第29話


 沢木はホテルのフロントに降りると、携帯端末で第一月面基地治安管理局次官、西脇 明に通話を繋げた。

 早乙女の肖像画、そして科捜研での検証からの一部始終を、データパケットで送信した。沢木が洗いざらい伝えると、西脇は唸った。

「しかし、根拠が薄いな。そもそものきっかけが、自閉症患者の描いた人相書きなんだろ? 法廷での立証が難し過ぎる」

「しかし、入管記録と不審行動は明白だろう。まずは被疑者の拘束。理由は後で何とでもこじつけりゃいい」

「誤認逮捕は面倒なことになるんだぞ」

「何、とりあえず声掛けて、抵抗したら逮捕の必要性を満たしたと言えばいいのさ」

「何なんだ、お前は? 弾圧目的なのか?」

「そんなつもりじゃないよ。だが、こいつは何か怪しいんだ」

 西脇の諦めたような、ため息が聞こえた。

「沢木の勘を頼りには出来んが、ま、少なからず俺も取り調べが必要だとは思う。……しょうがないな。とりあえず、刑訴法210条で行くか?」

「緊急逮捕か?」

 西脇は言い返した。

「急ぎの用なんだろ?」

 沢木は小さく唸った。

「まあ、そうだ」

「裁判官が逮捕状を出さなかったら、すぐに釈放だぞ。その時は諦めてくれ」

「頼んだよ」

 沢木はそう言って通話を切った。久保が腕時計を見ながら、横から口を挟んだ。

「今、十時半だ。急いでハブポートに行けば、俺たちも突入に参加出来そうだぜ?」

 沢木は意外な様子で声の調子を上げた。

「月にか? 無理無理。片道で三時間は掛るんだぜ。西脇はそんなに、のんびりしてないよ。……ところでそれってマジで言ってる?」

「もちろんだ。俺たちの手柄を横取りされたくない」と、久保。

 沢木は首を横に振ると鼻でせせら笑うように言った。

「馬鹿言うなよ。面倒なだけだって。西脇も言ってたように、だ。逮捕出来ても十分な証拠が挙がらなきゃ、嫌疑不十分で不起訴になるのがオチさ」

 久保は目を丸くした。

「じゃあ、お前、それ、わかってて奴に振ったのか?」

「ああ、そうさ。どの道、第一基地じゃ俺たちは管轄外だしな。現場に行ってもオブザーバーだよ。オヤジの頼みは十分に聞いた。ここまで探し当てたんだし、立派なお手柄だって」

「しかし、なあ……」

 沢木は渋る久保に、説き伏せるように言った。

「後は任せて安心、お偉いさんの出番だよ」


 西脇は迅速に警備部の機捜隊に召集を掛けると、突入班を編成した。急場ではあったが、十二名のCQB(Close Quarters Battle近接戦闘)要員を揃えることが出来た。

 第一月面基地治安管理局、中央指令室に入った西脇は、夜勤と召集組のオペレーターを合わせた緊急態勢で一次警戒を展開した。

 指令席に着いた西脇は、台場仕立ての高価な上着を脱ぎ、袖まくりで仁王立ちした。

 照明を落とした部屋の四方には、大型の有機ELモニタがはめ込まれ、基地内各所からの監視情報が刻々と変化しつつ流れていた。数百を超える全方位型CCTVが捉えた監視映像がマトリックスとなって表示された。右側のモニタにはポリゴンで描かれた基地の見取り図が緩やかに回転している。 色とりどりのラインが交差し、それが基地の空間構造と人の動きを表していた。

 第一月面基地は(晴れの海)に位置する六層からなるフラーレンドームである。直径一・五キロメートルの球体構造物が、全体の四分の一を月面に表した形で地中に埋設されていた。(月の王冠)に比べれば小さなインフラである。そのため、最下層ではビーフェルト・ブラウン効果を生む巨大コンデンサーが作動し、1Gの体感重力を発生させている。

 十数名のオペレーターたちはモニタを睨み、各々が割り当てられてた領域を、抜かりなく検証した。

「突入班の到着は?」

 西脇の問いに男性オペレーターの声が返した。

「現在六層B8エリアに到着。二分三十秒後にコンタクト」

 西脇は腕組みするとうなずいた。予定通りの展開。作戦は順調である。正面左隅の一角に目を向けると、沢木が送って寄越した被疑者の顔写真が大写しになっていた。モニタの下三分の一ほどの黒いスペースを、白抜き文字のインフォメーションが通過していく。西脇はじっと眺め、顔をしかめた。

 北上真悟、二〇〇三年生まれ、十九歳。丸みの際立つ童顔、透明感のあるアングロサクソンの肌、目尻の切れ上がった大きな眼、青味掛った灰色の瞳。日本国籍が聞いて呆れる風貌である。

 まだ、ほんの子供じゃないか。

 西脇は舌打ちした。こんなガキに、我々は翻弄されているのだ。

 旧合衆国自由主義者にしては、あまりに若い。幼さゆえ、記憶さえあやふやなのではなかろうか。仮に彼らにその記憶があるとして、それは幼少の頃を甘酸っぱく彩る、セピア色の思い出話だろう。

それが何をよりどころに、思想へと傾倒するのか? 

