第27話


 沢木は葵と早乙女と別れた後、その足で十八区の官庁街に赴いた。

 時刻は午後七時を回った頃である。高層建築の立ち並ぶこの界隈はこの刻限が一番美しい。建物の窓という窓に明りが灯され、その様子は金銀に輝く小銀河のようである。二百三十メートルを越える建造物の突端では、衝突回避用の警告灯が赤い明滅を繰り返していた。

 沢木は機動警邏車を走らせながら、キセノンアークランプの立ち並ぶ中央道を抜け、治安管理局日本エリア支部に入った。

 ペンタプリズム構造体の八階へ。沢木は科捜研に向かっていた。

「おーい、誰かいるかい?」

 沢木はスイングドアを押して、受付に足を踏み入れた。返事がない。がらんとして見たところ誰もいないようである。

 元々この(月の王冠)で、科捜研の出番は少なかった。しかしながら七時台で誰もいないというこの状況は何かの緊急事態か? 

 沢木はポートフォリオを抱えたままフロアをうろついた。パソコンの間を通り抜け、事務机の上の書類に目を通したが、特別な事態はなさそうである。

「誰か、いませんか、っと」

「ほーい」

 そこで、くぐもった声が聞こえた。奥のトイレからだった。腹の出た白衣の男が、手を拭き拭き現れた。四十代半ばの寝ぐせのようなもじゃもじゃ頭。

「おっと、沢木」

「どうも。平賀さん」

 沢木はぺこりと頭を下げた。挨拶もそこそこに、科捜研主査一等特殊技術職員、平賀義信は、自分のデスクに腰を落ち着けた。

「お前が上がって来るなんてな。珍しいじゃないの、どうした?」

 沢木は平賀の問いには答えず、辺りを見回しながらたずねた。

「今日は何事です? この時間で誰もいないなんて。科捜研、いよいよ閉鎖ですか?」

「馬鹿言うな。今日は送別会だよ」

「へえ。誰か転属?」

「女の子。寿退職ってやつ」

「それはそれは。……で? 平賀さんは、なんで行かないんです?」

 平賀は上目使いに沢木を見やると腹を擦った。

「今日は胃が悪い」

「また飲み過ぎですか?」

「ストレスだよ」

 沢木はにやりと笑って平賀の肩を叩いた。

「お大事に」

 平賀は不機嫌な様子で無言のまま右手を回した。さっさと要件を言え、の意味である。沢木はポートフォリオをデスクに置くと留め具を外した。

「見てもらいたいものがありまして」

「あいよ」

 沢木はおもむろに麻布の包みを取り出した。丁重に開くと、早乙女一也の描いた油絵が現れた。

「ほう。大層、立派な品物じゃん。どこでがめてきた?」

「捜査資料ですよ」

 沢木が肖像画を素手でべたべたと触るのを見て、平賀は顔をしかめた。

「沢木よ、とりあえず手袋は嵌めてくれよな、基本だろ」

「いやいや、出所ははっきりしてるモノなんで」

 平賀は意外そうな顔をした。

「指紋じゃないのか? 成分鑑定か?」

 沢木は首を横に振った。

「贋作ってわけでもない」

「じゃ、何だよ?」

 沢木はにやりと笑った。

「これ、目撃証言なんです」

「は?」

「この間の0・3Gステージの圧壊事故、目撃者が出たんですよ」

 平賀は訳知り顔で唸った。

「お前さんが助けた患者さん? それとも美人ナースの方かい?」

 沢木は笑った。

「良く覚えてますね。これが、その目撃者、自筆の人相書き」

 平賀は絵を眺めながら怪訝な顔をした。

「ナースで絵描きの目撃者なのか?」

「いやいや、自閉症スペクトラムの患者なんです」

 平賀はそれで理解したようだった。

「なるほど。少年の方だな?」

「ええ」

「彼は、サヴァンなのか?」

 平賀の的を得た問いに沢木は目を輝かせた。

「おっと、さすが平賀さん。察しがいい」

「サヴァンでもなきゃ、お前もこれを目撃証言とは言わんだろ?」

「まあね。実を言うと俺、今回サヴァンが何かも知らなかったんですけどね」

 平賀はじっと絵を見ながら鼻の頭を掻いた。

「で、お前の見立てじゃ、当てになるってか?」

「ええ。看護人のお墨付きですよ。彼の絵は全て記憶を元に描くらしい。資料はなし。過去の作品も見せてもらいましたけど、こいつはいけそうだ」

「精度は如何ほどに?」

「測量機並み、かな」

 本当かよ? と言いたげな視線が沢木を見上げた。沢木は眉を持ち上げ、二度うなずいてみせる。平賀は面倒臭そうに鼻を鳴らした。

「わかったよ。すぐにやろうかね」


 沢木と平賀は早乙女の描いた油絵を持って奥の検査室に入った。

 まず肖像を撮影し、JPEG形式で保存してサーバに落とした。平賀はアプリケーションから顔認証プログラムを選択し、画像を認識させた。早乙女の描いた金髪の少年の肖像がモニタに呼び出されると、特徴点の自動抽出が開始される。約三十秒でスタンバイが整った。

