第12話
(月の王冠)のハブポートに、アサルト・メテオ号の機影が見えた。
二十五番ウイングDを目指し、老朽船がトラクター・ビーコンをトレースしている。その名の表す(強襲する流星)とはほど遠い、サツマイモにマニュピレータが生えたような不格好な小型船である。後ろに控えたエールフランス・KLMのスマートな白い機体とは、随分な好対照を成していた。
ウイングの端まで寄ったところで船体が静止した。ドッキング・デヴァイスは沈黙したまま。
その様子をモニタしていた、この作業船の責任者、新見信幸は目を細めるとマイクロフォンを引き寄せた。
「はいはい、到着しましたよ。EVAの人、出た出た」
機体にマーキングされた新見インダストリー・メンテナンスの白鳥の図柄が開き、エアロックから数名のEVA要員が現れる。
ロシア製オーラン宇宙服に身を包み、セイフティ・テザー(命綱)を引いた彼らは次々と船外へジャンプした。手慣れたテザー捌きでドッキング・デヴァイスに近付くと、別途運び出した装着リングを取り付け、機体とウイングを橋渡しさせる。
オーラン宇宙服は内圧0・4気圧なので旧米国製の柔軟な0・3気圧宇宙服と比較すると、やや動き辛かった。ロシア人に一度決まったフォーマットを変更させるには、それ相応の忍耐が必要だ。
装着リングの各種センサーが気密のチェックを行い、パイロットランプがグリーンに変わった。装着完了である。EVA要員が外部操作でドッキング・デヴァイスの気密を開いた。
ウイング入りの一連の接岸手続きは通常、自動化されているものだ。この無意味な人海作業は、ひとえにアサルト・メテオ号のデヴァイスのせいだった。新見たちは既に規格外となった旧式の装備で旅を続けているのである。
メンテナンス屋は自らの装備に金を掛けない。これがこの業界の利益追求のモットーである。
「さて、諸君」
新見信幸は細身の体格を目一杯大きく見せるように反り返ると、一同に言った。
「(月の王冠)上半期のメンテナンスが始まりますが、準備はいかがです?」
アフロヘアの下で細長い垂れ目が、見下したように周囲を見やる。新見の目の前には二十数名の男女が、降下準備を整えた飛行兵のように重装備で座っていた。各々のマーキングが施された安全帽に、カラフルなジャンプスーツ。灰燼避けゴーグル、テザー一巻き。そしてメンテナンス工具一連を収めたバックパック。
それぞれが皆てんでばらばらな格好をしていた。共通しているものはただ一つ、新見インダストリー・メンテナンスを表す白鳥柄のワッペンのみである。
重装備で膨れ上がった一団とは裏腹の、紫のスウェットという軽装の新見は、腕を組んで続けた。
「これからの十週間、我々は月と(月の王冠)との間を往復することとなります。理由は二つ。資材の搬入の合理化と経費節約のためですな。ご存知の通り例によって例の如く、交代要員はおりませんのでそのつもりで。お陰で諸君らは、臆面なく報酬の全額を貰えるという寸法です」
軽いユーモアのつもりだったが、誰もが無反応だった。新見は咳払いすると自分の胸を指差した。
「バベル」
一同はそのジェスチャーにようやく顔を見合わせ、のろのろと動き始めた。ジャンプスーツの胸元に付いた黒い装置からイヤホンを引き出し、多言語自動翻訳機を起動した。
目を見合わせる男女は、いずれも言葉の通じなそうな白人労働者ばかりだ。大柄なアングロサクソン系が多い。何人かはラテン、南方アジア人も混じっているようだ。
(ここは全く、バベルの塔だね)
新見は自分の部下達を見やり、正直な感想に唸った。
新見インダストリー・メンテナンスに正規職員は少ない。事務職と一部の上級技術者を除くと、後は公募で集めた季節労働者たちばかりだった。
作業内容は宇宙ステーションのメンテナンスという、ハイスペックなスキルを要するものだが、しかし、この時節、募集は幾らでも掛かった。特にアングロサクソン系外国人は雇用にあぶれているのである。この頃では英語をしゃべるというだけで、敬遠される職種も多いらしい。
その点、新見は好き嫌いなしだ。各種保険や安定雇用を保証せず、優秀な技術者が確保出来る現状は、新見には願ったり叶ったりだった。
新見は作り笑いを浮かべると、両手を広げて見せた。
「さて、私の言葉は通じていますかね?」
一同は軽くうなずいた。
「よろしい。と言うことで諸君らが次に地球の大地を踏みしめるのは、二ヶ月とちょい先の話になります。それまでは脇目も振らずに仕事に専念すること」
