気なおしゃべりは、教室を固めていた気体を静かに霧散させる効果があったようだ。有居理紅の周りに、瞬く間に人だかりができあがる。

「なあ、荻野」背後から鯨井が僕を呼ぶ。「かわいい女の子の、かわいい対決、お前はどう見た?」

「ルールがわからないよ」

「なかなかいい勝負だったと思わないか?」

「勝負だったの? 今のって」

「どう見ても勝負だったろ」

「そうは思わなかった」

「あの麗しい光景を見て何も感じなかったのか?」

「さっきから質問が難しいな」

「すべての質問と回答はまるで対応してないんだろ? 適当に答えろよ」

「そうだね。あの二人が喋っているところは……」僕は少し考える。「とても有名な名画の、とても上手な贋作みたいだったよ」

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