第13話


 二〇二二年、三月二十九日火曜。午後三時を回った頃だった。

 羽瀬研の院内が、にわかに慌ただしくなった。応援要請である。七区の新東京労災病院。スペースシャトルのEVA作業中の事故だ。急激な減圧による凍傷。マニュピレータ操作のミスらしい。三人が搬送された。

「六号フィードバックシステムを準備して!」

 主任BM療法士の吉田がナースステーションから駆け出すと、大声を張り上げた。葵 洋子は蘇生パッケージをストレッチャーに積み上げ、廊下を急ぐ。そんな折、通りすがりに車椅子を押す笠原美紀に出くわした。

「美紀ちゃん、お願い!」

 葵が甲高い声を上げる。

「どうしたの、洋子?」

 そこで笠原は自分の胸をバシンと叩く。

「何でも引き受けたぞ、どーんと来い!」

 車椅子を通路脇に寄せると、笠原が滑るように走って来た。葵は笠原の腕を掴むと、矢継ぎ早に状況を申し送りした。

「あたしは応援要請があって、今から新東京労災病院よ。残務は早乙女一也君の午後の散歩」

 笠原の表情が、みるみるほころんでいくのがわかった。あまりに予想通りの反応に、葵は気持ちが萎えた。

 ちぇっ、思った通りだわ。

 笠原は鬨の声を上げるがごとく、右手を大きく振りかざした。

「やったー! 洋子、ごゆっくり」

 葵は何だか口惜しい気分にさいなまれ、思わず下唇を噛んだ。性悪女に息子を取られる母親の心境である。

「コラッ、真面目に頼んでんだぞ。わかってる? 四時に101号室に迎えに行って!」

 笠原は背筋を正し、葵に向かって敬礼のポーズを取った。

「了解致しました、です」

 そこで笠原は破顔すると、遠ざかって行く葵に手を振った。ピンクフレームの笑顔がドップラー効果を表しているような、不快な残響が後ろ髪を引いた。


「さて、一也君。私が来たのは何故でしょう?」

 笠原の人形のような笑顔に、早乙女一也は戸惑いを示した。しばらく間があった後、慎重に言葉を発した。

「洋子さんは、どうしましたか?」

 笠原はにっこり微笑んだ。

「洋子は応援要請で労災病院に行っちゃったわ。それで洋子は私に応援要請、……というわけ。一也君の散歩のお供は私の役目なの。今日だけね。わかる?」

 早乙女は半開きに目を伏せ、うなずいた。

「……はい」

 笠原は探るような視線で早乙女の顔を覗き込んだ。

「洋子じゃなくて、残念?」

 早乙女の目が笠原の視線を避け泳いだ。

「そんなこと、ありませんよ。僕は、美紀さんでも……大丈夫です」

 笠原は鼻を鳴らすと微かに眉を吊り上げた。

「微妙な言い回しだわね。まあ、いいけど。……私は嬉しいから」

 笠原は早乙女にウインクした。

「じゃ、今日は一也君とデートだ」


 当然のことながら笠原は、葵のようにマウンテンバイクの二人乗りなどしなかった。最寄りの三十番シャフトまで七百メートル近くもあるのだ。タクシーを使うのは当たり前である。

 私はアスリート女じゃないのよ。

 タクシーの中で、笠原はポーチから銀のリングを取り出し、早乙女の左手首に嵌めた。

「はい、これでOK」

 笠原は早乙女の膝を軽く叩いた。

 早乙女はそのステンレス合金製の腕輪をじっと眺めた。緑色のパイロットランプが二つ燈っている。それはこれが装飾品でなく、機械装置だということを意味していた。笠原を見詰める早乙女の表情が(何ですか?)と問うている。

 彼女は思わせ振りに、早乙女の鼻梁を軽く突付いた。

「一也君が私のことを好きになってくれますように、っておまじない。……てのは冗談で。これ、発信機なのよ。あなたをうっかり見失ってもこれが教えてくれるってわけ」

 そういって笠原は少々深めに切り込んだカットソーの際どい胸元から小さな携帯端末を取り出した。どぎまぎしている早乙女に悪戯っぽい笑みを向ける。

 端末はピンクのラインストーンで派手にデコレーションされていた。カバーを開くと、液晶画面が九十度回転してマップに変わる。そこに二人の乗り込んだタクシーがGPS表示されていた。環境河川六号に並走した公道を、赤い光点が登っていくのがわかる。笠原は指でなぞった。

「ほらね」

「はい」

「あなたを連れて帰らなかったら、洋子に殺されちゃうもん」


 三十番シャフトの入口で二人はタクシーを降りた。

 シャフトの外観はドーム球場の趣を呈している。とは言え、その規模は比較にならないほど巨大なものではあるが。シャフトの直径がおよそ一キロメートルということは東京ドームの約十倍の規模という計算になる。この施設はトーラス居住区の地面から生え出し、ホログラムの(空)へと消えている。