 親からの刷り込み。敬愛の想いが、正しい判断を狂わせる。形のない憎しみが独り歩きし、息吹を持つのだ。体験を伴わぬ妄想は純化され、研ぎ澄まされた理想へと変化する。共通の認識を求め、浸透の速度は増していく。混沌へ向かうエントロピーのように。西脇は、危険思想の確実な世代交代を目の当たりにしていた。

 そこでモニタを見つめる西脇の目が、ふと思案に曇った。

 少年の目尻の切れ上がった大きな眼を凝視する。

 何処かで見覚えのある顔だ。 

 西脇は直感的にそう思った。本人ではない。誰かの面影だった。最近だろうか? 西脇は記憶を探るが手応えはなかった。

 そこでオペレーターの声が西脇の思考を妨げた。

「突入班、コンタクトします」


 六層B8エリア、第三十二区画のD。

 貨物エリアに隣接した簡易宿舎街。素泊まり専門の、いわゆるドヤ街である。既に辺りは夜間照明に入り、月明かりほどの間接照明に絞られていた。道々に並んだ安っぽい電飾看板が瞬いている。上を見上げると建物の隙間から、ドーム天井の正三角形の梁が見え隠れしている。

 第一月面基地の最外延部に位置するこの周辺は、山谷地区に良く似た寄せ場の様相を帯びていた。 赤・黄・青・緑に色分けされた木賃宿の一大集落である。因みに色は施設の設備を表しているらしい。テレビや、冷暖房の完備をそれぞれが意味している。極めて低額で宿泊出来る民間施設で一応は旅館業とされているが、主に住所不定の日雇い労働者の常宿となっている。旅館というよりは日割り計算のアパート、といった方が正確だろう。この頃では、地球からのバックパッカーたちにも人気のはたである。

 また、近年(ゲストハウス)と言う言葉の曖昧さを詐術的に用い、旅館業法の許可を取らず無許可営業に踏み切っている宿も多いらしい。これは防災上、建築基準上、宿泊者の生命と財産に危険を及ぼしているといっても過言ではない。

 旅館業法とゲストハウスの適用基準の法的な明確化が求められている。


 装甲バン二台で到着した突入班は、一筋手前で降車した。

 扉を開け、全身黒づくめの機捜隊員が現れた。フェイスガード付ケブラーヘルメットにアサルトスーツ、タクティカルベストを装着し、ポリカーボネイト製の小型防弾盾を装備していた。散開して狭い街路を二手に分かれ接近する。

 じめじめとした路面には、無数の煙草の吸殻とビラ広告の千切れた残骸がこびりついていた。落ちくぼんだ目の疲弊した労働者たちがあてもなく徘徊している。路上ではカソリック系教会、各種NPO団体が協力した炊き出しを振舞っており、貧しい身なりの痩せこけた住人が長い列を作っている。ラウドスピーカーを持った教団指導員が容器を受け取った住民たちに食前の祈りを復唱させている。

 熱い粥を手渡すシスターが、走り抜けて行く物々しい機捜隊員たちを目で追った。

 第一斑が建物の表側に、二班が裏口を押さえた。

 赤とブルーで縞模様に塗装された入口。古臭い電飾の謳い文句が、息切れのように瞬いている。(第一Gハウス、全室冷暖房完備・カラーテレビ付、個室)

 一班のリーダーが通話を開き、ヘッドセットから中央指令室に繋げた。

「現場に到着。配置に着きました。詳細を求む。どうぞ」


 西脇は指令席から、CCTVが送ってきた突入班の様子をモニタしていた。

 俯瞰で捉えた建物。暗い屋上に、照らされた街路。建物沿いに、接近配置した突入班が見える。

 様々な角度から現場周辺が切り取られ、大型の有機ELモニタに配置されていく。第一Gハウスの図面が現れ、三次元に展開すると、間取りが明確になった。熱映像のオーロラのような画像が重なると、現在の人員配置が表現された。

「αリーダー、現場の3Dの間取りとサーモグラフを送っている。そちらの端末で確認出来るか?」

 西脇はコンソールに呼び掛けた。リーダーは平板な声で返した。

「受け取りました。確認出来ます」

「被疑者、北上真悟の部屋は三階の4号室だ。現在、熱源は……」

 リーダーはフェイスガードに付いたプリズムレンズを確認した。

「ありますね。動いています」

 モニタには三層の建物がワイヤーフレームで描き出され、その三階の四番目の部屋に虹色のフレアーが揺れている。

「そうだな」と、西脇。

 そこで西脇は躊躇するような曖昧な間を取った。

「まだ未成年の少年だ。あまり手荒には、やるな」

 リーダーはヘッドセットに疑問の唸りを漏らした。

「しかし、奴はテロリストなんでしょう?」

「可能性だよ。あくまで被疑者だからな」

 リーダーは乾いた笑い声を上げた。

「心得てますよ、次長。素直に連行出来ればそうします。抵抗すれば、ま、それなりに」

 西脇は渋い顔をした。

「現場の判断に任せよう」

「了解」

「よし。突入しろ」


 リーダーは時間を確認した。午後十一時二十三分。逮捕には、もってこいの時間帯である。

 暗がりは対象に気取られないカモフラージュである上に、我々の法的実力行使を曖昧にしてくれる。社会通念上、逮捕のために必要かつ相当と認められる限度の制裁、のことである。

