月の王冠

梶原祐二

第1話


はじめに


 SF小説の舞台となる年代設定は、いつをあてはめたところで、いずれも現実との矛盾は否めない。

 それが空想科学小説たる所以なのだが、そうした設定に異常なまでの固執を示す読者のために、ガイドラインを示しておきたい。この小説中の時間軸は私たちが今、日常生活を送っている現実世界とは地続きにない。いわゆるパラレルワールドである。下敷きとなっているのは、1960年代に一般的であった近未来予見だ。

 筆者が子供心に胸躍らせた、21世紀の姿である。

 この世界ではアポロ計画終了の後も、アメリカ合衆国は順調に宇宙計画を続けている。80年代、ジャパンマネーによる経済不況もなく、90年代初頭から宇宙ステーションの建設が始まっている。我々の現実世界より、20から25年くらい前倒しの宇宙進出を果たしているわけだ。同時にコンピュータの一般普及も進んでいるが、こちらは我々現実世界と同じか、少し遅れている程度。医療技術の専門分野における電子制御は、宇宙進出の後押しもあってか、少しばかり進んでいるようである。

 経済不況はなかったものの、80年代後半の大国の失策から始まる、9・11の惨劇は防げていない。2001年以降の流れは、少しずつ逸れて行き、2013年を境に、世界の覇権構造が一新されている。

 そうはならなかった近過去から現代、近未来に繋がる架空の時間軸を背景に、この物語は進行する。

 物語進行のための、筆者のご都合主義に由来する設定も過分にあるのだが、このストーリーは未来予見をテーマにしたものでも、タイムパラドックスを扱うものでもない。もちろん政治的なメッセージなど言うに及ばず。純粋にエンターテインメントとしてのアクションスリラーである。

 つまらぬ深読みなど、なさらぬように。


                                                                      梶原祐二

                            2016年1月7日











 そこは愛で充満し、慈しみが飽和している。














 君が見る世界の地平と、我々の知見は、どう違うのだろう? 


(音が飛来し、閃光が瞬く)


 例えば音。

 世界は騒音で充満している。

 地下鉄の振動。渋滞する車列。航空機。繁華街。

 ニュースとバラエティ・ショー。

 我々は朝のラッシュの中、吊革につかまった女子学生から昨晩のデートの一部始終を知り、投資先の暴落に落胆するビジネスマンのため息を聞く。

 音漏れする音楽プレーヤーの刻み。

 酔っ払いのわめき声。

 往来ではリサイクル収集車の告知と、黒塗り凱旋車の怒声。比例代表区公認候補者の、悲鳴のような訴えも聞こえる。

 それらが入り混じり一つになって、地鳴りのような木霊に変わった。

 擦れる金属と、ヒトの呼吸。

 絶え間ないノイズがノイズを上書きしようと、更なる増幅を繰り返す、

 それが我々の世界。


(反復と停滞)


 君の世界を占めるものは静謐だ。

 春風に揺らぐ竹林のそよぎ。

 湖面のさざなみ

 渡り鳥たちの遠いさえずり。

 秋枯れの微かな囁き。

 まさに、明鏡止水の境涯である。 大気のように偏在するが、目に見えぬ、言葉にならぬものが集成し、調和している。

 これは聴覚の問題でなく、音の選択という君が獲得した自由。

 音は君の頭上を、沢を下る飛沫のように百万のつぶてとなって流れ落ちる。

 多くの音は君にとって、関心のない空気振動に過ぎない。

 時折、君が興味を示す幾つかの音像が、鼓膜から内耳に伝わり、神経興奮となって大脳聴覚皮質へ伝達される。

 残されたのは、聞き取れぬ音のまとい。

 それらは、くぐもった咆哮、あるいは嵐……。

 そうした喧騒を締め出す術を、君は予め、身に付け生まれた。


(早乙女一也、と呼ぶ声がする)


 目の眩む閃光。

 光は闇を退け、像を映す。

 目の前に広がる室内風景。

 知覚が神経ネットワークを伝播する。  


(見る)という行為。

 視覚野における活動電位の連携。

 だが、それだけではない。(見る)とは、言語野の活動を伴う、世界を文節化し把握するための作業なのである。

 入力される視覚情報。

 空間はあるがまま、差異のない現象として入力される。情報は整理され、脳内で知見している言語として、事象の集積へ分解される。

 この室内には(テーブル)があり、その上には(グラス)と(林檎)という事象が並んでいる。

あまり関心を惹かない(床)や(壁)は、背景という壁紙に処理される。

 (林檎)は林檎という現象として我々の意識に到達するのでなく、(林檎)という言語情報を元に、他と区別し認知される事象にすり替わるのである。

 それらは『ラング』と呼ばれ、つまり現象の言語化であり、分類、脳内情報の圧縮……。

 我々と世界を媒介する、関係の網目となる。  


(それが、心の理論?)


 だが、君が把握する世界に、こうしたプロセスは介在しない。

 視覚情報として眼球が捉えた生の情報、(直感像)がその全てだから。

 それは絞り込んだ前後のないピンホール写真のようなものであり、君の中に区別はない。いずれも共通の価値、共通の意味を有した一つのパターンなのである。

 光と影、そして色彩が織りなす、美しいモザイク模様。

 君の知覚は、ありのままの世界を捉え、解釈を加えず、細部までの完全記憶を有する。  

 それが君の世界。

 共通の要素でありながら我々とは違う認知に立つ、別の世界だ。

 世界は複数のパターンを内包し、君たちの前に横たわっている。

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