 三百六十度全方向にエントランスが巡り、周囲にはバスターミナルや車寄せが配備されている。西洋庭園風の明るいグリーンベルトが二重に取り巻いていた。

 二人は連れ立って、トーラス回転方向前方の入口から入った。

 空港のコンコース然とした館内に入ると、快適な空調が行き届いており、穏やかなラテン音楽が流れていた。落ち着いた照明にゴールドとアンバーのデザイン意匠。微かな甘い花の香りも相俟って、笠原は何だか浮き立つ気分になってきた。

 吹き抜け構造のホール周辺はショッピングモールになっており、彼女お気に入りのショップが何軒も軒を連ねている。シネコンも併設している。

 その名もずばりの『サーティーズ』。

 このモールは二つの重力ステージをまたいで展開する、超大型商業施設なのである。1Gから0・9Gステージまではトーラス居住区の一部であり、入管パスの必要はなかった。0・8Gステージより (上)が行政管理区画に入るため、パスの提示が必要となる。それもあくまで慣例的なものだった。保安上、入退館の正確な記録が必要だからだ。シャフト内部はまだ、日本国政府の領土である。外国というわけではない。本当に旅券の提示が必要となるのはハブポートに繋がる出口であり、繋がった二つの外国、ロシア・中国への入口だった。

 早乙女はコンコースの中程に佇み、シャフト中央に並んだ巨大な高速エレベーターを、うっとり見上げていた。瞳がきらきら輝いている。

 視線の先には、制御ダクトを囲むように巨大なカーゴエレベーターが六基、背中合わせに取り囲んでいた。ダクトそのものが径でおよそ四百メートルはあるので、ここから見渡せるのは二基だけだった。遠くの方は霞が掛り、曖昧な輪郭になっている。

 名目上はエレベーターであるものの、印象としては鉄道である。プラットホームの構造からして地下鉄駅に似通っていた。際立った違いを上げるならば、それは重力方向に対し垂直の移動をする大型ケーブルカー、つまり鋼索鉄道であるという点だろう。それぞれのエレベーターの両脇には、作業レーンが数本敷かれていた。

 早乙女は満面の笑みで笠原を振り返った。

 早く上へ。

 そう、目が訴えていた。

 笠原はあの時速三百キロの不快な加重を想像し、身震いした。笠原は引き攣った笑みを浮かべると、一つ咳払いした。

「ね、一也君。ちょっとだけ付き合ってもらえるかな?」

 そう言って早乙女の手を取ると、ショッピングモールに繋がるエスカレーターの方向へどんどん引っ張って行く。

 早乙女は当惑した様子で呟いた。

「あの、美紀さん。エレベーターはそっちじゃないです。目の前の……」

「いいから、いいから」


 笠原は早乙女を連れ回し、小一時間ほど『サーティーズ』の中を見て回った。

 火曜という平日のせいもあってか、店は空いていた。笠原は普段なかなか出来ないウインドウ・ショッピングを楽しんだのである。これからの季節、初夏物ファッションのチェックだった。彼女は二、三の小間物を買い、満足した足取りでスターバックスに向かった。

 メタルと硝子の乱反射の合間に、サップグリーンのロゴマークが見えた。そして香ばしい芳醇なエスプレッソの香り。定番のシアトルスタイルカフェ人気は、未だ衰えていないらしい。

「どう? 美味しい?」

 笠原の質問に、早乙女は注意深くストローで啜りながら吟味した。

「美味しい、です」

 笠原はカフェミストを頼み、ふわふわミルクの泡が髭になるのを気にしながら注意深く啜った。早乙女にはキャラメルフラペチーノ。ホイップクリームとキャラメルソースがトッピングされたアイスドリンクだ。

 笠原は座り心地のいい椅子にくつろぎながら、ふと興味がわいて早乙女にたずねた。

「ねえ、一也君。君は週に二度、こうして散歩に出るんでしょ、洋子と一緒に?」

「はい。火曜と木曜日です」

「いつもは、何してるの?」

 早乙女はカップの中身をストローでぐるぐる回しながら言った。

「公園や、ここの低重力ステージのスポーツ施設を利用しています。後は、0・3Gから0Gステージの展望回廊とか」

 笠原は納得したようにうなずいた。

「この間一度、洋子と一緒に行ったコースね」

「はい」

「『サーティーズ』とか寄らないんだ?」

「そうですね。ここに立ち寄ったのは初めてです」

「ふーん」

 笠原は早乙女の言葉を吟味しつつ、胸中では舌打ちしていた。

 くそ真面目な洋子め。

 医療従事者の職業的誠実さ。それがあの女の全てだというのか。絶対にそんなこと、ない。そんな目くらましは通用しないのだ。

 同じ女として。

 洋子が早乙女を見詰める眼差し、微笑み。彼に施される最新医療を語る、洋子の仕草。その瞬間の葵 洋子は、一人の女である。

 時に教師であり、母であり、姉ともなろう。しかしその実態は、愛おしい男を見詰める女のそれ、だ。彼女の情愛は十分にこの患者にも伝わっているらしい。

 見るがいい。この少年の様子を。

 借りてきた猫のように大人しいのは、不安の裏返しである。相手が洋子じゃないという不安が、彼の全身から煙のように発散している。自分とこうしている状況は、患者によってはパニックを引き起こし兼ねないストレスかもしれない。

