第16話


 沢木亨二は翌朝、退院を許され、初瀬研を出た。

 それからの一週間、ステーション内のローカル・マスメディアの取材攻勢に振り回され、いい思いと、悪い思いを半々に味わった後、皆の関心が薄れて行った。沢木の日常は二〇二二年・四月八日金曜にルーティン化した。

 見計らったように、沢木と久保、両名に、治安管理局日本エリア支部から通達が届いた。霧島柳太郎エリア局長、直々の呼び出しである。二人は警邏前の午前中に、十八区の官庁街へ出頭した。


 霧島は最上階に位置する執務室で待っていた。

 特大の嵌め殺し窓からは、スカイポートとその奥に広がる街並みが臨めた。鉄と硝子が織り成す摩天楼。今日のお天気プログラムは、(春霞棚引く虚ろな晴天)である。

 窓枠が2・35×1のシネスコサイズに近い比率のせいか、景色はハイビジョン撮影された映像のように見えた。その高解像度の背景を背負った形で、逆光になった影法師が動いていた。

 霧島局長、その人であった。

「さて、お二人さん。先週はご苦労だった」

 初老の男は深い笑い皺を目尻に浮かべると、温かみのある笑顔を作った。霧島は警視監の銀の記章が光るシックな制服姿で二人を出迎えた。沢木と久保は、上司からの労いの言葉に無言でうなずき、広いマホガニー製の会議机に着座した。

 霧島は二人の顔を代わる代わる眺めた後、口を開いた。

「沢木管理官、身体の方はもう大丈夫かね?」

 沢木は小さくうなずいた。

「はい、これといってどこも異常はありません」

「そいつは結構」

 そこでドアに軽いノックが響いた。霧島が促すと若い秘書官が現れ、芳しい香気漂うコーヒーが運ばれた。

「感謝状の方は、もう届いたと思うが」

 霧島の目配せに、沢木が首を縦に振った。

「有り難うございます。誠に、……光栄です」

 沢木の口幅ったい様子に、霧島が髭をあたりながらにやにやした。

「何だ? そんなでもなかったかね? 金一封の方が良かったような口振りだぞ」

「いえ、決して。そんなことは」

 沢木は空々しく背筋を伸ばしてみせる。

「まあ、いい」

 霧島は白手袋の指を組み合わせた。

 沢木は視線を外し、霧島の五分刈りのロマンスグレーを凝視した。デッキブラシのように斜めに伸び上がり刈り詰められたその前髪は、少々威嚇的過ぎると沢木は考えた。

「ところで、事故の調査報告は読んだかね?」

 霧島は唐突に久保の方を見た。久保はコーヒーカップを手にしたところだった。

「あー、はい」

 口を着けたカップを、ゆっくりと受け皿に戻し、久保が言った。

「ユニットパージをコントロールする3D-CADナビゲーターに誤作動があったとか。設備課のコメントですが」

 霧島はうなずいた。

「ウム。物理的な原因としては、そうだな。起きてはならん誤作動だ」

「あの、……いいですか?」

 沢木が小さく右手を上げると、口を挟んだ。

「私、もう一つその辺のからくりがわかってないんですが」

 霧島は革張りの椅子の背にもたれかかると、沢木に微笑んだ。

「この(月の王冠)の設計図面は三次元のCADデータとして、メイン・サーバ内に管理されている。ステーション全体で行われている保守、その他、瑣末な仕様変更は、週に一度、管理プログラムによってデータが上書きされる仕組みになっている」

「はあ……」

「通信回線で自動更新される地図のようなもの、と言ったらわかるかね? この情報を元にパージメンテナンスの作業も行われる」

 沢木は指を廻すジェスチャーを交えながら、相槌を打った。

「外側からパーツごと入れ替える、あれですよね?」

「そうだ」

 霧島は片方の眉を吊り上げ、声の調子を変えた。

「その時この仕様変更の情報に、狂いがあったとしたらどうなる?」

 霧島の問い掛けに、沢木は少し考え、

「部品がはまらない、ですか?」

 霧島は目を伏せ、小さく笑った。

「サイズが合わなかった、で終わればいいがね。ここは生憎、真空の宇宙空間だ。生死に関わる問題が生じる」

 霧島はジャケットのカフスを触る、いつもの仕草をした。

「君たちは古いディスク式のカーナビを見たことがあるかな。データ更新されていない場所に来ると、例えばそうだな。……新しく開通したばかり橋がモニタに現れず、車が川の上を走って渡るという、奇妙な表示になることがあった。つまり今回の事故も、おおむねそういうことになるな。パージすべき場所と気密すべき隔壁の配置に、情報の狂いが生じていたわけだ」

