第03話 地上と地下
教室に入る。普段は神殿のように静かなのに、今日はやけに騒々しい。どうも
霧川も身振り手振りを交えて楽しそうに喋っていた。遠目には踊っているようにも見える。
自分の席に座る。後ろから肩をつつかれた。
振り返ると
鯨井は近隣の女子生徒に関する見事に体系化された情報を、異常なほど大量に、異常なほど正確に記憶していることで知られていた。聞けば何でも教えてくれるらしい。快活な印象なのに、うっすら気味悪がられているのはそのためだ。よくいる解説役のキャラクターとして配置されているんだな、と思うことにしている。
「有居理紅が来るんだよ、今日」と鯨井は言った。
「知ってるよ」
「ついに俺のデータベースに有居理紅が加わるってわけだ」
「データ収集なんてレトロな趣味だね」
「有居理紅と霧川ルルナ、お前はどっちが可愛いと思う?」
「数字で表せないものは比べられないよ」
「隠された数字を見抜くのが俺たちの仕事なんだよ」
「仕事」
「俺はね、うちのクラスでいちばん可愛いのは霧川ルルナだと思う。総合力では」
「総合力」
「やっぱ黒髪ストレートってのは強いよ。みんなの心を粉砕してしまう」
「必殺技みたいに言うんだね」
「ただそれでも、全国レベルの有居理紅に太刀打ちできるかどうか。つまり、霧川がうちのクラスの代表として、有居理紅を迎え撃つ構図な」
「変わった世界観だ」
「うーん」と突然、鯨井は頭を抱える。「見たいような見たくないような。有居理紅と霧川ルルナが並んだとき、どっちが上とか明確にわかっちゃったりするのかな」
「さあ。切り取り方によるんじゃない」
「切り取り方って?」
「うーん。たとえば、このクラスの全員に木彫りの人形を作らせたら、全員違う人形を作るでしょう?」
「うん。え? 何の話?」
「つまり、有居理紅も霧川ルルナも木材みたいなものでしかなくて、それを見る僕たちの視線の動かし方によって、それぞれの形に切り取られるということ」
鯨井はようやく動きを止め、腕を組んで深刻そうに僕を見る。
「あの、俺は何の質問したんだっけ? お前の答え聞いてたら、自分の質問が思い出せなくなったんだけど」
「それが普通なんじゃない? すべての質問は、すべての回答とまったく対応してないんだから。すでに存在していた質問と回答が、ランダムにマッチングされてるだけ。それが会話の本質だよ。たまに望んだ答えが返ってくるのは、単なる偶然。それか、単なる気のせい」
「……俺が馬鹿すぎるせいでおまえの話がわからないのかな?」
「馬鹿すぎるのは僕のほうだよ」
「俺と荻野の言葉は、この世では噛み合わない。話が合うのはあの世ってことだな。それだけはわかったよ。ごめんね、ほんと」
鯨井は席を立ってべつのグループのところに向かった。有居理紅に関する熱っぽい話がしたかったんだと思う。
でも僕は鯨井の最後の言葉には感心していた。
すべての言葉はこの世では決して噛み合わない。
希望があるとすれば、あの世だ。
窓の外を見る。
美しい街並み。ただしこれは単なる映像だ。
世界は平面だけで構成されている。壁の組み合わせでしかない。その壁に、今はもう失われてしまった過去の複雑な風景が映し出されている。
古典的な手法だ。
僕たちの住む世界は、かつて【地下】と呼ばれていた場所にある。
僕たちが生まれる以前に終了してしまった壮大な物語は、すべて【地上】で繰り広げられたものだ。
その物語の果てに、人類は【地上】を失ってしまった。
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○
僕たちはどうして地上を失ってしまったのだろう。
いろいろな理由が唱えられていて、そのひとつひとつに、もっともらしい根拠と強力な反論がセットで用意されている。そして本当のところは何もわかっていない。少なくとも僕たち一般市民レベルでは。
要するに人類は自らの手で、自らの住まうべき大地に壊滅的な打撃を与えてしまったのだ。
大昔から神話やら大衆娯楽で繰り返し語られてきた危機的状況に、本当に直面してしまった。
しかし、人類はそんな窮地から整然と退却することができた。
約束の地は、僕たちの足もとにあったのだ。
地下に。
広大なフロアが数百もの階層を織りなす巨大な地下空間。誰がどのような目的でつくったものかわからない。どの記録にも残っていない。少なくとも閲覧可能な記録には。
現在、この地下空間に人類はひしめき合っている。人口は50万人に満たない。多いとも少ないとも思わない。けれど、僕が人生で接する可能性のある人間の数は、それで全部だ。
ということになっている。けれど本当のところはどうだろう。
なにしろ僕たちはここから出られないし、外の様子はいっさい観測できない。
しかもこの地下世界の全体を、死のウイルスが埋め尽くすことが決定している。
8年後から15年後までのいずれかの時点で、確実にそれは起こる。
全能の神と同義であるコンピュータ・システムによる、的中率100パーセントの死の予言。地下に逃げ込んだ人類をさらに追い込む抜け目のない罠。ここは、僕が生まれたときにはすでに滅ぶことが決定していた世界なのだ。
僕たちは終幕の準備を進めている。
人類は静かに眠りにつくのだ。
大規模な冷凍睡眠システムによって。
肉体と生命と記憶。そのすべてを保持したまま永遠に眠りつづけ、少しの危険とも無縁に解凍できる技術。それを人類は、この地下時代の最初から所持していた。
まるでこの地下世界そのものが、太古の昔から用意されていたみたいだ。
絶望に対処するために。
予定通りの絶望を得た僕たちは、順番に、全員が、凍って、眠る。
安全な環境が、偶然に構築されるその日まで。
僕たちを解凍してくれる存在の善意を信じて。
ありもしない未来を待つ。
○
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教室が急に静まりかえって、僕は考えごとを中断させられた。顔を上げると、担任がいつのまにか教壇の前にいる。
その後ろに女の子が立っていた。
見たことのある顔。
第1回目の冷凍睡眠に選ばれた121名のひとりで、自分以外の120名に対する大量殺人の嫌疑がかけられた女の子。
天才的な色彩感覚を持つ15歳の美少女画家。
有居理紅。
ついに僕たちの前に姿を現したのだ。
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