page5「依頼」


   〇


 入店してきたのは、二人の男女だった。

一人は美しい女性だった。その顔を見て、陽子は息を呑むとはこのことかと実感する。

 切れ長の目に、肌は白く、胸にまでかかりそうな長い黒髪を下ろしており、唇は厚ぼったい。同じ女性である陽子から見ても、どこか艶めかしく見える。ニット地の白いワンピースと足元の白いハイヒールが、彼女の美しさをより際立たせていた。

 もう一人は若い青年だった。見た目から判断するに、陽子と年齢の差はあまりないように思われる。同行した女性と同じような細く切り込まれた目尻に束感のあるセンターパートと、女子に人気がありそうな顔立ちをしていた。黒いスラックスに青いシャツ、その上に黒のロングコートというシンプルな服装から、真面目なイメージを思い浮かべることができるが、その顔はなぜか強張っているように陽子には見えた。

「失礼いたしました。お邪魔、だったかしら」

 女性が品のある声で言った。愛流は咳払いすると「そんなことないよ」と立ち上がる。

「久しぶりだね、神野(かみの)先生」

「ええ。その節はどうもお世話になりました」

 神野と呼ばれた女性は物腰柔らかな姿勢で一礼する。隣の男性も、それに習うかのように頭を下げた。

「ちなみに、彼は?」

 愛流は男性を指さした。男性は緊張した面持ちで背筋を伸ばす。

「初めまして。米田明(よねだあきら)と申します」

「米田くんね。ずいぶんと若いけど、神野先生の弟子ってわけじゃなさそうだね」

「ええ。娘の、瀬里奈(せりな)の恋人なんです」

 その時、神野の表情に、影が差した。しかしそれが何を意味しているのか、陽子にはわからない。

 何より神野に娘がいることに陽子は驚いた。米田の恋人ということは、もしかしたら陽子とも歳は近いのかもしれない。

 神野の顔にはしわらしいものは見当たらない。二十代後半から三十代前半に見えるが、実際には見た目より十歳以上は上なのだろう。化粧をしていたとしても、これだけの若々しさがあるのなら、米田と恋人同士であると説明されても、信じていた。

 陽子が驚いていることには気付かず、神野は扉の前に立ったまま、茂に向かって一礼した。

「お久しぶりです、マスター」

「いやぁ、神野先生、ご無沙汰しております。よろしければどうぞお座りください」

 茂は愛流の側にあるテーブルを薦めた。神野と米田は会釈すると、席に向かう。

「マスターも、あの美人さんのこと知っているんですか?」

 声を潜めて陽子は訊ねる。茂は食器棚から白いカップを取りだし、首を縦に振った。

「神野春心(かすみ)。日本絵で有名な画家だよ」

 茂の言葉を聞き、陽子は何度も首を縦に振った。

 これで愛流や茂が彼女を「先生」と呼ぶわけはわかった。しかし――

「なんで画家さんとお知り合いなんですか?」

 陽子は率直な疑問を口にした。茂はなぜか得意げな顔で口元を歪める。

「三年前だったかな。神野先生の娘さんが家出してね。彼女からの依頼を受けて、娘さんを見つけ出したのが愛流だったってわけさ――ほら、それより陽子ちゃんも、エプロンを脱いで、愛流の隣に座って」

「え、でも――」

「コーヒーは僕が淹れておくから。探偵の助手としての仕事を優先するようにね」

 陽子は未だに「探偵の助手」という業務内容に違和感を覚えながらも、エプロンを脱いでたたんだ。そしてカウンターを出て、怯えるように愛流の隣に座る。

 エプロンを膝の上に置きながら、チラリと愛流の横顔を見た。上司とも言える探偵は不貞腐れたようなしかめ面を浮かべている。表情から考えても、助手の存在を受け入れていないことは十分に伝わってくる。その証拠に、駅前で陽子を誘った時とは打って変わって、こちらを少しも見ようとはしない。

「あの、こちらのお嬢さんは――」

 神野が不思議そうに陽子を見る。途端に陽子の緊張は一気に増し、肩に力が入った。

「あ、愛流、さんのじょ、助手をやることになりました、伊勢陽子です」

 陽子は今すぐ自分の舌を噛み切りたいと思った。普段はここまで言葉に詰まらない。横で愛流がどのような顔をしているかと思うと不安になり、正面にある神野の薄く微笑んだ口元を見つめるしかなかった。

「今日からなので、何かと無礼はあるかもしれませんが、ご容赦ください」

 カウンターから茂が現れ、トレーに乗せたコーヒーカップを白いソーサーと共にそれぞれ置いていく。コーヒーは陽子の分もあり、視界の中で黒い液体が揺れていた。横で啜る音が聞こえ、隣を見ると、愛流が添えられたストローでレモンスカッシュを飲んでいる姿が目に映った。

「さて、じゃあ、本題に入ろうか」

 口からストローを離した愛流が、グラスを置くと同時に切り出した。神野と米田はカップに手を添えることもなく、愛流を見つめる。

「まず、今回の依頼内容を聞かせてほしい。電話では、瀬里奈ちゃんに関わることだって言ってたけど」

「ええ。今回の依頼も、その瀬里奈を探してほしいという内容です」

 神野の表情が、一気に暗くなったように陽子には見えた。長いまつげが下を向き、涙が溢れ出てしまいそうだ。

「また家出ってわけでもなさそうだね」

 愛流の声が低くなった。陽子が隣を見ると彼の目は細められ、相手を値踏みしているようにも見える。

 神野はゆっくりと首を縦に振ると、話し始めた。

「もう三か月も前になります。十二月二日の夜、瀬里奈が所属している大学の美術部の食事会があったんです。部員が描いた絵画の展示会の打ち上げということでした。ですが、その日から瀬里奈は帰ってきていません」

