第19話


「おー、どうよ。久保さんよ。なんかわかったかい?」

 沢木亨二と久保隆志、両一等治安管理官は、設備課の資料室でバックアップデータの検索を続けていた。霧島局長からの要請である、圧壊事故の追跡調査である。

 設備課のサーベイランス・モニタリングのデータベースは、地下二階の空調の行き届いた小部屋で閲覧出来た。巨大なストレージの並ぶ倉庫のような場所に、片隅に追いやられる格好で五、六台の端末が準備されている。

 その一つに陣取った二人は、三日間を費やして0・3Gステージの監視カメラ映像をさらった。事故現場は元より、周辺の通路を含む前後約二十時間分をチェックした。

 二人の作業は、だらだらと非効率的に行われていた。通常業務後の残業となれば、なかなか気乗りのしないもの確かである。

「いやー、どうかね? ただの骨折り損じゃねえか」

 久保が珍しくサングラスを外し、疲れた眼を擦った。

 沢木は丁度買出しから戻ったところで、コンビニ袋から清涼飲料水とカップ麺、ポテトチップスのパーティパックを取り出し、机に並べた。

「くたびれても儲からない、か? ……さて、どっちにする?」

「広東風。いいかい?」と、久保。

「だと思った。じゃ、俺は定番と」

「湯ならポットに沸いてるよ」

 二人は夜食が出来上がるまでの三分間、サイダーを開け、ちびちび啜った。

 部屋はストレージの放つ強い熱気を抑え込むために、かなり低温に保たれている。そういうわけで出来上がりのカップ麺の蓋を剝す折、盛大な湯気が立ち上ったのは言うまでもない。久保はサングラスを掛けていられなくなり、意外にも細くて愛らしい眼を晒して麺を啜り始めた。

「今晩はー」

 入口の方でくぐもった声が聞こえた。二人が振り返ると、腹の出た白衣姿の男が立っていた。ポケットに両手を突っ込み、足元はサンダル履きである。四十代半ばの、もじゃもじゃ頭の男だった。

「何だ、平賀さん」

 と、沢木が声を掛ける。久保もぺこりと頭を下げた。平賀と呼ばれたこの男、科捜研の主査であった。平賀義信。一等特殊技術職員。検死医も兼ねるドクターである。沢木や久保が日頃から公私に渡って世話になっている、一回り年上の先輩だった。

 どうやら暇つぶしに、上のフロアから降りて来たらしい。

「残されボーイズは、何やってんだ?」

 平賀はサンダルをパタパタ鳴らしながら端末に近付くと、ポテトチップスの袋に手を伸ばした。バリバリと開封し、右手を突っ込む。

「ポテチ、もーらい」

「ああ、ああ、何すか、勝手に」

「味見、味見」

 そう言って袋を小脇に抱えると、モリモリ食べ始めた。沢木はカップ麺のスープを啜りながらたずねた。

「平賀さんも、残業っすか?」

「船外作業員の死傷事故があってね。一応、検死。まだ途中なんだけど飽きちゃって」

 久保が鼻の頭に皺を寄せた。

「通りで。ちょっと離れて下さいよ。ホルマリン臭い」

 平賀は白衣の袖を嗅いだ。

「そうか? ……で? お前らは? 何してんだ?」

「この間の0・3Gステージの圧壊事故。追跡調査ですよ。霧島局長直々のお達しで」

 と、久保。平賀は肩をすくめ、口をへの字に曲げて見せる。

「そりゃ責任重大じゃないの。精々頑張るように」

 そう言葉を残すと、くるりと二人に背を向けた。そそくさと立ち去ろうとする平賀を沢木が呼び止めた。

「平賀さん、ポテチ」

「お? おうおう、すまん」

 平賀は渋々、机にポテトチップスの袋を戻した。平賀は顎を擦りながら端末に立ち上がったソフトを眺め、呟いた。

「顔認証システムか。こいつで犯人探しかな?」

 久保は首を振り、平賀に愚痴をこぼした。

「それがちっとも埒が明かなくて。平賀さん、専門家の意見って奴、ちょっと聞かせて下さいよ」

 平賀はウインドウのデータ表示を眺めながら首を捻った。

「ふん。……こりゃ、ちと難しいんじゃないかい?」

「今回の調査で、はっきりしたことは……」

 沢木はウレタンの容器を掴んだまま、箸を回した。

「このシステムのアルゴリズムだと不審者を特定出来ないってことですな」

 久保が唸り声を上げ、同意を示した。

「……顔認証システムとしては及第点だろうけど、皆、登録データと一致するだけだろ?」

「一致しない奴に出くわすなんて万に一つもないわけだし」と、沢木。

「そうともさ。それこそ入関担当者の首が飛んじまうぜ。一致か、不一致か。これで不審者が絞れるわけじゃない。特定するアルゴリズムが弱いんだから、この作業自体、無意味かもな」

