第5話


 一区から三十六区を縦に繋ぐ、新東京道1号線をランドクルーザーが上って行く。白黒のツートーン・マーキング。治安管理局の機動警邏車である。沢木亨二、一等治安管理官は、同僚、久保隆志を伴い、午後の警邏活動に出向いていた。

 二人を乗せた車両は、銀杏並木を過ぎ、新都庁第二庁舎と連合銀行ビルの間を潜り抜けた。

「土曜だってのに、ツイてねえ」

 久保隆志は不精髭を摩りながら、ぶつぶつと不満を漏らした。

 サングラスの位置を正し、キャップの鍔をいじる。深い藍色のアポロキャップは、管理局のエンブレムが金刺繍された立派な官給品である。二人は共に一等治安管理官の制服を着込み、バッジを付け、相応の公的威厳を放っていた。

 沢木は法定速度で車を流しながら久保に告げた。

「ローテーションだから仕方ないさ。ここじゃ、警邏中にトラブルに出会うことなんて万に一つもない。(月の王冠)の警邏なんて、近場のドライブみたいなもんだ」

 久保は不機嫌に言い返した。

「誰が嬉しくて、お前さんとドライブだってんだ」

「それは、言えてる」

 沢木は乾いた声で笑った。

 一瞬フロントグラスに影が落ちると、高速の橋脚が二人の頭上を過った。

「ここには悪さするほど、暇な奴がいない」

 そう沢木が呟くと、久保は大袈裟にうなずいて見せた。

「当たり前よ、地上で仕事にあぶれた連中ばかり流れて来てんだぜ。やる気満々さ。近頃じゃ、外国人就労者まで増えてるって話だ」

「らしいね。月面基地に追い付け追い越せ、って勢いだろ。まだまだこれからって世界だからな、ここは。余裕があるんだろ?」

 久保は両手を組み合わせると、神経質に親指を回した。

「この間、新聞に出てたっけか、(月の王冠)の平均年齢、……幾つだっけ?」

「三十一歳」

「だったか。つまり大体五十代くらいまでしか、ここにはいねえらしい。みんなが働き盛りってわけだ」

「そうだな」

 沢木は片方の眉を吊り上げた。アクアマリンのピアスが揺れる。

 久保は腕組みすると言った。

「しかしよ、暇な野郎が増えると犯罪まで増えんのか? 地上みたいにさ?」

 沢木はハンドルを操りながら、ちらりと久保を見やり、ひとつ咳払いした。

「割れ窓理論って、聞いた事ある?」

「何だ、それ?」

「環境犯罪学ってのがあってだね。建物の窓が壊れているのを放置してると、周りから、これは誰も注意を払っていない建物だと認知される。すると残り全ての窓も、まもなく破壊されちまう、って話」