 慣れない環境、加えて予定外の行動。

 早乙女がそうならないのは、地上で行われたソーシャルトレーニングの賜物だ。

 笠原は何気なく、ハンサムな病人を観察した。葵はこの病人の何処を気に入ったのだろうか? 

 確かに早乙女一也は稀に見る美少年だった。黙っていれば身体のどこかが疼くようなタイプではある。だが彼は自閉症スペクトラム患者なのだ。彼の純粋さ、線の細さ、儚さは、この病いに由来した心理的特徴である。

 彼は病人。自分は療法士。ただそれだけだった。笠原には他に何の意味もない。

 早乙女一也のことを自分がからかうのは、そうすると洋子の反応が面白いからだ。自分の挙動に敏感に反応する、早乙女一也の動揺。それにまるで少女のように一喜一憂する、葵 洋子。

 笠原は正直言って、彼女のそんな素の部分が嫌いだった。

 女である以上、誰もが幾許かは可愛げというものを意識するものだが、多くの場合それは異性の目を気にしての芝居であろう。これは社会が、性差として女性に強要してきた類型だ。我々の身に付けてきた一種のソーシャルトレーニングとも言える。

 しかし生まれながらにそれを纏い、人生を歩んでいく者もいるのである。あるいは逆に、手にしない者も。

 少女の頃を過ぎ、大人の階段を上る間も、疲弊せず歩む者もいる。洋子はその典型だろう。理数系のスポーツマンタイプ。明るく健康的。仕事への理想を追い求める熱心さ故の、恋愛への消極性。だが、関心はある。それは女所以のさがだ。

 そうした青年期の初心うぶな純潔を、世の男供は心のどこかで理想とみなしているのである。

 それは公認された発達障害、であろうか。洋子にはその理想を体現する、隠れた幻影があった。本人が意識しないという、そのことが最大の武器かもしれない。

 世の男供よ、この人を見よ。

 葵 洋子の容貌は、スポーツで鍛えられ、すらりとした長身の、色白で猫のような、とびきりの美人ときているのだ。同性の自分でも少し、くらりとしそうないい女である。自分が一番気に入らないのは、そこかもしれない。

 笠原は疎ましい三つ年上の同僚を支配する、奇妙な想像に興奮した。


 笠原は飲み終えたカップをテーブルに置き、言った。

「ねえ、一也君」

「はい」

「そろそろ帰ろうか。私、お手洗いに行ってくるから、これ片付けといて」

「……はい」



 沢木亨二は仕事を早引けしてハブポートに寄ったのだが、目当ての(セルゲイのダイナー)が、定休日の下げ札を降ろしていたのだった。かつて定休など一度たりとも聞いたことがない。(ずぼらな経営姿勢は、生来のものだろうが)気まぐれロシア人の、気まぐれ居酒屋である。

 仕方なく沢木は治安管理局の制服のまま、売店で酒と肴を買い、ウイングの軒先をうろつき始めた。飲食店は数多く軒を連ねてはいるものの、真っ昼間から堂々とアルコールを振舞う、やんちゃなところは早々見つからない。

 しばらくして沢木はデッキに陣取ると、強化ポリエーテルケトンの嵌め殺し窓を背に腰を落ち着けた。焼酎カクテルの吸引ボトルの吸い口を千切ると、ライム風味の液体を吸い込んだ。安酒の、ジュースに毛の生えたような代物である。

 ま、これがまた、なかなかなもんだがな。

 忙しく蠢く日常社会を斜に観ながら、一人酒を喰らう。これぞ、早引けの醍醐味というものだ。

 ニュートラル・グレイの通路を(越境)する、国際ビジネスマンのブルースーツ群が流れて行った。

 様々な顔触れの観光客。第二次産業の労働者たち。

 そして一際華やかな、各航空会社のフライトアテンダントに目を細める。ひらひらと鼻先を舞う華麗な制服は、明らかに扇情的な目的でデザインされている。沢木には未だその構造が謎であった。無重量状態でも見えそうで見えない、絶対領域の形成。マイクロミニスカートとロングストッキングに挟まれた、僅かな桜色の大腿部のことである。

 沢木は釘付けになりそうになる視線を、何とか水平に保った。そんな沢木の様子を横目で見、女たちは含み笑いを浮かべる。

 かつて、女性の美しさは都市の一部です、という広告文句があった。まさに言い得て妙である。コンパニオンという都市工学上の潤滑システムは、時代に左右されない特権的職域である、と、沢木はそう結論付けた。

