第21話


 夜半過ぎに沢木亨二の携帯端末が鳴った。寝入り端だった沢木は、あからさまに不機嫌な様子で通話を開いた。

「……はい」

「沢木か」

「はいはい、どなた?」

「夜分にすまんな。西脇だ」

 通話の相手は西脇 明、第一月面基地治安管理局次官であった。

 沢木は深いため息を吐いた。

「月面基地と(月の王冠)の時差はないはずだろ? 協定世界時を見てやろうか……」

 沢木は手探りで時計を拾った。

「現在午前二時十二分、まだまだ宵の口だな?」

 西脇は心ない言葉で簡単に詫びた。

「すまん」

 二人の間に沈黙が流れる。沢木が呻き声を上げ、ベッドサイドの明かりを点けた。

「よし、わかった。今、起き上ったよ」

 うんざりした声音を漏らしながら、沢木は目を擦った。

「素面か?」と、西脇。

「まあ、比較的」

 西脇は皮肉めいた調子で鼻を鳴らすと言った。

「北米暫定行政機構と公安外事三課からの返事だ」

「外事三課? どちらの?」

「日本だよ」

「ああ、なるほど」

 圧壊事故追跡調査の外部情報は逐一連絡という手筈だった。約束は守られたというわけである。 「旧合衆国領土内での不審な動きはないそうだ」

「じゃ、外部のテロ支援国家かねえ? 国際テログループは見つかったのかい?」

「それが意外な展開でね。シドニーからインターポールが追い掛けて、公安外事三課が成田で押さえた」

「手際いい」

「月の極軌道への通信、ステーションの事故。この二点を踏まえて北米暫定行政機構とインターポールに調査を頼んでみたんだが早速掛った」

「ほう、どこのどいつだ? やっぱり(第四の道)辺りか?」

 西脇はあっさり同意した。

「ま、予想通りというかな。元米軍関係者だよ。インターポールがリヨンで主要国際空港の航空輸送手続を洗い、それを元にPKFが履歴の裏を取る連携調査をした。ここ数か月で月面基地、(月の王冠)との出入りの多かった旅行者をピックアップした身元調査だ。パスポートを手始めに、仕事、友人関係、商品の購入記録、通話記録、ネットアクセスの関心度指数など諸々」

「良くやるね、全く」

 沢木は首を振り、灰皿を引き寄せると煙草に火を点けた。西脇の報告は続いた。

「それで、絞られた数人の不審者ファイルの中から、フレッド・コールマンなる人物が浮かび上がった」

「何者?」

「東京都江東区居住のオーストラリア国籍。観光ガイドの現地派遣の会社を経営していた。小さな会社だ」

「なるほど」

「これが裏を取ると、まるっきり偽の経歴だったわけだな。当然、名前も違ってる。ジョナサン・リクター、五十六歳。こっちが本名だ。湾岸戦争から戦ってる、本物の英雄だよ」

「旧合衆国自由主義者か」

「恐らくね。九一年の多国籍軍の(砂漠の剣作戦)にも参加してるな」

 沢木は煙をふかした。

「(砂漠の嵐)、じゃなかった?」

「そっちは空爆作戦。イラク侵攻の地上戦の方だ」

「そっか。で、奴さん、そりぁ、幾つの時だい?」

「二十五かな」

「すっげー」

 西脇も同意した。一つ咳払いすると続けた。

「出世も凄いぞ。停戦協定後はUNSCOM国際連合大量破壊兵器廃棄特別委員会の実働調査部隊に参加。その後のUNMOVIC国際連合監視検証査察委員会まで任務に当たっているな。この経歴を買われてCIAと接点を持ってる。これが二〇〇三年、三月までの話だ」

「そしてイラク戦争か」

「ああ。その後は軍務を離れ、様々な諜報活動の実働を担ってきたらしい。関与した事件がどれかは特定出来ないがね。二〇一三年の米軍上層部のクーデター(第四の道)の御膳立てにも一役買ってるらしい」

「大物なのか?」

「それは良くわからん」

「どうして? 尋問したんだろ?」

 西脇は、ため息を吐いた。

「尋問に移る直前だったんだが、自害された」

「どうやって?」

「仕込みの毒物だ」

「……やれやれ」

「経営している派遣会社ってのも口座とアドレスがあるだけのダミー会社で、通訳ガイドはその都度集められた素人さんだ」

「単独犯なのか?」

「それもわからん。わかったのはこの男は何か、やましかった、ってだけ」

 沢木は鼻を鳴らした。

「最悪だな」

「面目ない。……で、沢木、お前の方はどうだ?」

 沢木は自信なさそうな薄笑いを浮かべると、頭を掻いた。

「目撃情報が一件だけ。……絵の巧い、自閉症スペクトラム患者だ」

 西脇は呆れた声を上げた。

「何だ、それは? 人相描きでもさせんのか?」

 図星なだけに言葉に詰まった。

「それが実は……そんなところでね」

「真面目にやってくれよ、一等治安管理官殿」

「わかってる」

「頼むよ」

 二人は沈黙し、重たい空気が流れた。西脇が咳払いした。

「とりあえず、奴の関係した人物から洗ってみるよ」

 沢木はふと思い立ってたずねた。

「因みに嫁さんはいるのかい? そのジョナサン・リクターには?」

「随分前に離婚してるな。子供は一人息子がいたが事故死している」

「そうなのか?」

「ああ。自動車事故だ」

 沢木の鼻息と共に、再び沈黙が降りる。もう聞く気はない、という合図だった。西脇は最後に付け加えるように言った。

「そうそう、システム課の方で調べていた、例のユニットパージ誤作動誘発のプログラムだけどな」

「何だっけ?」

 とぼける沢木に、西脇が非難がましく言った。

「0・3Gステージの事故原因だろうが? 3D-CADナビゲーターがおかしくなる、あれさ」

「ああ、そうか。そうだった。……何だい、こっちの調査報告が月面のお前さんに先に行くってか?」と、沢木は不満そうな声を上げた。

「悪いがな、俺もそういう立場だ」

「これは失礼を。次官殿」

 西脇は続けた。

「判明したんだそうだ。いわゆる (トロイの木馬)だよ」

「何のことだい?」

「通常動作中は空気ph管理のためのアプリケーションソフトに見える、偽装プログラムらしい。リムーバブルメディアで持ち込まれ、故意にインストールされている。感染してもデータ総量が増えたように見えない工夫までされていて、なかなか巧妙だ」

「頭いい奴か?」

「お前よりは当然」と、西脇。

「そりゃ、どうも」

「これから分離駆逐のためのワクチンプログラムを作成するそうだ」

 沢木は不安げな声音で西脇にたずねた。

「その(トロイの木馬)か? すぐに取り除けるものじゃないんだ?」

「簡単にはちょっとな。ま、しかし、システムの条件付けを満たさない限りは動作しない。当面の心配はなさそうだ」

 沢木は携帯端末の通話を切ると、煙草を揉み消した。

 スタンドの光に、うっすらと浮かび上がる殺風景な室内を眺めた。壁に湘南の写真が貼ってある。無感動に眺め、そして呟いた。

「成田か。……懐かしいね」

 沢木は目をつむると、潮風にうねる波の遠鳴りを想像した。

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