第9話


 SSUC3-CJR-L4治安管理局日本エリア支部は、十八区の官庁街に位置していた。

 鉄と硝子で出来た街並みの中に、一際目立つペンタプリズム構造体。

 屋上には傾斜した五角形の一辺を、水平方向に切り取るようにスカイポートが張り出している。一見すると灰色の石版のような外壁だが、細かなスレート劈開の集成による表面は、差し込む光の角度により、複雑な玉虫色を呈した。


 二〇二二年、二月二十八日月曜。

 西脇 明、第一月面基地治安管理局次官が(月の王冠)を訪れた数日後、治安管理局日本エリア支部では、上級部局員を集めての合同ミーティングが開催された。

 一等級以上が呼び出され、十階のミーティングルームに百数十名が詰め込まれた。オーク材とヴェロアで整えられた落ち着きのある内装。正面の壁に金環と日章を組み合わせた、日本エリア支部のエンブレムがあしらわれている。

 沢木亨二の姿も見えた。隣には久保隆志がいる。座席は小型の筆記台付シートが扇型に並べられ、身動き出来ぬほどに密着していた。一律に紺の制服姿が並ぶ様は、ある意味壮観であった。が、規則正しく美的な隊列を描くほど、訓練されていない集団でもあるらしい。

「何だか暑くねえか?」

 と、久保がぼやく。

「こんだけ野郎が集まると、空気が悪いな」と、沢木。

「お前がヤニ臭せえんだよ」

「そうか?」

「禁煙はどうしたよ?」

 久保の問いに、沢木はにやりと笑った。

「明日からだって」

 二人のくだらないやり取りの間に、ざわめきが引いた。紺色の集団全員が起立し、短く敬礼する。戸口には初老の男が立っていた。

 イートンスタイルジャケットの、ぱりっとした制服だった。控えめな銀の記章は警視監を表している。頭には白いものが混じり、大旨ロマンスグレーといって良かった。短めに刈り込んだ顎髭、太い眉。男は厳格な眼差しで場内を見渡した。

 年齢を感じさせない機敏な動きで前方に立つと、静かに両手を演台に添える。それが合図のように一同が揃って着座した。

 霧島柳太郎、SSUC3-CJR-L4治安管理局日本エリア局長である。

「親父様の登場だ」と、沢木。

「さすがに五十代に入ると、渋いねえ」そう、久保が後を継ぐ。

 二人は目配せしてうなずいた。

 霧島柳太郎は白い手袋を嵌めた指で、左右のカフスを触った。いつもの癖だった。一つ咳払いし、擦れ気味の低い声を発した。

「上級部局員の諸君。月曜の朝からすまない。他でもない、早急に君たちの耳に入れておくべき案件が持ち上がったためだ」

 脇の戸口から秘書官が現れ、グラスに入った水を霧島に手渡した。一口、口に含み、グラスを覗く。

「さて、先週半ば、二月二十四日のことであるが、第一月面基地治安管理局の西脇 明次官が来訪された。用件は二箇所の月面基地において、同時観測された通信についての報告だ」

 演台の背後の液晶スクリーンが起動し、月の表側のマップが現れた。室内の明かりが僅かに照度を落とした。

「ここが(コペルニクスクレーター)」

 霧島はライトペンの赤い指標でスクリーンを指した。

「そして(雨の海べースン)。この二箇所から月の上空約百キロの極軌道に向けて、暗号通信が送信されている。極短いものだったが、テレメトリ・コマンド・レンジング系の通信であることが判明している」

 沢木は西脇 明との数日前の(セルゲイのダイナー)でのやりとりを思い返していた。

(それほど高い機密ってのでもない)

 西脇は確かそう言ったはずだが、どうやら、そこそこの一大事であったらしい。

 霧島は皆の反応を推し量るように目配せすると、続けた。

「テレメトリ・コマンド・レンジング系通信、という言葉が聞き慣れぬであろう諸君には少々、説明が必要であろう。つまりこの通信データは、人工衛星のプログラムに修正を加えるコマンドだと理解してもらえば良い。衛星の姿勢制御、搭載機器の起動に関する信号だ」