 久保は興味深げにうなずいた。

「なるほど。でも(月の王冠)はそうじゃねえ。新品のピッカピカ」

 沢木はうなずいた。

「全員が雇用の機会に恵まれてるからさ。この街は皆の労働でサービスとメンテナンスに溢れてる。だからだよ。働いてないのは子供と病人くらいだ」

 久保は眉間に皺を寄せると、渋い顔をした。

「割れ窓ってのは建物だけじゃなさそうだ。……な、そうだろ?」

 思案する久保に、沢木は口笛を吹いた。

「冴えてるね、だんな。そういうこと。弱者こそ、割れ窓なんだ。高齢者や病人。それに失業者、……今は、いないけど」

「ここも十年先は、わからねえってことだな」

 久保は車窓から遠くを見詰め、曲がった大地と(空)の曖昧な境目を探した。

「なあ、沢木よ」

「ウン?」

「お前さん、十年前は何してた?」

「暇してた、かな」

 久保は嬉しそうな声を上げた。

「なーんだ、俺と一緒じゃねえか。あの頃、地上じゃ、超就職氷河期って時期だったからな。おめえもそうだろ?」

 久保が軽く肘で突つくと、沢木は迷惑そうな顔をした。

「一緒にすんなって。俺、一応、警察学校出ですから」

 久保は目を丸くした。

「マジかよ? そりゃ、すげえな。……しかし、初耳だ」

 沢木は顔をゆがめた。

「途中で、落ちこぼれちまったけど」

 久保はサングラスを下ろすと、したり顔で笑った。

「そういうのはな、出たとは言わねえもんだ」

 沢木も、あっさり認めた。

「すまん。ちょっと見栄張っただけ」

 久保は人差し指を立て、言葉を捜した。

「しかし何だな。お前さん、落ちこぼれにしちゃ、色々と詳しいよなあ。何だっけ、(環境犯罪学)だったか?」

「我が家は、警官一家でね」と、沢木。

「そうなのか?」

 ぎょっとする久保に、沢木はさらりと答えた。

「親父は神奈川県警の警部。お袋も元事務官殿よ」

 久保は憐れむように顔をしかめると、首を振った。

「そりゃあ、針のむしろだな」

「わかるかい?」

「おめえさんの出来じゃな。……兄弟とかは、いねえの?」

 沢木は一瞬言葉を呑んで、それからぽつりと呟いた。

「一人いたけど……死んじまったよ」

「おっと、そりゃ悪りい。御愁傷様」

 しかし、久保は悪びれる風もなく、

「てっきり優秀な兄貴でもいたら、漫画みてえだなと思ってよ」

 沢木はゆっくりと首を捻ると答えた。

「弟だ。十七で死んじまった。病気でな」

「ツイてねえ。それで、優秀だったのか。お前と違って?」

 沢木は笑った。

「わからんね。……けどまあ、俺よりは幾らかマシだろ?」

「あー、そうだな。言えてる」

 二人は声を揃えて静かに笑った。

 車中にしばしの沈黙が降りると、沢木は手のひらを上にして久保に催促した。

「なあ」

「ああ?」

「煙草、一本恵んで」

 久保は怪訝な顔をした。

「お前、確か禁煙中じゃなかったか?」

「明日からだよ」

 久保は面倒くさそうに胸ポケットからラッキーストライクを取り出すと、パッケージを開いて沢木に寄越した。二人が火を回し吹かし始めると、たちまち車内が白く煙った。沢木は少しだけ窓を開けた。ぬるい風が隙間から吹き込んでくる。

 宅配便のトラックを一台追い越した。

 今日のお天気予定は(曇り、所により一時雨)だ。

「久保さんよ、あんた、元々警備畑の人?」

 沢木の問いに久保は曖昧にうなずいた。

「そうだよ。他に才能らしいものがなくてな。ホワイトカラーにゃ向かねえ性分だ。……沢木も学校辞めてから警備会社だろ?」

「まあ、そんなところ。同じだよ、あんたと。似た者同士だ」

 沢木は一つ閃いて、笑顔を見せた。

「俺たち、能無しブラザーズだな。能無しの甲斐性なしコンビ」

 久保がうんざりした様子で首を振る。

「親が聞いたら泣くぜ」

「お互い、そろそろ嫁の心配じゃないの?」と、沢木。

 久保は意外そうに眉を吊り上げて見せた。

「ほー、するつもりかね? 沢木管理官殿?」

「いやー、どーすかね?」

 沢木は煙草の灰を車窓の隙間から払いながら、久保にたずねた。

「久保さんよ、あんた今年で幾つになったんだっけ?」

「三十六。沢木は?」

「三十四」

 久保が目を丸くした。

「じゃ、俺が先輩か?」

 沢木はにやにやと、久保を横目で見やった。

「だからこうしてだね、俺がハンドルを握ってるでしょ? 先輩に敬意を払って」

「ほんとかよ?」

「冗談」

「むかつく野郎だ」

 久保は頭を振った。

「十年か。……あれから十年だ。随分年食っちまったぜ」

「でもまあ、あのドサクサで、今の俺達があるわけだし。二万五千人の治安管理局の職員募集とか」

「今じゃ、すっかり公務員様だしな」と、久保。

「全くだ。アメリカ万歳かね?」

 久保はくわえ煙草で渋い顔をした。

「そいつはちょっと。……やめとこうや」

 二人は黙って煙草を吹かした。

 十年ひと昔というが、今から九年前、世界には一つの節目が訪れた。世界がデフォルトしたあの日を、二人は忘れはしない。  


 それは二〇一三年の年始、日も浅いうちに始まった。

 合衆国最後の共和党政権で押し進められていた、月、火星への有人宇宙飛行計画は、実質的には宇宙配備型兵器を実現する、全方位型支配政策のカモフラージュであった。

 一パーセントにも満たない支配的富裕層の根強い覇権主義が共和党政権と相俟って、水面下で強力に推進していたのである。

 これは一九六七年制定の(宇宙条約)の第四条にあたる、(核兵器および、他の種類の大量破壊兵器を運ぶ物体を地球を回る軌道上に載せないこと、これらの兵器を天体に設置しないこと、並びに他のいかなる方法によってもこれらの兵器を宇宙空間に配置しない)という条文の間隙を突いた解釈である。条文は核兵器と大量破壊兵器の配備を禁じている一方、通常兵器の宇宙配備を禁じてはいない。合衆国はこの条項を法的根拠として、軌道上に配備する兵器開発を本格化した。

