第15話 想像上の夏

 階段の踊り場で僕と理紅は秘密の話し合いをする。

 昼休み。

 壁に映し出される映像は、きらきらした夏の日射し。

 僕たちは知識としては季節というものを知っているけれど、じっさいにはどの季節も体験したことはない。

 でも夏というのは、何かとても大切な季節だって感じはする。

 地上時代の物語に触れていると、自然とそう思う。


「最初に【敵】と戦った次の日に」僕は夏の木漏れ日を頬に感じながら無粋な話をする。「クラスメイトがひとり失踪した。志賀ミキオっていうやつなんだけど……」

「知らない子だな」と理紅。

 踊り場には僕たち二人だけ。

 お互いの声はとても小さい。

「僕もほとんどしゃべったことはなかった。でも僕たちが最初に敵を倒した翌日に彼は失踪したんだ。つまり僕たちが最初に倒したあの【敵】っていうのは、志賀ミキオだったんだよ」

「なるほど」と理紅は頷く。「昨日、私たちは鯨井くんと戦った。すると鯨井くんが失踪した」

「明らかな因果関係があるでしょ?」

「どうかな」

 理紅は壁に寄りかかって腕組みをしている。夏の日射しに水色の髪が透けていて、とてもきれいだった。

「納得いかないの?」と僕は聞く。

「私たちが【敵】と戦いはじめる前から失踪事件は多発してたよ。そのときは誰が彼らを消してたの?」

「僕たち以外のだれか。僕たち以外にも【敵】と戦っているやつがいるんだよ」

 理紅はちょっと意表を突かれたみたいだった。目が少しだけ大きくなる。

「私たちより先に世界にスイッチを入れた人がいるって言うの?」

「それはわからないけど……でも、そもそもどうして僕たちは鯨井サトシと戦わなくてはならなかったんだろう?」

「んー? その理由は鯨井くんが自分で言ってたんじゃない? ぜんぶ忘れちゃったけど」

「そう、ぜんぶ忘れて良いような、支離滅裂な理由だった。自分に絶望した、世界に絶望した、みたいな感じの……。取って付けたような、取るに足らないような、まるで意味のない理由をわめいていた」

「そこまで言っちゃあ可哀想では」

「あれって、僕たちと鯨井の戦う理由にはならないんだ。だって鯨井の絶望の原因は、僕たちじゃないんだから」

「たしかに、言われてみると……あれ?」理紅は口もとに手を当てる。「なんで私たちが鯨井くんと戦う必要があったんだろう?」

「でしょう? たぶん、僕たちが戦う能力を持ってしまったからだと思う」

「えー? 戦う能力を持ってしまうと、あんなのにいちいち付きまとわれるのか? これからも? 昨日のだけでもうんざりなのに」

「……これは前から思っていたことなんだけど」僕は声の調子を少し変える。

「なになに」

「この地下世界の人口は、およそ50万人と言われているよね?」

「うん」

「だけどもともと人類が住んでいた地上の広さを考えると、この地下世界はあまりに狭すぎるんだ」

「地上ってものが、作り話でなく本当に存在しているのならね」理紅は冷ややかな口調で言う。「なおかつ、私たちが教えられた通りの広さを、地上が本当に持っていたのなら」

「そう。でも地上の広さが教えられた通りなら、ここの他にも、ここと同じくらい、あるいはもっと大きな地下国家が存在していて、そこにも大勢の人間が暮らしている可能性がある。というか、そんな場所がいくつも存在していないほうが不自然な気がするんだ」

「確認のしようがない話ね」

「まあね。でも疑いはじめたらきりがない。地上にいる人たちは、僕たちをここに閉じ込めて観察したり、何か実験をしているのかもしれない……とか」

「こないだも聞いたよ、それ。ありがちな設定だね」

「僕が考えているのは、もっとシンプルな話なんだよ」僕は自分の身振り手振りが少し大きくなりはじめていることに気づく。「僕たちが戦っている【敵】っていうのは、ここではない他の地下国家の人たちなんじゃないかってことなんだ」

「うーん、どういうこと? 私たちは鯨井くんと戦ったんだよ。そして鯨井くんが消えた。他の地下国家の人なんてどこにも出てこないじゃない」

「鯨井は昨日、決闘の支離滅裂な理由を語るとき、【影が差した】とも言っていたでしょう」

「ああ。言ってたっけ。何かに気づくと影が差す、影が差すとと戦わざるを得ない、とか。これも支離滅裂な理由に含まれるんじゃない?」

「鯨井の心を惑わした【影】、あれが他の地下国家の人たちなんだ」

「うーん?」理紅は自分の髪を指でいじりながら、怪訝そうに眉をひそめる。「つまり鯨井くんの心は、あのとき他の地下国家の人に乗っ取られていて……ようするに誰かに操られてたってこと?」

「そう」

「ちょっと現実逃避的じゃない?」理紅は冷酷な目つきを一瞬ひらめかせる。「きみ、自分が鯨井くんを消してしまったという責任から逃れようとしていないか?」

 僕はどきっとしてしまう。

 たしかに。これは単なる逃げぐせから生まれた妄想にすぎないんじゃないかっていう疑いはある。

 だけどそれだけじゃないはずだ。

「違うよ。前に話したことがあったでしょ? 僕たちはゲームのキャラクターで、誰かに操られているだけなのかもしれないし、僕たちは誰かが見ている夢の中の住人なのかもしれないって」

「したね、そんな話」

「あるいは僕たちは植物状態にある人間の見た妄想なのかもしれないし、誰かが読んでいる物語の中の登場人物なのかもしれない。それどころか、僕たちなんて本当はどこにも存在しないのかもしれない。宇宙の片隅に勝手に現れてすぐに消えた、一瞬の現象だったりするとか」