 沢木はようやく納得した。

「大穴が、開いてしまうということですね。宇宙に向かって窓を開けるようなもんだ」

「与圧漏れのオーバーフローで圧壊、危うく大惨事になるところだ」

 久保は首を傾げながら霧島に問うた。

「しかし、管理システムがそんな簡単にイカれたりするもんですか? 頭のいいシステム課の皆さんが厳重にセキュリティしてるわけでしょう?」

 霧島は人差し指を立てると、口をつぐんだ。

「そこだよ、久保管理官。(月の王冠)のウイルス対策は高度なもので、常に最新の定義ファイルが自動更新されいてる。ネットワークも専用の中継プロバイダを一括経由しているので外部からの感染は考えにくい」

「局長の口振りですと、あれですかね? 今回の件を、攻撃と考えているのですか? 事故ではなく?」

 久保の疑問に霧島はうなずき、静かに指を合わせた。

「この間の、月の一件もある」

 霧島は二月に起こった月面から極軌道上への暗号通信の件に触れた。一旦はテロ警戒レベルを上げたが、その後公式報道もされず、うやむやになりかけている事件だ。

「関係ありますかね? ちょっと考え過ぎでは?」

 沢木は呑気な口振りで言った。

 霧島は目を細めると一瞥をくれた。

「何度も言うようだが、我々治安管理局は常に最悪のケースで事態を想定し事に当る。君たちの持っている入局の手引きにもそう書いてあるはずだが。忘れたかね?」

「失礼しました」

 霧島の遠まわしな嫌味に、二人は居心地が悪くなった。

 霧島は続けた。

「あの高度な管理システムが理由もなく誤作動を起こしたとは考えにくい。やはり外的要因だろう。ネットワーク経由でないとすると、物理メディアで持ち込まれたことになる。そうなるとこれは……、もっと問題だぞ。我々は既に水際対策すら出来ていないことになる。管理プログラムの方は現在システム課が総力を挙げて原因究明に当っている」

 沢木は眉間に皺を寄せた。

「何を、探すので?」

「システムに記された、数学的な痕跡だよ」

「やれやれ……」

 沢木は顔をしかめるとお手上げして見せた。

「さて。そこでだ」

 霧島は二人の方に向かって身を乗り出した。二人が僅かに椅子の背に沈んだのは言うまでもない。

「システム課がプログラムをさらっている間に、治安管理局が手をこまねいているわけにもいくまい」

「はあ……」

「いずれにしても捜査権があるのは、ここの官庁を見渡しても我々だけだからな。明日、特別捜査本部を設けることにした。ロシア、中国側とも連携した大掛りなものとなる。君たちなら適任だろう。参加したまえ」

 沢木は目を見開くと即座に反論した。理由は簡単である。

 面倒ごとに巻き込まれるのは、御免だった。

「局長、何故、我々なんですか?」

 霧島は意外そうな表情を浮かべ、答えた。

「それは君があの現場の一部始終を見た、ただ一人の人間だから。そして君たちはパートナーだから。違うかね?」

 沢木は両手を振り回しながら力説した。

「一部始終って、自分はただ、巻き込まれただけですよ。報告書はもう出してありますし、あれ以上のことは。……大体我々より優秀な捜査官なんて、掃いて捨てるほどいるじゃないですか」

 霧島は鼻を鳴らすと片方の眉を吊り上げた。

「ま、そう自分たちを過小評価することもなかろう。そうした消極性もある意味、客観的に物事を捉える必要な見識とも言えるしな」

 霧島は両手を広げて笑った。

「君たちなら手柄を焦って証拠の捏造、なんてことにはならんだろう。その点は安心しているよ」

 久保が舌打ちしてぼやいた。

「どういう意味です?」

 霧島はそれには取り合わず話を進めた。

「まずは、あの0・3Gステージの監視カメラの映像でも、さらってみてはどうかな?」

 沢木はすかさず意見した。

「そう、それだ。監視カメラの映像があるなら、私の目より確かでしょう。顔認証プログラムで検索を掛ければ……」

「そうだな。それもいいかもしれない。やってみたまえ。設備課にデータがあるよ。だが、誰も怪しそうには見えないがね。そんな素振りの犯人がいたら逮捕は簡単だろうが」

「意味ない、ってことですか?」と、沢木。

「そんなことはない。犯人は必ず現場に現れる。これはヒトの習性というものだ」

「……」

 霧島は黙り込んだ二人を交互に眺めた。

「私は月面基地の西脇次官と国際テログループの線を追い掛けてみる。進捗状況は随時知らせるとしよう」

 沢木は西脇の名に顔を上げた。

「西脇、ですか?」

 霧島は訳知り顔で首を捻った。

「沢木管理官、西脇次官とは見知りらしいな」

「ええ。まあ」

「確か、警察学校の同期だったかな?」

 沢木は目を伏せると口の端で笑った。

「私は卒業してませんけど、ね」

「そうだったか? ま、うまくやってくれたまえ。君だって血筋は生え抜きだろう? これで名を上げて、周りを見返してやれ」

「……」

 霧島は穏やかに言葉を継いだ。

「調べた結果、何もなかった、が一番いいんだ。それは君たちもわかるな?」

 久保がおずおずとたずねた。

「これは、決定事項ですか?」

 霧島は重く顎を引いた。

「命令だ。……では頼んだぞ、諸君」

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