 何人かの察しのいい部局員から、ざわめきが起きる。

 霧島は満足そうにうなずいた。

「通信電波が向かった極軌道上には、現在活動中、そうでないものを含め、数十の衛星が回っている。大半は旧合衆国が打ち揚げた未確認の軍事衛星。いわゆる(全方位型支配政策)の忘れ形見と言ったところだな」

 最後のところは西脇と全く同じ言い回しだった。

 パクリだな、沢木はそう思った。 スクリーンの映像が切り替わり、月の立体映像と、その周囲百キロ地点を示すグリーンに光るリングが浮かび上がる。

「このように極軌道は経線方向を結ぶ円環状の軌道であることから、対地同期軌道の衛星でない限りは、周回ごとに数度ずつ異なった経度を取ることとなる。つまり月のいかなる場所の上空にも存在しうる、ということになるわけだ。これによる危惧は、どういったことだと思うかね、……沢木管理官?」

 ぼんやりしていたら、いきなりの名指しだ。霧島の厳しい眼差しが沢木を捕らえていた。どうやら霧島は、沢木と西脇の経歴を確認しているらしい。

 沢木は咳払いし、のろのろと答えた。

「つまり、えー、……つまり極軌道上の衛星が攻撃衛星であるならば、月基地はどちらも標的になり得る、ということでしょうか?」

 霧島は首を捻って苦笑いした。

「半分正解だな」

「はあ……」

 霧島は白手袋を顎に添え、静かに補足した。

「通信には衛星の姿勢制御系が含まれていた。つまり衛星がいつまでも月の表面を狙っているとは限らんだろう?」

 沢木は思案した。

「すると(月の王冠)も標的、ですか?」

 霧島はうなずいた。

「地上からの気象条件に左右される軌道攻撃より、遥かに高精度な攻撃が可能だぞ。コストも安上がりだ」

 列の前方に座った部局員が手を挙げた。

「局長、これはテロへの警戒、ということですか?」

 霧島は同意した。

「カウンターテロ警戒レベルはイエローだ。受信した衛星も特定出来ておらんし、暗号コードも解析中だ。ひょっとすると、民間の研究機関が月面に残した機械の誤作動ということもあり得る。しかし万に一つに備えるのが我々の仕事だ」

 部局員は納得した。

 霧島はそこで言葉を切り、グラスの水を含んだ。

「テロリズムとは、恐怖心を引き起こすことにより特定の政治目的を達成しようとする組織的な暴力の行使、及びそれを容認する主義のことだ。歴史的には二十世紀のフランス大革命末期のロベスピエールによる恐怖政治体制から、その呼び名が由来しているらしい。我々がテロと聞くと、反体制派による行動と思われがちだが、そもそもは体制側の政治姿勢を差した言葉だというのは皮肉なものだな。冷戦後は強制外交の手段としても確立されている」

 沢木は、やれやれと首を振った。霧島局長お得意の講釈が始まったらしい。一時は、警察学校の教鞭もとっていた学究派の人物である。学があるのは結構なことだが、話し出すと止まらないのが難点だ。

 沢木は久保と目配せし、肩をすくめた。

 霧島の言葉が本調子になってきた。

「テロリズムは、物理的な成果ではなく社会的心理効果に、その重点が置かれている。具体的には爆発物を用いた公共施設への攻撃が典型だな。皆も良く知っているであろう、二〇一三年のシカゴ、シアーズ・タワーでの小型スーツケース核爆弾や、今世紀初頭の9・11アメリカ同時多発テロ事件が有名だ。まあ、この二つについては物理的な成果も十分過ぎるもので、(新しい戦争)という言葉が生まれたほどだ。戦争というのは国家が主体となるものだが、非国家主体のテロ組織の行為を差して(戦争)と呼んだのは、犯罪というには、そのテロの有する破壊力があまりに大きく、国防上の安全保障を揺るがすものであったからに他ならない」