「さあて」

 平賀はアプリケーションのワークスペースを眺めながら両手を擦り合わせた。

「ここ三ヶ月位でいいかい?」

 沢木はモニタを覗き込みながら同意した。

「とりあえず入管パスの登録データベースで」

「お安いご用だ。固有顔ベクトル群で検索するぜ」

「何ですって?」

 平賀はたしなめるような口調で沢木に説いた。

「 (人間の考えられる顔)の、高次元ベクトル空間の確立分布についての共分散行列で選別するってことだ」

 沢木は肩をすくめた。

「日本語で言ってくださいよ、平賀さん。とりあえず、任せますから」

 平賀は幾つかのコマンドを打ち込みエンタ・キーを押した。データベースの作業エリアが表示され、該当ファイルが高速で検索されていく。数分を待たず一つのファイルが一致した。

「対称性の評価だと早いな」

「えらく早いけど、大丈夫っすか?」

 沢木があやふやな疑問を投げかけると平賀が答えた。

「ま、見てのお楽しみ」

 平賀は一致したファイルを並列表示させた。モニタに二つの画像が開く。左側に早乙女の描いた肖像画、右側には登録データベースの写真が開いた。

「おっと、これは、……当たりかな」

 二人はモニタに見入った。整合率92%。

 丸みの際立つ童顔、透明感のあるアングロサクソン系の肌、目尻の切れ上がった大きな眼、瞳は青味掛った灰色だった。年格好は十六、七というところだろう。

「ビンゴかね?」

 平賀は沢木を振り返った。沢木はうなずいた。

「十中八九、正解だと思いますよ。しかし、これは……」

 そういって沢木はモニタを叩いた。二つの画像は驚くほどに一致していた。しかし何よりも一目瞭然の大きな食い違いが目立っていた。最大の違いは、早乙女の描いた巻き毛の金髪に対して、登録画像はストレートの黒髪だったのである。

「変装なのかねえ?」

 平賀は頬を掻きながら首を傾げた。

「どうですか?」

「ちょっと待てよ」

 平賀は治安管理局のメイン・サーバに接続すると、入管記録の通過映像と照合した。機械は数十秒で答えをはじき出した。

「しかし、通過記録の中に金髪の姿はないね。いつも黒髪だ」

 平賀が数十の記録画像をモニタに並べた。この男、日に何度もハブポートとシャフトを往復している。その度毎の入管記録の全てがストレートの黒髪であった。沢木はモニタを指差した。

「この不審者は何者です?」

 平賀はデータベースから登録を読み上げた。

「住所不定の季節労働者かな。北上真悟、二〇〇三年生まれ、十九歳。なんと国籍は日本になってるぜ。日本人には見えないがね。現在は十週間の契約で新見インダストリー・メンテナンスに短期雇用されている。三月だな。シャフトの総合メンテナンスの請負。……なるほど、何度も出入りするはずだ」

「雇用主は?」

「新見信幸、新見インダストリー・メンテナンスの社長さん。四十七歳。作業船アサルト・メテオ号を所有している」

 沢木は顎を擦った。

「シャフトのメンテナンスね、因みに請負は何番です?」

「えーと、……三十番と三十一番だな」

 二人は顔を見合わせた。

「事故があったばかりの三十番か。怪しい、怪しい」と、平賀。

「ウーム」

 沢木は唸った。まだ、何とも言えない情報だが……、きっかけでは、ある。

「メンテナンスで日に何度もシャフトを往復し、入った先で金髪の変装でうろつく妙な奴。(トロイの木馬)を持ち込むにはもってこいだな」

 と、沢木が呟く。平賀はその言葉に敏感に反応した。

「(トロイの木馬)だって? そいつは偽装プログラムの話かい?」

「平賀さんも聞いてますか?」

「途中経過だけどな。ウチの若い奴らも参加してるよ。3D-CADナビゲーターに影響するユニットパージ誤作動誘発プログラムだろ。ファイルの特定と隔離まではどうにかね」

「じゃあ、ワクチンプログラムは、うまくいったわけですか?」

 平賀は顔をしかめた。

「うーん、どうだかな。何故だか削除出来ないんだが。無効化は出来たと信じたい」

 沢木は苦笑いを浮かべた。

「北上真悟、まずは調べるに足る理由はありますね」

 平賀はもじゃもじゃ頭を撫で付けながら言った。

「さあな。俺は捜査官じゃない。お前さん次第さ」

 沢木は携帯端末を取り出すと平賀の検索データを転送してバックアップした。そそくさと身支度を済ませ平賀に挨拶する。

「平賀さん、お手数掛けました。また連絡しますね」

「おうよ。で、どうする?」

「とりあえず雇用主から。当たってみますよ」

 平賀は親指を突き上げ、含み笑いを浮かべた。

「サヴァンの友達によろしくな。……言っといてくれ、仕事が必要になったら、いつでも声掛けてくれってな。ウチでスカウトするよ」

 沢木はちらりと振り返ると右手を振った。

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