 平賀は腕組みして人差し指を持ち上げた。

「ここに足りないデータは、関係捜査機関からの犯人照合のポイントって奴さ。それがあれば行動選別で選り分け出来んこともなかろう?」

 その言葉に久保が目を丸くした。

「おっと、関係捜査機関ってのは、俺たちのことですかい?」

 沢木はうんざりした様子で首を振った。

「何だよ、自業自得だったか?」

 三人の目の前の三十二インチ液晶モニタを、大勢の人影が流れて行った。通り過ぎる人物の顔の位置を、ウォーク型顔認証システムの十字カーソルが追尾していく。検証途中で87〜100%の数字が現れ、【一致:該当者】が次々と長いリストになっていく。

 現行の認証システムには監視追尾の機能があるが、まずは不審者のリストありき、なのである。これはリストと一致した人物が同じ場所を不必要にうろつくなど、不審行動を行うことで初めて発動するアルゴリズムだ。見通しのいい通路で、ましてそんなわかりやすい動きを見せてくれる不審者は、そうそういないものである。

 久保はコーラを煽ると唇を拭った。

「誰だかわからん人物を探すってのは順序が逆だな。そんなアルゴリズム、実際あるのかね? ……どうなんすか、平賀さん?」

「さあな。俺は聞いたことないけど」

 平賀は肩をすくめた。

 久保はウレタンのカップを掴んだままマウスを動かして、記録データを登録ポイントにチャプターした。その様子を横眼で見、沢木は顔をしかめた。

「また観るのか?」

 久保はにやにや顔で振り向いた。

「飯時は、やっぱ、エンターテインメントじゃないと。消化に悪いだろ」

「何がエンターテインメントだ」

 モニタの映像がチャプターまで飛ぶと、0・3Gステージの事故直前を映し出した。

 沢木と早乙女少年の後ろ姿が映っている。二人は仲好く固定フックに足を掛け、揺らいでいた。早乙女はぼんやりと窓の外を眺めたまま。沢木は缶ビールに口を付け、開封タブを起したところだ。酒の肴を早乙女に勧めるが、早乙女は首を横に振った。沢木はそのままチーズ鱈のスティックを一回転させると、自分の口へと放り込んだ。