「それって、行方不明ってことですか?」

 言葉に出してから、陽子は相手の話を中断させてしまったと思い、反射的に口元に手を置く。しかし神野に気分を害した様子はなく「そうです」と端的に答えた。

「当然、警察に行方不明届は出してるんだよね?」

 愛流が手を擦りながら訊ねた。この質問にも神野は「はい」と短く答える。

「ですが、今になっても成果は報告されておらず、どうしても耐えられなくなって、愛流さんに依頼することにしたんです。以前にも瀬里奈を見つけてくださいましたし」

「確かにね。ちなみに、瀬里奈ちゃんの写真はある? 俺が会ったのは三年前だ。今じゃ大学一年生。行方不明になる、少し前の彼女の姿を把握しておきたい」

「それなら僕が」

 米田がトートバッグからクリアファイルを取りだす。中には写真が一枚入っており、それを取りだしてテーブルに置いた。

「もしかしたら必要になるかもしれないと思い、プリントアウトしておきました」

「助かるよ。データでも良かったけど、こっちの方が見やすい」

 言いながら愛流は写真を手に取った。陽子も横から覗く。

 どこかの植物園で撮ったものらしい。瀬里奈の周囲には花壇に植えられたバラが一面に咲いており、その前でピースサインを作りながら笑いかけている。夏に撮ったものなのか、ノースリーブの黒いワンピースを着ており、頭にはリボンのついた麦わら帽子を被っていた。

 胸にまでかかる長い茶髪に、丸っこい頬と鼻先。全体的に神野に似ているが、目だけは瀬里奈の方が大きかった。

「ちなみに、その食事会があった店は分かる?」

「はい。夢見市駅の前にある、大衆向けのイタリア料理屋です」

 答えたのは米田だった。愛流は心当たりがあるのか「あそこか」と呟き、スマートフォンを取りだす。

「悪いけど、神野先生の住所聞いていいかな」

 神野は嫌がる素振りも見せず、スラスラと住所を述べていった。愛流はそれを打ち込み「ありがとう」と礼を言う。

「となると、当日はこのルートで帰ったことになるのかな」

 愛流はスマートフォンを逆さにし、テーブルに置いた。地図アプリが起動されており、お店から神野春心の家までの経路が表示されている。

「おそらく、そうです」

「駅前からバスに乗って家に最も近いバス停まで行き、そこから歩いて十五分前後といったところか」

「ええ。ですが――」

 言いながら神野は白くて長い指でスマートフォンの画面を指す。指先には台形に似た形の公園が表示されており、その内の半分近くが水色に染まっている。おそらくこれは池だろう。「根耳公園」と地図上には表記されていた。

「この公園を横切れば、ショートカットできます」

 神野が公園の上をなぞるように横線を空中に描く。愛流は「なるほどね」と言って顎を擦った。

「覚えておこう。とりあえず、その美術部の連中にも話を聞きに行かないとね。問題は、今は春休み中だってことだけど」

「あ、それなら大丈夫だと思います」

 米田が身を乗り出して答えた。

「長期休暇中、うちの大学の部活は毎週月曜日と金曜日には活動を行うか、少なくとも部室を開けておくように大学側から言われているんです。書類の受け取り、もしくは活動の報告書の提出とかがありますから」

「なるほど。つまり今日は月曜日だから揃っているわけか。一応確認なんだけど、君も瀬里奈ちゃんと同じ大学に通っているという認識で、間違いないかい?」

 愛流が視線をやや上に向け、米田の目を見る。身長が陽子の隣に座る探偵よりも一回り高い青年は「はい」と頷いた。

「そういえばまだ聞いていなかったけど、瀬里奈ちゃんはどこの大学なんだい?」

「私立の北東学園大学です」

 次に答えたのは神野だった。しかし彼女から出てきた大学名に、陽子は思わず「え?」と声を漏らしてしまう。

「何か気になることでもあるの?」

 怪訝な表情で愛流が訊ねてくる。陽子は「あ、いえ」としどろもどろになりながらも、口を開いた。

「ただ私が来月から通う大学だったんで、ちょっと驚いただけです」

「まぁ、あなたも北東に?」

 神野が薄い笑みを浮かべて陽子を見る。陽子は恥ずかしがりながらも「はい、そうです」と首を縦に振った。

 しかし愛流にとって興味の対象にはなりえなかったらしい。黙々とレモンスカッシュを飲み干し、グラスをテーブルの上に置く。氷の上に添えられていたさくらんぼをつまんで口の中に入れ、少し間を空けてナプキンを口に当てた。種を吐き出したのだろう。

「よし、そのご依頼、お引き受けしましょう」

「ありがとうございます」

 神野が丁寧に礼を言った。米田も感極まったかのように安堵の表情を浮かべ、頭を下げる。

「それで、依頼料なんだけど――」

「ええ。前回と同じ額ですが、前金も含めた一括で準備はしておきました」

 神野は笑みを浮かべながらハンドバッグから白い封筒を取り出し、愛流に差し出す。愛流は受け取るなり封筒の中身を確認した。

「必要な経費がさらに増えるようであれば、その分追加いたしますので、お願いします」

「さすが。やっぱ一度依頼した人は、話が早くて助かるよ」

 愛流がニヤリと笑った。神野は頷いてから立ち上がると、店の入り口へと向かう。米田もその後に続いた。

「それでは、娘のことをよろしくお願いします」

 神野と米田は最後に深く頭を下げると、店を後にした。


                                   (続)

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