 沢木は吸引ボトルをくわえたまま、肴のジップを開いてチーズ鱈のスティックを摘んだ。口元に鼻歌が漂う。いつもの癖だった。

 軽いノリで、深く考えずに。

 男の働き盛りの半分を、そんな調子でやってきた。今年で三十四か。自分は何事にも結果を出せない男である。

 沢木は唐突に、小学校の教諭が父兄を気遣って呟く(この子は、頭がいいのに勉強が嫌いで……)という言い回しを思い出した。なんとも奇妙な言い草である。沢木は苦笑した。

 勉強嫌いって時点で、頭が悪いんじゃないのか? 既に社会に、人生に負けている。

 沢木は肴を奥歯の間で噛み潰した。

 自分は物覚えのいい方で、要領も悪くない。知識欲も人並みにあり、やくたいもつかないことには無駄に詳しかった。口先も達者で人付き合いも悪くない。

 しかし、人生にはもっと重要なファクターがあるのだ。

 そう、つまりそれは、責任だ。

 仕事も、恋愛も、何もかも。

 社会の立ち振舞いにはいずれも役割が振られ、最後には責任が回ってくる。それを達成することを結果という。

 学園の囲いから出るや否や、一人一人に纏い付く忌まわしい慣例である。どうやらこればかりは誰も逃れることが出来ない、死と税金のようなものだ。

 だが俺は、今日まで逃れて来たぞ。

 沢木は一人うなずき、焼酎カクテルの吸い口をくわえる。

 どんな仕事も、始めは楽しいものなのだ。当然責任はあるが、まずは軽いものから。やがて後輩が二、三人着き、そろそろお前もチームリーダーだな、というのが黄色信号。予兆である。その後に続くのは業務管理のための書類とサインの日々。現場は遥か遠く、後輩は自分のことを役席名で呼び敬遠する。

 これが組織社会の縦構造である。これが嫌なら個人事業主を目指すしかないが、才覚もなく凡庸な自分のような者の辿る道筋は、甘んじるか、転職を繰り返すかのいずれかになる。自分の場合は後者だった。

 壁は乗り越えずに回り込め。

 沢木はウレタンのような感触の、チーズ鱈のスティックを味わった。

 沢木は急に息苦しさを感じ、きつくもない襟首を緩めた。そろそろこの紺色の制服も潮時だろうか。公的威圧ってのがどうも、鼻に付いてしょうがない。公務員って柄じゃないのかもな。

 沢木はごくりとライム風味の焼酎カクテルを飲み込んだ。ちっとも酔わない酒だ。しかしまあ、それもよかろう。酒はほどほど、ほろ酔い加減が丁度いい。

「さて」

 と、声に出して立ち上がると、沢木は尻を払った。官給品のアポロキャップをきっちり被りなおし、0Gで自由落下するコンビニ袋を手繰り寄せた。

 どこかで飲み直ししよう。煙草が吸えるところがいい。

 禁煙の誓いは、まだ立てていなかった。帰りしな、久保からせしめたラッキーストライクが二本、胸ポケットに入っていた。

 そうだ、展望回廊。あそこなら喫煙ブースがある。月見酒といこう。 そこでシャフトの接近を告げる館内アナウンスが、三つの言語で木霊した。

「まもなく、日本エリア三十番シャフトが到着します。ご利用の方はボーディング・ブリッジにご搭乗くださいませ」



 笠原美紀が戻ってくると、早乙女一也の姿が見えなくなっていた。

 しかも座席には、笠原の荷物が置きっぱなしである。テーブルの上のカップとトレイは片付けてあった。

 言い付け通りね。

 笠原は顔を歪めると、身体を折ってため息を吐いた。

「あーもう。面倒くさいなあ。……面倒くさいんだよ、ノータリン君」

 笠原は胸元から携帯端末を取り出し、すぐさまGPS検索を掛けた。

 あの腕輪、させといて良かったわ。

 画面表示はすぐさま最寄りのマップを立体化した。三十番シャフトの一番エレベーターが上っていくのがわかる。

 やっぱり。

 今日だけ予定変更とは行かないのね。

 笠原は荷物を担ぐと、スターバックスを後にした。

 中央の制御ダクトに走ると、二番プラットホームにカーゴエレベーターが到着していた。笠原は急いでマネーカードを取り出し、自動改札のタッチパネルに触れるとホームに走った。GPSは、遠ざかっていく点滅を表示していた。

 笠原は舌打ちしながら、ボーディング・ブリッジに飛び乗った。二本の回転式アームに繋がった枠囲いの足場が、水平を保ったまま弧を描き、乗車口へと運ばれる。摑まった手摺りに断続的な振動が伝わった。

 笠原は、十二列並んだ座席の二番目に運ばれた。

 カーゴエレベーターは縦長の流線型で、二列に並んだ有機EL照明にパールシルバーの塗装が眩く反射していた。外側に面した天井には、白い巨大なヘルベチカ書体で(2)と記されている。

 プラットホームに合成音声のアナウンスが響いた。

「まもなく二番エレベーターが発進します。ご利用の方はお急ぎください」

 笠原は携帯端末を握りしめると、GPSを睨みながら予想を立てた。早乙女一也が最初に降りるのは、どのGステージだろう? この間一緒に来たときは、0・6Gステージのスポーツ施設だった。自閉症スペクトラム患者は予定変更を嫌うはず。

 ここは山勘だが、0・6Gステージではないか?