労働者たちは無言だった。これじゃ、バベルの意味はないか。
新見はさらに続けた。
「繰り返しになりますが、仕事の概要を説明しときましょう。我々の仕事は(月の王冠)のシャフトのメンテナンスにあります。同業他社も数多く入ってきますので、印象には特に気を付けてください。いいですか、てきぱき働き、明るい笑顔で、元気な挨拶です。クライアント様が見ていますからね。……ウチの受け持ちは三十番と三十一番です。税関ではこの……」
そういって新見は胸ポケットからカードを取り出した。
「この入管パスを提示して。これでシャフトに入れます。言っときますが、このパスは作業者用入管パスです。シャフト入口を通過出来るだけで旅券ではないので、トーラス居住区には出られません。間違って出ると治安管理局に逮捕されますからね。当然その時はウチは、あなた方を解雇しなきゃなりませんので、そのつもりで。まあ、食事はウイング内に色々と出店やら屋台やらが出てますんで、そこらで済ませてください。コンビニも沢山ある」
新見は一度言葉を切り、細い顎をさすった。
「主な作業は、まずシャフトの気密チェック。老朽化したパッキングは残らず交換して。緊急パーテーションのシステム管理。配電の確認。独立系回路の起動チェック。ま、この辺は軽いところですね。一番の大物はシャフトに六基並んだ高速エレベーターです」
一同は静かにうなずいた。
「時速三百キロで移動するカーゴエレベーターは、利用者の足止めにならぬよう気をつけて。一度に止めるのは最大二基までに。クレームの元ですからね。……それと(月の王冠)では、ちょくちょく緊急の医療搬送が行われるので素早く対応してください。ウチの担当では三十番が最寄の医療機関への直通シャフトです。ハンガー・トランスポータの別レーンには特に注意が必要ですね」
新見は三十番シャフト、という言葉でぴくりと顔を引き攣らせた。彼はその先に搬送される医療機関を良く知っていたからだ。
数年前、新見はシャフト・メンテナンス作業中に事故にあった。カーゴエレベーター点検中の出来事だった。新見は右足を失い、羽瀬バイオマテリアル・リハビリテーション研究所でBM療法を受けた。今では何不自由ないフィードバックシステムによる、バイオ・ハイブリッド・システム義足を付けている。
身体は直ったが、恐怖は残った。
その後、自ら作業にあたることは出来なくなった。新見が転職を考えたのは事実である。地上へ。重力のある場所へ。
思いは募ったが、父親から譲り受けた会社で(父は公社の出身で、天下り先としてこの会社を任されていた)、妻子もある身だった。身勝手は出来ない。
全盛期より大幅な売り上げダウンはしたものの、未だ公社からの発注は続いている。平たく言うと、談合によるものだ。ま、親の後光にはすがれるだけすがってみる、それが今の新見の胸中であった。
「一日の歩合は第一月面基地に着いたら、事務所に寄ってください。タイムカードを出して頂くと、事務の
新見は一同を見回した。
今期のスタメンの皆さん、どうぞよろしく。来期も無事、ご飯が食べられますように。
「それでは、入管パスを」
新見の言葉に一同が立ち上がる。一人ずつ前に出て来た者に、新見がパスを手渡した。
髭面の巨漢。赤ら顔の太った女。胃潰瘍でもわずらったような痩せぎすの男。……
面子はいつもながらの多国籍軍である。
しかしながら、誰もが優れたエンジニアなのである。正規の教育を受け、十分な技術を身につけている。彼らに欠けているのは、金と運だけだろう。
はっとするような金髪美人もいた。年の頃は三十の少し前くらいだろうか。自分の魅力はわかっているらしく、新見に最高の笑顔を見せる。思わず鼻の下が長くなりそうな、いかす女だ。
ここから最初に抜け出せるのは君だな、新見はそんなことを考えていた。
南方アジアの背の低い若者。イタリアンの暑苦しい二枚目もいた。
最後に現れたのは、まだ少年のようだった。歳の頃で、十六、七くらいだろうか?
黒髪の痩せた少年だった。
背丈は中背で、新見が少し見下ろすくらいだ。華奢な体格のせいでジャンプスーツが異様に大きく見える。丸みのある童顔。くるりとはっきりした眼には灰色の虹彩が浮かんでいる。
新見はこの少年の形態的特徴を分類出来ずににいた。入管パスを手渡し、少年に声を掛けた。
「頑張ってくれよ」
「ありがとう」
少年の声は思いの外低く、答えは流暢な日本語だった。
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