 突如画面が、がくんと揺れる。

 沢木の掴んだ缶から、減圧で発泡した白い泡が吹き出した。黄色い警戒灯の明滅。動揺する二人。与圧漏れのオーバーフローだ。

 最初の圧壊である。

 壁の大穴から煙草の自販機が強引に吸い出されていくのが見えた。

「すげーな」

 平賀が唸る。久保は感心した様子で言った。

「ここで命拾いしたのはお前の機転だな。固定フックにベルト止めとは考えたもんだ」

 沢木は鼻を鳴らすと、関心なさそうに呟いた。

「必死だったんだ。いちいち覚えてないって」

「さて……」

 そう言って、久保はマウスの左クリックでチャプターを飛ばした。

「クライマックスの後半」

 開閉器でドアがこじあけられた直後だ。部屋全体が崩壊していく。嵐に揺れる海賊船の甲板さながらである。

 天井と床が一気に潰された。垂れ下がったパネルがねじ切れ、断線したコードの林が舞い踊る。

 平賀がモニタを指でなぞった。

「この破片、頭すれすれだよ」

「ああ、ほんと」

 牽引スパイクのモーターリールで巻き上げられていく二人が映った。次の瞬間、スパイクヘッドが標的ボードから外れた。息を飲む一瞬である。

 早乙女を抱えた沢木は、外壁の剥がれた先、宇宙空間へと落下していく。咄嗟にカートリッジを排莢し、沢木は二発のカーボンケーブルを打ち込んだ。

 宙吊りで揺れる沢木と早乙女。

「いやいやいや、お見事」

 久保と平賀は小さく拍手すると、データをリバースさせる。崩壊の一部始終が、あっという間に巻き戻されていった。

 沢木は不気味なリバース映像から目を逸らすと、カップの中身を見詰めた。

 その瞬間の記憶は、不思議なくらいに曖昧だった。無我夢中。まさにそう言えるだろう。

 病院で話した時は、さほど意識しなかったのを覚えている。だが、こうして客観的に見せられると、今、無事でいる自分が嘘のようだった。

 鼓動が知らぬ間に高まっていく。改めて足がすくんだ。沢木は、久保や平賀にそれを悟られまいと目をつむり、黙々とカップ麺を食らった。

 二人は夜食を食べ終わり、清涼飲料を煽った。久保が胸ポケットを探りながらエチケット灰皿を探したが、平賀が止めた。

「ストレージは精密機械だよ。ここは禁煙」

 久保は小さく両手を上げた。

「そうでした。沢木は、……そっか。お前は禁煙中だったよな」

 沢木は顔の前で扇ぐように右手を振り否定した。

「禁煙はもう、やめやめ。あんなことがあった後だし」

「喫煙ブースに命を助けられたってか?」

「ま、それもあるがね。……人生は短いんだ。好きに生きる方がまし」

 久保はモニタを叩くと言った。

「さて、こっちは八方ふさがりだ。お次はどうする?」

 沢木は腕組みして顎を擦った。

「局長と西脇次官からはまだ連絡がない。国際テログループの線は俺たちじゃ、どうにもならんしな」

「言えてる。となると近場か?」

 沢木は片方の眉を吊り上げた。

「やっぱ、病院かな?」

「だろ」

 平賀がたずねた。

「沢木が助けたっていう、あの患者さんか?」

 二人は揃ってうなずいた。沢木以外の唯一の目撃者は、自閉症スペクトラム患者の少年、早乙女一也ただ一人なのである。

「病人の尋問なんてやったことないよ。おまけに自閉症だろ。どうしたもんか……」

 久保は真面目に背負い込んでいる沢木に軽口を叩いた。

「ナースがいるだろ? 例の美人ナースが」

 それを聞いて沢木の頬もほころんだ。

「そうか。その手があったか」

「ベストな口実だよな」

 と、久保。

「何だよ、二人とも。そんなに美人なのか? 楽しそうに話しやがって」

 と、平賀が不平を洩らした。久保は薄ら笑いで振り向くと、

「ま、捜査員の役得ですよ。平賀さんは、色白の、……冷たいのが待ってるでしょ?」

 平賀は言葉に詰まり、ぐるりと目玉を回してため息を吐いた。

「そうだな。待たせちゃ悪いか」

 そう言って二人に手を振ると、平賀は資料室を出て行った。

 

 美人ナースとの面会。治安管理官ならではの役得だ。沢木はその美人を良く覚えていた。名前は、葵。葵 洋子だ。猫のようなしなやかな肢体の、扇情的な容姿だった。

 喜び半分、しかし一抹の不安もある。

 霧島局長の思惑通り、我々は動き出したわけだか、次第に深みにはまりつつある。捜査の進捗は芳しくないにせよ、確実に重要任務に組み込まれているのだから。一般見識からすれば、ここは喜ぶべきところだろう。

 しかし……、

 沢木は重荷を感じ始めていた。これは、お気楽な警邏活動というわけにはいかない。また、責任。責任が後から追い掛けてくる。沢木の嫌いな言葉だった。

 どこか適当なところで引けるスタンスを。そろそろ考えておかねばなるまい。

 無責任と言われようが構わないさ。俺の柄じゃないんだ。  

 沢木は両手を擦り合わせると、言った。

「さて、じゃ明日にでも行ってみるかい? 初瀬研に?」

 久保はサングラスを掛けると右手を上げた。

「俺、明日はパスな。代休だよ」

「マジか?」

「マジマジ。一人で行って来いよ。邪魔者は消えろってな。せいぜい愛想振り撒いて、頑張って頂戴な」

 沢木は口をへの字に曲げると頭を掻いた。

「そうか。そりゃ残念だな」

 意外な言葉に久保が怪訝な顔をした。

「おー? どういう風の吹きまわしだ?」

 沢木はにやりと口をゆがめ、眉を持ち上げた。

「お前さんがいれば、もう一人も釣れるかと思ってね」

 久保は呆れ顔で首を振った。

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