 笠原は座席に付いた停留指定パネルで0・6Gを選んだ。視覚障害者用の2×3の点字表示が指に触れる。

「承りました」

 と、機械的な音声ガイドが返事を返した。

 笠原は鼻の頭に皺を寄せ、安全バーを強く握り締めた。これから始まる、胃のひっくり返るような重力加速を想像した。

 私これ、嫌いなんだってば。

 待ってろよ。ノータリン。



 君は席を立つ時、三度後ろを振り返った。

 笠原美紀の消えた化粧室の扉が見える。

 君は言われた通り、プラスティックのカップとトレイを片付けた。

 笠原はそろそろ帰ろうと言った。それは文字通りの意味で、病院へ戻ることを意味していた。

 おかしい。

 今日はまだ、カーゴエレベーターで低重力ステージの展望回廊に行っていないというのに? 

 笠原は葵 洋子の代理で自分の付き添いであるから、君は彼女の指示に従うべきだ。しかしながら、本来の目的を達せずして戻ることは不本意だった。しかも当初から予定にない、ショッピングモールでの無駄な時間を費やしたにも関わらず、である。

 君は十分に我慢した。

 更に五分、笠原の現れるのを待った。

 しかし、彼女は現れない。

 君は自分の外出時間が刻々と失われて行くことに焦慮した。笠原を待っていると、低重力ステージに行けなくなる。

 それはおかしい。

 本来の予定が達成されないのは、絶対におかしい。

 君はテーブルの縁を掴んだまま、そわそわし始めた。

 早く、行動しなくては。

 そう思うと、笠原との約束や荷物のこと、全てがどうでも良くなった。

 君がどうでもいい、と判断すると、気掛かりな思いはたちまち薄れ、空中に霧散した。

 君はそろりと席から立ち上がった。

 君は急ぎ足でエスカレーターを駆け下りると、制御ダクトのカーゴエレベーターへ向かった。

 一番プラットホームで最終搭乗のアナウンスが流れている。

 障害者用カードを自動改札にかざすとオレンジの警告ランプが点るが、すんなりと通過出来た。君の持つ基本的人権が、君の行動を制限しないという証だ。

 しかしながら同時に、早乙女一也の居場所をGPSに記録したことにもなる。最寄りの医療機関に通達が入ったはずだ。

 君はそのことを十分承知していた。

 君は逃げ出そうというわけではない。

 今日の本来の目的を達成する、ただそれだけなのだから。

 医療機関や笠原が自分に追いつくまで、幾らか時間が掛るだろう。それだけあれば、十分に低重力ステージまで辿り着ける。

 君はふと左手首のステンレス合金製の腕輪を眺めた。笠原には、この腕輪から自分の位置が通達されるのだから心配はいらない。

 カーゴエレベーターの最前列へ、ボーディング・ブリッジが君を運んだ。

 最前列の右隅。君はお気に入りの座席に座った。

 浅い角度のフロントグラス越しに、強制遠近法の消失点の如く、鋼索線のリニアリアクションプレートが真っ直ぐ伸びている。

 君は停留指定パネルで0・3Gを選んだ。

 最終アナウンスが聞こえた。

「一番エレベーターが発進します。ドアが閉まります。ご注意ください」

 君は興奮に顔をほころばせる。

 正面の路線を照らす有機ELが一斉に点灯した。

 青白い光が連なり線を描く。

 スムーズに音もなくカーゴエレベーターは滑り出した。周囲の展望がゆっくりと流れ始める。最高速度三百キロ強に達するまで、僅か二十秒足らずだった。

 君は身体に心地良い重力加速度を感じながら、引き延ばされていく風景を堪能した。

 有機ELの眩い瞬き。

 遠くに彎曲した『サーティーズ』のショーウインドウが、煌びやかな光跡を描いて遠ざかっていく。エレベーターのすぐ側を通過する標識は、人間の動体視力を超えてスクラッチパターンと化した。光のドップラー効果でも起きそうな勢いだ。もちろん、後ろを振り返っても赤い軌跡は見えないが。