 しかし計画は多額の財政負担を生み、国内に於ける教育、医療関係の政策予算の大幅な切り捨てという結果を生んだ。ただでさえ天文学的な財政赤字を抱えた政府に対する国内感情は、否定的ムードへ傾倒し始める。

 同年二月、マクレーン政権は金融政策の切り札を市場に投入することを決定。

 北米共通通貨(アメロ)の登場である。ユーロにならって米国とカナダ、それにメキシコを一体とする北米経済圏を実現させようとする試みだった。この背景には二〇〇七年三月より、イラン国内での米国ドルの通貨使用が禁止されたことがある。巨大な国際貿易商品である石油、その大産地であるイランで、ドルが貿易決済用に使われなくなり、ユーロへの完全移行が決定となれば、世界通貨としての米国ドルの地位は大きく下落し、ドル体制の崩壊が危ぶまれたのである。

 (アメロ)は十数年の下準備の末、世界経済の表舞台に現れた。新ドル体制が敢行されれば旧ドルは大暴落である。そうなれば旧米ドルを大量に抱えている国家(即ち中国や日本)はデフォルト(国家破産)状態へと追い込まれてしまう。

 これは裏を返せば米国の債務放棄、赤字財政を事実上白紙に戻すためのクラッシュ・プログラムであるわけだ。市場に投入されれば金融恐慌は確実である。中国、日本を筆頭に、EU諸国からも猛烈な反発が起こった。

 すぐさまIMFが介入に動いた。中国は合衆国の(アメロ)政策を、国際金融に対するテロ行為である、と非難。日本は長年の日米安保の関係から微妙な立場に追い込まれていた。協調外交路線で米政府との交渉を量るも、最終的に決裂へと流れてしまう。事実上、六〇年新安保条約が解消されることとなったのである。

 その一月後、三月六日水曜に東京都内に向けて、極軌道上の衛星から地上攻撃が行われた。

 新宿都庁を中心に、半径十キロにわたって槍型貫通兵器が降り注いだのである。このシステムは重力加速度を利用し、大気圏内に円周六メートルのタングステンの槍を発射、標的を時速一万一千二百六五キロメートルで破壊する。通称(神の槍)と呼ばれる通常兵器である。新宿はもとより、杉並、練馬、江東区一円が壊滅的打撃を受けた。

 国際社会の嫌疑はすぐさま合衆国へ集中した。アジア蔑視の目に余る発現であると、非難が集中。しかし米政府はこれを全面否定した。後日、爆心地から回収された数多くの米国製電子制御部品が、攻撃衛星の所在を裏付けたが、コメントは否認で通された。

 ところがその三日後、三月九日の土曜、今度はシカゴのシアーズ・タワーで小型スーツケース核爆弾による爆破テロが起きた。

 シカゴは壊滅。マクレーン大統領は、これは我々の北米共通通貨構想に対する抗議であり、同時多発テロであると表明。しかし矛先の定まらない仮想敵国を訴えてみても求心力に欠けた。誰が見ても明らかな、アメリカのインサイド・ジョブに国内感情が爆発した。

 そもそも無保険と貧困に晒された、国民の半数を超える不満分子が、国際的な孤立を深める無能で利己的な政府に対して暴動を起こしたのである。

 事態収拾のため、アメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁(FEMA)が、Rex-84プロジェクトを発動させた。

 戒厳令のもと、全米で八百万の反抗的アメリカ人が検挙された。一旦は沈静化へ向かうも、軍上層部の一部が袂を分ち、(The fourth Way:第四の道)なる反政府軍を立ち上げた。散発的な蜂起がやがて統制され、大きな武力による軍事クーデターへと拡大していったのである。

 目くらましのため、国外へ政敵を求めた合衆国は、皮肉な事に内部の虎の子を起こしてしまったのである。内戦状態に陥った合衆国は(アメロ)投入もままならず、国連安保理の決議による経済制裁を受け、国家としての存在を維持出来なくなってしまった。史上最大の破綻国家の誕生である。

 国連安保理はPKO国連北米活動のため、ロシア軍を中心とする多国籍軍を派遣。

 二〇一三年四月三十日、武力行使を認めた第二次北米活動を展開した。大規模な侵攻作戦を展開し、約二ヶ月間で掌握、沈静化に至った。

 掃討作戦終了の宣言は、七月四日木曜日、早朝のことであった。

 その後、国際連合北米暫定駐留軍を創設、現在も任務を続けている。

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