第23話 暗殺者
天井の位置に水面が揺れている。
静かなそのさざなみが、突然、どぎつい光を放ちはじめた。
大音量の音楽もスタートする。
空間を制圧する音と光。
色彩はめまぐるしく変化しつづけている。
鳴り響くメロディは滑稽なほど劇的で、リズムは偏執狂的、ルーツはごった煮、というよりランダムに生成されていて展開が予測不能。悪い意味で。まともに聴いていたら頭がおかしくなってしまいそうな音楽だ。
いつのまにかダンスフロアへと変貌した決闘場で僕たちは踊るように戦う。
乃亜が操る人形と、僕の操る巨人。
傀儡同士が縦横無尽に動き回り、派手な衝突音をまき散らして何度もぶつかる。思い思いの技を繰り出し、思い思いの方法で相手を倒そうとする。
子供の空想を現実化したみたいな光景だ。
理紅だけが何もすることがない。
理紅は壁際で、退屈そうに頭の後ろに両手を置いて、鼻歌をうたっている。
序盤を優位に進めたのは乃亜たちのチームだ。
集介によく似た黒い人形と、乃亜の動きは完全に一体化している。
乃亜の動いたとおりに黒い人形が動く。
タイムラグも連絡ミスもない。まるで乃亜の影だ。
対する僕は、理紅が描いた複雑な線画の巨人を、いまいちうまく動かせていない。
動作のイメージに未決定の部分が多い。
だから巨人への情報伝達にも時間がかかってしまう。
巨人の動きは愚鈍で、創造性に欠けていて、結果としてすべてが後手後手に回ってしまう。
白い水着の乃亜が、美しいフォームで手刀やら蹴りやら頭突きやらを繰り出す。
それにあわせて、黒い人形が同じ動きをする。まるで古いコンピュータ・ゲームみたいなシステムで、乃亜たちは僕の操る巨人に打撃を与える。
巨人はほとんどの攻撃を防ぐことができない。ダメージを受けるたびに巨人の細部がいくらかずつ消滅した。
黒い人形の放つ衝撃波をまともに胸に受けてしまったときには、巨人の体はかなりぐらついてしまったし、このまま崩壊してしまうのではないかとすら思った。
だけど僕はしだいに巨人を理解しはじめる。
勘違いしていたけど、この巨人の売りは、体躯でも膂力でもない。
線画で構成されているのは、スピードを重視しているからだ。
そのことに気づいてから、巨人の動作速度は飛躍的に上昇した。
すべてがダイレクトに伝わるようになった。
旧世代の映像で見たことのある、人と人が素手で殴り合うために考案された牧歌的な格闘術。そのイメージを巨人に流し込む。
巨人はすぐにそれを習得する。
敵はだんだんとこちらの動きに付いてこられなくなる。
場内に響き渡る音楽のリズムは複雑きわまりない。だけど巨人の驚異的な足さばきは、まるでそれらを牽引しているみたいだ。理にかなった動作。意表をつくフェイント。死角からの決定的な一撃。
黒い人形の肩が破壊される。
腕がもげる。
地面に落ちたそれを踏み潰し、巨人は人形の中心部に重たいパンチを叩き込んだ。
人形の胸が大きくへこむ。
人形の顔は集介によく似ている。
だけど表情は少しも変化しない。
僕の暴力衝動が加速していく。
相手を粉々に破壊することだけで心が埋め尽くされてしまう。
そのほかのことは何も考えられない。
いまや巨人の攻撃は暴風雨のようで、一向に止む気配がなかった。
黒い人形は少しずつその肉体を削られていく。
部分部分を永遠に失い続けている。
やがて【敵】は完全に消滅した。
僕たちが生み出した線画の巨人も姿を消した。
「せっかく絵を生み出しても、戦いに使用され、最後には消えてしまう。勝敗にかかわらず。これって何のメタファーだろうね?」退屈そうにしていた理紅がぼやく。「この戦闘システムを考えたやつは、道徳の教科書を書く才能がある」
理紅なりの冗談なのだと思う。
静かだった。
照明は落ち着いた色調に戻り、場内を埋め尽くしていた音も止んでいる。
僕は自分の姿を思い出す。11歳の女の子。水玉ワンピースの水着。細い体。
暴力衝動はすっかり僕の中から失われて、今はとてもむなしい気持ち。
それに、とても恥ずかしい。我を忘れて暴力に走った自分の振る舞いが。
それこそ世界が終わってほしいと思うくらいに。
三鳥川乃亜は僕たちのすぐそばで、肩を震わせて立ち尽くしている。
どうして僕たちは戦わなければならなかったのだろう?
根本的な疑問が再び僕に襲いかかる。
どうして乃亜は僕たちを攻撃したのだろう?