 高速移動するカーゴエレベーターの周囲は、放射状に引き伸ばされた色とりどりの光芒に包まれていた。

 君は亜高速で移動する、恒星間ロケットを夢見た。



 笠原美紀は、GPSの光点が0・6Gステージを素通りするの眺めた。

「ああ、もう! 外れた、畜生!」

 笠原の突然の悪態に、周囲が何事かと振り返った。そしてゆっくり関心が引いていくのがわかる。ブルースーツの男が端末のニュースサイトに視線を戻した。

 笠原は乱暴に停留指定パネルでキャンセルを押した。しかし画面には(ご利用のお客様がいらっしゃいます)と、無機的に表示されるだけだった。



 0・3Gステージ。

 君は一番エレベーターを出ると、靴の磁力装置をオンにして壁の標識に沿った重力方向の壁面へ接地した。

 青い人型のピクトグラムの足元に0・3と表記されている。非常に希薄ながら、まだこのステージには上下を示す重力が存在していた。

 君はプラットホームを降りると白とシルバーで統一された移動通路に足を下ろした。ここは行政管理区画に入るため、出口でパスの提示を求められる。無論、君が提示するのは、ここでも障害者用カードだ。君の人権は保障された。

 君は0・3GステージのAに降りた。

 半分は政府の研究ユニット、残りのスペースが展望設備として一般に開放されている。

 高い天井、抑えたオフホワイトの展望回廊が直線的に続いていた。細い切り込みのように開いた隙間に強化ポリエーテルケトンの透明な窓が嵌り、外界の光を繋いでいた。

 少し歩くと緑色をした半透明アクリルシートの囲いが見えた。

 喫煙ブースである。

 君は窓に近付くと手摺りに掴まり、真っ白い三日月を眺めた。

 大気の影響を受けない宇宙空間では、驚くほど細部がくっきり際立って見える。クレーターの一つ一つがジオラマのように見えた。

 君は、この静かな天体を見るのが好きだった。何故だか、気持ちが安らいだ。

 月は三十億年以上前に地質活動を終えた、死せる天体である。そう考えると、この乾いた大地が白骨化した頭蓋の白さとどこかで一致するのでは、と思えてくる。

 骨を形成するカルシウムの語源は、ラテン語の石、砂利を意味する言葉なのだそうだ。

 あの乾燥した灰色の砂漠へ。人は回帰するのかもしれない。 君は心のどこかで、自分の地球への帰還はない、と考えている。 星屑になれば、宇宙を旅することもあるだろうか。

 遠い深宇宙の、無限の彼方へ。 君は右目を閉じ、詳細な記憶を脳裏に留めようとした。


 その時だった。

 喫煙ブース脇の煙草自販機の傍に、背の高い観葉植物が見えた。

 そこで何かが、動いたのである。

 そう感じた。

 君は目を凝らし、息を潜めた。

 しばらくして物陰から現れたのは少年だった。 自分と同い年くらいだろうか。

 痩せた華奢な体格。ぴったりとした白のタートルセーターが、余計にそれを際立たせている。

 ぼんやりと見詰める君の視線に、少年は気付いた。

 プラチナブロンドの巻き毛を揺らし振り向いたその瞳は、氷のようなアイスグレイである。丸顔の童顔に開いた、はっきりとした眼。

 透明な若い肌が、発光したかのようだった。

 少年は君に目を止めると、冷たく微笑んだ。

 その笑顔は、十六世紀隆盛期ルネサンスの画家、ラファエロ・サンティの天使像を思わせた。

 あたかも「小椅子の聖母」の、幼子イエスのようだった。



 誰かを見送るように、0G方向を向いた後ろ姿が見えた。

 沢木亨二が喫煙用のグリーンのアクリルブースから出てきた時、その姿が目に入った。

 華奢な首筋だった。年の頃で十六、七だろうか。沢木は少年の長髪の隙間から覗く生白い、それでいて張りのない肌を見、すぐさま病人だと判断した。それも長患いの入院生活をした様子である。  沢木は帽子を目深に被り、その鍔の縁から少年を観察した。病院が支給する水色の外出用ジャケット、左腕にはGPSリングを嵌めている。沢木はピンと来た。

 精神科病棟からの迷子、……どうやら、そういうことらしい。

 十区のBMセンターが新手の神経療法に着手したという話は、風の便りに聞いていた。あそこからなら三十番シャフトも近い。まず間違いないだろう。やれやれ、これまた治安管理局の仕事である。勤務明けだったが仕方なかった。制服姿のまま、うろついていたのが運の尽きだ。

 沢木はコンビニ袋をがさがさいわせながら、少年に近付いた。

「よう、坊主。一人かい?」

 急な呼び声に驚いたか、少年が慌てた様子で振り返った。沢木はすかさず携帯端末をかざし、少年の顔を撮影した。口をあんぐり開け、呆気にとられている少年に微笑むと、沢木は画像データを治安管理局のURLに送った。形態認証検索である。数秒で画像が解析され、答えが返って来た。


早乙女一也。十七歳。(自閉症スペクトラム患者)