 リーダーは職務上の、この司法執行活動を何より楽しみにしていた。次官は未成年者に対する保護条例を気に掛けているようだったが、そんなものは関係ない。捕縛は先手必勝である。

 火力と物量で敵を圧倒し、一気に抑制する。

 それが基本である。そして生意気な若造を叩きのめし、痛めつけることも目的だ。女子供の甲高い泣き声も悪くない。それこそ、まさに至福の瞬間である。誤認逮捕したことろで、我々に謝罪義務はないのだから。これで治安管理局の威信は保たれる。

 リーダーは革の黒手袋を絞り込むとフェイスガードの下でにやりとほくそ笑んだ。手応えを想像してのことだった。

 それから彼はヘッドセットに呼び掛けた。

「突入する」

 返事の代わりに機捜隊の全員が無言で九ミリの自動拳銃をホルスターから抜いた。グリップ部に半導体レーザーポインタが装備された特殊仕様である。

 狭い入口を潜ると、まず受付の男を抑えた。

 すばやく口を塞ぎ自動拳銃を額に突き付ける。男は何事かも理解出来ぬまま、機捜隊員の(静かにしろ)の合図におとなしくうなずいた。恐怖に固まり、こめかみに冷や汗が流れた。

 フェイスガード内側の映像装置に、階段の見取り図が表示される。そしてインフォメーションが流れた。赤文字の点滅。

(六段目のステップ、強度不足)

 リーダーは振りかえり一言。

「インフォメーション、気を付けて」

 老朽化したFRP製の階段を慎重に登る。

 三階に出た。

 狭い通路にLEDランプが二つ点っていた。薄暗い床には擦り切れたサンダル、下着の切れ端、埃まみれのビールの空き缶が無数転がっていた。

 4号室は通路の先だ。

 両脇に並んだ戸口からはテレビの微かな光と、バラエティ・ショーの取ってつけたような笑い声が響いてくる。洋物のアダルト・ソフトのオーバーな喘ぎ声も紛れていた。

 突入班は音もなく動き、三人が戸口の前を固めた。息を詰めた沈黙の後、合図を交わした。

 一人が薄いスタイロフォームの戸口を蹴り開けた。留め具が吹っ飛び、ドアが内側に外れる。三人の機捜隊員は同時に踏み込み、被疑者を九ミリで狙った。グリップから発信される半導体レーザーポインタの赤い光芒が、まっすぐに被疑者に注いだ。

「北上真悟、刑訴法210条に基き、貴様を拘束する!」

 そう言ってリーダーは部屋の奥にしゃがんだ少年の姿を目にした。

 滲みだらけの畳敷きの、四畳半の部屋だった。

 部屋の中に張られた物干し綱に薄汚れたタオルが二枚、ぶら下がっている。テレビは付いていなかった。

 少年は柱のある壁を背に身体を丸め、虫のように息をひそめていた。それからゆっくりと顔を上げた。

 ストレートの長い黒髪が左右に開く。手配書通りの顔だった。

 リーダーは一歩踏み出し、少年の首根っこを捕まえようと身構えた。少年は青味掛った灰色の瞳でじっと見返した。声すら上げない。踏み込んだ三人の機捜隊員に向け、不思議そう首を傾げると、少年はにっこり微笑んだ。

 その時になって初めて、リーダーは少年が何か筒状の金属容器を抱えていることに気付いたのだ。鈍い錫色の、業務用カレーのような缶だった。

 少年は右手に小さなスイッチを握っていた。ペンに似た細長い握りから配線が伸び、缶の上蓋の中へと消えている。

 リーダーは舌打ちした。

「畜生」

 少年は歯を食いしばり、反射的にスイッチを押した。

 放電型電気雷管が起爆薬を発火させる。

 エマルション爆薬の油とワックス、そして硝酸アンモニウムが反応を起こした。ゲル状の薬剤にはアルミニウム粉末、中空ガラスビーズと微細な空気泡が混合され、効果的に猛度を上げる。

 気体の急速な熱膨張の速度が音速を超えると、一平方センチ辺り七十三キロの衝撃波が発生した。

 燃焼を伴う爆轟。

 太陽が昇るような真っ白い光だった。

 衝撃波が三人の機捜隊員を襲い、身体が一瞬でフレーク状に打ち砕かれる。突入班はおろか、建物の周囲半径百メートルほどが一瞬で灰塵と化した。

 衝撃波は第一月面基地の最外縁部に位置した六層B8エリアのフラーレンドーム天井を跡形もなく破壊した。

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