どうして僕たちはそれに対抗してしまったのだろう?
僕は集介を殺してしまったのだろうか?
「私だけが本物だったのに」乃亜はうつむいて唇を噛みしめる。「あとはすべて偽物。空っぽの人形。私がこの物語の主人公だった。そのはずなのに!」
「主人公?」と僕は聞く。
「私の視点でこの世界は語られるはずだった!」乃亜が叫ぶ。「主人公は二人もいらない! とくに、お前たちなんかには奪われたくない」
明らかに様子がおかしい。
乃亜の体が足もとから徐々に黒ずんでいく。
輪郭が少しずつ崩れていく。赤い髪に暗い色が混じりはじめる。
乃亜の体は空中に溶け出し、しかも膨張していて、徐々に黒く濁っていく。
鯨井の時と似ている。
【影が差した】のだ
乃亜は【敵】になろうとしている。
「2連戦なんて聞いてない」理紅が乾いた声で言う。「さすがにもう絵を描く手段がないぞ」
「どうしよう……」僕の声もすっかり弱気だ。
「大ピンチだぜ」理紅は唇を噛む。「逃げるしかないな」
「でも、どこに?」
決闘場の出口が見当たらない。
前回は鍵を開けてここに入ったはずなのに。今回は扉がない。
やはり鯨井と戦った決闘場と、ここは別の場所なのだろうか?
そうこうしているうちにも、乃亜の体はみるみる変化し、今では禍々しいただの黒いかたまりと成り果てている。
「なんか笑っちゃうね」と理紅が言った。
「なにが?」
「乃亜があんなふうになっちゃうのも。あんなのに私たちが殺されちゃうのも」
「殺されるの?」
「殺されるでしょうね。あの化け物は敵意に満ちている。私たちには戦う手立てがない。笑えるでしょ」
「笑えないよ」
僕は理紅に体を寄せた。
理紅も僕の腰に手を回した。
「何か尖ったもの持ってない?」理紅が僕の顔のそばで言う。「それで地面を削って、何か描いてみようか? でもここ、かなり硬そうなんだよね」
理紅の声は何だかのんびりしている。
乃亜がまた形を変えた。荒ぶる黒い炎となって燃えさかっている。ほんの数分前まで、この黒い炎は三鳥川乃亜だったのだ。「なんか笑っちゃう」という理紅の気持ちも、わからないではない。
「理紅……」僕は理紅の右腕にしがみついた。
「そうだ」と理紅が言う。「私を動かしてみたら?」
「え?」
「乃亜がさっき、お兄さんを動かしていたみたいに。ナノが私を動かして戦わせるの」
「……冗談でしょ?」
「冗談だよ」
「こんなときに」
「ナノが『右!』って言ったら右に動くよ。そんで『左!』って言ったら左に動くからさ。やってみない?」
理紅はくすくす笑いながらそんなことを言う。
突然、劇的な変化が起こる。
かつて三鳥川乃亜だった黒い炎が、一気に膨張したのだ。
爆発?
かと思うと急激に収束した。小さくまとまる。見覚えのある形になる。
黒い炎は、一瞬にして乃亜の形を取り戻したのだ。
乃亜はもと通りの水着姿の女の子に戻った。
だけど全身から黒い蒸気のようなものを吹き出している。瞳と唇が異様に赤い。そして細かい装飾の施された反り身の刀を、なんと両手に構えている。
「おいおい……」理紅が呆れたように笑う。
「そこを動くな」
三鳥川乃亜の短い忠告。僕たちは動かない。というより動けない。
乃亜が左手の刀を高く掲げた。
そのまま軽くひと振りする。凄まじい衝突音。強い風が巻き起こって、僕たちは一瞬、目を閉じる。
乃亜が笑っている。
僕たちのすぐ目の前の地面に、切れ目が生じていた。底が見通せないほどの深い切れ目。地面がバターみたいにたやすく切り裂かれてたのだ。
「次は当てるぞ」乃亜が刀を構えた。「さあ、どうする?」
微笑んだ乃亜の口から、何の前触れもなく、大量の血が噴き出す。
大きく見開かれる乃亜の目。
彼女は自分の胸を見る。
刃物の先端が飛び出ている。
背後から突き刺されたのだ。
驚愕に顔を歪める乃亜。両手の刀を落としてしまう。地面に膝をつく。さらに血を吐く。正面から倒れる。白い水着が血に濡れる。赤い髪がゆっくりと床にひろがる。
乃亜の後ろには若い女性が佇んでいた。
細い剣を手にしている。
青白い頬。
濃いピンクの髪。
蛇みたいに冷酷な瞳。
知っている顔だ。
僕の所属する造形部の唯一の先輩。
この学園で最もレアリティの高い生徒。
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