羽瀬バイオマテリアル・リハビリテーション研究所にて治療プログラム受診中。

登録記号/HaBMR 101X456B……。


 ビンゴ。

 沢木は納得したようにうなずいた。沢木は端末の液晶モニタに写し出された、少年のプロファイルを読んだ。写真の確認をしながら沢木は渋い顔をした。

 それにしても……、随分と映りの悪い写真を登録したものである。

 早乙女一也のデータに添付された顔写真は、驚くほどの悪人相に映っていた。頬がこけ、眼窩は落ち窪み、まるで犯罪者のようである。比べるまでもなく目の前の実物とは大違いである。沢木は、神経質に落ち着きない早乙女の様子を観察した。

 長髪の黒髪に、すっとした品のいい鼻筋。憂いをたたえた切れ長の眼は鳶色で、二キロ先を見通すような遠い目をしている。どうみても、悪い奴には見えない。それどころか沢木の目にはどういうわけか、少年の姿が神々しい聖人のように映って仕方なかった。何処かで見覚えのある顔だった。………そうだ。

 沢木は、ようやく思い出した。

 イエス・キリストを描いた古い絵画の、磔刑の場面のそれ、である。そう考えて、沢木は頭を振った。

 もう酔いが回ったか? まだ一杯目だぞ。

 自閉症スペクトラム患者ってのは、皆こんな風体なのだろうか? 犯罪者は見慣れていたが、病人の見識はあまりない。沢木の頭の中で障害者は十把一絡げだった。

 沢木は刺激しないよう出来るだけ穏やかな声音で、少年に話し掛けた。

「早乙女一也君だね?」

「はい……」

 早乙女は警戒を露わにした。沢木はキャップを外すと、両手を広げて見せた。

「自分は沢木亨二、見ての通りの治安管理官だ。心配はいらないよ」

 そしてベルトに通したバッジを見せる。

「そう、ですか」

 早乙女は上の空で、沢木の左たぶに揺れるピアスを注目していた。沢木は肩をすくめた。

「君、羽瀬研の患者さんだろ?」

「はい」

「こんなところで、何してる? 付き添いの人はどうしたよ?」

 沢木の言葉が少しばかり詰問口調になると、たちまち早乙女は顔を赤らめ、緊張でどもり始めた。

「ぼ、僕は、……今日は散歩の日なんです。火曜日だから。……葵さんが、急な用事が出来たので、今日は笠原さんと一緒で……」

 沢木は焦る早乙女を制すと、人差し指を振った。

「まあ、そう焦るな。君をどうこうしようってわけじゃない。これは極一般的な事情聴取ってやつだ。要するに君の状況は、あー、あれだろ? ……つまり」

 沢木は一つ咳払いした。

「迷子、って奴だよな?」

 早乙女は恥ずかしそうにうなずいた。

「はい……」

 沢木はそっと早乙女の左手首のリングを確認した。

「ちょっと拝見」

 リングのパイロットランプを二度押すと、発信コードと受信先の設定が細く電光表示された。沢木は自分の携帯端末を開き、受信先のコードを赤外線入力すると追跡させた。すぐにGPSマップが開いて、移動してくる光点が座標に載る。

「笠原美紀さん、BM療法士。この人だな?」

 早乙女は黙したまま、首を二度縦に振った。

「すぐに追いつきそうだよ。二番エレベーターで接近中だ。ここで待ってりゃ会えるさ」

 沢木は片方の眉を吊り上げると、何か思い立ったように早乙女にたずねた。

「笠原さんってのは、その……美人かい?」

 早乙女は無表情のまま、まじまじと沢木の顔を覗き込んだ。そして一言。

「ええ。……とても」

 沢木は満面の笑みを浮かべた。

「そうか。そりゃ楽しみだ。是非ともお会いしときたいね」

 早乙女は沢木の言葉の意味を解さなかったようで、不思議そうな顔をしていた。沢木は少々ほろ酔い加減でにやついていた。生のBM療法士か。

 要するに看護婦さん、なんだよな? 

 沢木は俗っぽい興味に耽り、顎をさすった。一度は会ってみたいコスプレ職業の一つではある。

 さて、そこで選択肢は幾つかあった。このまま病院に通報してこの少年を回収してもらうのも手だが、そうなると確実に報告書類が発生する。自分は現在非番の管理官であることを含め、最低でも五通は覚悟しとかねばならない。沢木が苦手とする仕事の第一に、報告書類作成が上がることは言うまでもなかった。

 しかし付き添いの療法士を待って引き渡すだけなら、何もなしである。

 恐らく療法士の方も、何らかの上からのお咎めがあるだろうし、皆の益を考えればここは通報でなく、待つが最善だろう。おまけに、やって来るのは美人ナースと来ている。これはもう言う事なしだ。

