第33話
葵 洋子と早乙女一也は三十番シャフトに赴き、中央の制御ダクト、二番プラットホームでカーゴエレベーターを待っていた。
「何、にこにこしちゃって」
葵は早乙女の顔を覗き込むと茶化した。早乙女は照れ笑いを浮かべながら言った。
「子供っぽいですか? でも乗り物に乗るのは楽しくて。それに……」
そこで唐突にプラットホームに鳴り渡る警告ジングルに遮られた。振り仰ぐとカーゴエレベーターの流線型のボディが静かに降下して来る。二列に並んだ有機EL照明に、パールシルバーの塗装が眩く反射した。接地の瞬間エアブレーキの低い衝撃波が起こり、耳と腹にズシンと重く響いた。
早乙女は子供のように目を輝かせると、満足げそうにうなずいた。
「これは、特別なんです」
葵は早乙女の横顔を眺めると言った。
「子供っぽいんじゃないでしょ。あなたはね、まだ子供なの」
早乙女は頭を掻いて笑った。
「そうでした」
トーラス居住区へと向かう乗客が降車してしまうと、油圧アクチュエーター駆動のボーディング・ブリッジが起動した。二本の回転式アームに繋がった枠囲いの足場が水平を保ったまま弧を描き、乗車口へと運ばれる。摑まった手摺りに断続的な機械振動が伝わった。葵と早乙女は十二列並んだ座席の一番先頭に運ばれた。
「やった。一番前」
早乙女が嬉しそうに身体を揺する。
早乙女はボーディング・ブリッジが固定されると同時に駆け出し、お気に入りの右隅の座席に一番乗りした。ここが正面と側面の景色を一番堪能出来る場所らしい。葵も引っ張られるように搭乗すると、早乙女の左隣りに座った。
「今日はツイてますよ、僕たち」
「そうね」
葵は早乙女の安全バーを降ろしてやり、停留指定パネルで0・3Gステージを指定した。早乙女はその様子を観察し、にっこり微笑んだ。
「ありがとうございます。洋子さん」
「どういたしまして」
葵は片方の眉を吊り上げて見せた。
「一也君と早朝デートだなんて。美紀ちゃんが知ったら怒るわね」
「それ、どういう意味です?」
葵はにやにや笑った。
「美紀ちゃんね、あなたに興味あるらしいわよ」
「ええ?」
「びっくりした?」
早乙女は二度うなずくと小さく肩をすくめた。そしてふと思った言葉が、口を突いて出た。
「……洋子さんは?」
ものの弾みだった。早乙女の突然の質問である。葵は顔が赤らむのを感じながら、曖昧に呟いた。
「あたしは……」
早乙女は寂しそうに笑って葵の言葉を制した。
「洋子さんは沢木さんが、いいんですよね」
「えっ?」
「沢木管理官」
葵は動揺した。
「なんで急に、……そんなこと言うのよ」
早乙女は静かに首を振った。
「昨日、公園で沢木さんとキャッチボールやったでしょ。あの時、僕と洋子さん、例のティアラ装置を付けてたじゃないですか。だから洋子さんの頭の中が流れ込んで来て……」
葵は、はっとし、早乙女から目を逸らすと俯いた。頬が、かあっと熱くなる。葵は恥じらいながら、やっとの思いで言葉にした。
「……あたし、どんなだった?」
早乙女は両目を見開いた。
「ラブコメみたいでしたよ。アベックシートの検査で観たような」
葵は黙したまま苦笑いを浮かべた。
「何か、恥ずかしいね。全てお見通しだったか。あたしは何というか、……沢木管理官のことは……」
早乙女は遮るように言った。
「彼は凄くいい人ですよね」
葵は素直に認めた。
「そうね、……ほんとに」
二人が黙り込んでいると、プラットホームに合成音声のアナウンスが響いた。
「まもなく二番エレベーターが発進します。ご利用の方はお急ぎください」
早乙女は席に座り直し、正面の路線を照らす有機ELを見詰めた。
「さあ、洋子さん。出発しますよ」
葵はその言葉にちょっと身を引く。
「一也君、目が真剣だあ。そんなに楽しみ? 何度も乗ってるのに?」
「もちろん。これは僕の中ではロケットの打ち上げなんですから」
葵は納得した風にうなずいた。
「ははーん、例の赤方偏移と青方偏移ね」
「そんなところです」
「でもこの速度じゃ、光のドップラー効果は起きないわよ」
「だから、ごっこですよ。いつか本物の宇宙船に乗った時の予行演習かな」
そこで葵は人差し指を振った。
「あら、宇宙船だったらあたしたち、もう長いことずっと乗ってるじゃない」
葵はそう言って床を指さした。
宇宙ステーションは、超巨大宇宙船なのだから。
早乙女は笑いながら言った。
「(月の王冠)でワープ1? それも悪くないですね。さあ、行きますよ。無限の彼方へ」
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