「どれもよくある妄想だけどね。それで?」

「そういう妄想を、昔は半分以上信じてたんだけど、今はぜんぜん信じてなくて……。今の僕は……」僕は少し迷ったあと、思いきって言ってしまう。「今の僕は、この世界で自分の意思というものを持っているのは、僕と理紅だけなんじゃないかって、そう思うときがあるんだ」

「ちょっとちょっと」理紅はやや大きめの声で笑った。「だんだん選民思想っぽくなってきたな」

「だって、こんな安っぽいフィクションみたいな世界に暮らしているのに、誰もこの世界に疑いを持たないのって、変だと思わない? 理紅は、この世界に疑いを持っている人を、自分以外に見たことがある?」

「ない」理紅はきっぱりと言い切った。

「僕も。自分以外では理紅が初めてだったんだ。それにもうひとつ。眠っているあいだに夢を見る人間というのも、自分以外には理紅しか知らない」

「夢。たしかに……」理紅は頷く。「夢という言葉は辞書に載ってる。古い時代のフィクションにもたびたび登場する。夢をテーマにした作品も多い。だけど【夢】というキーワードは、この世界の現実の会話ではまるで通用しない。その概念だけが、みんなの心を素通りしてしまう」

「ね? 僕は頭のおかしい選民思想を語ってるわけじゃない。根拠があるんだ」

「私たち以外の人間は全員、私たちのようにはものを考えられないってこと?」

「全員とまでは言い切れないけど」

「ちょっと飛躍しすぎなんだよな。都合も良すぎるし」

「僕だってそう思うよ。でもこんな発想を僕が思いついてしまうこと、それじたいがおかしいと思うんだ。もしかすると、これは飛躍ではなく、それどころか発想ですらないのかもしれない。もともと僕たちが知っていたことを、ただ思い出しているだけなのかもしれないって思うんだよ」

「飛躍に飛躍を重ねてくるなあ」理紅は軽く頭をかいた。「もう何の話をしてるのかわからなくなってきたよ」

「この世界はずっと死んだように静かだった。でも今は【戦い】のある世界になってしまった。僕と理紅がそう望んだからだ」

「それはそうね」

「つまり僕たちは戦争をしているんだと思う」

「戦争……」僕の言葉を吟味するように、理紅は少しだけ身じろぎした。「他の地下国家と?」

「地下国家と限定しなくても良い。【敵】はこの世界ではない、どこか別の世界の住人たちだ。というより、彼らは僕たちより上位の生命体、あるいは上位の概念だって可能性もある」

「そんなの勝ち目ないじゃん」

「だけど、もうゲームは始まっているんだ。【敵】は僕たちの世界の住人に【影】を放って、心を乗っ取ってしまう。そして僕たちの世界の住人を操って、僕たちに戦いを挑む。鯨井がそうされたみたいに」

「それって変じゃない? 私たちは鯨井くんに勝った。それなのに、相手の国ではなく、私たちの国の鯨井くんがいなくなった。そんなの、これからどれだけ勝利を重ねても、この国の人口が減るだけじゃない」

「向こうの国にも何らかのダメージがあるはずだよ。向こうの国から派遣されてきた影を倒しているわけだから」

「さっきからずっと、何の根拠もない発言してるよね。あと、勝利条件があいまいなんだよな。勝てば勝つほどこの国の人口が減るんでしょ? しかも私たちのせいで。単なる大量殺人じゃないか」

「戦っているのは僕たちだけじゃない。理紅がさっき言ったように、僕たちが戦うようになる前から、失踪事件は多発していたんだから。僕たちの他にも、僕たちみたいなやつがいるはずだ」

「話がぐるぐる回るなあ」

「スイッチを入れた者同士が戦って、生き残りゲームをしているんだよ」

「そんなことして、最後に何が残るの?」

「最後に生き残った者は、世界が終了するところを見ることができる」

「それを見たあとは?」

「そんなのは知らない」

「急に雑だな」

「忘れてない? 僕はこの世界の最後を見てみたい。それしか自分の望みがない。あわれなエンドローム患者なんだよ」

「そうだった」

「普通に考えたら、最後まで生き残ったら、新しい世界に行けるとか、目が覚めて元の世界に戻るとか? これも選民思想というか宗教っぽいとうか、そんな匂いがするかもね」

「とにかく、私たちは戦いは続くのね!」理紅の口調はわざとらしい。話を打ち切りたがっているのがみえみえだ。「戦って、勝ち続けて、この世界の最後のペアを目指すのよ!」

「まあ、そういうこと」とりあえず僕は頷く。

「生き残ったって、どうせ数年後にはウイルスで死ぬんだけどね」

「でも、世界の終わりを見ることはできる」

「ほんと、それしか興味ないんだな」理紅は呆れたように言った。「まあでも、ただ凍り付くよりはずっとましか」

「理紅。これからも僕と一緒に戦って欲しい」

 僕は理紅に握手を求めた。

 とても真剣な気持ちで。

「あはは」理紅は握手には応じず、僕の頭をぽんと叩いた。「つきあってあげるよ、しばらくのあいだはね」

「……ありがとう」

「だけど今のところ、ぜんぶきみの妄想でしかないからね」

「そうだけど……」

「喜びたまえ。優しいお姉さんが一緒に遊んであげよう。私だって世界の終わる瞬間は見てみたいしね。そんな瞬間が本当に訪れるものなら。あ、もう授業始まりそうだよ」

 理紅は僕に背を向けて階段を降りはじめる。

 僕もすぐにそのあとを追った。

 かつて存在した地上の森。その映像。その中を行く。

 理紅が走りながら、僕を何度も振り返って笑う。

 僕の胸は高鳴っている。


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