 沢木は上機嫌で早乙女の肩を叩くと、言った。

「ンじゃま、待ちますか。月でも見ながらね」

「……」

 二人は並んで固定フックに足を掛けた。

 沢木はコンビニ袋を開くとチーズ鱈のスティックを取り出し、早乙女に勧めた。

「どう?」

 早乙女は沢木の取り出した酒の肴をじっと凝視すると、静かに首を横に振った。

「ありがとうございます。でも、結構です」

 沢木はうなずくと、チーズ鱈のスティックくるっと一回転させ、自分の口へ放り込んだ。ウレタンのような感触を噛み締めながら、コンビニ袋からビールの缶を取り出した。

「失礼して、やらせてもらうよ」

 沢木はトーラス居住区に戻ってからと思って買っていた、普通の缶ビールを取り出した。ここは0・3Gステージだから無重量吸引チューブでなくても大丈夫だろう。

 沢木は開封タブに口を近付けた。タブを起こすと発泡する炭酸ガスとともにビールが吹き上がってくる。沢木は急いでそれを吸い込み、ビールが0・3Gの低重力に安定するのを待った。

 慎重に口を缶から離すと、ビールは缶の中で大人しくなった。

 興味深く見入っていた早乙女に、沢木はウインクした。

「低重力ってのは、何かと不便だな。飲んでみるかい、ン?」

「僕、……未成年ですから」

「おっと、そうか。俺が勧めちゃいかんな」

 沢木は笑ってビールを啜ると、旨そうにチーズ鱈を食んだ。早乙女一也は黙ったまま、展望窓から臨む月を眺めた。

 沢木は、早乙女の後ろ姿を見詰めながら、ぼんやり思い出していた。

 十七の少年か。

 十六、七といえば、弟が死んだ年頃である。普段は思い出すことさえないのだが。

 骨髄に病巣を持つ、不治の病いだった。九年も前の話になるが、まだ風化はしていない。さほど仲が良かったわけでなく、思い出も少なかった。印象の薄い、血を分けた弟。だが悔いの残る、苦い記憶だ。

 生きていればあいつも今頃二十五、六のはずである。一緒に酒を飲むこともあったろうか? 時折、沢木は大人になった弟を想像しようとしてみたが、上手くいかなかった。

 缶から注意深く啜るビールの味は上物とは言えなかった。飲み下しながら沢木は顔をしかめる。

 沢木がチーズ鱈のスティックにもう一本手を出したところで、ガクンと鈍い音がした。それに続いて何かが擦れ合うような低い地鳴り。磁力装置で張り付いた足元に、不快な振動が伝わって来た。

 沢木は、耳を澄ませた。

「ン?」

 口笛に似た甲高い音が迫る。耳がキーンと痛んだ。

 突如、手に持った缶の飲み口から、ビールが泡になって噴出した。早乙女が口を開け、耳を押さえた。次の瞬間、館内に警報が鳴り響いた。

 沢木は我に返った。気密シールドの損傷? 

 壁面から警告灯がせり出し、黄色い明滅を始めた。早乙女が怯えて悲鳴を上げる。録音された女性アナウンスが落ち着きはらった口調で緊急事態を告げた。

「気密シールドに異常が発生しました。危険な減圧が進行中。このエリアは隔離されます。速やかに退去してください」

 沢木は反射的に早乙女の襟首を掴むと、隔壁へ走ろうとした。

 だが、動かなかった。

 早乙女は蒼白な顔で座り込んだまま頭を抱え、赤子のように泣き叫んでいる。彼はパニックを起こしていた。

「馬鹿野郎!」

 沢木は早乙女に素早く平手打ちを食らわせた。一瞬で泣き止み、沢木を見詰める早乙女。沢木はコンビニ袋を投げ捨て、早乙女を引っ立てた。

 全力で走る。

 が、しかし、間に合わない。目の前で二重の気密隔壁が閉まるのが見えた。

「くそっ!」

 沢木は早乙女を捕まえたまま床に伏せると、ベルトを解き、固定フックに結わい付けた。

強化ポリエーテルケトンの窓の向こうに剥がれた外壁材が舞っている。気圧差によって吸い出された、複合装甲の破片だ。

 そして空気。

 想定を越える与圧漏れが、オーバーフローを起こした。やがて構造限界が訪れる。見る見る窓枠が歪み、強化ポリエーテルケトンに、ひずみ傷が白く広がっていく。腹がよじれるような軋みが、至るところから響いてきた。

 ついに内壁に亀裂が走った。壁の一部が吹き飛んだ。恐ろしい真空が沢木の身体に手を伸ばして来る。観葉植物が吸い出され、煙草の自販機が後を追った。

 ベルトでフックに繋がった沢木の身体が、ふわりと持ち上がるのがわかった。沢木は必死で取り落とすまいと、早乙女の身体を強く抱き締めた。

「畜生、ここまでか!」

 沢木がそう叫んだ瞬間、喫煙ブースのグリーンのアクリルシートが瓦解した。

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