 霧島は確認を取るように一同を見回した。

「テロの計画者は、おおむね独自の主義主張や世界観、宗教観を元に、物理的介入に及ぶ傾向にあるものの、その大半は未熟で一貫していない倫理観や思想的背景に基いていることが多い。対話の否定、相互理解の拒絶、純粋暴力の肯定など非社会的な嗜好に由来するものだ」

 中ほどの席に座っていた女性部局員が手を挙げた。

「それって、平たく言うと(駄々っ子の理屈)ですよね?」

 部局員の間から、まばらな笑い声が上がった。

 霧島は微笑みを浮かべ、うなずいた。

「君の言う通りだよ、池田管理官。世界各地で起きている紛争、その他、過剰な暴力的介入事件は基本的に、子供の喧嘩と大差ない理屈に根差している。……実に嘆かわしいことだがね」

 霧島は白手袋の指を組み合わせた。

「さて、我々が直面している、この危惧すべき事態の首謀者は誰だろう?」

 一人が声を上げた。

「旧合衆国自由主義者ですか?」

 霧島は首を縦に振った。

「そうだな。旧合衆国自由主義者は、未だ世界各地に多数分散して存在している。問題は、どの勢力が、何を目的に、だ」

 霧島は言葉を切った。

「既に国連安保理にはこの内容を打診してある。旧北米でPKOを続けている国連北米暫定駐留軍による監視活動の報告によると、目に見える変化はなしとのことだ。ま、地下組織の活動が表立って見えるわけはないのだがね。後は欧州での抵抗運動を展開するパルチザン(スターズ&ストライプ)、東アジアに潜伏しているFLIANA(Free liberation army North America)北米自由解放軍などが挙がるが、今のところはっきりした報告はされていない」

「(第四の道)は?」

 と、誰かが声を上げた。霧島は視線を上げた。

「確かに一番気に掛かる組織ではあるが、あの反政府軍は掃討作戦終了直後に解体され、多くの軍関係者が処罰されたのだ。……処罰ではないな、処刑だよ。つまり実質的に(The fourth Way:第四の道)は現在、存在しない」

 だが、声は食い下がった。

「しかし、(第四の道)の介入は、東ティモールのケースと似ています。暴動を鎮圧すべく赴いた国軍の一部が反旗を翻したということですよね。暫定駐留軍占領下でも、旧合衆国自由主義を信奉する元警察官や軍人は大勢いるわけで、そうした不満分子が再び蜂起することは考えられないですか?」

「強力な指導者が現れれば、そういったこともあるかもしれん。しかし、それを防ぐため、この十年、暫定駐留軍による占領と監視が行われてきたのだ。カナダ、メキシコも同様にね。国連による北米暫定行政機構は、現在も運営を続けている。今後十年はあの土地を独立させるつもりなどなかろう。その彼らからの報告がネガティヴであるならば、我々は今、それを信ずるよりないわけだ。憶測で敵を特定することは出来ん」

 沢木は恐る恐る手を挙げ、霧島に質問した。

「あの、すいません、局長。テロリストは、……まあ、つまりその、何かの攻撃があるとしてですね、目的は? 何がしたいんでしょう?」

 霧島は沢木をじっと見た。

「今度は、その辺りも、西脇に良く聞いておくんだな。……まあいい。つまるところ、旧合衆国自由主義と呼ばれる主張は、リバタリアニズム、自由至上主義に端を発しているわけだが、根本原理とは相反して平和的な世界協調とは何の関係も持たない。(第四の道)が掲げた政治目的でわかるように、彼らの目指すべきところは(アメリカ自由主義による全方位型支配の確立)だ。そこにテロリズムという冒険主義的手法を持ち込む方法論は、経済学者ミルトン・フリードマンにも影響されているのかもしれん。いわゆるショックドクトリンの議論だな。(現実の、あるいは仮想の危機のみが真の変化を生み出す)という主張だ。無規制の資本主義を実現する好機は、社会的危機を扇動せねば実行出来ない」

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